第19話 無慈悲な女王

 机の上にトマトジュースがある。


 俺はトマトジュースが好きだ。

 味はもちろん、気持ちの部分も大きい。安心するというか落ち着く。

 大抵自販機で買う飲料はトマトジュースだし、好きな野菜もトマトだ。なぜこれほどまで好きなのかはわからない。人類最大の謎である。好き嫌いの基準は共通化できない。感覚に定規はないのだ。


「いつまでその缶を眺めてんのよ」


 俺はアリナと長机を挟み、面と向かって座っている。

 花に囲まれたこの空間には微かにいい匂いがする。アリナの香水という可能性もある。女子高生は香水をつけるのだろうか。俺の知識ではまずそこから始まる話なのでどうでもいいことにしよう。


「トマトジュースが好きだからだ」

「あんた様子がおかしいわ。ゾンビになる前に自分で頭を潰しなさい」

「噛みついてやろうか。一緒にあっち側へ行こうぜ」


 おかしいのは自覚している。

 加えて原因もはっきりしている。


 昨日『白奈に好きだった』と言われた。それが想像以上に俺に影響を及ぼしていた。

 今日真琴に「クスリでも使ったのか?」と冗談めかして心配された。あいつが俺みたいな冗談を投げてくるくらいだから、やはり俺の様子はおかしかったらしい。

 

「何があったか話してみなさい」

「白奈に……多分告られた」

「えっ、かなり面白い話じゃない。あんた人から好かれるのね」

「お前ほどじゃないが俺も人間として見られているようだな……いや、俺は人間じゃない。俺は銀河系最強の──」

「うるさい」

「はい」

「それで動揺してるのね。馬鹿みたい。ふふ」


 愉快そうに笑いやがった。腹立たしいことではあるがその笑みにはホッとした。

 あの日、図書室で初めて声をかけた時のアリナがこうして小さな笑みを見せるとは当時思ってもみなかった。


「俺はどうすればいいんでしょうね。白奈と顔を見合わせたら死ぬ」

「あら、死ぬのね。じゃあ今すぐテニスコートに行って白奈に会いに行きましょう」

「お前はどこまでも残酷で無慈悲だな」

「毒ある薔薇にはお似合いでしょ」

「誰か摘み取っちまえ」


 無駄話が続くのは珍しい。いつもなら無言を貫き読書する彼女が、意欲的に口を動かしている。心変わりでもしたのだろうか。

 

「そう言えば」

「なんだ」

「生徒会に所属してるあの子、名前なんだっけ」

「あ?」

「私にお礼を伝えにきた子よ。完全に名前忘れたわ」

「二渡鶴か。生徒会の書記係の」

「そう、その子から今日あんたに用があるっていう話をされて放課後来るそうよ」

「どこに? まさかここか?」

「そ」


 俺と同じクラスのはずなのに、どうして他クラスのアリナにそれを伝えるんだ。

 こうしちゃいられない。

 至る所に点在する花を回収するために俺は動いた。悪いことが起きそうな気がする。だからせめてこの花だらけの異様な空間をあるべき姿に戻す。


「ちょっと何してんの。別に片付けなくてもいいじゃない。彼女には私とあんたの関係を説明したでしょう?」

「もし鶴と一緒に誰か来たらどうすんだ。これ以上奇妙な噂を流されたくない。これはお前の為でもあるんだ」

「すごく悪役っぽい台詞ね」

「俺は正義だ。悪には染まらん」


 アリナは俺の奮闘する姿を見て呆れたらしく、口を閉じて読書に戻った。


 ガラッ。


 俺とアリナは同時に顔をドアに向けた。


「あ、あれ? 入っちゃダメだったかな」


 二渡鶴が来た。

 栗色の髪に少し乱した制服が特徴の、一見脳みその足りていないバカに見えるが彼女は学年で最も学力の優れた人物である。アリナを余裕で凌駕している。

 この空間にいる唯一の馬鹿は俺だった。幸いにも1人だけで来たようだ。


「問題ないわ。でしょ?」


 アリナが俺に目を向けた。

 俺はため息とともに両手の花を床に置いた。


「はい、もう問題ないことでいいです。どうぞどうぞ鶴さん。お入りください」

「あ、ご丁寧にどうも。ではではお邪魔します」


 鶴のために俺はパイプ椅子を持ってきて座らせた。

 俺はアリナの隣に座り、緊張気味の鶴に話を訊いた。


「それで、俺に用があって来たんだよな?」

「そうそう。噂によるとね――」

「ちょっと待ったァ!」


 アリナと鶴はビクついた。


「その噂は――恋愛がらみか?」

「ち、違うと思うけど、なんかマズイ感じ?」

「ならいい。最近心臓に悪い話ばかりで精神が弱ってるんだ。卵の殻みたいに脆いぞ」


 何を思ったのか、アリナは俺の脇腹を殴った。


「あら、割れないものね」

「卵の殻は比喩だ、バカ野郎。今ので肋骨5本は折れたぞ」


 脇腹を撫でながら鶴に向き直る。


「で、噂ってなんだ」

「彗って人の手助けをしてるんでしょ?」

「なるほど。前に説明したよな。俺はアリナのクソ悪い口調を治すためにこうして放課後に集まってるんだ。その一環としてたまに他の部を手伝ったりしてる。あながち間違ってないが、人助けのためにやってるわけじゃない」

「ついでにボランティアしてるって感じかぁ」

「その表現が正しいな」


 鶴は何かを確信したような顔をし、口を開いた。


「あのねー是非ともその彗とアリナさんの力を借りたいんだけどいいかなー?」


 上目遣いで俺に言い寄った。


「構わんが何を手伝えばいい」

「生徒会」


 ちょっと待てよ、生徒会って部活動だったか?

 あれは委員会と呼ばれる組織のはずだ。俺たちは部活動を対象としてきたのだが委員会は新たなパターンだ。できるのだろうか。


「私はいいわよ」


 静かに読書をしていたアリナは本を閉じて同意した。


「私、中学時代は生徒会にも入ってたし。ある程度はわかるわ」


 さらりと言ったが日羽アリナが生徒会にいたという話は衝撃だ。学校崩壊じゃん。その記憶があるってことはアリナが中学3年生のときのことだろう。

 ますますヤバい話だ。

 

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