カプチーノ・ファミリー(2)


 超電導(SCM)リニア・トレインは、真っ暗な地下の軌道から夜の月面へとすべり出した。三つある月のドーム都市は、太陽からふりそそぐ放射線を避けて岩盤の下に築かれている。銀河連合軍のスペース・センターと三都市を結ぶリニア・トレインは、地下と月面を縫うように『静かの海』を走り抜ける。

 乗客のまばらな車両を選び、窓際の席にすわった智恵は、荒涼とした景色を眺めながら思いだし笑いを浮かべた。



               ◇



 ジュニアスクール編入の初日、智恵は学校から脱走した。反抗したかったわけではない。自分がほんとうに自由か、街の雰囲気を確かめたかったのだ。

 真昼に学校を出て、公園と商店街を散策し、動く舗道ムーヴ・ロードに乗ってリニア・ステーションまで行った。その結果、ここは智恵が育った街ではないと判った。夕方『月うさぎ』に戻ると、学校から連絡を受けた安藤夫人は蒼ざめた顔でホテルの前に佇んでいた。智恵をみつけた夫人はほっとした表情になったが、何も問わなかった。

 智恵も説明しなかった。夕食を残さず食べ、子ども同士の談笑には加わらず、自室にこもった。


 以後も智恵は同様の態度をつらぬいた。挨拶には小声で返事をするが、笑顔をみせることはない。食事はするが、会話はしない。学校を抜け出すことはやめたが、帰れば与えられた部屋にこもり、『家族』と3D-TVを観たりVRゲームに参加したりはしなかった。当然、ホテルの仕事も手伝わない。

 安藤夫人をはじめ、洋二とマーサとアンソニーは、そんな智恵に戸惑っていた。こまやかに話しかけ、打ちとけようと努力してくれていることは分かったが、智恵は警戒を解かなかった。


(仲良くしたって意味がない。期間が終われば、あたしは施設に帰されるんだ)


 幹男(ミッキー)だけは智恵に気を遣わず、無愛想を通していた。ただ、彼は黙々とお菓子を作った。プリン、ドーナツ、ババロア、胡麻団子、チーズケーキ、パウンドケーキ、杏仁豆腐、クッキー、アップルパイ、豆大福、苺タルト、チョコブラウニー……。夕方の間食として、毎日、きっちり人数分。智恵の分も含まれていて、彼女が部屋で宿題をしていると、緑茶や紅茶やカフェ・オレとともに届けてくれた。自動調理器オート・クッカーを使わないのは少年の自己満足にすぎないと思えたが、智恵は素直にいただいた(母にケーキを棄てられたことのある彼女には、無下に出来なかった)。そして、お菓子はいつも、とても美味しかった。


 二週間後、智恵は安藤夫人にきりだした。

「アルテミスシティに行きたい」

 安藤夫人ははっとしたように息を呑んだが、黙って頷いた。


 アルテミス市は、智恵が産まれ育った街だ。境遇の変化に驚き呆然としていた少女は、自分が別の街へ連れてこられたことを知らなかった。児童養護施設も『月うさぎ』も、ダイアナ市にある。学校を抜け出したところで、以前住んでいた家に帰れるはずはなかった。

 週末、安藤夫人は仕事を子ども達に任せ、智恵を連れてアルテミス市へ向かった。



 リニア・トレインを乗り継ぎ、AIエーアイ制御の無人タクシーをひろって郊外へ。目的地が近づくにつれ智恵の胸は重くなり、しくしくと痛んだ。緑地公園のなかに母の眠る墓地があるのだ。

 月のドーム内の土地は高価で、死者がひろいスペースを占めることは許されない。犯罪に関わるなどの特殊な事情がない限り、遺体はすべて火葬されて骨に――骨より細かい粉にされ、ブロックに焼成される。

 緑したたる公園の片隅に、古代の神殿をおもわせる白亜の慰霊碑と礼拝堂が建っている。遺体ブロックは堂のなかに納められ、故人の氏名と生没年を記した金属製のプレートが整然と壁にならんでいる。智恵は母の名をみつけ、その前にたたずんだ。


「……ご病気だったそうね」


 安藤夫人は、来る途中で買ってきた白ユリの束を献花台に置いた。智恵は小さくうなずいた。


「気の毒に……。智恵ちゃんと、ずっと一緒にいたかったでしょうに」


 アジア系らしく合掌する夫人の呟きを聞きながら、智恵は(そうだろうか)と考えた。

(母さんは、あたしを娘だと認識していたんだろうか)


 それについて考えることはおそろしく、足下にぽっかり開いた穴に吸い込まれそうになる。智恵がものごころついた頃には、母は既に発病していた。手料理を食べさせてもらったことはなく、優しく抱きしめてもらった記憶もない。父はいつも疲れていて、娘の話におざなりに相槌をうつだけだった。

(母さんは……)

 智恵はプレートに刻まれた文字を指先でなぞり、眼を閉じた。


 安藤夫人は気を遣い、少女から離れた。礼拝堂には他にも数人の参拝客がいたが、みな用事を終えると静かに去って行った。智恵が外へ出たとき、ドーム都市の人工の陽光は緋色をおび、辺りには夕暮れの気配がただよっていた。

 礼拝堂の出入口に立ちつくす少女に、安藤夫人は声をかけた。

「智恵ちゃん、うちに帰りましょう」

 智恵は、こくんと頷いた。


 次の瞬間、少女は安藤夫人の脇をすり抜けた。石段をとび降り、公園のなかの道を駆け抜ける。芝生を迂回している遊歩道をつっきり、ポプラの木の根をとびこえ、花壇の縁石をこえて公道へ出る。

 後ろで安藤夫人の呼ぶ声が聞こえたが、振り向かなかった。

 動く舗道ムーヴ・ロードへ出た智恵は、すばやく方向を定めた。数本のムーヴ・ロードが合流するショッピング・モールを目指す。あの向こうに智恵の知る街が、かつて住んだ家があるはず。

 週末の人通りは多い。ムーヴ・ロードは立って乗るルールだ。同じ方向とはいえ人の間をぬって走る子どもにいい顔をする大人はいない。智恵は不要なトラブルをさけるために足を止めた。安藤夫人は追いついてこない。少女を見失ったのだろうか。


 モールの敷地内にはいると、智恵の脳に記憶がよみがえった。ここは父ときた場所だ。店舗や細かいレイアウトは変わっているが、おおまかな配置は変更されていない。懐かしい雰囲気がした。――行きかう人々は、己の目的にしか興味がない。賑やかで、楽しくて、便利で、孤独で、どうしようもなく自由。

 児童養護施設でも、レクリエーションや社会見学の一環として買い物にでかけることはあった。お小遣いを与えられた子ども達は、めいめい好きなものを買って楽しんだ。しかし、施設にいれば必要な物は支給される。衣類も学用品も食事も、やりくりを考える理由はない。

 少女は物思いに沈みそうになる気持ちを奮い起こし、モールを抜けた。二ブロック先のマンション街に向かう。智恵が両親と短い日々を過ごした『家』だ――

 

 橙色がかった人工の日射しは紫色に変わり、街路樹に囲まれたマンションの外壁は赤銅色に輝いてみえた。円筒状のエントランスの正面に門扉があり、警備AIが管理している。智恵は逸る胸をおさえつつ扉の前に立った。

 ピーン、と小さな警告音がした。AIが、なめらかに響く男性の声で告げる。


《住民の顔認証に失敗しました。部屋番号と暗証番号の入力をお願いします》


 智恵はごくりと唾を飲み、壁に現れたキーにかつて住んでいた部屋番号を入力した。その途中で、また音がなった。


《暗唱番号が違います。部屋番号とお名前の入力をお願いします》


 AIの口調は穏やかで、威嚇する様子はない。しかし、智恵の背筋は寒くなった。


《住民に該当者がありません。もう一度、部屋番号とお名前の入力をお願いします》


 自分は住んでいないことになっているらしい。諦めず、繰り返しキーを押した。


《住民に該当者がありません。お客様、訪問先の部屋番号と氏名の入力をお願いします》

(お父さん! いないの?)


 最後の望みをこめて父の名を入力したが、AIの返事は冷淡だった。


《住民に該当者がありません》

「…………」


 智恵は肩を落とした。再婚した父は、この家を出て行ったのだ。誰も彼女のために扉を開けてくれるひとはいない。どこにも、帰る家はない。


 ドームの天井が暗くなってきた。人工の星がまたたく。数組の家族連れや個人が、智恵のかたわらを通って扉のむこうへ消えて行く。項垂れている少女を怪訝そうに観る者はいたが、声をかけてはこない。

 智恵はマンションの住人が扉をあけた隙に中へはいることを考えたが、その後のことを思うと空しくなり、諦めた。ぐいと服の袖で目元をぬぐい、踵を返す。藍色の夜に浸る街へむかって歩きだしたが、行くあてはない。ブロックをかこむ街路樹の影と街灯の光の狭間を、とぼとぼ歩いた。


 どれくらい進んだろう。智恵の前に、一メートル前後の高さの黒い円柱状の物体が現れた。街をパトロールする警備ロボットだ。AIを搭載したカメラ・アイで少女をみつめ、ピコピコとライトを点滅させる。


《不審者発見。所属と氏名を述べよ》


 智恵はギョッとして立ち止まった。不法侵入をした覚えはないが、独りでいる少女を不審に思った誰かが通報したのだろうか。面倒なことになったと思い、くるりと回れ右をする。

 ところが、次の街角からもう一台警備ロボットが現れ、真っすぐこちらへ向かって来た。智恵は周囲をみまわしたが、車道を挟んだ反対側のブロックからも、マンションのエントランスの陰からも、同じ形のロボットが来るのが見えた。

 彼等はすばやく集まって少女を囲んだ。逃げ場をうしなった智恵は、あきらめて路傍にすわりこんだ。





~(3)へ~

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