向日葵と祖母

@path33

向日葵と祖母 短編

祖母が亡くなった。

祖母は、親族の反対を押し切り、最期まで祖父と暮らした家で1人で暮らすことを選んだ。

親族も祖母が痴呆もなく、大きな病気もなかったため、祖母の意見を尊重した。

死因は、心不全。朝起きることなく、そのまま永眠。理想的と言っては、失礼だろうか。

誰にも迷惑かけずに静かに去っていくところが、祖母らしいと思った。

祖母の表情は安らかであった。

後悔がなかったといえば、嘘になるだろうが、

祖母の表情に祖母が選んだ道を全うしたんだと、皆が納得しようとしていた。


 葵は、祖母の葬儀の後、母に呼ばれた。

「遺書が見つかって、祖母の家を葵が相続してほしい、と書かれてるの。葵の好きなようにして良いって。ただ残すにも場所が微妙よね。来年には、葵も大学生。田舎だから、そこから大学に通うことも難しいし、でも住まないと家は駄目になる。誰かに貸す、という方法もあるけど、あんな田舎のボロ家に借り手がつくとも思えないし。売る方が良いのかもしれない。でも、これは、母が葵になにかを伝えたかったんだと思う。だから、葵が決めて。相談や協力はするからね。」

母はそう言った。


 葵は祖母が好きだった。良く遊びに行った。祖母はいつもニコニコしており、優しく包み込んでくれるような人だった。

しかし最後に会ったのは、小学校の卒業式だ。それ以降は、勉強や部活、友人などで自分の生活が中心となり、祖母に会いにいくことはなくなった。

その祖母の遺産。しかも祖母の大切だった家。

葵には重すぎる。なぜ、祖母は葵を選んだのだろう。


   ***

 学校が夏休みに入ったため、祖母の家に訪れることにした。

辿り着いた場所には、祖母の家が見えないほど、向日葵が大量に咲いていた。

ここで合っているのか、不安になるが、心がここだ、と言っている。

祖母の言葉を思い出す。

「葵が産まれた、と連絡があったとき、向日葵が咲いていたから、葵の母親に、向日葵って名前はどうだい?って、言ったんだ。すると、向日葵では呼びにくいから、一文字もらって、葵にするわ。と葵の母親は言った。自分で言っておいてなんだが、大切な娘の名前だろうに、簡単に決める葵の母親は、自分の娘ながら、天晴れだよ。」

そう言って、祖母は笑っていた。


 葵は入口を探し、敷地の中に入る。

葵が知っている祖母の家は、向日葵が咲いていたが、庭に咲いている程度だった。

しかし、今は、向日葵の中に家がある、という表現が正しいだろう。

葵が来ないうちに、こんなに変わっていたのか。

月日の流れを感じ、その間会わなかった罪悪感を感じた。

あんなに、好きだったおばあちゃんだったのに。

私の代わりに向日葵が咲いていたのか。

葵は涙が溢れる。


「おい、そこでなにをしている?ここは、私有地だぞ。勝手に入るな。」

知らない男性に怒られた。涙を拭い、

「貴方こそ、誰ですか?私はここの所有者です。」

「もしかして、幸子さんの孫?」

幸子とは、祖母の名前だ。祖母の知り合いのようだ。

「そうです。孫の葵です。それであなたは、何者ですか?祖母を知っているのですか?」

「申し訳ない。幸子さんには大変お世話になりました。えっと、T大に通っている結城と言います。向日葵に見惚れていたら、幸子さんが声をかけてくれて、それ以来、花の水やりなど手伝うようになり、お邪魔させていただいていました。」

T大?日本最高峰と言っても過言ではない大学だ。

「失礼しました。祖母がお世話になりました。」

葵は言葉が思いつかず、とりあえず詫びる。

「そっか、幸子さんが言っていたお孫さんか。ここはどうするの?」

結城は言葉を崩した。

葵は返答に詰まる。この人はどこまで知っているのだろう。

「えっと、結城さんでしたよね?どこまで聞いているのですか?」

「幸子さんとの秘密だから、教えない。ただ俺がここに通っていたから、幸子さんは今後の俺のことを思って、この家は孫に相続させるが、どうするかは孫の判断に任せるつもりだ。と言われていた。とうとうその日がきたか。」

結城は淋しそうに、答える。

「まだどうするか、決めていません。例えば、結城さんがここに住んでくれれば、祖母の家も残すことが出来ます。」

「それじゃぁ、駄目だよ。幸子さんに言われていたんだ。ここは、現実逃避の場所。だから、ずっとここにいては、いけないってね。それに君にとっても、俺にここを貸すのは、問題の先延ばしじゃない?幸子さんが何を考えて、君にここを託したのか、考えるべきじゃない?」

そんなこと言われても、葵はまだ高校3年生。受験勉強の追い込み時に、こんな問題を抱えたくない。

「私が大学入学、いえ、試験が終わるまでとかでも駄目ですか?」

「駄目。聞いてるよ。孫は優秀だって。両方抱える覚悟を決めなよ。」

「他人事だから言えるんです。それにT大の人に言われたくない。」

葵は、腹が立った。

「ごめん。でも俺も幸子さんと約束したから。ここで先延ばししたら、俺も戻れなくなる。どうするかは、君が決めれば良い。もう、俺はここには来ないから。」

葵は慌てる。

「ちょっと待って。お願い、もう少しだけいて。えっと、そう、夏休みの間だけで良いから。せめてこの向日葵が枯れるまで。それまでこの家をどうするか、きちんと考える。結城さんだって、この向日葵たちが、世話をしてもらえず、枯れるのは嫌でしょう?」

「つまり、君が考えている間、向日葵の世話をしろってこと?確かにせっかく今年も綺麗に咲いたし、枯れるのは嫌だけど、なんだか脅迫だなぁ。」

結城は笑った。

「ごめんなさい。みんなが好きにして良いって言う。でも祖母の大切な家を私が勝手に好きになんて出来ない。せめて少し考える時間が欲しいの。わがまま言っているのは、分かっているけど、お願いします。」

葵は頭を下げる。

祖母の大切な家をどうするか決めるなんて、本当は嫌だった。でも皆が葵の判断に任せる、と言う。優等生の葵は弱音を吐けなかった。

結城さんは困った表情をしつつ、

「分かった。ちょうど俺も夏休みだしね。向日葵が枯れるまでなら、世話をするよ。その代わり、その間は、君はここに住むこと。それが条件。もちろん俺は水やりに来て、すぐ帰るから。」

葵は考える。悪い条件ではないかもしれない。祖母の家に住んだら、何か分かるかもしれない。なによりも向日葵を枯らさず、約1ヶ月考える猶予が与えられた。この向日葵たちは、最後の向日葵になるかもしれないのだ。せめて、最後まで思いっきり咲いて欲しい。

「それで良いです。でも予備校に通うつもりだったのですが…」

他人に向日葵の世話を押し付けて、予備校に通いたい、と言うのは心苦しいが、受験も葵の人生を左右する問題だ。

「駄目。君に予備校は必要ないでしょ。センター試験対策?そんなの教科書で充分。大学に合わせた対策?赤本もあるし、そもそも志望大学決まってないよね?」

葵は、痛いところを刺された。そう、葵は進路をまだ決められていない。

勉強は努力した分返ってくる。だから、昔から勉強が好きだった。正解がある問題は良い。人生とは大違いだ。

そのため、志望校は決められていないが、どこでも選択できるように勉強していた。

祖母は一体どこまで話したんだろう。いや、会っていなかったのに、なぜそんなことを知っているのだろうか。

「分かりました。でもT大の貴方と他の人が一緒だと思わないで下さいね。」

一瞬表情が曇った気がした。

「分からないところがあれば、俺も教えるし、今はネット社会だから、予備校に通わなくても、方法はたくさんある。幸子さんの思いを知るために、ここでしっかり生活した方が、受験勉強も幸子さんのことも順調に進むかもよ?」

そう言って、結城はまた笑った。


   ***

 それから、葵は祖母の家で暮らすことにした。

結城は毎日、向日葵の世話をしにきてくれ、水やりだけではなく、雑草を抜いたり、約束通り勉強も教えてくれた。

 祖母の思い出を話し、結城との距離は縮まったようにみえたが、葵は結城が自分のことを話さないことに気付いていた。


 縁側で2人でお茶を飲みながら、未だ進路を決められない葵は尋ねる。

「結城はどうしてT大に入ったの?」

「うーん、家庭の事情?親の希望でもあったし、自分の夢とも同じ方向だったからかな。」

「夢ってなに?」

「夢は、人に教えると、壊れちゃうんだよ。だから、教えない。」

結城はふざけて答える。

結城は、葵が結城の中に立ち入ることを拒否している。

この向日葵が枯れたら、本当にここには来ないのだろう。

「夢があることが羨ましい。私はなにも決められない。」

「夢があっても、それだけじゃ、駄目なんだけどね。」

結城が小声で呟いたのを葵は聞き逃さなかった。

「葵はさ、焦る必要ないんじゃない?大学に行ってからでも、社会に出てからでも良いじゃん。葵は何にでもなれるパワーも努力も持ってる。近道しようって頭の中で、計算ばかりしてたら、大切なことを見失うよ。」

「うーん、そうかもしれないけどさ。夢に一直線に進めた方が、迷わずにすんで良いじゃん。」

「そういう打算的な考え方が駄目。回り道にしか得られないものもあるんだからさ。じゃぁ、俺はそろそろ帰るよ。」

「はーい。」

結城が言うことはいつも正しい。だけど、真面目な話をするといつも逃げる。そして、違和感がある。なぜだろう。


   ***

 せっかくだからT大のオープンキャンパスに行った。

結城と会えるとは思っていなかったが、奇跡的に発見してしまった。

結城は、ベンチで1人でパンを食べていた。

表情は完全なる無であった。

葵は見てはいけないものを見た気がして隠れた。

結城の前を通りすぎる人たちは、一瞬結城を見るが、見なかったことのようにして、去っていく。

なにかがおかしい。

あの視線は、友人を見る目でも、他人を見る目でもない。

避けている、関わりたくない、そんな印象を受けた。

葵の前では、陽気な結城。そんな姿はそこにはなかった。


   ***

 向日葵が枯れた。

葵は未だに進路もこの家のことも決められなかった。

何故、祖母が私にこの家を残したのか、答えが見つからない。

結城は、向日葵の種を集めていた。

「これ、少し貰っていっても良いかな?」

「もちろん。結城のおかげで、最後まで咲いて、種を残し、未来につなげることができたんだから。」

葵も種を拾う。せめて、全ての種を拾わなくてはいけないと思った。祖母の骨を拾ったときのように。

結城との会うのは、これで最後だ。

最後だから、聞いても良いよね?結城は傷つけてしまうかもしれないけど。

「ねぇ、私、この前T大のオープンキャンパスに行った。その時に結城を見た。知らない人かと思った。」

「あー、見られたか。最後まで隠し通したかったな。でも最後だし、話そうか。俺、アスペルガー症候群なんだ。今は自閉スペクトラム症と言うのかな。どっちでも良いや。俺にとって病名なんて意味がない。簡単に言えば、他人と上手にコミュニケーションがとれない。だから親はT大に入れたかったんだ。せめて良い大学卒業しておけば、今後の人生の可能性はあるだろ?それから、夢があってもこの病気だと、実現は難しいんだよな。

今まで偉そうなこといって、ごめん。欠陥人間の俺が言うか?ってずっと思ってたよ。」

結城は申し訳なさそうに言う。

「私はアスペルガーとか良く分かんないけど、結城の言葉に助けられたし、励まされたよ。結城の言葉に嘘はなかったんだよね?それなら、謝られる理由がない。今までおばあちゃんの向日葵を大事に育ててくれて、ありがとう。」

「ハハ、幸子さん、そっくりだ。幸子さんとはじめて会ったとき、お茶に誘われて、俺、アスペルガーだからって断ったんだ。そしたら、「なんだい、それ。ババァとお茶が飲みたくないなら、そう言いな。」って怒られたんだよな。何を言っても受け入れてくれた。両親と話すことも怖かったのに、幸子さんといる間だけ、気にせず話をすることが出来るようになった。そして、言ってくれたんだ。あんたのおかげで今年も向日葵が綺麗だよ。ありがとう。って。」

結城は目に涙を浮かべている。

葵には想像できない辛い出来事が今までたくさんあったのだろう。

「それにしては、私にも普通に話していたように見えたけど。」

「幸子さんに雰囲気がそっくりなんだよ。話していると勘違いしそうになる。でもいつかおかしいと気付いて、離れていくだろうと思っていた。まさか最後まで気付かれていないとは、俺もビックリだよ。」

「鈍いって言いたいの?それにおばあちゃんと歳が違いすぎるのに、勘違するとかありえないでしょ。老けてるって言いたいの?」

葵は笑って言う。

「幸子さんは、予想してたのかな。これ幸子さんが2人で読めって。本当は渡して、俺は読まずに帰ろうと思っていたんだけど。」

結城は、一通の手紙を取り出した。

2人で開けてみる。そこには、

「どうだい、世界は広いだろう。」

と、たった1行の言葉が書かれていた。

「これだけ?」

葵は、つい言葉にしてしまう。2人で笑った。

しかし、たった1行の言葉には、たくさんの意味が込められている。


うん、分かったよ、おばあちゃん。

葵は全ての種を拾い終わる。


葵はこの家を手放すことを決めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

向日葵と祖母 @path33

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る