盛夏 -Seika-

 盛夏の如く熱い想いは泡沫うたかた

 燃え盛っては直ぐにその短い導線を切らして、焼け落ちる。




「ほれほれーっ。捕まえてみろー!」

「大人げな!」

「うっせー! 遊びにも本気なのが真の大人だあ!」

伊織いおり辰之輔たつのすけも、本気で来ないと一生捕まえられませんよ! ほら、勇坊、走って走って!」


 屯所隣に建つ壬生寺は、近所の子供達の遊び場である。小さな背丈に混じって、長身の男と、白い布を靡かせる怪態けったいな少年が、ひらひらと逃げ回る。


「元気だねえ」


 うららかな陽気の中、太陽が頂天に達した頃。石段に腰を下ろした井上と山南が石段に見守られて、爽葉と沖田は壬生村の子供達と遊んでいた。彼等は浪士組の中でも子供好きで、暇な時はよく壬生寺で子供達の相手をしてやっている。


「大人気ないと他の隊士の人達みたいに*持てないよ!」

「はぁー? 誰だよ浪士組で持てはやされてる奴なんて!」

「爽葉兄ちゃんと仲良しの人達だよ」

「姉ちゃんもその友達もよく言ってるよー」

「ええ」


 京都や大坂の女子おなご達の間で浪士組の男達が鑑賞用となっているという噂話は、どうやら本当のようだ。「野蛮な壬生狼触れるな危険」との暗黙の了解が、市井のことわり。京の街を見廻る時に感じる色々な視線の中に、恋慕に似た視線が混ざっているのはそういう事かと納得する。

 本格的に浪士組の男共の二枚目説が濃厚になってきたぞ、と爽葉は苦い顔をした。


「爽葉兄ちゃんは、包帯巻いてる限り二枚目には到底数えられないね」

「お前っ。男は顔じゃないんだぞ、心意気を見よ!」

「負け惜しみだ!」


 少年達の中で、一際目鼻立ちのくっきりとした少年が、小馬鹿にした表情で憤慨する爽葉を見た。


「それに爽葉兄ちゃんは別に中身も大して格好良くないよ。子供っぽいし、ちっこいし。そのうち俺達が追い抜くぜ」

「お、い、嘘だろ? そんな事ないだろ? 政虎まさとらぁ、お前、絶対最初に捕まえてやるからなっ」


 爽葉が政虎を追いかけ回す。勝気な面持ちは変えぬまま、彼は爽葉の追撃をかい潜り、子供らしい笑い声をあげて逃げ回る。


「ねえ、俺は? 俺は?」

「総司兄ちゃんは人気だよー。喜勒きろくの姉ちゃんも好きだって」

「やったあー」

「総司、お前を最初に始末する」


 爽葉が構えの姿勢になる。


「やだなあ、今は鬼ごっこだよ、爽葉くん。嫉妬も大概にね?」

「でもやっぱり、土方さんじゃねえの」


 伊織の言葉に、二人はぴしりと動きを止める。


「あー、うちの兄ちゃん達も言ってたなぁ。土方さん格好良いって」


 固まる二人に、ここぞとばかりに政虎が追い打ちをかける。


「土方さん、抹殺しに行きましょうか」

「承知。助太刀致す」


 角帯に差ししていた大小の刀の柄を傾けた二人に、子供達がわーっとふざけ半分で逃げ惑う。

 その様子を離れた所から見守る山南と井上は、茶を啜って浪士組一穏やかな空間を作り上げていた。先程までは一緒になって遊んでいたが、大人は休憩、と言って木陰に退散して来ていた。


「そう言えば、大坂の押し借りの件はどうだった?」


 井上が目尻に寄り始めた数本の皺を深めて、山南に問うた。彼は儚ささえも漂う仕草で、落ちてきた髪を耳に掛け、花笑はなえむ。


「ああ、始末は簡単でしたよ。旅宿から動かないでいてくれたお陰で、直ぐに片すことができました」


 浪士組の名を騙って押し借りを働いた輩が大坂にいると、隊士の一人である佐々木ささき蔵之介くらのすけから聞きつけ、新見と山南、そして永倉と原田は大坂に向かった。

 石塚いしづかいわおという名の偽浪人が大坂今橋筋の富家で浪士組の名を騙り、金品の強要を働いたようだった。山崎の入手した情報通り、彼は宿としていた道頓堀の升市に滞在していた為、捕獲は容易であった。


「宿はいつもの所だったのかい?」

「ええ。京屋に泊まりましたよ」


 京屋は壬生浪士組が大坂での定宿としている船宿だ。大坂の船着き場として賑わった八軒家には幾つもの船宿が建ち並んでいるが、その中で最も大きな宿であった。

 山南達は石塚を捕らえるや否や、有無を言わさず京屋へと連行した。罪を自白させ、持ちる情報を全て吐き出させた後、首を一刀両断、斬首した。そして斬奸ざんかん状と共に、首級を天神橋中央に梟首して、さっさと大坂を発ったのだ。


「胴体が側に投げ捨てられていて、それを見た町人が数人卒倒したと聞いたよ」

「新見君の仕業ですよ。まあ、棄て置く場所に困っていたので、良かったのかも知れませんが」

「一瞬左之助を疑った事は秘密にしておこう」

「まああながち間違いでもないです。いつも通り、斬れ斬れと槍を振り回していましたし。結局首は私が斬りましたけど、気持ち良さげに腕と足を折っていました」

「左之助らしい」


 思い浮かべでもしたのか、井上が笑う。血生臭い話をしているとはとても思えない歓談の雰囲気が漂う。枝扇えだおうぎの隙間を縫って差し込む光芒こうぼうが織られ、優しくも淡い薄布となって二人を包んだ。

 山南の思惑通り、この一件によって、大坂でも浪士組の威名を轟かせる事に成功したのであった。


「あっつー」

「汗が、汗が止まんないよっ」


 散々子供達と戯れてから、沖田と爽葉が二人の元に駆け込んで来た。其処に控えめな声が掛かる。見上げると、にっこりと笑くぼを作って微笑む愛次郎が居た。相変わらず、愛嬌の良い男である。


「ご歓談中すみません」

「愛次郎じゃないか。どうしたんだい?」


 井上が尋ねる。


「八木の奥方が差し入れにと西瓜を下さって。西瓜割りをするそうなんです」

「おやおや、西瓜割りとは風流だねえ」

「はい。皆さん中庭で待ってますよ」


 嬉しそうに井上と沖田が立ち上がった。緑茶を飲みきった山南は、爽葉を振り返った。


「西瓜割り、やったことありますか?」

「ない」

「ではまたひとつ、爽葉は新しい体験が出来ますね」


 はて?と首を傾げた爽葉は、屯所の中庭に着くや否や、その互い稀な嗅覚で、風に絡んだ潤いのある甘い香りを嗅いだ。


「なんだっ、なんの匂いだ?」


 西瓜の匂いを嗅ぎつけた爽葉は、縁側で隣に腰掛けていた藤堂の上に乗るようにして顔を近づけた。西瓜そのものは初見らしい。藤堂の両掌で包みきれない丸々とした大きな球体を、爽葉は横からおっかなびっくりつついて、硬!と小さく驚いた。


「新鮮ですね。美味しそう」

「でけぇなあ」

「あと十はありますよ」


 山南は受け取った西瓜を両腕に二つも抱えて、中庭で諸肌を脱いで早速はしゃぐ原田達に、優しい眼差しを向けた。沖田も、先程まで子供達とはしゃぎ回っていたとは思えない元気の良さだ。


「右ー! 行き過ぎっ」

「もうちょい前だ! うん、そう! そこ!」

「うらぁぁっ!」


 伊達に剣を毎日振っているだけはある豪快な素振りで、爽葉は西瓜を見事に叩き割った。バシャッ、と水気を含んだ音が思い切り弾け、彼の笑顔も眩しいほどに弾ける。


「ひゃっほーっ! 何この食べ物、最高に食べ方が面白いな! 気に入ったぞ!」

「やるのが爽葉でまだ良かった……」


 あらかじめ敷いておいた布一面に飛び散った、西瓜の破片を拾いながら、永倉はそうぼやいた。

 折角ならばと、藤堂の提案で西瓜割りをすることになったが、誰が西瓜を割るかというどうでもいい事で、子供じみた一悶着を起こすのが彼等らしい。土方が頭を抱えて溜息を吐いたのは、至極納得だ。剣を生業とする浪士組の誰が割る役になろうとも、この西瓜の成れ果ては無残なものだったろう。その中でも一番力の弱い爽葉に役が回ってきたのは、不幸中の幸い、とでも言うべきか。固形を留めているだけでもまだ良い方だ。もし彼以外が割っていたら、恐らく西瓜は跡形もなく潰れている。

 木刀片手にわきゃわきゃと飛び跳ねている爽葉は、常に目元に巻いている白い布のお陰で、何もしなくとも西瓜割りをしている雰囲気が出るところが面白い。


「面白い食べ方するなあ、これ。綺麗に割れてる?」

「初めてとは思えないくらい良い具合に割れてますよ。いっつも人の頭割りしてるからじゃない?」

「これから稽古中、木刀持った爽葉を笑わずに見れる自信がないな。素振りをするお前の前に西瓜が浮かぶわ」


 笑う永倉に、反論したい爽葉は口を尖らせた。


「もう夏ですねぇ……」


 井上が額を伝う汗を拭いつつ、入道雲が存在感を放ち始めた青空を仰いだ。


「ねえ源さん、いっぱい粒々があるー。これ食えるの?」


 爽葉の隣に座る井上に、爽葉が舌を出した。器用に口の中で取り分けられた種が数粒、赤い下の上に並べられている。


「やだこれー」

「出すんだよ。ほら、これに出しな。べーって」

「べー……。これ食べるの面倒だな」

「まあ、そこに丸飲みしてる人達いるけど」


 水を含ませた手拭いを差し出してやりながら向けた視線の先には、大きな口で西瓜を貪り食う野郎共の姿。近藤は西瓜を両手で挟み、押し込むだけで潰した。ひしゃげた西瓜を傾けて、甘い汁を直に飲み込んでいる。

 蝉の声を五月蝿く感じ始めたと思ったばかりかと思いきや、すぐに汗ばむ気温に暑い暑いと口癖のように呟くようになった。縁側で西瓜を皆で食すのは、夏の始まりを実感させられた。


 井戸水で水遊びを始めた平助と爽葉は、沖田達を巻き込んでふざけ合っていた。斎藤に水をかけ、水遊びに無理矢理引き摺り込んでいる。

 井上はその様子を微笑ましく思いながら、縁側に寝そべって煙草を吹かす土方と、優しい眼差しを彼らに向ける山南、足を放り出しした姿勢でくつろぐ近藤と会話を交わす。

 会話の途中、にたにたと口許を締まらなく緩ませた爽葉を見つけて、山南と井上は静かに顔を見合わせた。何かまた、変なことをしでかそうとでも企んでいるのだろう。そう思った矢先、彼は井戸水を汲んだ桶から水を小さな柄杓で掬い取って、突然こちらに駆けてきた。え、と思わず井上は固まったが、彼の標的は井上だけではなかった。


「冷てぇっ!」


 四人全員にかかりきらなかった水の残りが、飛沫の欠片となって、少しだけ近藤の袖を濡らした。


「やーい、トシがお漏らししてるー」


 振り返れば、彼の放った水で胸から大腿部までを湿らせた土方が、上半身を片腕で支え起こしていた。彼の前髪は、毛先から雫が垂れるほど濡れていて、目元が隠れて見えない。ぼそ、と彼が何かを呟いた。爽葉の悪戯好きも大概だ。胸元を濡らされた山南の横で、「はあああ」と、途轍もなく深い溜息が吐かれた。


「おい。チビ助、てめえ」


 濡れた前髪の隙間から覗いた、見る者を射抜く切れ長の目が釣り上がっている。濡れた口許は、何とも情欲的だ。これだけでも、そこはかとなく危険な色気が漂う彼は、これまで幾多の女を惚れさせただけはある。

 触れればその棘で怪我をすることを分かっていながら、誘われてしまうのは人間の欲望と惰性の性。彼の雰囲気はその本能を躊躇なく刺激する。


「ついこの前も見たような気がする光景ですね」

「うん、そんな気がするね」


 川狩りの時とほぼ同じ光景が繰り広げられる。青筋を浮かべた土方の低い声音に恐れる事なく、爽葉は負けじとばかりに手酌を肩に掛け、顎をぐいと上げ仰け反った。これ見よがしな煽りだ。彼の水浸しの身体の足元には水溜りができている。


「上等じゃえねか」


 言うが早いか、ダッと大きい音をたてて、土方が庭へと飛び降りた。


「うぎゃあああ!」


 土方が爽葉を追いかけ回し、彼は逃げ惑っては時々後ろを振り返り、迫り来る土方を見つけて絶叫をあげる。


「やはり、良いものですね。こうやって皆で穏やかに時間を過ごすのは」

「穏やか、か……?」


 爽葉の首根っこを捕まえて怒号を浴びせる土方を眺めながら、井上が若干首を傾げる。土方がいなくなった事で空いた空間をめいいっぱい使って、近藤はその大きな身体を横にした。


「江戸にいた頃を思い出すな」

「頃とは言っても、私等上京して来てまだ半年程しか経っていないよ?」

「でも懐かしくなりませんか。最近は忙しくなってきて、昔を思い出す暇すらない時も、多くなってきましたが……。源さんは、私よりも彼処に居た時間が長いでしょう?」

「まあ、そりゃあね。私の人生はあの道場抜きに語れないからねえ」


 山南につられて井上も、思わず江戸での生活を回顧せざるを得なかった。

 彼等は試衛館に集っていた仲間達だ。ある者は入門者として、ある者は食客として、またある者はふらりと寄りに来る訪問者として、各々自由に生活しながらも試衛館での時間を大切に暮らしていた。

 井上は、近藤がまだ勝五郎かつごろうという幼名だった頃から世話になっていた古株で、近藤を養子として受け入れた試衛館創設者である近藤こんどう周介しゅうすけの弟子だ。兄達が皆天然理心流の剣術を習っていた為、自然な流れで入門したが、最も入れ込んだのは井上だった。


「おチビー! 捕まえたっ」


 挟み撃ちで爽葉の行手を塞いだ沖田は、彼の腕を掴むと、先程まで割れた西瓜が乗っていた敷物の上に転がす。彼の悪そうな笑顔が大層眩しい。

 沖田の二人目の姉、みつは、井上家の林太郎りんたろうの妻だ。つまり沖田とは親戚である。故に、彼は井上が親の様に懐き、近藤を兄の様に慕っている訳である。彼の剣の才能が早いうちに見出され、剣豪と言わしめるまで磨き込むことができたのは、この環境があったからではなかろうか。




 持てる…モテる、の意

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