2 流民街の兄妹



 ロサとメアリーを【茨の館】へ送り届けた後、俺達は【聖銀同盟】へ向かっていた。


 時刻は正午過ぎ。


 メアリー手製の弁当を食ったから、腹具合はそれほど減ってはいないが、誘拐未遂事案の対応で体力を使ったし、次に何時いつ食えるか分からないから、適当な依頼を探しつつ、軽めに食っとくか…、となった。

【茨の館】からなら、新市街の〈黄金の盾〉の方が近いんだが、ティーダが【聖銀同盟】の上にある酒場の煮込みスープが食べたいと言い出して、わざわざそっちへ行くことになった。

 ちなみに、午前中の出来事をラトリッジ氏に報告したら、険しい表情を浮かべつつ、言葉は至極穏やかな調子でやんわり怒られた。


 まぁ、俺もティーダも油断してたのは事実だし、そこは反省点だな…。


【戦士の丘】でのちょっとしたいさかいが影響してるわけではないんだが、なんとなく互いに無言のままで、続く沈黙に耐えかねたのか、不意にティーダが呟いた。

「…ロサってさ」

「ん?」

「……他のエルフと雰囲気がちょっと違うよな」

「…そう、だな」

 唐突なティーダの問いかけに、兄貴もロサの不可思議な力に気付いてた事に驚いた。そんな事を気にしている素振りを見なかったし、有りていに言ってしまえば、ティーダがあの不可思議な力の事を気にするとは思わなかったんだ。


 俺と違って兄貴ティーダは素直な性格で、言われたまま、見たままを受け取り信じる。基本的に『疑う』事をしない、至って単純シンプルな思考回路の持ち主だ。

 だから、ロサの一風変わった雰囲気も、『そういうモノ』として受け入れてると思ってたんだが、そうではなかったらしい。


 少しばかり浮かない顔の兄貴を横目で見つつ、聞き返す。

「何か気になることでもあるのか?」

 俺が質問を投げると、ティーダは少し沈黙してからぼそぼそと答え始めた。その口振りは口外する事をはばかられる、と言いたげで気が進まないといった様子だ。

「ん? うん…。たまにな、彼の瞳を見てるとな、吸い寄せられるような感覚になるんだよ…」

 俺が感じた『強烈に惹きつけられる』、あの妙な感覚の事を言っているんだろう。俺の時は小魔アルフティードが警告を発したが、ティーダは野性の勘とやらで、『支配』を免れたのかも知れない。

 言いようのない、衝動にも似たあの感覚を、俺が感じたままの表現で問いかけてみた。

「……意識を…持って行かれるような感じか?」

「! そう!! …自分オレなんだけど、自分オレじゃなくなるって言うか。……ティードもあるのか?」

 驚きを満面に溢れさせ、俺の顔を覗き込むように見てくる。

 兄貴のその表情に、不安や杞憂といった色が浮かんでいたから、その視線から自分のそれを逸らし、敢えて、なんでもないことのように答える。

「…まぁ、何度か」


 俺が平常心でいれば、ティーダが安心すると思ったんだ。そうしてれば、少なくとも兄貴はだと思えるだろうから。


「そうなのか…」

 答えた俺に安心したのか、ティーダの顔色が明るくなった。

「ああ。…ロサはノーブルエルフの血筋らしいから、それが関係してるのかもな」

 ティーダが覚えてるかは別にして、【戦士の丘】で聞いたニクスの話を切り出してみる。ユーリティアと四人で話してる時に聞いた、古に隆盛を誇った、とある種族の話。

「あぁ! ニクスが言ってた、大昔に居た、…貴族ブルーブラッドってやつだな? 平民を操る力を持ってたって…確か熱病で滅んだって言ってたか…」

 ニクスの話を思い出してるのか、ティーダは顎を摩り摩り思案げに呟く。その様子に俺は言葉を続けた。

「ああ。モルガナンシン王家の双子の話し、覚えてるか? 誰もが膝を折り仕えたって…」

「…あ〜、敵対勢力ですら直接会うと自然と二人に平伏したって言ってた?」

「あぁ、ロサが貴族ブルーブラッドの能力で平民を操り、支配したと言われてる双子の嫡流ちゃくりゅうなら、同じ能力を持ってる、ってのはあり得る話しだし、…佇まいが俺達の知ってるエルフと随分と違うしな…」

「……確かに」


 俺達が知ってるエルフと言うのは、師匠のかつての冒険者仲間で俺達の面倒も見てくれていた、ララーナ・ウッドレイクの事だ。

 特にメリアルドにとっては、姉であり母のような存在で、ことある毎に彼女の世話をしてくれて、俺達にしてみれば頭が上らない存在なんだが、そのララーナの醸し出す空気感は、エルフ特有の優美なもので、上品には見える。

 この街で出会ったエルフも、皆、同じ雰囲気を醸していたが、ロサと比べると、なんというか…庶民感がある。

 モルガナンシン王家に仕えてきた名門貴族と言われるチェザーリですら、ロサの放つ圧倒的な高貴さの前ではその存在感も霞む。


「……チェザーリがロサを手に入れたがってるのは、正統な王家の血筋ってだけじゃなく、あの不可思議な力もあるんじゃねぇかな」

 今回の誘拐未遂事案は、ロサの力に気付いたナグーザーバラがロサを巡る争奪戦に参戦したってとこか…。

 俺の推測にティーダは同意するように頷いて、答えた。

「…まだ幼いロサを利用しようとしてるんだろうな。オレたちがしっかり守ってやらないとな!」

「……お前は守るもんが沢山あって大変だな」

 決意も新たに力強く言ったティーダに、俺は少々の呆れを含んだ言い方で答える。すると、ティーダは違うスタンスをとる俺に不服そうに零した。

「なんだよ、ティードだってロサの事はって思ってるんじゃないのか?」

「……まぁ、な」

 と、答えはしたが、実際はそうでもない。

 同意した答えを返さないと、口論になりそうな気配だったからそう答えただけで、俺自身はティーダほどの思いはない。


 薄情と思われるだろうが、『師匠の代わりにラトリッジ氏の力になる』と決めただけで、ロサ自身を守りたい、と言う思いはそれほどでもないんだ。


「…そっか。良かった」

 心底、安心した。と笑うティーダに、俺は何時いつぞやのラトリッジ氏に似たものを感じた。

 もしかしたら、ティーダはすでにロサのにあるのかも知れない。それがロサ自身が持つ『支配』の力なのか、彼自身の人となり『魅力』なのかは定かじゃないが、なんとなく、ティーダが、これ以上入れ込まなけりゃ良いんだが…、と思わずにはいられなかった。



 暫く歩いて通りを挟んだ向かい側の町並みが変わる。矮小で粗末な家屋が増え、道路の舗装も劣化が顕著になり、状態が良いとは言えないさまだ。

 昔の名残で道幅はそこそこに広いが、通りを挟んだ向かい側に広がる、この街ヴァイスシティの最下層地区【流民街】から、なんとも言えない異臭が漂ってくる。


 出来れば足を踏み入れたくない場所だ。

 俺の最も古く、忌まわしい記憶の殆どがこの街での出来事だから…。


 横を歩くティーダを見ると、仄かに漂う悪臭に顔をしかめている。俺的には、まだそれほどでもないんだが、自称『鼻が良い』兄貴にはこの臭いはキツイのかも知れない。

 あばら家が並ぶ向こう側を横目に歩いていると、唐突にティーダが足を止め、行き先を変えた。無言のまま、通りの反対側へ小走りで向かって行くから、慌てて声をかける。

「おい! どこ行くんだよッ!?」

「急病人かもしれないから、様子を見てくる!」

「はぁッ!?」

 ティーダが指差す方向へ視線を移すと、人間の母子の姿が見えた。身なりから【流民街】の住人だと分かる。母親の方は具合が悪いのか地面に座り込んでいて、動きそうにない。その傍には不安げに母親の様子を見てる幼い娘の姿。

 仕方ないからティーダの後を追いかける。

 行き交う人々はその母娘に無関心、もしくは関わりたくないんだろう、誰も見向きもしない。


 まぁ、【流民街】の住民を気遣う物好きなんて、余程の世話好きか、ティーダのようなおせっかい野郎くらいだろうな…。


 動けない母親を気遣いながらも、娘の方は助けを呼びたくても、どうすればいいのか分からず、オロオロと今にも泣きそうな顔で辺りを見回している。

「どうしました? …オレに手伝える事はあるだろうか?」

 ティーダの声掛けに娘が顔を上げる、一瞬、安堵の表情を浮かべるが、上背のあるティーダの大きさに臆したのか、途端に泣きそうな顔に戻った。

「……急病か?」

 ティーダの後ろから覗き込むように声をかける、またしても上背のある俺が現れた事で、娘の方は竦み上がって、声こそ出さないがポロポロと涙を零した。


 まぁ…、そうなるよな…。


 俺を顧てティーダが「ああ、そうみたいだ…」と答え、座り込む母親の背後から支えるようにしゃがみ、俺もそれに倣って向かい側に少し離れてしゃがむ。

「怖がらないで大丈夫だよ、オレたちは君を助けたいんだ」

 ティーダは声音を一層柔らかなものに変え、怯える子供に向けてニコリ、と微笑む。その人好きのする顔に、女の子はようやく安心したのか、左胸に手をあてながら呟いた。

「…かぁちゃん、ここが…いたいって」

「心臓か…。ありがとうな…、名前は?」

「……メリゥ」

「よく頑張ったな、…メリル。いい子だ」

 そう言ってティーダはメリルの小さな肩を撫でた。褒められるとは思っていなかったんだろう、メリルは驚きを見せた後、照れたように「えへへっ」と笑う。

「…あの、私は大丈夫…です…。何時もの発作で…」

「しかし、顔色がずいぶんと良くない。…楽な姿勢はこれで良いかな?」

 そう問い掛けながらティーダは、母親の体勢を自身の方にゆっくりと傾け、立てた片膝に凭れられるようにした。

「……ありがとう、ございます」

 少し楽になったのか、様子の落ち着いた母親がか細い声を絞り出す。メリルは幾分か顔色が良くなった母親の傍らにしがみつき、変わらず不安そうな視線を投げている。

「…お前の魔法でなんとか出来ねぇの?」

 母娘の様子を見つつ、ティーダに問いかけると、母親の病状では何も出来なくて歯痒いのか、目を伏せてかぶりを振った。

「オレの祈りでは…」

 俯かせたティーダの表情が苦悶に染まっていた。


 最近知ったんだが、神聖魔法でも重篤な病気を治せるらしい。

 ただ、それらの病気に対しては、神官自身の祈りの強さだったり、熟練度…所謂いわゆる、魔力的なものが関係あるらしく、今のティーダの『祈り』では、大した効果は期待出来ないみたいだ。


「あの…、もしお手間でなければ…神殿に…」

 顔色が戻り微笑む余裕が出てきたのか、母親は変わらずのか細い声で言った。その呟きのような申し出にティーダが確認するように聞き返す。

「神殿?」

「…そういや、ここにはハルーラの神殿があったか……」

 二人のやりとりを見つつ、朧気な記憶を呼び起こす。神殿のていしてる、とは言えない建物が、ここのどこかにあった…気がする。

「あぅよ! かぁちゃん、いつも、おいのりしてぅの」

「場所は? ティード、分かるか?」

「まぁ…、場所が変わってねぇなら…心当たりはあるけど」


 正直、流民街ここに長居はしたくないんだが…。

 

 真顔を向ける兄貴の『おせっかいスイッチ』は入ったままで、この親子を神殿へ連れて行く気が満々だ。渋るとまた口論になりそうだと踏んで、空覚うろおぼえの体で答えると、メリルが得意げな顔で手を上げた。

「あたし、ばしょ、しってぅ!」

「そっか~、偉いな! 案内出来るか?」

 柔らかな微笑みを浮かべて、ティーダはメリルの頭を優しく撫でた。それを見て不意に子供ガキだった頃の記憶が甦る。昔、メリアルドによくやってた仕草で、少し懐かしい気分になった。

 ティーダに褒められて、メリルは嬉しそうにフニャりと笑って大きく頷く。それを受けて、ティーダは再びメリルの頭を撫でて、母親を抱え立ち上がると「どっちに行けば良い?」とメリルを見下ろす。

 それに答えるメリルはティーダのボトムを掴んで引っ張る素振りを見せた。

「…あたしも、だっこ」

 母親を抱えてるティーダに、メリルまで抱き上げるのは不可能だ。メリルの要求に困った顔を俺に向け、苦笑いを浮かべる。

「……ティード、頼む」

「!!………」

「だっこぉ~」

 ティーダが駄目だと見ると、今度は俺のボトムを握り、メリルは俺を見上げて甘えるように催促してきた。

 思いもしない事態に、俺は押し潰した声で「………ぇ?」と答えるしか出来なかった。



 母親の言う神殿は、【流民街】中心の一角にあった。

 新市街の標準的な家屋よりも粗末な設え、掘っ立て小屋とも言える外観で、やはり『神殿』の機能を有しているようには見えない。

 入口の扉の上に、ハルーラの御印が掲げられてるから、辛うじて神殿だとわかる。


「ティティ! ついた~」

 俺に肩車されたメリルが得意げに神殿を指差し、俺の頭に半身を乗せて、隣を歩くティーダに呼びかける。そのメリルの不意の動きに重心をそっちに持っていかれて、バランスを崩して彼女を落としそうになり、慌てて体勢を戻す。

「ッ…おい、身を乗り出すな、危ねぇだろッ」

「だぃじょぶ、テッド、おとさない、でしょ?」

 小さな手には丁度いい大きさなのか、俺の角を操縦桿のように握って、メリルが俺の顔を覗き込む。彼女の目には俺への信頼感が煌めいてるのが分かったんだが…。


 乗ってるやつ次第なんだよ…、この体勢。


「俺に落とすつもりが無くても、お前が暴れると落ちんだよ…」

 強く言い過ぎてまた泣かれても鬱陶しいから、ちょっとだけ睨んでやんわり言うと、メリルは口を尖らせて俺の顎に両手を回し、しがみ付くように俺の頭を抱え込むから始末が悪い。

 

 苦しい…。

 それに、こいつ…なりは小さいクセに、まぁまぁ重い…。


「あはははっ、すっかり懐かれたな~」

 俺とメリルのやり取りを見ていたティーダが暢気に笑って言って、メリルの母親も弱々しくはあるが安堵の笑みを浮かべる。

「……ありがとうございます、娘の…我が儘を叶えてくださって…」

 呼吸の苦しさはまだ残ってるみたいだが、随分と落ち着いたようだ。俺達が見つけた時より顔色が良くなってる。

「…いや、まぁ、……これくらいは大した事でもねぇし…」

 穏やかに微笑む彼女のその瞳には薄らと涙が浮かんでいて、彼女らの生活の様子が少しだけ想像出来た。


 こんな、が涙を浮かべるほどの『出来事』なんだろう。

 母娘二人、身を寄せ合いその日暮らしの最低な環境。食い扶持の頼りは、充分とは言えない『神殿』の施しだけで、娘はいつも腹を空かせてる。

 彼女らを養うはずの夫は、貧しい生活の中で疲弊し半年前に蒸発したらしい。


 ここに嫌気が差して逃げたか、攫われたか…。

 ……蛮族に喰われた、か。


 俺がメリルを肩車するに至ったのも、突然、居なくなった父親の面影を俺に見たらしく、渋々抱き上げた後、メリルが『もっとたかく! かたぐぅま〜!!』と言い出して、母親のアリシアに『お手間でなければ……』と言われて、仕方無しにしてやる事になった。


 神殿を前に、降りるのが嫌だ、とグズるメリルを肩から降ろし、手を引いて神殿の扉を開くと、中は簡素な造りで、大柄の大人が二十人ほど入れば窮屈に感じるくらいの、それほど広くもない礼拝堂だ。

 余所よその神殿で見るような豪奢な祭壇や、神の姿を模した彫像は無く、礼拝に訪れる信徒が座る長椅子も無い。木目も露わな薄そうな板壁に、ハルーラの御印シンボルが掲げてあるだけの粗末なものだった。

 室内には数人の信徒らしき奴らが、楽しげに談笑しつつ何やら作業していた。その中心に神官らしき女が居る。

 そいつがこちらに気付いて顔を上げ、笑顔を見せるんだが、ティーダが抱えてるアルシアの姿を認めて気遣うように歩いて来た。

「…アルシア!? 来る途中で具合が悪くなったのね」

「…ゼシカ様、……すみません」

「彼女を休ませられる所はありますか?」

 ティーダがそう言うと、ゼシカと呼ばれた神官は即座に答えた。

「そうね、奥の部屋に…」

「…いえ、そんな。…ここで構いませんから」

「無理は良くないわ。…ティダンの方、お願いできますか?」

「ええ、勿論」

 遠慮するアルシアを余所に、ゼシカとティーダは礼拝堂の奥の扉から出て行き、残されたメリルは、俺の足元で不安気に呟いた。

「……かぁ…ちゃん」

「お袋さんとこに行くか?」

「…ん」

 俺の問いかけに小さく答えて、小さな手を握り締め、俺を見上げて消え入るような声で言った。

「…テッドも、いく?」

「ああ、一緒に行ってやる。……来るか?」

 そう言いながら俺は床に膝を着き、メリルを迎え入れるように腕を広げて屈む。俺を見る彼女の目が不安げで、思わず口をついて出た言葉だった。

 俺の問いかけに、メリルは口をキュッ、と固く結んで小さく頷き、何も言わずに俺に抱きついた。心なしか震えてるような気がして、彼女の背を撫でてやる。


 母親が寝台ベッドに運ばれるほどに具合が悪い、と幼いなりに認識して、急に恐くなったのかもしれないな。


 メリルを抱き上げ、奥へ続く扉をくぐり廊下へ出る。向かい側に扉がいくつかと、台所キッチンだろうか扉の無い入口がひとつ並んでいる。廊下の中ほどにある部屋の扉が少し開いていた。中に入ると、アリシアはそれなりの寝台ベッドに寝かされ、寝具を掛けられたところだった。

 俺に抱えられてる我が子メリルの姿を見て、ニコリ、と薄く笑う。

「…メリル、ごめんね……」

 その言葉に、メリルは言葉にはならない、押し殺した返事を返しながら頭を振る。

「お袋さんの傍に居てやれ…」

 そう言いながらメリルをアルシアの側に下ろした。俺を振り返り見てから、靴を脱ぐと寝具の中に潜り込み、メリルは母親の身体にピッタリとくっついて添い寝すると、ポツポツと子守歌らしきものを歌い出す。


 母親に毎晩して貰ってるんだろうな…。


 寄り添う母子を残し、俺達は部屋を出た。

 礼拝堂に戻ると、ゼシカと共に作業をしていた奴らが、口々にアルシアの容態を聞いてきた。よく見れば、まだ成人前の子供ばかりで、こいつらにとってもアルシアは近しい身内みたいな存在なのかもしれない。

 子供らにアルシアの容態を伝え、作業に戻るように言うと、ゼシカは俺達に向き直り改めて礼を言ってきた。

「アルシアを助けて頂いて、ありがとうございました」

「いえ、オレたちは何も…。申し遅れました、オレはティーダ、こちらは弟のティードです」

 謙遜を返しつつティーダが名乗って、俺は会釈だけを返す。俺とティーダを交互に見た後に、ゼシカも改めて名乗った。

「私はここを預からせて頂いています、ゼシカと申します。あの…お二人は冒険者…の方ですか?」

「ええ、そうです」

 ティーダの答えに笑みを零し、すぐに顔色が翳る。俺は彼女が何かしらの問題を抱えてるんだと見取って、ゼシカに問いかけた。

「……何か困り事でもあんのか?」

「…あの、ここは神殿とは名ばかりで、見ての通りの有り様です。依頼に見合った報酬をお支払いすることは出来ないのですが…」

「構いません。オレたちをここへ導いたのがハルーラの神意なら、それもまた、ティダンの御心みこころでしょう」

 やけに神官返しをするな…、と思ってティーダの顔を覗き見れば、の澄ました横顔をしていて、『…だろうな』と思ったんだ。


 助平野郎め…。


 ティーダの言葉に、ゼシカは胸を撫で下ろし、依頼の内容を話し始めた。

 この神殿には、ゼシカの他にもう一人、ロクサーヌと言う神官が居て、数日前に出掛けたきり帰って来ないらしく、探して欲しいと言うものだった。

 出掛け先は【恐ろしの森】、鬱蒼とした薄暗い森で獰猛な野生生物や幻獣が彷徨うろつく、危険な森らしい。

 ゼシカの説明を受けて、ティーダが眉根をひそめて言った。

「…なぜ、そんな危険な森に一人で行かせたんです?」

 その言葉には、薄く批難の感情が乗っていて、ハルーラ神官の軽率さを諌めたモノだった。

「……あの森には〈金蝶花〉という、薬草が自生していて…」

「〈金蝶花〉? …万病に効くってやつか?」

 聞き覚えのある薬草の名に、ゼシカに問いかけると、彼女はコクリ、と頷く。

「…ええ、そうです」

「知ってるのか?」

「え? 否、詳しくは知らねぇけど…」

 俺の隣で〈金蝶花〉と聞いても、ティーダは、ぽやっとしていて、俺に問いかけてくる。野伏レンジャーの知識と技能を噛じってる兄貴ティーダは薬草類に詳しいかと思ったんだが、どうやら知らないようだった。

はお前の専売だろ…」

 呆れたようにそう言うと、ティーダはとぼけた顔して答えた。

「メリアに初歩的な煎じ方を教わっただけで、薬草類に関してはそんなに詳しくないぞ?」

「……。前にギルドで見た常設依頼の中にあったじゃねぇか」

「…ん? …あ〜、何時でも良いから集めて持って来いってやつだったか?」

「ああ。…で、何故、ロクサーヌは一人で行ったんだ?」

 相変わらずぽやっとしてるティーダに対し、呆れを多分に含んだ溜め息をき、雑に答えてゼシカに説明の続きを促す。

「…緊急に〈金蝶花〉が必要になったんです。エミーの為に」

「エミー?」

「……ええ」

 ゼシカの説明では、近所に住むリカントの兄妹の妹の方が、急な熱病に罹患したらしく、治療のために〈金蝶花〉が必要なんだが、この高価な薬草を買うだけの金が、その兄妹にも神殿にも無く、ロクサーヌが【恐ろしの森】へ採取しに行く事になったらしい。

 ゼシカの依頼は、この〈金蝶花〉の採取とロクサーヌの捜索だった。


 確かに無償タダで請け負える『依頼』じゃねぇな…。


「報酬の代わりと言ってはなんですが、ここのお部屋を何時でも一室無料でお貸しする事くらいしか出来ないのですが…」

 申し訳無さそうに『報酬』を提示したゼシカに、ティーダは何時もの調子で言葉を返す。

「そんなことはないです、充分な報酬ですよ」

「………。じゃぁ、そのロクサーヌって神官の見た目とか教えてくれよ」

「…ありがとうございます!」

 依頼を受ける気満々のティーダの様子に、俺は『タダ働きか…』と内心で独り言ちて、ゼシカから消えた神官の詳細を聞き、俺達は神殿を出た。



 神殿を出ると、俺達を待ち受けるように浮浪児達ストリートチルドレンが群がって来た。それぞれの手には、ヨレヨレの新聞紙ニュースペーパーやら、黄ばんだ白い紙の包みを持っていて、それを一ガメルで買ってくれ、と口々に言う。


 包みの中身はろくなもんじゃねぇな…。


 面倒だから、俺はそいつらを無視して通り抜けたんだが、案の定、ティーダは立ち止まり子供ガキ達に取り囲まれた。

「ねぇねぇお兄ちゃん、これクッキーなの~、買って~」

「こっちのは生地に混ぜたスコーンだよ!」

「これはね、ケーキだよ、おいしいよ!」

 それぞれが『商品』の売り込みを掛けてるんだが、【流民街】の住民が、な材料を真っ当な手段で手に入れられるなんて考えられない。

 材料を買う金が無いからだ。

 その日の食い物を手に入れられれば御の字、底辺も底辺の生活で、そもそも収入が少なく、最悪、無い場合もある。

 子供ならなおさらだ。


 大抵が廃棄された残飯を漁って来たか、盗んで来たか、…だろうな。


 そんな現状を知らないティーダは、子供らの勢いに圧されて、苦笑いを浮かべつつ答えた。

「うん、うん。分かった、分かったから、押さないでくれないか? 一人からひとつずつ買うからな〜」

 その言葉に、子供らは嬉しそうに笑って、ティーダから一人一ガメルずつ受け取り、子供達は満足げに何処かへ消えて行った。ティーダの手元に残ったのは、正体不明の菓子が六つ。包の一つを開くと、中から出てきたのは、は、比較的まともなクッキーだった。

 それを見て、ティーダの表情が緩む。


 甘い菓子に目がないんだ、こいつ。


 放って置くとそのまま食い付きそうだったし、不用意に喰って腹を下されても困るから、慌てて制止した。

「…お前、それ喰うつもりじゃねぇよな?」

「え? …でも、美味しそうだぞ~」

 クッキーをひとつ摘んで口へ運ぼうとするから、ヤツの手首を掴んで強めに押しとどめる。

「…お前の金で買った物だから、絶対に喰うなとは言わねぇ。けど、今は喰うな!」

「え~、小腹が空いてるんだがな〜…」

 俺の様子を只事ではないと感じ取ったのか、ティーダは素直に俺の要求に応えた。

 残念そうにそう言って、摘んだクッキーを包み紙の中に戻すと、腰に下げた革鞄ヒップバッグに入れて、『これで良いか?』と言いたげに笑うから、俺はそれに無言で頷き返した。


 再び歩き出した時、後ろから声をかけられた。振り向くとリカントの少年が立っていて、緊迫した面持ちで俺達を見ている。

「ティダンの神官って、…どっち?」

「ん? オレだけど…何か用かな?」

 ぶっきらぼうな少年の問いかけに、俺達は顔を見合わせ、ティーダが何時もの笑みを浮かべて答えた。それに思い通りの回答を得られて満足したのか、少年は、ふっ、と一息ついて歩いてくる。

「ああ、やっぱりアンタか。…さっき、子供たちから菓子を買わなかった?」

「ああ、うん。買ったよ? 君も何か売りに来たのかい?」

「否、アンタが買ったモノを返してくれ、金は返す」

「え?」

 手のひらを差し向けて『返品』を促す少年に、ティーダが面に困惑を浮かべて、それを見取った少年は慌てた様子で兄貴に詰め寄った。

「まさか、もう喰っちまった!?」

「否、まだ食べてないが…、どう言う事か、説明してくれないか?」

 少年の様子から何かを悟ったのか、ティーダは変わらない笑顔で尋ね返すんだが、その至極穏やかな笑顔が、逆に少年を威圧してるようにも見える…。兄貴にそんなつもりはないんだろけど。

 ティーダの答えに少年は、安心したように溜め息をくと、クロードと名乗り、ポツポツと説明を始めた。


 さっき俺達を取り囲んだ子供達は、彼が面倒を見ている浮浪児達で、ある目的のために金が必要で手当たり次第に菓子を売り付けているらしい。

 その目的というのが、クロードの妹の治療代と言う事で、さらに詳しく話を聞くと、さっきゼシカから聞いたエミーの兄だという。ティーダを見れば、我が事のように深刻に受け止めていて、俺達はエミーの病状を診るためにクロードの住まいに向かった。

 因みに、菓子の材料は俺の予想の斜め上を行くモノで、ティーダには直ぐに破棄するように促し、兄貴は素直に従った。



 クロード兄妹の住まいは神殿から少し歩いた裏路地にあった。

 隙間だらけの板壁に一応の屋根、掘立て小屋とも言えない雨風を凌ぐのが精一杯の貧相な小屋だった。

 うっかりすると壊してしまいそうな貧弱な扉を開いて中に入ると、隙間風を防ぐためか、内側には大判の布が何枚も掛けられてあった。

 クロードに続いて入って来た俺達を見て、さっきの子供達が驚いた顔を覗かせ、瞬時に緊張した面持ちに変わる。騙された事に気付いた俺達が、金を取り戻しに来たと思ったんだろう。それを察知したクロードが子供らを落ち着かせるように、穏やかな口調で話し掛ける。

「大丈夫、この人たちは俺たちの味方だ」

 穏やかでありつつ力強いその一言に、子供達はそれぞれ安堵の表情を浮かべた。

 子供らが囲うベッド代わりの壊れたソファーの上には、クロードに似た顔立ちの少女が寝ていて、苦しそうな寝顔をしていた。エミーの世話をしている少女が熱冷ましの水布巾を取り換えて、ソファーの側に歩み寄るティーダを見上げた。

「エミーの病状を診させて貰っても良いかな?」

 ティーダがその少女に声をかけると、彼女は黙ってコクリ、と頷き、場所を変わる。周りを囲む子供達に目をやると、一斉に息を飲む。彼らの顔には『エミーを助けて欲しい』と言う一途な願いがある。

「…どうだ?」

「……うん、ゼシカさんから聞いてる通り…、膠原病の一種なんだと思う」

「…お前のでは治せないんだな?」

 俺の問い掛けに、ティーダは振り返る事なく無言のまま頷いた。その後ろ姿は己の不甲斐無さに憤っているように見えた。

「…にぃ…ちゃ…ん。……お…にぃ…ちゃ……」

 熱に苦しみ譫言うわごとを繰り返すエミーに、クロードは彼女の側に座り手を取ると、安心させるように言葉をかける。

「ここに居る。そばに居るよ、大丈夫だから…」

 クロードの声掛けに気付いたのか、エミーは薄く目を開くとクロードを見て弱々しく笑う。兄に心配かけまいとする彼女なりの精一杯の気遣いなんだろう。

「…ご…めん…ね。…病気…なっちゃって……」

「良いんだ、気にするな。大丈夫だから、兄ちゃんが治してやるから! だから…」

「……ん、…がんばる…ね」

 何日も熱に苦しむ妹に、さらに『頑張れ』と言えず、クロードが飲み込んだ言葉をエミーが継いだ。

 その言葉にクロードは彼女の手を握り、頭を優しく撫でると「必ず治してやるから…」と何度も呟きを繰り返した。

 その兄妹のやり取りを間近に見て、何も出来ないティーダは悔しそうに口を固く結んで、俺をチラリと見る。その瞳には『絶対に助けるぞ』と、奴の決意が見て取れた。


 クロード兄妹の様子を見て、ティーダも思い出したんだろうな、メリアルドが熱病に罹った時のことを。

 息苦しそうに眠るエミーの姿に、幼い頃のメリアルドの姿が重なったんだ。

 彼女もこれくらいの年頃に熱病に罹患したことがあった。

 俺はクロードと同じくらいの年頃で、熱に苦しむ妹を前に、何も出来ない自分の無力さを恨んだ。

 あの時は師匠やティーダ、ララーナが献身的にメリアルドの看病や治療に奔走してくれて、俺の妹メリアルドは回復したが、俺は傍に居て、熱冷ましの氷枕を替えてやるくらいしか出来なくて、早く大人になりたいって思った事を思い出した。


 クロードを見ると、あの時の俺と同じ顔をしている。


 現状をどうすることも出来ない子供達は、皆が意気消沈と暗い顔をしている。外の喧騒が響く小屋の静けさを、俺の一言で破った。

「…【恐ろしの森】って知ってるか?」

 一斉に顔を上げたそれぞれのおもてには不意を突かれた驚きがあって、皆が俺に注目している。ティーダだけが怪訝の色を浮べて、俺の次の言葉を待っていた。

「……案内出来る奴は居ねぇのか? って聞いてんだよ」

「! ティード、この子らを連れて行くつもりかっ!?」

 怪訝を焦りに塗り変えたティーダが立ち上り、俺に詰め寄る。感情的な反応を示す兄貴に、俺は極めて冷静に答えた。

「……行きたい、って言う奴が居るならな」

「駄目だ! こんな幼い子らを危険に晒す事は断じて出来ない!!」

 想定通りの台詞が返ってくる。今にも掴みかかって来そうな勢いと、あまりにも兄貴ティーダらしい言い分に、少し呆れつつ肩を竦めて俺は答えた。

「……確かにな、俺達だけで行くのが効率も良いし、何かとラクだ。だが、今、俺達だけでエミーを救えたとして、この先、別の誰かが熱病になったら?」

「それ…は…」

「次もお前が助けんのか? 出来ねぇよな? 俺達はだからな」

「………」

 黙り込んだティーダに、俺は容赦なくを畳み掛ける。

 ここの現実を知らない奴に、それを知らしめるように。

「でもな、こいつらは、これからも流民街ここで、自活してかなきゃなんねぇんだよ、守ってくれる大人は居ない! 俺達みたいな冒険者が、そう都合よく現れるなんて事はねぇんだ。だったら、今、俺達が出来ることは、こいつらに、この局面をどう乗り切るか教える事くらいだろ?」

「ティードの言い分も分かるが、それにしたって危険過ぎるだろ…」

「ああ、危険だな。下手すりゃ死ぬかもしれねぇ」

 俺の一言に場の空気がザワついた。年少の子らに至っては、今にも泣き出しそうな顔を俺に向けている。

「それが分かってるのに、この子らを連れて行くのか…?」

「ああ。希望するならな」

 クロードをチラリと見ると、何か言いたげに視線を投げて来るが、それには答えず、言葉を続ける。

「それに、今、森での立ち振舞いを教えておけば、この先、何かあった時にこいつらだけで〈金蝶花〉の採取に行けるようになんだろ?」

「………」

「…それとも、お前は、今後もここに居て、こいつらの面倒が見れんのか?」

「ッ! それは……」

 俺のトドメの一言にティーダは黙り込み、苦々しく表情を歪める。


 こいつのお節介は、基本的にやりっ放しで、後の事まで考えてない。

 と思ってるからだ。

 確かに、大抵の場合はそれで良いだろう。でも、今回の事案ケースはそれじゃ駄目なんだ。

 普通の街で、通りすがりに子供を手助けする。なんて生易しい親切じゃ…。


 今、子供達に必要なのは、で生きて行くための知恵と技能、かつての俺のように。


「…その森なら、ロクサーヌについて行ったことがある」

 そう言って、クロードが手を上げた。

 俺達の口論に気圧された子供達は、その勢いに竦み上がって、いつの間にか部屋の隅で肩を寄せ合っていた。

 その子らを守るように立っているクロードの横から、同じ歳くらいの少年が手を上げ、クロードと頷き合った。

「自分の身は自分で守るから、連れてって欲しい!」

 勇敢な少年二人に、俺は『…だとよ』と笑ってティーダを見る。そこにあるのは、やはり困惑だった。

「……しかし…」

 俺と見合って唸るように呟く。ティーダにしてみれば、幼年の子らを守る『義務と責任』を負う事を躊躇してるんだろう、責任感の強い奴だから。

「…こいつらのことは俺が面倒を見る」

 ティーダが勝手に背負い込んだ『責任』を、俺が持つつもりで言った言葉だった。【流民街】で生きるクロード達に、かつての自分を重ねて、彼らの力に成りたいと思って言った言葉でもあった。


 恩返し…なんてつもりはないが、幼い俺が親父に拾われるまで生き延びれたのは、ここの人達の手助けがあった事は間違いないから。


 俺の言葉にティーダは少し意外だと言いたげに苦笑いを浮べ、一息いた。

 兄貴にしてみれば、面倒をみられていた俺が『誰かの面倒をみる』と言い出すなんて思いもしなかったんだろうな。

「…ティードがそんな事を言うようになるとはな…」

 やれやれ、と譲歩の笑みで俺を見て頷き、クロード達に視線を遣ると、確認するように慎重な面持ちで問いかけた。

「…本当に良いんだな?」

 ティーダの『覚悟』を問う言葉に、少年二人は意を決したのか、精悍な面構えで頷いた。


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