27 感動の再会とはいかない

 例の手紙の件もあって、もしかすると実家で何か動きがあるかもしれないとは思っていたが、まさか弟が直接訪ねてくるとは驚きだった。


 まずは犬を玄関先に繋いで、家の中に入ってもらう。トシュテンはわずかに目を見開いて驚きを示したものの、すぐに客間にもてなしの準備を整えてくれた。


 厚手の黒いセーターに着替えて人心地付いたロルフは、対面のソファに腰掛けたヴィクトルを注意深く観察する。

 厳格な性格が滲み出ていると評される自身の顔立ちと、目の前の優男とでも言うべき美貌は似ても似つかないように思える。嬉しそうにパウンドケーキを食べているが、どうにも腹の底が読めない平坦な表情だ。


「わあ、美味しいなあ。どこの店のですか? このケーキ」


 この少年が本物のヴィクトルである保証はどこにもないが、ロルフには本人だと思えてならなかった。

 あの家で暮らしていた頃、弟のことを遠巻きに見ていた。当時の印象と今目の前にいる少年は、不思議と違和感なく一致するのだ。


「……ムーバリ、という店のものだ」


「ああ、大通りの外れの。あそこのアップルパイ、美味しいですよね」


 アップルパイという単語によって、こんな時だというのにエディットと共に店を訪れた思い出が蘇ってしまった。ロルフは眉を顰めて感傷をやり過ごし、ヴィクトルと真っ直ぐに目を合わせた。


「まさか菓子を食べに来たわけではあるまい。要件を聞こう」


「せっかちですね。もう少し再会を喜んでくれてもいいでしょう?」


「当の君が喜んでいるようには見えないのだがな」


 ロルフの指摘を受けて、ヴィクトルは苦笑を浮かべた。今年で14になる少年にしてはいやに大人びた表情だった。


「では、単刀直入に言います。実を言うと、俺は両親を始末しようと思っているんです。兄上におかれましては手を貸していただけないでしょうか」


 綺麗な笑顔で持ちかけるにはあまりにも血生臭い相談事だった。ロルフは衝撃のあまり、暫しの間黙りこくってしまった。

 ヴィクトルの綺麗な笑みは聞き間違いの可能性を最大限まで高めてくれるのに、先程の発言は残念ながら現実のものでしかない。


「……理由は」


 動揺を殆ど表に出さなかったロルフに、ヴィクトルは少しの間口をつぐんで、すぐにまた微笑んで見せた。


「あの両親がどちらも遜色のつけ難い最低のクズであることは、兄上ならよくご存知でしょう」


 沈黙を肯定にする。ヴィクトルはロルフの態度を正確に読み取って、淀みなく話を続けた。


「まず伯爵に関しては、領地運営とは名ばかりの横領と不正の数々。使用人に手を上げるわ、娼館に入り浸ったかと思えば新しい愛人を連れ込むわ、もう最悪です。

 ……ああでも、母ボディルの一番の罪については、ご存知ないかもしれませんね」


 ボディル——そうか、あの女の名は、ボディルといったのか。


 ロルフはすっかり忘れていた。おそらく記憶の弁が堰き止めてくれていたのだろうが、今聞いても怖気たつような感覚はない。

 ヴィクトルはその端正な顔にゾッとするほど冷たい笑みを浮かべると、今日一番の驚きをもたらす真実を告げた。


「俺はフィリップ・ダールベック伯爵の実子ではありません。母がどこの誰ともしれない男との間に作った、不実の産物なんですよ」


 これにはロルフも胃が下がるような感覚を味わった。

 まさか。嘘だろう。そんなことが。

 意味のない疑問符が頭の中に溢れ、飲み込みきれずにこぼれ落ちていく。


「……本当なのか」


 掠れた声で問いかけると、ヴィクトルはあっけらかんとしたものだった。


「ええ、本当です。あなたは伯爵とそっくりなのに、俺は少しも似ていないでしょう?」


「しかし、それだけではまだわからんだろう」


「いいえ。俺、聞いたんです。母が執事に相談しているのを」


 なんでも、ボディルは執事にこんなことを言っていたらしい。


 大きくなるにつれ、ヴィクトルは旦那様に少しも似ていないの。これでは本当の子供じゃないことがばれてしまうわ……。


 信じがたい話ではあるが、記憶によればボディルは決してロルフを息子に近付けようとしなかった。あれはもしかすると、2人が並べば一つも似ていないことが鮮明に浮かび上がってしまうからだったのだろうか。


「執事は母に多額の給金をもらっているので、面倒な相談事も対処してくれます。悪事を揉み消すのにうってつけでしょう。

 どうしても俺を伯爵家の跡取りにしたい母は、あの手この手で工作して、何とかして伯爵の信頼を勝ち取ろうとしたみたいです」


 ヴィクトルの言いようはどこまでも他人事で、そして過去形だった。その意味が例の手紙に通じることを理解したロルフは、話の続きを引き取って言った。


「甲斐なく、あの男は君が実の子でないことに気づいて爵位を譲る気を無くしたと。そういうことか」


「その通りです。ね、馬鹿馬鹿しい話でしょ」


 乾いた笑みが少年の顔に浮かぶ。その表情に彼の苦悩と失望を見てとって、ロルフは新たな怒りが身の内から湧き上がるのを自覚した。


「あの連中、どこまで腐れば気が済むんだ……!」


 やはりヴィクトルを、唯一の弟を、あんな家に任せきりにするのではなかった。


 どれほど忌まわしい場所だとしても、ロルフは長男として実家に出入りすべきだったのだ。そうすれば、少しは拠り所を与えてあげられたかもしれない。両親を殺したいとまで言い出す前に、助けてやることができたかもしれないのに。


「爵位なんてどうでもいい。けど、あいつらが憎いことに変わりはないんです。

 兄上だってそうでしょう? そうだと思ったから……だから、俺はここに来たんです」


 紺色の瞳が切実に訴えかけてくる。哀願と表現しても生ぬるいほどの表情に、一も二もなく頷いてやりたい衝動に駆られるが、それでもロルフは歯を食いしばった。


「その気持ちは理解できる。だが、駄目だ。あんな連中のためにお前が手を汚すことなどあってはならない」


 恐らく今聞いたこと以上に、ヴィクトルは酷い目にあってきたのだろう。

 けれど駄目だ。まだ14歳の弟にはこの先いくらでも素晴らしい未来が待っている。幸せになるべき少年が、必要のない前科のせいでその将来を汚すようなことを許すわけにはいかない。


「……どうしても、協力していただけないのですか」


「ああ。だがヴィクトル、俺はあの家から出るための協力は惜しまない。お前さえ良ければここに住んでも……」


「それじゃあ駄目なんですよ!」


 ヴィクトルが引き攣ったような叫び声を上げた。騒ぎを察してトシュテンが顔を出すが、大丈夫だと伝えて部屋を出てもらう。


「あいつらを何とかしないと、苦しむ人がたくさんいるんです。俺が屋敷を出たりしたら、リディアが……!」


 ハッとしたように口をつぐんだヴィクトルが、誤魔化すように視線を泳がせる。聞き覚えのない名前について問う前に、紺色の瞳が覚悟を孕んでじっと見つめ返してきた。


「この手段は使いたくありませんでした。……けど、仕方ない」


 ヴィクトルはまだ大きくなるであろう手でポケットを探り、小さな赤い石を取り出して見せる。

 魔術石だ。なぜ、そんなものを——。


 ロルフが直感的に受け身を取ったのと、宙に浮いた魔術石が爆発を起こしたのは、殆ど同時のことだった。


 破裂音と爆風が頭の上を通り抜けていく。この規模ならもとより命の危険はなかったことを瞬時に判断して最小限の動作で身を起こすと、ヴィクトルは魔術の盾の中、無傷のままそこにいた。


「ヴィクトル、何を……⁉︎」


「エディット・メランデルさん。すごく綺麗で優しい方ですよね」


 答えの代わりにこの世で最も特別な名前を聞かされて、ロルフは顔色を無くした。今までで一番の反応を見せた鉄壁の英雄に、ヴィクトルは満足げに笑ったようだった。


「もっと大きな石を彼女に渡しました。……どうする? 兄上」

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