第4話 夏までの辛抱
食事の時もヴォルフがそばについていようとするので、追い払うのに苦労した。自分は護衛だから、というのがヴォルフの主張だったが、これまでそんなことを言う騎士はいなかった。
マスクをつけておくから大丈夫、と頑なに主張するヴォルフをどうにかこうにか説得し、食事は寝室のテーブルで摂り、ヴォルフは居室に控える、ということで妥協した。なんで主人であるはずの自分が妥協して場所を移らなければならないのかと思う。しかし、護衛の騎士を死なせるわけにもいかなかった。彼らはみな由緒正しい家の子息なのだ。政治問題になりかねない。
食事が終わった後の食器を下げにこようとするので、絶対に触れてはいけないと厳達し、いつものように金属製の容器に入れて密閉する。これを離宮裏の用水路にしばらくつけておき、毒の成分を流水で十分に流してから調理場に返すのだ。その作業はアウゲ自身で行なっていた。
「いやいや、姫さまみたいな高貴な方にそんなことさせられませんよ。おれがやりますから」
(だから、危ないって何回も言ってるでしょうが……! どうしてわからないのよ。なんなのこの人……!)
「あなたを危険に曝すことは私の本意ではないので」
近寄ろうとしてくるヴォルフを手で牽制しながら、使い終わった食器類を容器に入れる。密閉して運び、用水路に沈めてから側面の蓋をスライドさせると、スリットが現れて水が流れ込む仕組みだ。
「じゃあ、じゃあ、せめて運ぶのはおれが。こんな重そうなもの、姫さまに運ばせられませんよ。おれが近衛の団長に叱られます」
「叱られません。みなさん洗浄前の食器には触れていないので」
「ええ? 騎士が姫さまに鉄の箱を運ばせてたんですか?」
「今まではカロラがいましたので」
食事の場に騎士が来ることはなかった。
「カロラ婆さんが運んでたのなら、おれが運んだって問題ないでしょ」
「彼女は歳を召していたので、私がやっていました」
「みんなどうなってんだ」
ヴォルフは少し腹を立てているようだった。真面目なのだろう、きっと、とアウゲは考える。馬鹿なのが本当に残念だ。
縦長の鉄の箱を閉めると、持ち上げようとする前にさっとヴォルフがその箱を奪った。
「だから……!」
「わ、女性が持つには結構重いじゃないですか。よくご自身で運んでましたね。会った時から思ってましたけど、姫さま、優しいんですね。使用人や騎士のことなんか、代えのきく道具みたいに思ってても不思議じゃないのに」
「私のせいで人が病に冒されるのを見るのが嫌なだけです。自分のためです」
ムキになって言い返す。無意識に呼気が多くなったのか、浄化筒からごぼ、と音が鳴る。呼気を水に溶かした解毒剤に通して浄化して外部に排出しているので、呼気が多くなると空気の音が鳴るのだ。
「うん、わかりました。でも、これからは、おれのことを頼ってくださいね。直接触れなければ大丈夫なんでしょ?」
顔を覗き込むようにして優しく微笑まれると、顔がかあっと熱くなって、いつもの調子が出せない。
「そこまで言うなら……お願い、します」
ヴォルフの顔から目を逸らして、言う。
「もちろんです、姫さま。そのためにおれがいるんですからね。あ、用水路の場所だけ教えてもらっていいですか?」
「……こちらです」
(やめてほしい、本当に。どうせ、手足に痺れの症状が出てくれば、他の者と同じように私を忌み嫌うくせに)
マスクの下で唇を噛みながら、ヴォルフを裏手にある用水路に案内する。
ああ、無性に苛々する。これまでこんなことはなかった。彼の何かが、アウゲの中の何かを波立たせる。
離宮から裏手の用水路までは、石畳で道がつけられていた。用水路は、澄んだ水が豊かに流れている、ちょっとした小川だった。地熱の影響で、冬でも凍ることがない。アウゲとヴォルフは用水路脇に立っている、人の背丈より少し高い三角屋根の櫓に向かう。アウゲの指示通り、櫓の天井から下がっている鉤に箱を引っかけ、滑車で用水路に下ろす。その後、櫓の柱に引っかけてあった、先が曲がった棒で箱の側面の蓋をスライドさせ、水が流れるようにする。
「これで終わりです」
「毎回これやってるんですか?」
「そうです」
「雨の日も?」
「そうです」
「大変でしたね」
「別に。いい運動になるので」
確かに、こんなに早く食事の片付けが済んだことはなかった。いつも休み休みあの箱をここまで運んでいる。力はついても、息が上がるのはどうしようもない。マスクは呼気を漏らさないよう、吸気側にも逆止弁がついているのでどうしても呼吸は制限を受けた。そして、どんなに苦しくてもマスクを外すことはできない。
「でも、これからはおれがやるので、大丈夫ですよ。運動したいなら、こんな肉体労働じゃなくて、散歩や乗馬でもしてください。ね?」
「……」
笑顔でそう言われると何も言い返すことができなくて、アウゲはただ頷く。
「でも、護衛は当番制でしょう? あなたが来ない日は、いずれにせよ自分でやります」
「あ、そっか。姫さま、まだ聞いてないんですね。今日からおれが、姫さまの専属になりましたんで」
「えっ!?」
浄化筒がごぼ、と音を立てる。
「そんなに嬉しいですか?」
ヴォルフ自身がとても嬉しそうに言ってくる。
(そんなわけないでしょ……! 本当、なんなの、この人)
「いえ、驚いただけです。命令とは言え、大変ですね。ですが、夏までの辛抱です。夏になる前に私はここからいなくなりますから」
「……」
ヴォルフは何も言わず、ただアウゲを見つめてくる。
「……何ですか?」
苛ついて睨み返す。
「姫さまは……、魔王の花嫁になるんですよね?」
ヴォルフのその声は、意外なほど静かで真剣だった。
「そうです」
「18歳の誕生日に」
「そうです」
ヴォルフが何のためにこんなことを訊いてくるのか、全くその意図がわからない。訊くまでもない。王宮にいる者なら誰でも知っている。
「そのことを、どう思ってますか?」
「別に何も。私は、私に与えられた役目を果たすだけです」
ここで本音を打ち明けるほど親しくもなければ、彼のことを信頼してもいなかった。顔を見られたくなくて、ヴォルフに背中を向けて元来た道に踏み出す。
「待ってください、姫さま。姫さまはそれでいいんですか」
ヴォルフが追ってくる。アウゲはますます苛々した。
(私がよくないって言えば、この毒が消えるって言うの? あなたにそれが、できるっていうの? できないくせに。何もできないくせに、そんなこと言わないでよ……!)
「それが王族に生まれた者の役割ですので」
前を向いたまま答える。
「魔王がどんな人かとか、魔界がどんなところかとか、気にならないんですか? 怖くないんですか?」
日々思い悩んでいることをずばり言われて、思わず足が止まりそうになる。
「怖いからと言って、役目が免除されるわけではありません。王族の中には、遠い異国に嫁いで行った方もいます。同じことです」
「でも……」
(ああもう、黙って。黙って黙って黙って……!)
心の半分で怒りながら、もう半分で祈る。
「あなただって貴族の子息なら、わかるはずです。同じことです。本人の意思など関係ありません」
黙ってほしくて、前を向いたまま冷たく言い捨てる。ヴォルフはアウゲの態度が意味するところがわかったのか、もう何も言わなかった。
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