交錯チーズトースト


 きつね色のあたたかなぬくもり

 香りはどこまでも伝播でんぱして、目をとじればからだ全体が心地よさに包まれる

 サクッ サクッ トローリ 切れない糸があなたを離さない

 なん通りにでも変化する、正体不明の魅力さは

 永遠に消えることなどない

 どこへ行っても人気者


 ****


「マイー! 朝よー! 早くりてきてご飯食べちゃってねー」

 「……はーい……」


 ママが響かせる朝のキビキビとした声は、寝ぼけまなこのわたしにはちょっときつい……。

 ママの朝はすごく忙しい。

 よく観察してると、朝だけじゃなくて一日ずっと忙しく思えた。

 だからわたしは、ママと一緒に過ごす時間があまりなかった。

 本当は寂しかった。

 でもわたしのこの気持ちは、ママを心配させて困らせてしまう気がして言えなかった。 

 言うタイミングもなかったのかもしれない。

 線で分けられたような悲しい状態は、いつのまにか日常となっていった。


 私が朝食でチーズトーストを食べるのは変わらない。

 パンにバターを少し塗って、チーズを乗せて焼くだけの簡単なもの。

 チーズトーストをいつも食べる事のちょっと良くない所を上げてみれば、それは感じる心が薄くなる事。

 朝食を準備する時間がないママが、わたしに一度だけ教えてくれた。

 初めて口にした時の幸せなあの味が忘れられないから、今では一番のお気に入りになった。

 でも毎日パンを食べるわけにはいかないから、ママはたまにご飯を炊いてくれる。

 栄養をちゃんととれるように。


 「マイ、気をつけて行くのよ」 

 「うん、行ってきます、ママ」


 家を出る時間はどっちも一緒。

 玄関で優しく笑ってくれるママに、私は控えめに笑顔を返して別れた。


 うちにはわたしとママの二人だけ。

 パパは何年か前にどこかへ行った。

 パパがいなくなった初めのころは、とても悲しかった。

 だけど、なんでも一生懸命に取り組むママの事を見ていたら、わたしも手伝いたいって思った。

 ママがずっといてくれたらそれでいい、じゅうぶんだった。

 わたしは自分でできる事は、あたりまえにやっている。

 ママに負担をかけたくないから。 

 それは言葉も気持ちも同じだった。

 心がモヤモヤする原因が一つじゃなかったと気づくと、わたしはどうしようもなく苦しくなった。


 ****

 

 なにもない休日。

 今までにないくらい不思議な事が起こった。

 

 「だ・か・ら! ボクはマイの心から生まれたパンの妖精だってばよ!」

 「あ……え……」


 大きく開いた目が、何十回も開いたり閉じたりした。

 ちょっと前から好きな読書をしていたら、耳もとで話し声みたいなのがしてきた。

 びっくりしたわたしは本を投げ飛ばしてしまった。

 拾いに行きながら周りを見てもなにもなくて、気のせいかなと思った。

 でももとの場所に戻るとなんかいた……。

 ストラップサイズのチーズトーストに目と口をつけて、ちょっとかわいくした感じのが動いてしゃべっている。


 「いやそんなことより、マイ! おまえこのままだとママとの距離が離れていく一方だぞ!」

 「距離が、離れる……?」


 とりあえず『チーパン』と名前をつけたそれはわたしの気持ちを全部分かっていて、わたしの心から生まれたって言うのは本当の事なのかもしれなかった。

 チーパンは、もっと自分の気持ちを伝えないとだめとか、ママはマイの親なんだからなんにも遠慮する事ないとか、今のわたしには分かっていても行動できないむずかしい事をたくさん言った。教えられた。


 「でも、どうしたら……」

 「ボクにまかせなさいっ!」


 とまどうわたしにチーパンは得意げに話しだした。


 「かんたんな事だけど、本当にそれで大丈夫……? ママ忙しいけど困らせない?」

 「大丈夫さ! きっと問題はないよ! でも最後まで成功するかはママとマイの会話が大事だよ」

 「そっか……! わたしがんばってみる!」


 チーパンが考えてくれた作戦は、ママに久しぶりに夜ご飯を一緒に食べたいとお願いして、そこで自分の気持ちを伝えてみると言う事だった。

 ゆっくりリラックスしながらだと、お互い言いたい事を言えるんじゃないかって。

 チーパンの元気さにはすごく勇気をもらえる。

 この作戦が成功しても失敗しても、このままではだめって思うから、私は動いた。


 ****


 「ママ、わたしも手伝う」

 「あら、ありがとう、マイ」


 わたしは仕事から帰ってきたママの様子を見ながら話しをした。

 そうしたら今週の土曜日にいいよってなって、今二人でご飯を作っている。

 もうそれだけで嬉しかった。


 「たくさん作りすぎちゃったね。ママ久しぶりに気合い入っちゃって」

 「わたしいっぱい食べるよ。それでもあまったら冷凍したらどう?」

 「それもそうね、さ、早く食べましょ」

 

 おちゃめな顔をしたママはかわいいし、なんだかおもしろい。

 わたしは我慢できなくて小さく笑ってしまう。

 こんなおだやかな時間が幸せだと思った。

 テーブルに広がる料理は、わたしが好きなオムライスやポテトサラダ、それからトマトスープとかハンバーグ、デザートにプリンまであった。

 なんでもない日がお祝いの日に感じた。

 豪華で特別で。


 「ママ、今日のご飯すごく美味しいよ」

 「ありがとう、マイ。わたしもね、とっても美味しいって思うわ。そしてその一番の理由は、マイと一緒に食べているからだって思うの」

 「……そっか」


 泣きそうになった。

 ママの声は優しすぎる。

 いつもあまり会話をしないから、初めはどっちも黙っていた。たぶん緊張もしていた。

 でも一度話し出すと止まらなくて、最近のいろんな事とかたくさん喋った。


 「マイは本当にいい子で、ママの自慢だわ」

 「…………」


 わたしの心は急に冷えた。

 さっき少し感じた違和感も分かった。

 全部が見えてくると、イライラした。


 「ねぇママ、いい子ってなに? ずっと前から言いたかったんだけど、わたしがいい子なんてそんなこと……それに、わたしと一緒にご飯を食べてるから美味しいって……だったらママからもっと誘ってよ!! ママがわたしとの時間をもっと作ってよ……! わたしはママが思ってるような子じゃない」


 ママはどんな顔をしていたかな。

 なにを思ったかな。

 愛情がたくさんつまった料理はよく見えない。

 見たくなかったから良かったのかも。

 わたしは目をゴシゴシ拭きながら、自分の部屋まで走った。

 そしてベッドに潜ると思った。

 ママの言葉はわたしが欲しい言葉じゃなかったって。


 ****


 「マイ……ちょっと起きてきて」


 昨日いつ寝たのか覚えてない。

 ママの優しい声が、わたしを眠りから覚ました。

 

 「……おはよう……」

 「おはよう。先に顔を洗ってきちゃって」


 今日は休みの日で、ゆったりした服を着たママがいた。

 ママを見ると、昨日の事を思い出して心が苦しくなる。

 わたしは逃げるように洗面所に向かった。


 「マイの好きなチーズトーストに、今日は色々つけてみたわ。食べてみて」


 顔を洗って戻ってくると、イスに座らされた。

 すぐに出てきたのは、一枚のお皿にのったママお手製のトースト。

 いつもより高さがある。

 いただきますと小さく言って、一口食べた。

 あったかくて包まれるような味に、涙が流れてしまう。


 「でもママ……わたし好きってわけじゃ……」

 「分かってる。マイはママがこのチーズトーストを教えた時の思いを大切にしてるって事よね。昨日マイの事を自慢のいい子って言ったのはね、人の気持ちが分かる優しい所を思って言ったの。あれはママが悪かったわ。わたしが忙しくしてるとなんでもやってくれるし、言いたい事も我慢させてた。ずっと辛い思いをさせてたのね……ママは人並みに器用じゃないからごめんね……」


 ママの目は、赤く腫れていた。

 わたしと同じ。

 わたしはママの言葉の意味も気持ちも、取り違えていたらしい。

 わたしとママは抱きしめあって静かに泣いた。

 今日のチーズトーストは、少しだけしょっぱかった。


 ****

 

 「……チーパン……」


 ママと仲直りした日から、チーパンはいなくなった。

 ママとケンカした夜、話しかけてくるチーパンをずっと無視してしまった。

 だから謝りたかった。

 でもいずれまたわたしの心がなにかを言い出した時、突然現れてくれるのをちょっと期待したかった。

 わたしは胸に手を当てて、笑ってみせた。

 

 


 

 


 



 

 

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幻想オ食ジ奇譚 莉子 @riko1018

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