18 件の林檎についての真相
そういえば以前に林檎を貰っていたことをロルフが思い出したのは、ある日夕食を終えて自室に戻ってきた時のことだった。
ずっと部屋の片隅に放置してしまったが、そろそろマリアに味の感想でも伝えなければならない。
厨房から拝借したペティナイフでまずはど真ん中を両断する。蜜のたっぷり含まれた断面に怪しいところは見当たらず、ロルフは小さく息をついた。
「……いや、まだだ。あの腐れ魔術師がどんな細工を施しているかわからんからな」
できうる限り薄く切った方が何かあっても違和感に気付きやすいだろう。
そう考えたロルフは半分をさらに八等分にしてみたが、それでもおかしなところは見当たらない。一つ一つ芯を取り、皮を剥き、もう半分も同じように処理したところでようやく息をついた。
試しに一つ口に含むと、程よい酸味と甘みのバランスが丁度いい。菓子も好きだが果物も好きなのだ。
「トシュテン、俺に何か質問をしてくれ」
突然呼び出されたトシュテンは、それでも主人の思惑を察してくれたらしい。暫し考えた後に彼が口にしたのは、素晴らしく考え抜かれたものだった。
「旦那様、貴方様の持つ精鋭部隊は無補給で何日間のゲリラ戦が可能ですか?」
「それは機密のため答えられない」
答えられない。そうだ、こんなことは答えられないのだ。
ロルフは一つ息を吐いて、満足げに頷いた。
「この林檎に自白剤は含まれていないようだ。トシュテン、協力に感謝する」
「ほほ。旦那様は用心深くていらっしゃいますなあ」
朗らかに笑ったトシュテンを見送って、ロルフは残りの林檎も平らげることにした。
念のため自分以外には食べさせないほうが良いだろうが、流石に疑いすぎだったようだ。これからは腐る前に折りを見て食べていくことにしよう。
*
「ねえヨアキム。そういえば、あの林檎にはどんな仕掛けをしたの?」
体が沈み込むのを感じ取ったヨアキムは、本に落としていた視線を上げた。見れば腰掛けていたソファの隣にマリアが座ったところだった。
「はは、聞いて驚け。なんと新しくできたトラウマ緩和剤だ」
「トラウマ緩和剤? すごいじゃない、ヨアキム! そんな薬を作っていただなんて」
愛する妻に褒められて、ヨアキムは機嫌を良くした。
トラウマ緩和薬はロルフがあんなことになってからずっと研究していたものだ。しかし今ではその有効性を認められ、実用化されれば一般の精神治療、軍においてはシェルショックの患者の治療に大きく貢献する予定になっている。
「長年の研究による代物だ。ふふん、俺はいい仕事をしただろ?」
そう、あれは毒林檎ならぬ薬林檎だったのだ。
注射器で芯の部分に突き刺したから見た目にはわからないし、味にも影響しないことは自分で摂取して確認済み。
ロルフはヨアキムが作った薬なんてもう素直に飲んではくれないだろう。認可されるまで待っていては時間がかかりすぎるので、今回も食べ物に盛るという強硬手段に出たのだった。
10個の林檎に一定量を注入し、それを食べれば少しずつトラウマが緩和される予定になっている。全て食べ切った頃には効果を見てまた果物を差し入れるつもりだ。
「本当に凄いわ。ありがとう、ヨアキム」
マリアは心なしか涙ぐんでいるように見える。
喜んでもらえたことは純粋に嬉しい。しかし、浮かれきってもいないところがヨアキムが研究者たる所以だった。
「上手くいくと良いけどな」
「大丈夫よ。食べ物は絶対に粗末にしない子だし、一人で食べていると思うわ」
「まあなあ……後は奴が効果を実感してくれるかどうか。そんでもって女が嫌いっていう意識にどの程度向き合えるかが問題だからな」
そう、この薬が打ち消すのはあくまでも『トラウマ』だけ。
幼少期からの記憶によって得た『女嫌い』の性格そのものには、全くもって影響を及ぼさないのである。
「ふふ。私、大丈夫な気がするわ」
「そうかい?」
「ええ。ロルフはその、メランデルさんのこと絶対に好きだと思うの。自白したことが図星だったから、あんなに怒ったのよ。そう思わない?」
同意を求められて、ヨアキムはロルフのあの時の様子について考えてみた。
女の子に綺麗だなんて言い放つ義弟を見たのなんて初めてのことだった。そのあと気の毒なくらいに狼狽していたから、本人もまったく自覚していなかったのだろう。
「はは、そうだなあ。こりゃ悪いことをしちまった」
あんなことがなければ、もう少しましな告白ができたかもしれないのに。
ヨアキムは苦笑したが、マリアは静かに首を横に振った。
「多分これで良かったのよ。こんなことでもなければ、きっと自覚すらしないままお別れになっていたんだから」
聖母のような優しい笑みが妻の顔に浮かび、ヨアキムもそうだなと笑った。
薬を盛る事への罪悪感がないわけではないが、こうでもしないとあの石頭は動かない。女嫌いのロルフが女の子といい感じになるという千載一遇の好機、必ずやものにして貰わなければ。
「そういえばさ、なんとメランデルくんは軍に出向になってくれたんだよ」
ヨアキムは最近の出来事を思い出して言った。するとマリアは目を輝かせて、どうやら弟とエディットの接点が増えたらしいことを喜んでいる。
「すごいわ。素晴らしい方なのね!」
「そうそう、推薦かっさらってな。もちろん実力なんだが、周りの高官達も『ロルフ君と仲良い女の子なんて珍しいね、お似合いじゃん』ってノリだったのがちょっと面白かったな」
「まあ、ありがたい話ね!」
この夫婦はたった一人の弟を守れなかったことをずっと後悔していた。
やっぱり無理にでもこの家に住まわせればあんなことにはならなかったのに。心の奥底にわだかまっていた苦い思いは、エディットの出現によって爆発したのである。
——絶対にくっつけてやる。
——絶対にくっつけてやるわ。
共通認識を持った二人は鋭い視線を交わらせると、互いの腕を左右交互にぶつけ合った。全く同じ策士の笑みを浮かべ、用意したオレンジジュースのグラスを掲げ持つ。
「これからの二人に、かんぱーい!」
ガラスがぶつかり合う高らかな音が響いた瞬間を、通りがかった一人息子のケントはリビングのドアから目撃していた。
「……ロルフ兄、ご愁傷様」
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