【読み切り】悪役王妃の騎士は主の幸せを望む

天川 七

悪役王妃の騎士は主の幸せを望む

──死にかけていたオレの命を惜しんでくれたのは、美しい少女だった。


 王妃シャロラインが住まうヒノリヤ宮殿に、ガラスが砕ける音が響いていた。呼吸を荒らげながら苦悩する王妃が血の滲むように声を振るわせる。


「……なぜ、あの方はわたくしをこれほど苦しめるの……? 他に想う方がいらっしゃるというから、わたくしは愛を求めずに、せめて良き王妃になろうとしたのに」


「どうか心をお静めください、シャロライン様」


「ルーティス、あなたも聞いたでしょう!? 陛下はわたくしが隣に立つことさえ厭われているのよ。……これ以上、どうしろと言うのっ? 一人の女として見て下さらないのならば臣下として尽そうと心を殺し、三年もの間、王妃として必死に責務を果たしてきたわ。努力すれば、あの方が愛してくれずとも認めてくださると思っていたから。それなのに、無邪気に笑う彼女が愛しい。側室ではなく王妃にしたいとおっしゃるなんて……っ。わたくしには無防備に笑うことなど許されなかったというのに!!」


 美しく豊かな青い髪を両手でかきむしり、頬に涙の筋をいくつも作るシャロラインは狂気の様を見せていた。


「わたくしだって自由に生きたかった。生まれる前から婚約に縛られるような公爵令嬢ではなく……普通の娘のように穏やかな恋をしたり、心を許せる友人と楽しく過ごせるような、そんな人生を歩んでみたかった。それを許されない立場であることは同じ立場にいらっしゃるバイロン様もわかっておいでのはずよ。だというのに、この裏切り! ……許さない……許さない……許さないぃぃ! バイロン様もあの女も、いっそ死んでしまえばいいのよ! ふふふふっ、あはっ、あははははっ!!」


 幼い頃より、彼女の傍で守り続けていた青年ルーティスは、狂気のままに泣きながら笑う彼女を、沈痛な面持ちで見つめた。その理知的な顔立ちの中で聡明な目は暗く陰る。


──誰よりもお傍にいるのに、オレにはこの方を守れないのか。身体を鍛え騎士となり権力を手に入れたところで、この方のお心を守れなければ、なんの意味がある!


 始まりは、学園時代にある男爵令嬢が現れ、当時第一王子だった現王の心を射止めたことだった。後に王となった男は、寵愛した令嬢を放さず、王妃として迎え入れたシャロラインをないがしろにするようになったのである。


 それでもシャロラインは俯くようなことはなかった。のしかかる公爵家の期待と、自らに課せられた王妃としての立場がそうさせたのだろう。


 ところが、王はあろうことかシャロラインが持つ唯一の立場まで奪おうというのだ。これにより公爵家と王家の睨み合いをしている。その均衡がいつ崩れて内戦となるかわからない状態だ。王は自分の浅慮には見向きもせずに、貴族が集まる決議会でシャロラインに言い渡したのだ。「王妃の座を降りよ」と。


 シャロラインが宝石箱を払い落し涙を零しながら踏みつける。侍女さえ寄りつかない室内に空虚な笑い声と慟哭が響く。ルーティスは主を止めるために、彼女の前に片膝をついて頭を下げる。


「あなた様はなにも悪くはございません。貧民の為に救済策を講じ、よき王妃として善政を行ってこられました。……私はあなた様に生きる道を示していただいた者。あなた様の進む道こそが我が道なのです。ですから、どこまでもお供いたしましょう。あの忌まわしい女と愚かな王を闇に葬れとお望みください。どうか私にご命令を」


「ダメよ! 違うの、ルーティス。わたくしの唯一の味方になってくれたあなたに、そんなことは望まないわ……でも、この苦しみにはもう耐えられないぃぃぃ! ……うふっ、あははっ……この地獄のような苦しみから解放して、お願いよぉ!!」


「──シャロライン様、どうかお聞きください。あなた様の苦しみをお救いします。ですから、どうか私にあの魔法・・・・を使う許可を」


「でも、その魔法は、わたくしの嫉妬を消してくれる代わりにあなたを……」


「構いません。それであなた様を救うことが出来るのなら」


 主に迷わず決断させるために、ルーティスは断言した。──この先、オレはこの選択に苦しみ続けるだろう。それでも、あなた様が心を壊すよりいい。


「ルーティス……弱い主でごめんなさい。どうか逃げるわたくしを許してちょうだい……」


「謝らずともいいのですよ。後のことはお任せください。オレ・・こそお嬢様をお守り出来ずに申し訳ありませんでした。──あるものを消し、ないものを映せ 隠蔽魔法『永久の嘘(エターナル・ライ)』」


 病的なほど感情が激変し狂乱していくシャロラインが泣きながら謝罪する。その腕を引いて最後の包容を交わしながら、ルーティスは呪文を詠唱した。途端に力が抜けて彼女の身体が倒れかかってくる。その身体を抱きあげれば、胸が痛くなるほど軽かった。


 ルーティスはシャロラインの身体に負担がかからないように、ベッドに横たわらせる。まるで眠り姫のようだ。海のように青い髪も、今は伏せられて見えない金の瞳も、嘆きに溺れるその心さえ、彼女は狂いかけていてもなお、気高く美しい。


「あなたに拾われたあの日からお慕いしています。たとえ、この想いが叶わずともいい。生涯、あなたの幸せのために尽くしましょう」


 未熟な魔法が暴走し、その代償に両親の記憶から自分の存在を消滅させてしまった青年は、主の手の甲にささやかな口づけを落とした。




 爽やかな朝に白く輝くラシュム王国の廊下を美しいドレスに身を包んで歩くシャロラインがいた。彼女は王妃の座に座ると、穏やかな微笑みを周囲に向けて挨拶する。


「ごきげんよう、皆様」


「シャロライン様……? あの、お加減はよろしいのですか?」


「身体の調子なら戻ったわ。今は晴れやかでとても気分がいいの」


 反射的に挨拶を返したのか、貴族の一人が顔色をうかがうように尋ねた。ルーティスは周囲が余分なことをシャロラインに聞かないようにさりげなく周囲に釘をさす。


「ご無理はなさいませぬように。体調に異変をお感じになられたら私におっしゃってください。早々にベッドまでお運びいたします」


「まぁ、あなたは心配症なのね。体調ならもうすっかりいいというのに」


 ころころと笑うシャロラインの姿は一週間前とは別人のようだった。王の仕打ちを忘れた様子に、動揺のあまり息を飲む者、含みがあるのかと腹の底を探る者、周囲の反応は様々だ。


 そこにバイロン王がクリスティーナを伴ってやってきた。


「シャロライン!」


 二人は一週間前の堂々とした姿が消え失せ、やつれてさえいる。元は凛々しい顔立ちだったはずのバイロンは疲労に頬がこけ、無言のクリスティーナは髪から艶が消え、欝々とした目をしていた。


 王妃として国の為に努力してきた姿を見ていたのはオレだけではない。貴族達は一人の男爵令嬢に熱を上げている王よりも、王妃としての責務をこなすシャロラインを認めている。そのため、今回の騒動で王妃の味方に回るものが大半だったのだ。


 シャロラインをないがしろにし、公爵家を怒らせた責任を二人は厳しく問われているのだろう。伝え聞いたところによると、その反発があまりに強かったために味方に回っていた少数の貴族も去り、バイロンの王位を疑問視する声まで上がっているようだ。


 二人がこちらに近づくと、あからさまに周囲の人間が避ける。コソコソと話す周囲の様子を気にするように睨みつけたバイロンが、気まずそうな様子で口を開く。


「その、シャロライン……王妃の座を降りろなぞと言って申し訳なかった。しかし、私の気持ちはクリスティーナに向けられているのだ。せめて側室として召し上げることを許してくれないか? お怒りの母上も君の言葉ならば聞いてくれるだろう。説得することを手伝ってくれ」


「自分でなさってください。わたくしにはどうでもよろしいことですもの。それよりも王として執務を後回しにすべきではありませんわ。そんな些細なことは重要なことを終えてからになさいませ」


 品よく頬に手を添えて困惑をあらわにするシャロラインに、バイロンが目を見開いて泡を食ったように声を上ずらせる。


「なっ、なにを言ってるんだ!? 私がお前を愛さないことに嫉妬しているのか?」


「言ったはずです。どうでもよろしいと。陛下、どうぞお気を悪くなさらないでくださいませ。ですが、今のわたくしはまったくあなた様に関心が向きませんのよ」


「どういうことだ?」


 強張った表情で詰め寄るバイロン王から守るように、ルーティスは前に出る。


「ルーティス、わたくしの代わりに説明をお願い出来る?」


「はい。王妃様は三日ほど意識を失っていたのです。その後、目を覚ましたら今の状態であられました。陛下に対する想いを失ったと同時に……私のことは一切覚えていらっしゃいません」


「なんと、ルーティス殿を!?」


「あなた様は王妃様に幼き頃よりお仕えしていた身のはず。それをお忘れになられた?」


「ええ。あの日、王妃様は涙をこぼされておられました。そして、悲しみのあまりに気を失ってしまったのです。主治医はそれほどの深い嘆きが、王妃様のお心を一部の記憶と共に失わせてしまったのではないかと」


「そのようなことが……」


「皆さまのご心配には及びませんわ。彼のこと以外に記憶は欠けていませんから。ルーティスには心苦しいけれど、あなたのことはあなた自身に教えてもらえればと思っているの」


「望んでいただけるのならば、なんでもお話しいたします」


「うふふ、ありがとう。──そういうことですから、陛下のお力にはなれませんわ」


「待って下さい、シャロライン様! いくら私達にお怒りだからからと言って、まるで興味のない振りをするなんて酷い──……」


「言うにことかいて酷いだと? この方が嘘をついているとでも言いたいのか?」


 主に対する無礼にルーティスは声をとがらせた。びくりと脅えたように萎縮して、王の影に隠れようとするクリスティーナに煮え立つような怒りに堪える。


「いいのよ、ルーティス。話を聞いていたでしょう? 今のわたくしはあなたにも陛下にもまったく興味がないわ。手伝う気はないけれど、側室になりたいのなら自分達で頑張ってちょうだい。わたくしは王妃として公務があるし、これ以上無駄話にさく時間はないの。そろそろ失礼するわ」


「……シャロライン様。どうやらお二人はまだ勘違いなさっているご様子。私が誤解を解いておきますので、シャロライン様は先にご公務にお向かいください。すぐに追いかけます」


「ええ……あなたがそう言うのなら」


 主に先に行くように促すと、追いかけようとしたバイロンの前に立ちふさがる。


「護衛騎士風情が邪魔をするな!」


「行かせません。あなた方のせいで、シャロライン様は心と記憶が欠けるほど苦しみました。今のあの方は本当にお二人に関心がないのです」


「そんな馬鹿な話があるか!」


「きっと興味を失った振りをしているだけよ。ねぇ、そうなんでしょ?」


「王国の主治医を騙せるとお思いですか? ご当主様は前国王陛下が望まれたために、シャロライン様をあなた様の婚約者として差し出された。だからこそ、ご当主様も奥様も大事な娘をこのような目に合わされて、大変お怒りなのです。これ以上、自分達の立場を悪くしたくなければ、シャロライン様には近づかないでください」


 ルーティスは慇懃な礼を取ると、足早にその場を去った。


『もう二度とこの悲しい魔法を使ってはダメよ、ルーティス。わたくしは誰にも貴方を忘れてほしくないわ』


 幼い頃、従者にそう約束を求めた優しい少女はもういない。その事実を胸の痛みと共にルーファスは沈黙の中に沈めた。

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