カプチーノ・ファミリー

石燈 梓

カプチーノ・ファミリー(1)




Byeバイ !」


 素っ気なく通話をきった。ついでに着信も拒否する。未練をのこさないように。

 智恵ともえは携帯電話をテーブルに置くと、溜息をついて頬杖をつき、窓の外をみた。冷めたカプチーノはそのままに、無煙タバコを咥える。21世紀後半に開発された無煙・無臭のタバコだ。ニコチン量はごくわずか、タール等の有害物質も排除され、ほとんどキャンディーに等しいのだが、数世紀に渡って染みついた悪いイメージから嫌う人は多い。男性とつきあう度に”禁煙”してきたから、これで三度目の節制が終わったことになる。

 宇宙港のカフェからは銀河が観える。闇をわかつ蒼白い光の河だ。特殊ガラスの面からこちらを見返す己の視線に、うんざりした。

 まただ。――と思う。交際があるていど深まると、自分から関係を絶ってしまう癖。一人目は半年、二人目は三か月。今回は保った方だが、それでも一年は無理だった。

 理由が自分にあることは分かっている……。

 智恵は再度ため息を呑むと、タバコと携帯電話をバッグにしまい、カプチーノの残りを口へ流しこんだ。支払いを済ませ、店を出る。

 久しぶりに”家”に帰る気になった智恵は、リニア・ステーションへと向かった。



               ◇



 智恵の母は人だった。

 幼い頃の記憶にあるのは、ひとりごとを呟きながら花を摘む母のすがた――野に咲く花を愛でるような可愛らしいことではない。他人の店先の花壇や、活けてある花束、生花も造花も壁に描かれた絵だろうと、みかけるとすぐにむしってしまう。

 TV画面に話しかけるのはいつものことで、壁越しに(家族には聞こえない)人の声が聞こえると言い、天井の一角を凝視みつめて誰かと会話していることもあった。

 料理はしない、掃除もできない。調子が悪いときには着替えも入浴すらできない母を、父は懸命に介護していた。娘の目から見ても、父は本当に頑張っていたと思う。幼い娘の世話と妻が嫌がる通院補助と、仕事を、ぜんぶ一人でこなしていたのだから。

 勿論、智恵は父を手伝った。幼いなりに自分のことは自分でして、買い物や、時には母の着替えや身支度や、食事の世話をした。具合の悪い母のために学校を休むこともしばしばあった。


 智恵が忘れられないことがある。十歳になって間もない頃、彼女は母のためにケーキを焼いた(自分の誕生日を一緒に祝って欲しかったのかもしれない)。しかし、母はケーキを一口も食べず、ぽいとゴミ箱に棄ててしまった。

「どうして――」 泣きくずれる娘に、母はあっけらかんと答えた。

「だって、まずいんだもの」

(このひとには、何も期待しては駄目だ)と、少女は悟った。人のために何かするなんて、意味がない、とも……。


 母の病状は良くなったり悪くなったりをくりかえし、入院と退院をくりかえした。やがて、夫に対する妄想が始まり、浮気をしていると決めつけてなじるようになった。嫉妬妄想という。物を投げ、泣きさけび、死んでやると喚き散らす。介護を拒否して夫を叩き、つねり、唾をはきかける。来る日も来る日も……。父が疲弊していくのが、智恵にも判った。

 妻の五回目の入院の際、父は娘に呟いた。

「智恵、ごめんよ。パパはもう疲れちゃったんだ」

 智恵は児童養護施設に入れられた。


 少女には理解できなかった。何故、父は傍にいてくれないのだろう? 今まで、母の退院する日を一緒に待っていたのに。何か事情があるのだろうと考え、父が迎えに来てくれる日を待ち続けた。両親が離婚したと知らされても、信じなかった。

 施設に入って一年後、父は他のひとと再婚した。それで智恵は理解した――(棄てられたんだ、あたしは。母とともに。父にとってはどちらもお荷物だったんだ)

 その二年後、母は入院先の病院で亡くなった。



 智恵が十三歳になったとき、安藤夫人が施設にやってきた。職員とは顔なじみらしい。朗らかで愛想のよい彼女は、智恵からみても魅力的だった。

 安藤夫人は少女に微笑み、こう言った。

「智恵ちゃんっていうの。おばさんの家に来てみない?」

 その瞬間、智恵は思った。(あたしは、この人と、気が合わない)

 明るくて優しくて、善良そうな笑み。この世に悪意など微塵もないと、たとえ遭遇しても毛ほども傷つけられないと確信しているような――まなざしが眩しくて、智恵は目をそらした。しかし、何故か安藤夫人は少女を自宅へ連れ帰った。


 里親制度、という。

 施設に保護されているのは、身寄りのない子ども達だ。彼等と心理検査を経てマッチングした里親が、一ヶ月~数か月間、ともに暮らしてみるのだ。双方が納得すれば同居を継続し、さらに運が良ければ法的な養子縁組に進む。

 施設職員からそう説明されても、智恵は半信半疑だった。本当に、そんなことが起こるのだろうか? あの優しく立派だった父親すら、自分を裏切ったのに。赤の他人が新しい母親になるなんて。

 内心みがまえつつ連れていかれた智恵は、『月うさぎ』をみて唖然とした。

(うへえ)

 まっしろで、ふわふわで、マシュマロみたいに甘い。女主人の趣味をそのまま形にしたような建物に、胸やけを覚えた。

(あたし、本当に、ここで暮らすの……?)


 この人とは、ぜったいに合わない――

 そう思いながら『月うさぎ』に入った智恵に、安藤夫人は四人の子ども達を紹介した。

「マーサ、洋二、アンソニー、幹男みきおよ。みんな、貴女と同じところからうちへ来たの。こちら、智恵ちゃん」

「よろしく」

(ふうん、一期生ってわけね) やや緊張した面持ちで口々に挨拶する四人に、智恵は小声で応えた。男女数のアンバランスさが気になったが、四人とも智恵より年上だ。この子達が成長して手が離れたから、次を迎える気になったのだろうか。


「うちはホテルを経営しているの。といっても仕事は私とマーサと洋二が、ロボットを使ってやっているから気にしないで。いらっしゃい、貴女の部屋を用意したわ」


 案内された部屋には、既にベッドと机と学用品が置かれていた。家具は全て落ち着いたグリーンと木目調に統一されていて、智恵はほっとした。部屋の中まで『ふわふわ、あまあま』だったら、どうしようかと思っていたのだ。あるいは、母が固執していた花柄だったら、と。

 安藤夫人ははにかんで笑った。


「この色なら、他の色柄を加えても大丈夫でしょう? 貴女の好みに変えていったらいいわ」

「はい。……ありがとうございます」


 智恵はぼそりと礼を言った。そう言うことを期待されていると感じたからだが、安藤夫人は嬉しそうに頷いた。


「さあ、晩御飯にしましょう。今日は歓迎会よ」


 智恵が提げていた小さなボストンバッグ(施設から持ってきた、わずかばかりの私物が入っている)をベッドにのせると、安藤夫人は少女の肩を抱くようにして食堂へ招いた。四人の子ども達が、慣れた手つきで食事の準備をする。パスタや唐揚げ、ポテトサラダといった料理が並ぶテーブルの真ん中に、艶やかなチョコレートでコーティングされたケーキが置かれた。


「智恵ちゃんの好きなものを教えてもらったの。皆も好きなものばかり。ケーキはみきちゃんの特製よ。召しあがれ」


 うきうきと弾むような安藤夫人の声を聞きながら、智恵は意外な気持ちで幹男をみた。

(へえ、こいつ、お菓子なんて作れるの)彼女より数歳年上の少年は、腕前を誇る風もなく、淡々とケーキを切りわけている。

(人のために何かしても、意味がないのに……)

 団欒だんらんに違和感をおぼえながら、智恵はこの家で最初の食事を口へはこんだ。





~(2)へ~

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