かわいいあの子

 三杯目のお茶をすすって、一息ついた。

 店内――しばらくご無沙汰している間に、ずいぶんとメルヘンな店名に変わっていた――にいるのは、俺とリュウさんの二人。

 自分の日常には、あんなにお若いお嬢さんは存在しないので、ようやく肩の力が抜けたというのが正直なところだ。店の名前もあの少女がつけたものらしい。なるほど実年齢どおりの、瑞々しい感性というわけだった。

「お菓子も食べる?」

「いや、いいですよ。あんな若い子じゃないんだから」

 リュウさんが新しい菓子の封を切ろうとするので、慌てて断る。

 少女は日没のちょっと前、ちょうど二杯の紅茶を飲み終える頃に帰って行った。

「うん、普通のお茶だ」

 お茶請けの菓子もなしに、ただ出されたお茶に口をつける。強い癖も香りもない、すっきりとした味の紅茶だった。

「普通って。さっきまで飲んでたのも、普通のお茶だよ」

「そうですか? なんか変わった匂いがしましたけど」

「ああ、茶葉に金木犀が混ざってた」

 この人、また嗜好品に凝り始めたのだろうかと思いながら、もう一口茶をすする。

「スウちゃんが好きなんだよね、あれ」

 のんびりと笑って、リュウさんは言った。


「ずいぶんと、お気に召しているようで」

「そうみたい。僕もシンプルなお茶の方が好きなんだけどね。そもそもどちらかと言えば、コーヒーの方が……」

「お茶じゃなくて」

 相手が好ましいと思うお茶やお菓子を用意するほどには、この人は。

「リュウさん、お気に入りみたいですね。あの子。中野澄花さん」

 リュウさんは瞬いた。

「そうだね。いい子だし」

「まあ、それは。澪さんも言ってましたよ」

「あと、魔眼持ちでしんどい思いもしてたみたいだしね。深入りしたかなとは思ったけど」

「助けてあげたのは、良いことです」

「……文彦くん、なんか気に入らないことでもある?」

 俺の受け答えは、冷たく聞こえたのだろうか。別に冷たくしたわけではない。色々と、思うところはあるけれど。

「あ、あれかな。年寄りが若い女の子に鼻の下伸ばしてるみたいで、みっともないって思ってるとか」

「それは、まあ、この際置いておきましょう。悪手を打つと通報ものですけど、そういう話をしたいんじゃないし」

 穏やかな笑顔で、リュウさんは話の続きを待つ。

 さすがにあの少女ほどではないにしても、俺だってリュウさんにしてみればまだ子どもみたいなものだろう。

 この人は生きた年月としても、魔法使いとしても自分のはるか先を行く。

 その人に、俺は問う。


「あの子のこと、どう思っているんです」

「可愛い子だよ」

 即答。嘘偽りないのだろう、その言葉には。

「どういう意味で?」

「え。そのままの意味に決まってるじゃない」

 可愛い。

 幼さが。容姿が。放っておけないから。愛おしいから。

「可愛いにも、色々あるでしょうに」

 『可愛い』の一単語に込める意味は、感情は、あまりにも多く、複雑だ。

「うん。スウちゃんはね、雛鳥みたいに可愛いと思うよ」

 雛鳥ときたか。

「あれ、可愛いですか? 大口開けて、羽毛もまばらで」

「ひよこなんて、可愛いじゃない。ふわふわしてて、撫でてあげたくなるよね。あと、放っておけない感じ。そうだな、猫とか犬とか、もう可愛らしければ何でもって感じかも」

「そういう感じですか」

 愛らしいだけの動物に例えられて、喜ぶこともあるだろうけど。

「あ、もしかして不用意に『可愛い』とか言っちゃうと、良くないって話をしてる? 確かに、何度か釘を刺されたんだけど。反省しなきゃかな」

「まあ、正しいですね」

「でもスウちゃん、可愛いって言うと結構、嬉しそうにするよ。だから嫌がってるとかは、ないと思うけどな」

 変わらずのほほんと、笑顔でリュウさんは言った。


「あんたそれ、わかっててやってます?」

「なにが」

「あの子に初対面だった俺が言うのも、なんですけど。言っちゃいますよ」

 リュウさんは、身構える様子もなかった。

「彼女、リュウさんのこと好きですよ」

 俺が突き付けた言葉に、リュウさんはほんのわずかに、視線を下げて。

「やっぱり、そういうこと?」

 曖昧な、言い方だけど。リュウさんは否定しなかった。

「気づいてたんですか」

「うーん」

 真剣に考えているのか、いないのか。小さく唸るリュウさんの言葉を待たずに続けた。

「初対面の俺でも気づくくらいに、わかりやすかったですけどね。あれに気づかないようなら、長生きしたところで、勘なんて鍛えられないんだなって感じですけど」

 三百年の積み重ねの前には、鈍感だからという言い訳なんて効かないと思うのだ。

「会いに来てくれるのは、嬉しいよ。僕と楽しそうに話したり、褒めたら嬉しそうにしたりね。好かれているんだろうなとは思うよ、それは」

「一応自覚は、あったんですか」

「あったら優しく……君なんかは、気をもたすって言うのかな。したら、駄目かな」

「……応えるつもりがないなら。あんまり、良いことだとは思いませんね」

 リュウさんは、小さく息をつく。

「だからなるべく、考えなかったんだけど」

「どういう意味です」


「だって、安心して可愛がれなくなっちゃうじゃない」

「あー……」

 納得と、そしてわずかに呆れ。

 縁あって仲良くなった者同士の温かい交流が、微笑ましい間柄が変わってしまうとすれば。

 それは踏み込んだ関係を求めた時。

 よくあることだ、人間関係においては。

「あんまり面倒くさいこと考えないでさ、ただ可愛い可愛いってして、癒される存在ってあるでしょ。愛玩動物とか」

「愛玩動物にだって、愛情も責任も発生しますけどね。ペットだろうが使い魔だろうが、ただ可愛がるだけじゃ駄目でしょうに」

 テーブルの下で、おとなしくしている使い魔の白夜。主人との結びつきが強い生き物。

 人と違う生を生きる中で、戦場の悪夢にうなされた時、家族に捨てられた時。自分も己の使い魔のヨルコに、ずいぶんと救われた。

 ただ、それだけじゃ満たされない、埋まらないものを。この人は、責任のない愛らしいだけでいてくれる存在に、求めて。


「そうか、確かに。それにいくら何でもこのたとえは、スウちゃんに失礼か」

「……失礼なのは、向き合おうとしないことじゃないですかね」

「言ってくれるね、文彦くん」

 お説教されるとは思わなかった、と言うリュウさんは声を荒げたりはしなかった。

「わかるかな、きみに」

 だけど静かに。俺よりもずっと永く生に囚われるリュウさんは、それだけ言った。

「いや……すみません、生意気でした。向き合うのが難しいことは、わかってるのに」

 生きる時間が違う。

 それは『よくあること』ではないから、お互いに踏み込もうとするのはもっと難しくなってしまう。

「その辺、寿命の違う旦那さんと連れ添った南波はすごいよね。僕には無理だ」

 無理、なのか。リュウさんには。


「スウちゃんにあの日、声をかけて。それきりかなと思ったのが、縁ができて。その縁をあの子が大事にしてくれて、いつの間にか、傍にいるようになって」

 出会いを振り返る言葉の端々に、何かしらの想いが込められているような気がするのは、思い込みだろうか。

「うん、可愛いね。一緒にいるのは楽しいし、孤独じゃない」

 相変わらず、リュウさんは微笑む。

「でも、それだけじゃ駄目だって言うんでしょう」

 もし少女の想いが、抑えきれないほどに膨らんだら。動物のように、愛玩のように、ただただ可愛がられるだけの存在に、甘んじることなんて。彼女にできるのだろうか。

 それに、リュウさんだって。

「あなただって、それだけでいられなくなったら。きっと苦しくなる」

「そうかな、わからない」

 わからない、というリュウさんの横顔。鈍感は言い訳にならないと思ったけど、この人はわざと感度を鈍らせたりしていないだろうか。

 気づいてしまうと、向き合わなければならないから。

 それが数百年という時を生きる間に、この人が身に着けた生き方ならば。

「背くのも、辛くないですか」

「どうにでも、なるから」

 おそらく自分は、この人ほど永くは生きない。

 だから自分には、きっと気持ちはわかるまい、そう思ったけれど。

 自棄なのか強がりなのかわからない、どうにでもなるという、どこか投げやりで、諦めたような一言に。

 かつて自分も、向き合うことを拒んだことがあったと思い至る。

 凄惨な経験を、リュウさんに頭の中から消し去ってもらった。

 記憶をなくせば、乗り越えられるだろうと。


 ――どうにでも、なるから。

「……リュウさん」

「なに?」

 頭によぎった考えを、口にしようとして。

「いや……なんでも、ないです」

 それはあまりに、やるせなくて。俺はそのまま黙って、すっかり冷えてしまった紅茶で言葉を飲み込んだ。


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