勇者とは
インガオウホー侍
第1話
僕は現実から逃避をしている。現実ではもう希望が見いだせずにいた。上からの重圧、失敗が許されない責任感、一緒に戦うはずの仲間は無責任に自分を頼ってくる。休みはほとんどなく毎日が戦争の日々だった。こんな生活がいつまでつづくのだろうか。心がすり減っていく。
「おいっ。だからこれはどうなってるんだっ」
都内に立ち並ぶビルのオフィス。太陽がジリジリと建物を照らし窓から強い光が差し込む。そこで会社員として働く僕は上司の机の前に呼び出され事の事態に現実味がなく無関心にボーっとしていた。
「聞いてんのか!」
その言葉と共に上司が自身の書類まみれの机を叩く。バンと大きな音が鳴り書類がバサバサと落ちる、職場はしらけて凍りつくような空気になる。大きな音で我に返り辺りを見渡すと職場の同僚達が心配そうにこちらを見ている。
「また○○さんと係長だよ」
「あぁまったくいい加減にしてほしいよ。こっちは仕事にならない」
「本当にあいつら学習しないな」
ネガティブな声がちらほら聞こえてくる。だが僕にはこの状況が恥ずかしいとはもう思わなくなっていた。もうこういった状況にも慣れてしまった。
「お前は事の重大さがわかってないな。どうしてこのことをもっと早く連絡しなかったんだ。何年ここで働いてんだ」
「ですから先日お伝えしたじゃありませんか。A社に納品予定の品がトラブルで間に合いませんので担当の係長が連絡してくださいって」
「お前俺が他にも仕事抱えてるの知ってるだろ。気を利かせてやっておくとか少しくらいサポートしたらどうなんだ」
「僕にも仕事があります、そんな簡単にサポートなんてできませんよ。それに係長にはこの件を報告した時に今は忙しいからまた後で対処しておくと・・・」
「そんなことは聞いてないし言った覚えもない。お前のミスだ、お前がなんとかしろ」
またか。前にもこういうことがあった。ここで僕が言い争いを行っても時間の無駄だ。言った言っていないの水掛け論になりこのことが課長や部長の耳にも入る。係長は上司のお気に入りだ、結局は平社員である僕が悪いと判決を下されることになる。かといってここで安々と相手の言い分を飲むとまた一方的に僕が悪いことになりかねない。なので少しは反論しないと。
正直こんなことしている暇はないが性分なのかどうしても言い返してしまう。今日も無駄な言い合いが始まるのか・・・
仕事が終わり、夜が更ける。僕は会社を出てふぅと息を吐き帰路につく。すると喫煙スペースの方から突然声をかけられた。
「おーいお疲れ様。今日も係長とのやりとり楽しかったわよ」
茶化すようにそう言葉を投げかけてきたのは先輩社員の筧(かけい)円(まどか)だ。彼女は狭い喫煙スペースのベンチに腰を掛けて一服していた。
「お疲れ様です。やめてくださいよ、僕だってしたくてしているわけじゃないんですよ」
「そうなの?結構楽しそうに見えたけど」
「全然楽しくなんてないですって。それにああやって会社で言い合えば他の社員の評判が下がっていきますし」
「ふーんそうなんだ。でも私は好きよ。正しいかはともかく、あーやって自分の正しさを主張している人ってそんなに多くないからさ」
彼女はそこで一旦言葉を区切りタバコを吸う。
「みんな利口だからホイホイと上司の指示に従っちゃうのよね。その方が精神的カロリー使わなくて済むからね」
「そういうものなんですかね」
「そういうものよ」
「あれ?それって僕の事馬鹿って言ってませんか?」
「ふふっそう聞こえたかしら。でも馬鹿はかわいいから好きよ」
「からかわないでくださいよ」
彼女は少しはにかみながら腕時計を見る。
「そろそろ終電が来ちゃうからもう行くわね。また明日」
「お疲れ様です」
行ってしまった。なんだか一瞬の出来事だったけど楽しかったな。帰るか。
途中でコンビニに寄りハンバーグ弁当とストロング酎ハイを買う。
コンクリートを塗り固めてできたアパートである我が家に帰ってきた。玄関でカギを開けようとすると足元を何か小さい物体が動く。
「うおっっ」
思わず声が出てしまい驚く。よく観察してみるとそれはトカゲだった。しかし色が紫色で少々不気味だった。あんな色のトカゲっていたかなと思いながら部屋に入った。間取りは狭い六畳の部屋にユニットバスでキッチンがポツンとついただけのものである。
帰ってくればやることは一つ。配信サイトでアニメを見ながら弁当を食べ酒を飲む。そして、いつの間にか眠っていた。
僕は体を揺さぶられ目を覚ます。ベッドの上。今ではすっかり慣れてしまった二日酔いの頭痛。しかしそこで違和感に気づく。木製の部屋に立派なベッド、自分の部屋じゃない。
「勇者様」
そして何より一人暮らし僕の家には当然人なんているわけがない。
ゆっくり目の前の人物に焦点をあてた。そこには金髪に碧眼の美しい女性がいた近くで涙ぐんでた。今も心配そうにこちらを見つめてくる。今まで生きてきてこんなに綺麗な人が僕の目の前に現れることなんて無かった。とうとうストレスで死んだのか?ここは天国かなにかなのか。
「勇者様ようやく目を覚ましたのですね」
そう言い美しい女性は目から涙をこぼす。その振る舞いの一つ一つがなんと尊いことかと思いながら、僕は体を起こす。ひょっとして勇者様って僕の事か?まぁいいや、まずは初歩的なことから聞いてみよう。
「えーとここはどこですか?」
そう言うと美しい女性の人はまた大きな瞳に涙を溜め、僕の胸元に顔を押し付けてきた。
「やはり忘れてしまったのですね」
どういう状況だろうと困惑した。しばらく女性が胸元で泣いていて、役得と思っていたが周りの取り巻きがちらちらと僕たちの様子を見ていて流石にこの空気にいたたまれなくなってきた。
名残惜しくはあるがこれ以上は耐えられない。恐る恐る女性の体を僕の体から引きはがして事情を聞いた。
「少し状況が呑み込めないのですが何かあったのですか?」
そう言うと長い白髪の頭をした老人が口を開いた。
「うむ勇者よ。よくぞ戻ってきた。もう目が覚めんと思ったぞ。しかしどうしたものか、お主、雰囲気というか喋り方というか何か違和感があるのだが、ひょっとして・・・・わしらの事は覚えておらんかの?」
そう問いかけながら長く白い髭をさすっていた。
もちろんわかるはずもない。事情を話すにはまだわからないことが多いのでこのまま記憶喪失という事にしよう。
「申し訳ないですがあなた達の事は記憶にありません」
その瞬間に傍らにいた金髪の中性的な人物が僕の胸倉を掴む。
「貴様ふざけているのか!姉さんのことも忘れたというのか」
柳眉を顰めこちらをきつく睨む。本気で怒っている目だ。
状況は全然違うがその時にふと係長の事を思い出す。ついさっきも同じ様に本気の目で怒っていたな。
「おい、聞いているのか、なんとか答えてみろ!」
こういう時の答えてみろは何を言っても相手を怒らせるだけなので正直答えようがない。そんなことを思っていると先程の美しい女性が間に入って掴んでいた胸倉の手を振りほどいてくれた。
「リドナ、やめて。もう大丈夫だから」
空気がしんとなる。中性的な人物はバツが悪そうに舌打ちをした。その場には女性の鼻を啜る音だけが聞こえてくる。
女性が目をごしごしと袖で拭いた後に吹っ切れたように口を開いた。
「勇者様。私達は魔王を倒すために編成された王国きっての精鋭部隊です。まずは自己紹介から始めましょう。私はミーリア、ヒーラーをやっています」
すると先程の老人が持っていた大きな杖をトンと地面について自己紹介を始めた。
「自己紹介か、えーとわしはアルフじゃ。見ての通りただのじじぃじゃよ。本ばかり読み漁っていたらいつのまにかじじぃになっておって今では賢人って呼ばれるようになっておるのぅ。魔法の知識ならそれなりには役に立つと思うぞ。ふぉふぉっふぉ」
「そんなご謙遜なさらずに。アルフ様の知識にはいつも助けていただいていますよ」
「次は私の番だな」
いままで大人しく椅子に腰をかけていた体格のいい男が急に立ち上がった。
「私はザバンだ。大楯で守り大斧で敵を薙ぎ払うのが得意だ。国王に頼まれてこの精鋭部隊に入っている。ハッハッハッハ。何かあったらいつでも頼ってくれハッハッハ」
豪快に笑っているが、この男は何が可笑しくて笑っているのだろうか。
「最後は私の弟のリドナです。ほらリドナ、挨拶しなさい」
ミーリアがそう言い少し離れた位置にいたリドナを引っ張ってきた。
「姉さんやめてくれ。こんな奴に挨拶する義務なんてない」
リドナは姉を引き剥がすとまた元の位置に戻ってしまった。ミーリアは諦めたようにため息をついた。
「すいませんリドナは恥ずかしがり屋なので許してください、その内慣れると思いますので。魔法剣士としての腕は確かなんですよ」
「僕は恥ずかしがり屋なんかじゃない!」
そうしてこの場にいる人物の自己紹介が終わった。ミーリアがこちらに戻ってくる。
「以上が勇者様を含めた五人で構成された精鋭部隊のメンバーになります」
「精鋭部隊はわかりました。ですが魔王っていうのは・・・・」
「はい、いいですか勇者様、この世界には数百年に一度魔人の王、魔王が誕生します。魔王は魔人や魔物を引き連れて人間を襲います。何故襲ってくるのか目的は分かっていません、ただ現れては人々を虐殺していきます。過去に何度も話で解決できないかと交渉しましたが全て聞く耳を持たず交渉人は返り討ちにあっています。ですので、私たち人間は種の存亡を懸けて魔人たちとは徹底的に戦わないといけません」
ミーリアはそこまで一気に喋ると一度一呼吸入れる。
「そして魔王はまた誕生しました。魔王や魔人は不思議な力で肉体を損傷してもすぐに治癒してしまいます。唯一魔王を倒せるのは勇者様あなた一人だけなのです。古くからの良い伝えで勇者様の一族は特別な力を持っていて他の人間では扱えない退魔の魔法を使えるのです。どうか力を貸してくれませんか?」
ミーリアが上目遣いでこちらを見つめてきた。そのキラキラした目はズルい。男としてここは引き下がるわけにはいかないだろう。
ここまで説明を聞いて一つの考えが浮かぶ。これは俗に言う異世界転生の話ではないのか。少し前にアニメや漫画で流行って何作品か見たことはある。面白い話もあったが人気すぎて多くの似たような作品が続出し過ぎたために陳腐化してしまったジャンルである。今ではすっかり少なくなった。
もしそうなら色々と検証しないとわからないな。まずは僕にその勇者の力っていうのが本当にあるのかが心配だ。手や腕などの黒子(ほくろ)の位置から体は現実世界とおなじみたいだけど。とにかく検証してみよう。
「その前に少し外に出てもいいですか?」
「構いませんが・・・何をなさるのですか?」
「確認したい事があります」
僕がベッドから立ち上がりドアの方へ向かったら心配なのかミーリアもついてきた。部屋から出るとそこには木製のカウンターがありそこで中年の男が退屈そうに本を読んでいた。こちらに気づくと椅子から立ち上がった。
「勇者様起きましたか、もう歩けるのですね」
「えぇ少し出てきます」
予期していなかったので少し返事が曖昧になってしまう。
「いってらっしゃいませ」
男は笑顔で言った。部屋の内装やこの男の雰囲気からこの場所が宿泊施設ではないのかと思った。
玄関のドアを開けるとまだ太陽は高く昇っており眩い陽光が僕の目を突き射す。それを手で遮り前を覗くとそこには中世を思わせるような活気づく町があった。人々が行き交い市場には果物や野菜や魚といった食品を売り買いしていた。僕はその景色に立ち止まり瞠目(どうもく)した。さらにどことなく磯の香も感じられ自分の知らない世界が広がっており高揚した。
しかしこれが異世界の風景なのだろうか。確かに町の人の服装は僕の暮らしていた世界と比べると古いもののようだ。だけどまだ異世界と決めつけるのは早いだろう。
「どうしました勇者様?」
「い、いや何でもないよ。ところでどこか体を動かせるところはないかな?」
「少し村を離れれば平地ぐらいならありますけど」
「うん。そこがいいですね、体が鈍っているといけなので少し稽古に付き合ってもらえませんか?」
「はい、そうゆうことでしたら喜んで付き合いますよ。リドナ、行きますよ」
平地について武具屋に借りた木刀と丸い木の盾を装備して体を動かしてみる。
軽い。体が軽くいつもの二倍くらい飛んだり跳ねたりできている。そしていくら動いても全然息が上がらない。地味だけどこれが勇者の力なのか。
後はさっき話にでていた魔法が使えるようになれば文句ないな。僕は手を体の前に出してみて心の中で魔法よでろと唱えてみる。しばらくしても何も起きないな。ミーリアが不思議そうにこちらを見ている、普通に恥ずかしい。
「魔法はどうやって使うのですか?」
ようやくミーリアが僕のやりたい事を理解してくれたのか近づいてきて説明を始める。
「魔法は想いの具現化です基本的に人には何かしらの魔法が使えます。ちゃんと想いをこめて想像を造像するとこうやって魔法が使えます」
そういって萎れていた花に手をかざすと花がみるみるうちに潤いを取り戻した。
初めて目の前で起きる魔法に感動した。これが魔法か。
「勇者様は退魔の魔法の使い手。それは光を巧みに操る特別な力と聞いています。ですのでまずは光を想い浮かべながら魔法を使ってみてはいかがでしょうか」
光か、目を閉じて光を想像する。光。それはきっと暖かくて日光のような光。人を導く光。希望の光。徐々に手がポカポカしてきた。光、ひかり・・・
「勇者様。それが魔法です」
僕は目を開くとそこには自身の手から眩い光が溢れていた。これが魔法か。その時半ば疑っていた疑問が確証へと変わる。ここは異世界で僕は勇者なんだ。
「意外とあっさり使えましたね」
「でもこれってどんな効果があるんですか?」
さっきから石や草木に魔法を当ててもうんともすんともいわない。
「勇者様の魔法は魔人にだけ効果がある特化型の魔法と聞いています。記憶をなくす前の勇者様はその光魔法を魔人に使っていたようですが効果の程は私にはわかりません。あと魔人自体の数が少ないのであまり光魔法を見たことは無いですね」
なんだその魔法は全然使えないのではないか。
「もういいだろうそろそろ勝負だ。」
しびれを切らしリドナが勝負を挑んできた。
「リドナ、勇者様は病み上がりです。ほどほどにお願いしますよ」
リドナはずっと僕がミーリアと話していると睨んできていた。察するに姉に変な虫がついて追い払いたいって感じなのか。であれば多分手加減なんかしてこないで本気で来るだろう。だけどこっちだって勇者補正があるそう簡単に負けはしない。
「体の調子は大丈夫です。やりましょう」
「さっさと構えろ」
お互いに木刀を構え対峙する。こうして相手と向き合うことで初めてわかった、どうすればいいんだ。どこから攻めたらいいかが全然わからない。というより相手が本当の剣士だからなのか、構えに隙が無い。
こちらが戸惑っているのを勘づかれたのか、リドナから動き始める。素早く木刀の切っ先をこちらに向けて突いてくる。僕はそれを何とか木刀で弾く。
「まぁこれくらいは避けてもらわないと困る」
リドナの攻撃の速度が上がる。激しい突きを繰り返す。
くっ、防ぐので精一杯だ。実力の差は歴然。そんなの当たり前だ、ストレス溜めこんだサラリーマンと本物の剣士じゃ太刀打ちできるわけがない。勇者と言われて少し天狗になっていた。
「どうした?まだまだこんなものじゃないぞ」
何度も突きが放たれその度にその速度は増していく。少しずつ後退させられている。もはや目で追うことも難しくなってきた。
「ふふ、そろそろ限界か?衰えたもんだな」
剣を持つ手が震えてきた。もうダメだ、これ以上は防ぎきれない。リドナの突きが顔にめがけてくる。間に合わない!
そう思った瞬間、体が勝手に動いた。顔に直撃すると思っていた木刀は寸前のところでかわしており顔の真横を通り過ぎていた。
リドナの手が止まり少しニィと笑う。さっきとは桁が違う速さの突きが連続で放たれる。
僕の体は勝手に反応しそれを全て避けつつ木刀で防いで応戦する。相手の速度に少しずつ順応していく。そしてこちらの速さが相手を上回りとうとう反撃に転じる。
リドナの突きに対しあえて前に大きく踏み込むことで攻撃を躱(かわ)して、自由になった木刀で斬りかかる。
バチバチと音が鳴り攻撃を与えたと思った瞬間に意識が薄れていく。何が起こったんだ・・・・?
意識が遠くなる。かろうじで会話が聞こえてくる。
「勇者様!」
ミーリアが駆け寄ってくる。
「リドナ、あなた魔法を使いましたね」
「別に魔法禁止とは言ってない。それに直接魔法を放ったわけじゃない。自分に少し雷の魔法をかけて体の速度を向上させただけだ」
「言い訳はしないで男らしくないわよ」
その後リドナが小声で独り言を言い始めた。
「クソっ、大体姉さんがあんな根暗な奴の面倒ばっかり見てるからこっちのフラストレーションが溜まってくるんだよ。あぁムカつく野郎だ今度起きたら・・・・・」
そこで意識が完全に無くなった。
これは間違いなく僕の暮らしていた世界とは理が違う。地味だが体が俊敏に動かせることや魔法がそれを物語っている。少しの憧れはあった。いつぶりだろうこんなに高揚感を感じたのは。
ストレス社会でただ生きるためにやりたくもない仕事をして人生の大半を過ごすのに疑問を感じていた。それが生きるってことなのか。きっと違うだろう。何かが欠けているけどそれがわからない。僕はいつも足りないピースを探していた。
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