3年間の高校生生活も、今日で終わり
町は壊滅状態だった。壊滅という表現は間違っているかもしれない。とは言え、これを何と表現すれば良いのかさえ分からない。
消え始めている、というのが一番正しい表現かもしれない。至るところで高層建築物が避雷針や航空障害灯あたりからどんどん消えてなくなっていく様子が見える。峠道を降りる途中の展望所でカメラに望遠レンズをはめ込むと、震える手でとにかくシャッターを切った。見慣れた町が徐々に消えていく光景は非現実的なはずなのに、ファインダー越しでもそうじゃなくても今確実に目の前で起きていることに変わりはない。いつもなら手を叩いて喜ぶ高齢者の笑顔や、小学生たちがどろんこになりながら体験作業を行う様子を収めるカメラが、今日だけはSF映画のスクリーンを写しているようだった。カメラもさぞ驚いていることだろう。
ファインダーから目を離すと、城崎はもう空いた口を閉じることさえ出来なくなっていた。消え始めたビル群の中に、城崎が務める新聞社のオフィスが入っている。つい数時間前まではそこに居たというのに、今やそのオフィスも存在しない。意味不明な現実をいきなり目に叩きつけられ、城崎はどうしようもないほどに動揺していた。
こんこん、と音がした。
またボンネットに地球消しゴムが当たったんだろう、なんてその割には今の状況を城崎は受け入れ始めていた。
「あの」
「え?」驚いた。若い女性の声が何処からともなく聞こえた。空耳かと思ったが、再び助手席側の窓がこんこんと音を立てたので、ここでようやくその音が地球消しゴムではなくノックの音であることに気がつく。
「失礼します」ふわりと紺色のスカートが舞って、助手席に突如女子高生が乗り込んで来た。一瞬の出来事だった。これも幻覚か何かか、ついに頭までおかしくなってきたかと自分自身を疑ったが、再び「ねえ」と声を掛けられ一気に現実世界に引き戻される。
「昨日駅前で会いましたよね?」
「え?」助手席から慌てて掴んで自分の胸に抱き寄せたカバンを更に強く抱きしめると城崎は女子高生と目と目を合わせた。昨日。駅前。女子高生。「それ、何ですか?」「え? ああこれですか? さっき駅前で配ってましたよ。でも私以外誰も受け取ってなかったですけど」「やっぱ麻衣って変わってるよね」「うるさいなあ」ふと昨日の夜、駅前で白い球体を持った女子高生に話しかけた時のことを思い出した。
「ああ、あん時の。って、ちょちょ、ちょっと待って。え? 大丈夫?」
「大丈夫って何が?」
「いやいや、これ!」思わず抱きかかえたカバンの中から地球消しゴムを取り出すと城崎は叫ぶ。
「ああ、それ。昨日はどうもありがとうございました」
「じゃなくて! 空から降ってきてんのに、なに、どうやって歩いて来たの?」
「え? 普通に傘さして歩いて来ましたけど」それがどうかしました? というような余裕綽々とした表情で麻衣は続ける。「それよりお兄さんこそこんなところで何してるんですか? 記者って言ってましたけど、取材行かなくていいんですか?」
「傘さして……歩いて……」城崎は麻衣の言葉の断片を返すことしか出来なかった。落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ、深呼吸をする。
「えーっと、傘をさして歩いてきた、ってことは此処まで消えずに来れたってこと、よね?」
「でもそんなこと言ったらこの車だってそうでしょ。他の車はみんな消えて行った訳だし」え? ああそうか。よくよく考えれば確かにそうだ。道中一度も車とすれ違った記憶が無い。そもそも道路や駐車場、何処を見渡しても1台も車の影はない。あれ? 本当だ。え、なんで?
「いやごめん、分からない。別に、何もしてない……」なんで消えないんだ。って、いやいやその前によくよく考えたら普通に地球消しゴム手に持っちゃてるし!
無理無理無理と大声を張り上げ城崎は慌てて地球消しゴムから手を離す。
「いろいろウケるんだけど」が、状況に反して麻衣は楽しそうにお腹を抑えて笑い声を上げる。
「とりあえずバス停で駅前に向かうバス待ってたらこれが空から沢山降ってきて、バス停とか車とか、直ぐそこまで来てたバスも人も皆全部消えて無くなっちゃって」
「……」
「ああヤバいかもなあと思って、とりあえず傘さしてたら目の前をこの車が通り過ぎて行ったから一か八か着いてきたの」
「はあ」
「で、運転席見たら昨日話した新聞記者のお兄さんだったから消しゴム宿りさせてもらおうと思って」
「いやいや消しゴム宿りって」思わず城崎は溜め息をついてハンドルを握り、ハンドルに身体を預けるようにして塞ぎ込む。もう全てに着いていけなかった。こんな非現実的な出来事が次々と起こっているのに、どうしてこの子はこんなにも冷静なんだろう。むしろこの状況を楽しんでいるようにも見える。意味不明だ。中二病なのか?
「で? どうすんの?」スカートについた埃をはたき、フロントガラスの向こうで消えゆく町をぼうと眺めながら麻衣は言う。
「取材する? この惨状をカメラに収めて新聞の記事にする? それとも家に帰る?」
「いやもうこうなったら帰る家も無いだろうよ。それに取材したところで、撮れる写真は謎の白い球体に消えゆく町の風景。記事に落とし込めても印刷出来ないし、そもそももう誰も読んでくれねえよ」何だか分からないが、突然この世の全てがどうでもいいような感覚に襲われた。
今まではデスクに怒鳴られながらも会社を辞めずにただひたすら記事を書き続けてきた。そもそも何のために書き続けてきたんだろうなんて思ってもみたり。別に文章を書くことが好きだった訳でも、写真を撮ることが好きだった訳でもない。ただ、自分が書いた文章を日本中の何処かで読んでくれる人がいる、待っててくれる人がいる。そんな人たちのために、刻々と変わりゆく町の歴史を一日たりとも逃さずに記録していく。そんな変な使命感に燃えていたんだと思う。
けれどもそんな町の歴史は突如現れた白い球体によって突然幕を下ろすことになる。となればこれは千秋楽。記者の自分に出来る仕事は、もう無い。そう思うと急に身体中に張り詰めていた何かがぷつんと切れて、不意に心が和らいだような気がした。
「俺はもうどうなってもいいんだよ。君はどうしたい訳?」
「私も、別に」
「え? 家族とかクラスメートは?」
「別に。もういいの。こんな消しゴムで消えちゃうような、所詮はそんな簡単な関係だったの」
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