拝啓、お父さん
鶴丸ひろ
第一話 私の悩み
未だに、父に受験をすることを伝えられていない。
五月に入り、高校三年生になって一ヶ月が過ぎたにもかかわらず、机の上に置かれた「進路希望調査用紙」の保護者氏名欄は空白になっている。勝手に親の名前を書いてやろうかと、私、
本が好きで、言葉について勉強したかった。
そんな単純で、純粋な理由で、私は大学で
なのに、どうしてこんなことになっているのか。
原因は自分だ。――それは私が一番分かっている。
もともと、父は私が大学に行くことを応援してくれていた。私も高校に入った当時は、大学に行くつもりでいたし、だからこそ一生懸命勉強もしていた。
けれど、2年前に、大学に進学するのは止めると、私から父に伝えたのだ。私から、である。父は多少驚きはしたけれど、反対はしなかった。
だから、父は私が高校を卒業したら就職するつもりでいると思っているはずだし、何より私もそのつもりだった。
なのに。
なのに、先月の進路希望調査で「進学」の希望を出してしまったのだ。――父に言わずに。
もちろん、受験したいという気持ちは嘘ではない。行きたい大学もあるし、やりたい勉強もある。大学を目指すという気持ちは本物だ。
それに、今から受験したいと言っても、父は反対しないと思う。
「反対なさらないと思うのなら、すぐに伝えたらいいじゃない」
私の向かい側に座っている
オードリーヘップバーンに負けず劣らずの整った顔をした英梨華。マライアキャリーもビックリの金髪をさらりとなびかせて、
「そんなことでいちいち悩んでいたら、勉強に集中できないでしょう」
ご名答。
全くもってその通りだ。今の私がするべきことは、さっさと父に受験する旨を伝え、受験に専念する環境を作ることだ。
それは、分かっている。
「分かってんねんけどなぁ」
ペン尻でこめかみをかく。頭で理解していても、行動が追いつかないことはたくさんある。
私の煮え切らない態度に、英梨華が眉を寄せた。
「あなたまさか、いざ受験勉強を始めたら、嫌になってしまった、とかではないでしょうね。あんなに真剣になって日本語の勉強をしたいって言っていたのに、気が変わってしまったなんてことは」
「ちゃうって」
私は両手を手を振って否定した。
「受験するって決めたんはホンマ。やりたいって思ってるのもホンマやねん。そこやなくて、なんというか、――父ちゃんに言うのがなんか、言い出せへんっていうか。うちから受験せえへんって言ってたくせに今更っていうか、」
「お父様に遠慮しているってこと?」
「まあ、それもあるんやけど、……でもなんかそういうわけでもなくて」
髪をくしゃくしゃとかきあげる。
今の気持ちを、私自身はっきりと理解できていないのだ。受験をしたいという気持ちは本当だし、父に伝えるべきだということも本当だし、そして父も反対しないということもきっと間違っていない。
だけど、私はそのことを言い出せない。
どうしてなのか、明確に表現できないことが私は悔しい。
日本語を大学で学びたいと思うくらい国語が好きで、言葉にはそれなりに自信があったはずなのに。
英梨華は怪訝そうにこちらを見ていたが、私の表情に本気の悩みの色を見てとったようで、小さくため息をつくと、
「まあいいわ。それぞれ家庭には事情があるだろうから、私は何も言わない。でも後になって受験はしない、なんて言わないでよ。私だって、文嘉さんと一緒に勉強するって約束して、そのつもりでいるんだから」
「分かってる」
「じゃあ、さっさと国語の教科書を用意してちょうだい。今日は小説問題の解き方を教えてくれるんでしょう」
やるところをリスト化していたらしい。国語の教科書にポストイットでメモしているところも、英梨華の几帳面さが伝わってくる。
「そうやな」
私はカバンから国語の教科書とノートを取り出す。
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