第6話 うわさ

 女テニの支援から数日後。


「彗……あの噂、マジなのか?」


 授業を控えた小休憩時間中、鷹取真琴が俺の机を叩いた。怒りや困惑も混じった顔だった。


「そうだ、俺は人間じゃない。だいぶ気づくのが遅かったな」

「彗が人間かどうかなんて知るか! だから、だからあの噂……!」


 真琴は手をくにゃくにゃ動かし、何かを伝えようとしている。もしくは何かを捻り出そうと頑張っているように見える。漏れそうなら早く行けばいいのに。


「何をモジモジしてんだ。トイレに行きたいなら俺に許可を求めんな。刑務官に許可をもらいに行け」

「……彗ってさ、今誰かと付き合ってる?」


 囁くような小声で問う。俺は答えた。


「これは俺の持論だが、高校生で付き合うってアホのすることだと思うんだ。経済力もなければ地位もねぇただのティーンエイジャーが付き合ったところで——」

「あぁ、やっぱ付き合ってないんだな」


 真琴は俺の演説を妨害するように安堵の息を漏らした。


「俺に彼女がいないことがそんなに嬉しいか。安心しろ、俺は一生独り身だ。帰宅部員は自由を愛する。誰にも俺の人生に介入させない。俺は自由だ」

「いつもの調子で安心した。噂っていうのは、彗が日羽と付き合ったっていう噂。あの日羽が彗みたいな不審者と付き合うだなんて信じられなくて……」


 そんなことだろうとは大体予想していた。俺の耳にも少し入っていた噂だ。

 気にしなくともよいのだが油断できない。噂ってのは時間が経つとひとりでに事実に成り代わることがある。


「噂の発生源はわかるか」

「いや。というかマジで付き合ってないんだよな?」

「ああ。最近初めて喋っただけだ」

「そうなのか……いやあ焦った焦った。彗が血迷ったのかと思って心配したぞ」


 意外と深刻に考えていたらしい。

 彼は一度アリナに告白し、奈落の底に突き落とされた過去を持つ。だから心配したのだろう。だがそれは杞憂だ。誰があんな毒舌少女と付き合うものか。自ら精神を破壊する自滅行為に他ならない。

 テニスの件と校門まで2人で歩いたところを目撃した者が、交際疑惑として校内に流し込んだのだろう。

 俺には心理的動揺もなければダメージもないが、きっとアリナは違う。ぶち切れてるはずだ。


「私があのクズ男と付き合っているなんて噂する輩は全員溶岩に突き落としてやるわ。もしくはあのクズを解体して、臓器の一つ一つを野良犬に食わせてやる。自分が食われている様を見せながらね。泣いて慈悲を求めても許さないわ」


 とか喚いていそうで、噂が広まることよりアリナの激怒の方が恐ろしい。

 20歳になる前に天に召されるのはご勘弁願いたい。

 だんだんと不安になってきた。不安で貧乏揺すりが止まらない。

 隣クラスを覗いてアリナの様子を伺おうかとも思ったが、もう休憩時間は終わりを迎えようとしていた。

 真琴に視線を戻す。


「わかった。情報提供助かる」

「手遅れじゃなくてよかった……」


 いや、手遅れだ。アリナはキレてるに違いない。


 終始、授業に集中できなかった。

 アリナが俺の暗殺を企んでいると考えたら黒板の文字なんか頭に入ってこない。ぜんぶ引っ掻き傷にしか見えなかった。

 

 平和路線で行こう。

 まずはアリナの状態を確認しなくてはならない。怒っていないかもしれないし、もしかしたら羞恥心で頬をピンクに染めた乙女状態という可能性もある。

 ぜひとも見てみたい、乙女なアリナ。甘い現実であってくれ。


 

 廊下に出る。

 俺の顔を見た女子たちが顔を見合わせて「ほら、あいつだよ」と噂した。そうだ、俺が例のあいつだ。

 何食わぬ顔で傍を通り過ぎ、隣クラスの入り口前で立ち止まる。引き戸は全開だったから廊下から中を覗いた。


 物凄い形相で俺を睨む生徒を発見。


 俺にGPSでも付けてるのかわからないが、アリナは一瞬で俺を認識した。

 彼女は席は立たないものの、片手に持った文庫本には目もくれずに眼力で殺す勢いで俺を睨んでいた。そろそろビームでも出そうだな。


「死にたくねぇ」


 退避だ。あと10秒くらい留まっていればアリナが立ち上がる。

 振り返ると目前に白奈が立っていた。上目遣いでじっと俺を見る。


「どうした」

「……ううん」


 白奈は目を逸らして教室に入っていった。

 よくわからんが、面倒なことになりそうだ。



 チャイムが鳴り、本日も全ての授業が終わった。担任教師があれこれ喋り、そして掃除だ。

 あの噂話とアリナの殺意をどう鎮めようかと考えつつ、廊下に出てロッカーからホウキを取り出す。

 教室に戻ろうと振り返ったとき、アリナを視界に捉えた。

 長い髪を結んで左肩から垂らし、武器のように箒を右手で握りしめている。


「なるほど」


 俺は教室のドアとの距離5メートルを詰めようと右足を出した。

 アリナはこちらに向かってきている。歩行スピードから分析するに、彼女と交錯するタイミングはドアの前。

 アリナの靴音が鮮明に聞こえた。目が合い、宙に火花を散らす。こいつやる気だ。獲物を狙う肉食獣の目をしてやがる。動物ドキュメンタリー番組にアリナが出ていても何ら不思議に思わない。


 止まった。握手できる距離だ。

 互いの眼球を睨め付ける。傍らを通り過ぎた生徒らが好奇の目で俺たちを見る。そりゃそうだ。俺はいつ攻撃されてもいいように胸の前でホウキを三等分になるよう持ち、一方のアリナは杖代わりに立てている。


 戦争だ。


 懐かしい戦争の香りを思い出す。

 引き金に指をかけ、照星頂に敵の顔面を捉える。

 一度絞れば槓杆がけたたましく唸り上げ、吐き出した薬莢がダイヤモンドダストのように輝いて地上へと降り注ぐ。

 聞こえるか。

 戦車大隊が大地を揺るがし、勇猛果敢な兵士たちが足を揃えて地を蹴る音が。

 覚えているか。

 塹壕に隠れ、頭上で暴れる弾丸たちに見つからぬよう土竜のように這う屈辱を。

 まだ持っているか。

 土とも血とも区別がつかぬ汚れで見えなくなった、家族の写真を。


 という妄想をして己を鼓舞した。俺は負けない。


「アリナ。気楽に行こう」


 緊張をほぐすために軽い調子で語りかけた。平和路線でいこうと決めたからだ。

 しかしアリナの顔は微動だにしない。表情筋が固まっちまってる。


 どちらも動かないことに痺れをきたしたのか、アリナはまるで俺が今まで存在しなかったかのように目線を外して歩き始めた。

 そうだ、平和が一番だ。

 そう思った矢先に左足の脛に強烈な痛みが走り、俺は反射的に呻いて膝をついた。ホウキで斬られた。この不意打ち野郎め。

 アリナは廊下を曲がり、階段へと消えていった。




 元職員室って名前は長い。

 そう思って何かしっくりくる名称をこの元職員室で考えていたら、バゴンッとでかい音とともにドアが開いた。爆破でもされたかと思って椅子から転げ落ちそうになった。

 アリナの登場だ。


「こんにちは、アリナさん」


 俺は片手を挙げ、親しげに接しようと努めた。喧嘩気味な雰囲気を引きずったままだから柔和な雰囲気にしよう。

 しかしそのチャレンジ精神を踏みにじり、アリナは読書を始めた。

 やはり俺は存在しないのか? 

 誰にも気付かれず現世を彷徨う幽霊なのか?


 今日も女子ソフトテニス部に行こうかと考えていた。

 しかし外は雨がザーザー降っている。外ではやらないだろう。

 アリナはというと雨のせいもあってか、眉間に皺ができている。割り箸でも挟めそうなくらい深い。


「何見てんの。こっち見るな」

「そう噛み付くなよ。お前はもっと柔らかく、おっとりな性格になれば無敵の美少女になれるのになぜそうならない」


 俺の問いを無視して活字を目で追う。


「今日からこの空間は『部室』でいいか? 元職員室は長くて面倒だろ」

「これが部活とか笑えるわ」

「じゃあ他にないか?」

「ない。アレとかアソコでいいでしょ」

「ひでえ。下ネタは受け付けてないんですが」


 冗談で言った。

 が、アリナには伝わらず、死神みたいな虚無の眼に切り替わった。


「よし、じゃあ薔薇園ばらぞのはどうだ。知ってるかわからんが、お前は陰で『薔薇』って言われてるんだ」

「そ」

「美しく咲いているのに近寄ると毒で刺される。だから薔薇だ」

「そ」


 もう「そ」は禁止にしろ。


「その薔薇園って反社組織みたいにしか聞こえないわよ。あんたにはお似合いだけど」

「組にしたらヤバイかもな。ここはお前のためにあるようなもんだ。だからのお前の薔薇を入れる。そういうわけだから今日から元職員室じゃなくて薔薇――」


 俺のスマホが鳴った。真琴からだ。

 アリナに断りを入れる。中指を立てられたがOKって意味だろ、多分。


「はい、日本大使館の彗です」

「突然悪い! いま学校にいる?」

「いるが」

「助けてくれ! いますぐ体育館に来てくれないか?」

「随分と緊迫してるな。テロなら警察を呼べ。警察も自衛隊もダメなら俺が行く」

「テニス部とバド部が体育館の陣地争いで喧嘩気味になってるんだよ。白奈ちゃん、うちのバド部の女子からきつめにガンガン言われてて……辛そうだから彗に来てほしいんだよ。間に入ることくらいできるだろ?」

 

 白奈は強く言えない性格だ。

 一方的に声を荒げられたら俯いて耐えるだけになってしまうだろう。

 その姿を想像すると助けてやりたい気持ちがわいてきた。


「仕方ねぇな。すぐ行く」

「助かる!」


 通話を切り、俺は立ち上がった。

 アメコミのような正義執行の時間である。さぁ、世界を救うぞ。


「アリナ、ちょっと体育館に行ってくる」

「そ」

「お前も来るか? 世界を救う瞬間に立ち会えるぞ」

「どうでもいい」


 彼女は活字だけを追っていた。

 面倒ごとが嫌いであろうアリナには耳にも入れたくない話のはずだ。

 俺はあえて詳細は話さず、『薔薇園』を出た。

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