オカルト・タイムズ

佐倉真理

隠された時間

 高校デビューに失敗した。そう言わざるを得ない。


 高校生活が始まって一か月ほど。

 周囲の人間関係が固まっていく中、僕には一人も友達がいなかった。


 小中学生のころ、僕は友達作りに関して一切の心配をしていなかった。

 あらゆる友人は自然に出来るものだと思っていたし、無理に作った友人が本当の友人であるはずがないとも思っていた。


 そうしてあらゆる努力を投げ捨て、自然に任せるままに高校生活を過ごした結果は、だれとも話さず一日が終わる毎日だった。


 ……別に、僕はそれで不満が無い。

 喉が日に日にさび付いていく感覚があるくらいだ。僕自身には、別段なんの問題も無かった。

 ただ、僕の高校合格を喜んでくれた家族に対しては、ちょっと後ろめたい気分がある。

 家族は無邪気に「友達は出来た?」なんて聞いてくる。

 僕はそのたびに、あいまいな表情とあいまいな返答を返すしかなかった。



 きっかけはどこに転がっているか分からない。

 五月のある日。体育祭の日のことである。

 その頃、僕の楽しみと言えば、昼休みと放課後を図書室で過ごすことしかなかった。本を読むことしか、僕の楽しみが存在しなかった。


 体育祭などは僕にとっては鬱陶しい時間以外の何物でも無かった。

 ともに盛り上がる友人もいないし、別段運動が好きでもない。


 だから僕は体育祭の日、決められた競技にだけは参加し、それ以外―――応援の時間などは席を抜け出して、本を読むことにした。


 最近、リクエストが通って入荷したラブクラフトの短編集。

 それを手に物陰でひとりの時間を過ごしていた。


 控えめに言って、こじらせた高校生と言わざるを得ない。


「―――宇宙的脅威。あなたはそれに魅入られているのね」


 声が聞こえた。

 金属と金属を擦り合わせたような、ざらついた感触の女性の声。


 長い黒髪にすらっとしたスタイルの女子生徒だった。

 ただ、よく見れば顔の肌は荒れているし、髪もよく見れば枝毛が目立ち、ボサボサとしている。


 彼女は僕の困惑をよそに、隣に座り込んで会話を続けた。


「時にあなたはネクロノミコンをご存知?」

「……知ってるけど、読んだことは無いな」

「当然ね。実在しないもの」


 ネクロノミコン。あるいはアル・アジフ。死者の書とも呼ばれる。

 アブドゥル・アルハズラッドなる人物が書いた魔導書とされており、異世界から怪異を呼び寄せることが出来ると言われる。

 原本はアラビア語で書かれ、その後ラテン語など各種言語に翻訳されたという。


 ……しかし、彼女の言う通り、ネクロノミコンは実在しない。

 ハワード・P・ラブクラフトが創作したアイテムに過ぎないからだ。

 おどろおどろしい神話生物を呼び出したり、かかわった人物が怪異に巻き込まれたり。そういう物語を作る上での小道具に過ぎない。


 しかし、だからこそ想像を掻き立てられるアイテムでもあった。

 ラブクラフトは創作と言っているが、実はモデルがあるのではないか。

 実在の魔道具をベースに小説を書いたのではないか。

 あるいは、実在する奇書の中にネクロノミコンは存在するのではないか……なんて。そんな想像を。


「それで私、魔法使いなの」

「……そうか。なんというか、生きづらそうだね」


 彼女は突然の告白をしてきた。

 僕は当たり前の感想を述べることしかできなかった。


「魔法はただのファンタジーや空想じゃない。人間が生み出したれっきとした技術なの。……私は、その技術を使って世界を革命したいと思っている――――」

「革命」

「そう。つまらない、ハンコを押したような世界は革命でしか変えられない―――」

「それはいいね。何もかもひっくり返れば僕のような日陰者も報われるかも」


 僕は彼女の言葉を否定しなかった。

 努めて否定したくないと思った。

 多分、それが彼女の琴線に触れたのかもしれない。


「眞野ミコ。マーノ・ミーコ。いずれも世を忍ぶ仮の名前に過ぎないわ。それでも、名前とは根本的に記号に過ぎないもの。便宜上、そういう風に認識して構わない。それで、あなたはどのように認識すべき?」


 ……これはつまり、自己紹介をしたい、といっているのだろうか。

 それで僕の名前を教えろ、ということだろうか。


「……干乃赤冶ほしのせきや


 恐る恐る僕がそう名乗ると、眞野ミコは「セキヤ。あなたも真の名前を思い出す日が来るわ」などというありがたい託宣をしだした。


 控えめに言って、彼女は変人だった。

 面倒くさい人間と言っても良い。本来なら関わり合いになりたくないタイプの手合いである。


 しかし、それでも彼女を否定すまいと心に決めていた。

 それは、彼女のあり方にどこか憧れを抱いていたからかもしれない。

 彼女は恥じることなく、動ずることなく、そして現実に負けることなく、マーノ・ミーコと名乗る魔法使いを演じきっている。

 そういうあり方が「良い」と思った。


 思えば、なのだが。

 この時まで僕の高校生活はその半分を損していた。

 そして彼女と出会った瞬間、もう半分もドブに投げ出した感がある。

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