この物語にはまだ題名が決まっていない

赤〇天狗/バカと天才は紙一重

第1話 相互監視社会


 ――パノプティコン


 ジェレミ・ベンサムによって提唱された、一望監視システム。

 中央の監視室を囲むように、円形に独房が無数に配置される。

 たった一人の看守が物理的限界数までの囚人を監視することができるという極限まで効率を重視されたシステムである。


 ――しかし、このシステムの本質はその先にある。


 中央の監視室からはいつでも囚人を見張ることができる一方で、囚人部屋からは看守が見えない設計となっている。

 これによって囚人はいつ監視されているともわからない状態に置かれる。

 常に監視されているかもしれないという意識の下での行動を強制される。

 起床から就寝まで、一時も気を緩めることは許されず、自らを律し続けなければならない。

 心休まる瞬間はなく、疲弊した精神は次第に無感覚へと陥っていく。

 




 果たしてそれが実際に運用されることはなかった。


 だが、情報化が進んだ社会で。

 全てが簡単に効率よくつながった社会で。


 顔の見えない互いがつながった社会で。

 誰もが誰かに監視されているかもしれない社会で。


 心休まる瞬間は存在するのだろうか。

 するとしたら。

 人々は何にその拠り所を見出すのだろうか。


 見いだせなかった人は。その心は――




  ◆◆◆



 ――四時間目。

 利依は保健室のベッドの上にいた。

 金属のパイプで構成されたヘッドボードに枕を挟んで背を預けて。

 少し伏し目がちにした視線の先には。

 一冊の本を開き、数秒ごとにページを1枚繰る。


 保健室にある姿は利依ともうひとつ。

 皺のない白衣に身を包み背凭せもたれのない回転式の丸椅子に腰を下ろした養護教諭は。

 手元に視線を集中させて、手に持ったペンで書類を書いているらしかった。


 保健室に流れる空気はとてもゆっくりで。

 数瞬前の空気がどこに移動したのか。その軌道さえ見えるようだった。


 保健室で生じるのは紙の擦れる音とコツコツという規則的な打音だけ。

 

 穏やかな沈黙が流れる保健室は。

 授業を受ける一般生徒のいる学校から隔絶された安息の地のように思え――


『ないっしゅー!』


 この時間、何度目かの歓声が上がった。

 察するに外で行われているのはサッカー。

 それも試合形式で。

 ゴールが決まるたびに先ほどのような掛け声が保健室まで響いてくる。


 この学校は校舎を挟んで校庭と運動場がある。

 保健室は校庭に面しているため体育の声が窓から入ってくることはない。

 しかし廊下側から。

 保健室の位置は昇降口から反対側、ピロティの近くにある。

 ピロティで休んでいる生徒たちのあげる歓声が。

 すぐそばの保健室に聞こえてくる。


 気づけば利依のページを繰る手は止まっている。

 目線も止まり、焦点も合わせずに中空を見つめている。

 何の感情も燈さず、ただじっとしているその姿は、さながら日本人形のようで。

 見る人によっては恐怖も、美しさも感じる姿だった。

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