私は死のうとする人を止められない

そすぅ

この文章を読む方へ

前略


単刀直入にお尋ねします。あなたは今、あるいは今まで「死にたい」と思ったことはありますか? 人に尋ねるときはまず自分から、というのであれば先に私がお答えしましょう。「あります」一度ではありません。何度も、つい最近も。しかし、幸か不幸か、未だその願いが実現されたことはありません。

「死にたい」という言葉を口にしている人で、私の記憶にずっと残っている人が一人います。彼−−Aとしましょう−−とはツイッターで知り合いました。ツイッターで会話したことしかないので本当のところ、彼の顔や素性は全くわかりません。しかし、ツイキャスで彼の声は聞いた事があるのでおそらく「彼」で間違い無いでしょう。Aとつながっていたのはわずか3ヶ月程度だったように記憶しています。絡むようになったきっかけはたしか、先述の彼のツイキャスで私がコメントを送った事だったと思います。それ以降、Aとはしばしば共通の話題で会話する事がありました。あまりこの辺りのことを具に話してしまうとAの事が皆様に知れてしまうので割愛します。Aは比較的ネガティブなツイートをすることが多い人でした。そしてその中の一つに「死にたい」という趣旨のツイートがありました。私はそれなりに言葉を投げかけ、彼と対話をしました。しかし、別れは突如訪れました。別れといっても死別ではありません。彼がツイッターをやめたのです。「なんだ」と思われた方もいるかもしれません。しかし、彼のそれまでの状況を見ていた私にとってはとても、とても不安な事だったのです。あの時の不安は忘れもしません。Aには迷惑な話ですが、ちょっとしたトラウマになっています。「ツイッターをやめたあと、彼は死んでしまうのではないか。」という不安です。彼が生きているのか、死んでしまったのか、私には知るすべがありません。なぜならツイッターでしかつながっていなかったからです。彼が今も生きていて、かつて語っていた夢を実現し、幸せであってほしいと願うばかりです。

私が彼と関わっていた期間はたった3ヶ月程度です。しかし、期間の長さはそれほど関係ありません。(余談ですが、私が今、最も信頼している友人は16年くらいの付き合いの幼馴染ではなく、高校に入って初めて知り合った人です。)たった3ヶ月程度の関わりしかなかった人間に何がわかると思われるでしょう。確かに、私は彼のことを知り尽くしているわけでもない、ひょっとしたら彼の記憶にすら残っていない人間かもしれません。ですが、私はその中でも、彼のことを友人だと思っています。だから、死なないでほしいと思うのです。そして、彼の消失は私の心に残り続けているのです。

私はなかなか夢を見る人間で、関わった全ての人に幸せであってほしいと願っています。たまに、人の幸せが妬ましく思えてしまうこともありますが、少なくとも不幸になってほしいとか死んでほしいとは思いません。

さて、ここではじめの質問をもう一度投げかけます。あなたは今、あるいは今まで「死にたい」と思ったことはありますか? そして、「はい」と答えた方にはもう一つ、質問です。それはなぜですか? もし、この二つ目の質問に対して、「私が死んでも誰も困らないから」と答えたのならば、あなたは勘違いをしている可能性があります。今この文章を読んでいるあなたは、私と「関わって」います。私は関わった全ての人に幸せであってほしいと願っています。そしてまた、関わった人にはできる限り死なないでほしいと思っています。仮に、私以外のあなたと関わっている全ての人があなたを求めていなかったとしても、私はあなたを求めます。何もしなくていいのです。ただ、そこにいてくれるだけで充分なのです。逆に、あなたがいなくなれば悲しみます。いた人がいなくなるというのは苦しいものです。あなたを縛ってしまったら申し訳ないのですが、端的に言えば「私のために生きていてほしい」ということです。わがままですね。ただ、もし、「死にたい」の隙間に、「こいつのために生きてやってもいいかな」という気持ちがあるのでしたら是非ともよろしくお願いします。ひょっとすると「そんなことを言っても、結局は他人。そんなこと本当は思ってないし、実際に死んでも困らないでしょう。」と思う方もいるかもしれないですね。では、こういうのはどうでしょう。「私がこれから書く文章のPV数を増やすためにボランティアだと思って生きてください」という提案です。ええ、人を人とも思わないような、ただの資源としてしか見ていないような、なんとも酷い理屈ですね。実際の気持ちとしては、先ほどの「幸せになってくれないと困る」というものがほとんどなのですが、「PV数のため!」といった身も蓋もない理由の方がすっと入ってくるという方もいるかもしれないですね。

タイトルの「私は死のうとする人を止められない」というのには、いろいろな意味を含ませています。一つ目はAを忘れないということ。Aの生死は不明ですが、寄り添い続けられなかったということを今も後悔しています。少し関わっただけの人間にこれほど執着してしまうのは、異常であるかもしれないですし、不適切であるかもしれません。しかし、正直な気持ち、心理学的知見などは立ち入らせない気持ちで言えば、私はAに寄り添い続け、もっとAを知り、いつか一緒にご飯を食べるような友人になりたかった。二つ目は少しひどい話かもしれませんが、そのままの意味です。つまり、「死のうとする」ことを私は止めることができないということです。ただしこれには条件があります。例えば、先ほど触れた「死んでも誰も困らないから死ぬ」というのであれば止めたいと思いますし、止めます。理由は先に述べた通りです。また、気分でなんとなく死のうというのであればそれも止めます。しかし、何年も考え続けた結果導き出された唯一の解としての「死」は止めることができません。たとえどれほど私があなたに思いを馳せ、思いを注ごうとも、あなたの感覚を寸分も違うことなく知ることは不可能です。だから軽率に止めるということはできません。「生きていればいいこともある」なんて無責任に言えません。

もしこの文章を読んでいる方で、死にたいと思っている方がいらっしゃいましたら、繰り返しにはなりますがお願いがあります。私のために生きてください。できれば、でいいです。ほんの少し、生きるモチベーションの足しにでもしてください。それから、悩みを抱えていて、誰にも話せないという人は教えてください。私はカウンセラーの資格もなければ心理学を専門に勉強しているわけでもなく、また驚くべき格言によって人の人生を変えることができるような人間ではありません。しかし、このような私にも、話を聞くだけなら出来ます。言葉の壁打ちの壁とでも思っていただければいいです。そして、今まで「死にたい」と思ったことのない方へ。いつか、もしかしたら「死にたい」と思ってしまう日が来るかもしれません。来ない方がきっといいのですけど、可能性はゼロではありません。そう思った日には、この文章を少し思い出して貰えると嬉しいです。

最後にはなりますが、くれぐれもお身体ご自愛ください。


草々


そすぅ

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私は死のうとする人を止められない そすぅ @kingyo333

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