第7話 穏やかな日々は、百年後にて


 観測都市ボハール。

 ギーネイが乗っ取ってしまった、サイルークたちが住まう、都市の名前である。

 ナガローク王国にとっては、辺境にある都市の一つであるが、ただの地方都市ではない。『観測都市』と言う名前が、頭についているのだ。


「遺跡の監視が数世代単位で必要なため、観測のための基地は、次第に都市となっていく――か。調査を始めるにも、事態発生から百年後………ずいぶん、気の長い話だ」


 ぺらぺらと、ギーネイは本をめくった。

 子供向けの、社会常識を教える書籍、いわゆる教科書だ。

 イラストや、簡単な地図があり、子供でも分かりやすい構成である。難点と言えば、空欄には太陽がさんさんと、都市に攻撃を加えていることだろう。この落書き攻撃に比べれば、文字の多少の変化は、小さなものだ。

 人々が生きるための基盤と言うか、その集団を形作る基本要素と言うか、そういったものは、変化が少ない。ギーネイが教わった文字、慣れ親しんだ言葉と、ほんの少し、変化があるだけだ。


「………古文のほうがお前に………あなた?には読みやすいということか………ですか?」


 面倒な敬語を使ったのは、ぼさぼさの、ブラウンヘアーのルータックだ。

 サイルークの机にだらりと両腕を伸ばして、何をまじめに本を読んでやがる。そのように、友人にからかいの言葉をくれてやる、悪友の姿勢であった。

 言葉だけが、ややぎこちなかった。


「サイルークとは友人なんだろ………普段どおりで、いいんじゃないかな」


 言いながらも、ギーネイの言葉もまだ、ぎこちない。目の前にいるルータックは、サイルークの親友といってよく、だからこそ、バレたのだった。

 記憶を失ったのではなく、全くの別人だと。

 隠すつもりはなく、最初は明かすつもりで接していたことでもある。今の状況は、常識で考えた大人たちの結論によるものだ。

 別人のようだと、それは例え話ではないという確信があっても、信じたくない気持ちから、強引にそう結論したのかもしれない。

 サイルークの両親にとっては、特にだ。


「ギーネイ………サイルーク?の一言があるから、こうして会いにくることは出来るけどよ、まだ気まずいんだ………です」


 ふざけているのか、これが二人に通じる冗談になっていく予感がある。

 サイルークの責任であると言っても、共にいたルータックへの風当たりは、強かった。

 その風当たりを弱めたのが、サイルークの言葉だった。

 記憶を失ったあと、ルータックが自分を守っていたと。中身はギーネイであるが、全て真実である。ルータックは友情に厚い少年だと、初対面のギーネイでさえ、すぐに分かったほどだ。

 だが、全てを明かしてはいない。秘密組織『ドーラッシュの集い』の戦闘要員であることと、未来に希望を託した、目的を。

 新たな同士を集い、世界を正しい姿へと、導く。

 人間の理想社会の実現と、そのための力を育む第一歩は、まだ踏み出せずにいる。それを十五歳の悪ガキに語って、どうしようと言うのか。今は、この世界の常識を知ることが大切なのだ。

 そう思うことで、ギーネイは、逃げた。

 全てを話すべきと言う決断から、使命を言い訳にして、逃げたのだ。

 それに、ギーネイが託された使命など、とても語ることは出来なかった。サイルークを失うことになったが、それは正義のためのやむをえない犠牲だった。だから理解しろとは、言えなかった。

 ギーネイ自信も、納得できていないのだから。

 使命は、投げ出すのか。

 あるいは、サイルークに肉体を戻した後に、真実を語ってもいい。水晶に意識を移す魔法のはずだ。水晶を手に入れれば、魔法使いが何とかしてくれるはずだ。


「世界が破滅させる力を、滅ぼすことに成功した………か」


 ルータックには、本を持ってこさせた。

 自分たち『ドーラッシュの集い』の戦いが、この世界でどのような意味を持ったのか、知りたかったのだ。

 戦いの、当事者だったのだから。

 勝利者により、一方的に非難されるだろうことは、覚悟していた。当時でも、互いが正義を叫び、戦いが始まったのだ。

 当時はギーネイの所属する秘密組織『ドーラッシュの集い』が、世界に存在を明らかにし、革命を始めようとした。

 結果、世界が敵に回った。

 都市部に作った支部などは、すぐに連絡が途絶。ギーネイたちのいる基地の周辺には、敵の偵察部隊が送り込まれ、その応戦に明け暮れた

 警戒地域に現れる敵は徐々に強くなり、数十人で一人を相手にして、ようやく防ぐ有様だ。ついには神々と呼ばれるバケモノが現れ、敗北にいたる。


「戦いに参加したメンバーのその後は、記されてないな………子供向けだから、仕方ないか」


 手に出来るのは、あくまで、学生向けの書籍に限られる。

 とくに、悪ガキで名前が通っているらしいルータックが、大人でも手に取らない歴史書を貸してくれと言ったのなら、何を企んでいると言われるのがオチだ。


「ったく、何を企んでるのかって、積み木じゃないぞって、叱られたんです………からな」


 すでに言われたらしい。

 心を入れ替えたと感心されることがなく、積み木遊びに使うと思われたと。

 それでも、数少ない協力者の行いは、大目に見るべきなのだ。こうして、三冊と言う大量の本を手にしてくれたのだから。

 三冊を大量と表現するかは、個人の自由である。一ページも目を通すことがないだろう悪ガキが手にする数としては、大量である。

 それは、サイルークにも同じはずだ。

 サイルークの寝室にある本棚には、いくつも本がある。お下がりが半分と、あとは将来に向けた、勝手な期待というところだ。


「サイルークって、たくさん本を持ってるんだから、何でわざわざ………」

「物語本はそれなりにあったが………なぜか、勉強用の本が見当たらないんだ」


 うなだれたくなった。

 先ほどまでは、ルータック少年に冷ややかなまなざしを贈っていたギーネイである。今度は、ルータック少年の優しいまなざしを受ける番になっていた。

 それでこそ、オレの友人だと、優しいまなざしが語っている。せっかくお勉強の本を与えられても、即座に、ツバサが生えたかのように、消え去る運命なのだ。

 この二人に限ってだと、信じたいギーネイだった。

 そして、サイルークと言う少年と、その友人ルータックは、とても気が合うに違いない。

 サイルークと言う少年の姿で、ギーネイが図書館に行ったときの大人の対応も、目に浮かぶ。


「魔法使いに頼る………か」


 本を閉じると、ギーネイはため息をついた。

 魔法使い、ククラーン………なんとか。

 ギーネイたちが命がけで戦った、敵の一種族。

 神々と呼ばれるバケモノに、バケモノをあがめる魔人族に、人から生まれたバケモノである、魔法使い。

 人間の発展を妨げる、恐るべき敵なのだ。

 その敵に庇護を求める矛盾、いいや、情けなさを使命感でごまかしていたが、今の使命感は、に由来するのだろうか。

 秘密組織『ドーラッシュの集い』の、最後の一人としての使命か、それとも………

 ギーネイは、次の本を手にすることにした。



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