第42話 あなたのための物語

 怖くて教室から出られない。それどころか机から立ち上がることすら怖い。空中で飛び交う弾丸から頭を守るように俺は頭を抱えていた。


 原因は今朝の白奈から届いたメッセージだ。

 内容は俺への告白。あらゆる解釈で『彗が本当に好きです』を読み解こうとした。隠された真の意味、文章の打ち間違い、シーザー暗号、罰ゲームなど俺は純朴さを忘れて疑った。だが腑に落ちることはなかった。

 過去、白奈から告白に似たようなカミングアウトをもらった時を思い出す。あの時も気まずくはなったが今回はレベルが違う。というのもその時は「好きだった」という過去形であり、現在どうこうの話ではなかったからだ。『今は好きじゃない』と解釈できたのだ。


 正面から好意をぶつけられ困惑している。気持ちの整理がつかない。会ってほしいと言われたなら会いに行くしかない。断る理由もないが、断ったらきっと白奈は傷つく。だから俺は会いに行くだろう。

 問題はどんな回答を持っていくかだ。


「──こい……彗、帰ってこい……!」


 頭を抱えて視線を落としている俺の耳に、聞き慣れた声が入り込んだ。


「真琴か……」

「どうしたんだよ。様子おかしいぞ」

「一時的に語彙力が赤ん坊に戻ってた……お前が名前を呼んでくれなかったらと思うと恐ろしい……」


「どーんっ!」


 陽気な声とともに、俺の脳天にチョップを加えられ顔面が机にダイブする。鼻骨が折れるかと思った。


「彗らしくなーい」


 背後から二渡鶴がぬっと現れた。腰に手を当てて、憎らしい笑みを浮かべている。


「ありがとうございます。今のチョップで10年分の記憶が消えました。これで算数も出来なくなりました」

「ありゃごめん」


 さらに気配を感じ、俺は振り向いた。アリナが腕を組んで立っていた。


「なんだよお前ら。世界を救う前の登場人物全員集合ってか」

「彗、悩みがあるなら言えよ」

「そうそう。文化祭でお世話になったから力になるよ?」


 予期せぬ温かいお言葉を真琴と鶴からいただいた。

 しかし彼らに頼るつもりは毛頭なかった。これは俺と白奈の話だ。心配してくれたことはとても嬉しかった。

 

「いや、君たちには頼れん……」

「え? なんでも言ってくれよ」

「不測の事態というか、まあこれは相談できない内容なんだ」

「ちょっとちょっと、ホントに大丈夫?」


 鶴がしゃがんで俺の顔を覗き込んでそう言った。


「体調悪いなら保健室連れてくよ?」

「それはそれで楽しそうな保健室になりそうだがッ──」


 後頭部をアリナに叩かれる。


「スイカ割りのシーズンじゃねえんだぞ。俺の頭は世界一貴重なんだ、気をつけろ。俺が死んだら世界は終わり、物語も終わる」

「立って」

「断る」

「立ちなさい。3秒以内に」


 俺は立ち上がった。痛いのはゴメンだ。

 するとアリナは強引に俺の手を握り歩き出した。


「ちょっ、ちょっと待てよ、お前の握力やべえよ! 壊れる! 地球壊れる!」

「黙って」


 鶴と真琴は唖然としていた。口をぽかーんと開けて、誘拐される俺を目で追っていた。まあそうなる。俺も意味がわからん。


 廊下、階段、と覚えのあるルートを辿る。俺はその間、母親に引っ張られる息子のように何もできなかった。この女、力が強すぎる。


 元職員室、薔薇園の前に到着する。

 薔薇園は事実上なくなった。アリナには不要と判断して、寂しくはなるが同意の上の解散となった。なのにどうしてまた訪れたのだろうか。

 アリナはドアに手をかけた。鍵がかかってると思ったら普通に開いていた。赤草先生、施錠はしっかりしましょう。

 俺は元薔薇園投げ出された。


「俺を解体でもする気か。食っても美味くねえぞ」


 俺の冗談には一切の反応を示さなかった。その代わり、アリナは急接近して俺のネクタイを掴んで顔を突き出した。


「あんた、何て答えるの?」

「かひっ! 首が!」

「白奈に何て返答するの?」


 アリナはどことなく焦っているように見えた。


「答えったって……俺にはわからん……」

「あんたは白奈が好きなの?」


 波木白奈が好きかどうか。

 嫌いではないし、むしろ好感がある。可愛いと思うし、性格も優しくてつい守りたくなる。邪気なんて一切ない。中学生の頃から面識があるから他の女子より特別な存在だ。


「ラヴかはわからない……」

「じゃあ付き合うの?」

「待て、どうしそこまで追求するんだ。あと首が締ま――ぎゅぴ」


 ごめんなさい、と小さく呟いてアリナはネクタイから手を離した。

 

「あんたに前、言ったじゃない」

「?」

「あんたが付き合ったら私は消えるって」

「あぁー……」


 そういえば言った。

 あれは文化祭が終わった後だ。宇銀から「アリナが誰かと付き合ったらどうするのか」と訊かれ、俺は後日アリナに面と向かって、「お前が誰かと付き合ったら俺は離れるから安心して愛を育め」と言ったのだった。

 それに対してアリナも同様に、俺が誰かと付き合ったら自ら消えると明言した。お互いどちらが早く付き合うかの勝負みたいだな、と自虐的に笑ったことを思い出した。


 まさか何気無いあの一言が忘れられていなかったことにも驚きだが、何よりもアリナがそこに拘って、あの言葉に反するような行動をしていることが衝撃だった。

 つまり俺が付き合ったら「私はどうなるの」というような訴えだ。鈍感な俺でもわかる。


「思い出した。そんなこと言ってたな……」

「こ、言葉通り、あんたが付き合ったら私はあんたから離れていいのね?」

「そうは言ったが……まぁそうだよな。付き合ったら同性に近づいて欲しくないのは普通の感性だよな、白奈もそうだろう」

「やっぱり白奈の気持ちは受け取るのね」

「受け取るには受け取るが、まだ付き合うとは決めてねえし、俺にも心の整理というかだな……」

「でも付き合う可能性が高いのならはっきりしてないといけないでしょ。お互いの為に」


 珍しく人間臭いことを言うな、と俺はこの状況下でも冗談を胸の内に呟いた。あのツンケン毒舌女が、スカートを掴んで、目を伏せ、左下に視線を固定してそっぽを向いているのだから。冗談を考えないとこの初々しくてこそばゆい感情を紛らわせない。

 

「俺はどうすりゃいいんだ……」

「この根性なし! 自分で決めなさいよ!」


 本心に従うのが筋というなら答えは最初から決まってる。

 人の恋路に正解があるかは俺にはわからん。恋愛にマルかバツかなど存在しないだろう。

 

 恋はとても身勝手でおぞましく、それでいて儚く美しいコミュニーケーションだ。その美しき情景に自分もいてよいのなら、そうしてもいいのかもしれない。

 たった一度きりの高校生活。

 たった一度の出会いと別れ。

 堕落した帰宅部生活に少しでも光を当てるのなら、今だろう。


「俺はアリナが好きだから――白奈の気持ちには答えられない」


 自分は生きているのだと初めて自覚したような気になった。

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