第26話「繰り返す悪夢」

 先日、中川からきたと思っていたLINEが文化祭で強制的に連絡を交換した井上からのものだった。


(井上)明日倉西駅東口に来いよ。来なかったらわかるよな?


 その文面を見た瞬間行かなかった場合、誰にどんな被害が出るかなんとなく予想がついた。何をするかわからないような奴らだ。最悪の場合を想定していてちょうど良い。


 そして、今日がそのLINEでいう明日になる。

「はい。HR終わりー解散」

 いつも通り福原の間の抜けた声で帰りのHRが終わり各々生徒は部活に行く者やそのまますぐに帰る者、教室に残って駄弁っている者などそれぞれの過ごし方をしていていつも通りの日常の風景だ。その中、僕はと言うと放課後も駄弁っている彼らに付き合わないといけない。しかし、今日はそうするわけにはいかない。

「樹ハンバーガーはマック派?モス派?」

 また、成川から答えたところでなんの意味もないような質問を投げかけられた。毎回思うが放課後に残ってまでこんな表面的な会話をしている理由がよくわからず辟易する。

 しかし、無視するわけにもいかないので今日も答えやすい2択の質問だったため正直どっちでもいいが、自分が最近利用した中で記憶に残っている方を適当に回答してそのついでに先に帰ることを伝えよう。

「マックかな。ごめん今日はもう帰るね」

 最近は相手を納得させるための嘘をつくことも無くなった。彼らも僕が帰ることに対して毎回理由を尋ねてくるわけではないし、いつも一緒にいる必要もないと僕は思っているからだ。

 集団生活において毎回こう言った駆け引きをしなければいけないのことが面倒に感じる。でも、余計な関わりはできるだけ避けたい。

「じゃあな」

 でも、連日彼らから距離を置いているからなにか不審に思われているような気もしていた。彼らと関わる時間が増えていつもとは違う行動を取れば不審に思うのも無理はない。

 僕はカバンを手に取り教室を出て下駄箱に向かった。


 僕は学校を出て彼らと待ち合わせ場所である駅に向かった。

 今朝から気持ちの悪い緊張感が身体中を包んでいるようだった。朝起きて、家を出て外の空気を吸えば少しはこの気分が軽減される事を期待していたが時が進むにつれてそれは大きくなっていくだけだった。今も、一歩一歩踏み出す足取りは重く、駅までの時間が永遠に続けばいいのにと有りもしないことを期待をしている。

 僕はこれからどんなことが行われるのか知っている。逃げられないことも知っている。別に未来を予想できる力を持っているわけではない。彼らが僕を呼び出す目的は一つだし行われることはいつも通りだ。決まっている。知っているから余計に恐怖を感じる。


 次第に駅に近づき駅の構内に入り東口のロータリーに降りる階段を降っていると、それぞれ違う高校の制服を着た男子高校生3人がまるで一度逃した獲物を手中に収めたかのように薄笑いを浮かべてこちらを見ている。あの3人だ。

「よお文化祭以来じゃん。やっぱ来てくれると思ったわ」

 井上は馴れ馴れしく肩を組んでくる。宮橋や柿原も肩を組んでくることはあるけど、井上にとってこの行為は人間という動物が対峙した時に体を大きく見せる威嚇行為のように感じる。

「お友達は元気?」

 本当はどうでもいいくせにわざとらしい質問に対して僕は小さく頷く。

「学校楽しそうだもんな。お友達できて」

 そう言うと3人は嘲笑したような笑い声が聞こえた。僕は彼らのことを視界に入れたくなくてずっと地面を見ていた。だから、彼らがどんな表情をしてるのかは明確にはわからない。

 彼らの発する言葉一言一言が何か含みを持っているのではないかと感じる。そもそも、彼らが僕に発する言葉で信用できる発言なんてあるはずが無い。その何かを推測しながらこうやって相手の機嫌を損ねないように言葉や動作を選び、相手から返ってくる言葉や動作が暴力的な言葉や暴力でないことを期待するしかできなかった。

「まあどうでもいいわ、行こーぜ」

 彼らが僕に話す要件なんてない。そもそも話をするために僕を呼んだわけじゃないからだ。駅で彼らと話したのはそれだけですぐに駅から移動することになった。


 前方には井上と大西、後方には安田が見張るように付いてきている。操り人形のように体が自動的に大西、井上の後ろについて行く。本当は走って逃げ出したい。でも、同じ街に住んでいて、通っている学校を知られている人間から今後、長期的に逃げられる見込みなんてない。諦めに近い感情を抱いて、呆然と前方で行われる会話を聞いている。

「担任のセンコーマジでムカつくんだよね」

「へぇ何があったの?」

「スマホ持ってきただけで没収しやがってよ、反省文まで書かされたから」

「井上ウケるわ。開英は校則厳しいに決まってんじゃん。それよりも、同じクラスのやつボコったのはバレてないの?」

「あれは大丈夫。口止めしてあるから。クラスにバレたところでどうせあいつに仲間いないし誰も味方しねぇよ」

「また天野みたいなやつ見つけたのかよ」

「そうそう。学年に1人はいてくれるんだよね、俺のストレスを解消させてくれる陰キャ」


 駅から20分ほど歩いた辺りだろうか、周りは背の高い木々に囲まれた人気のない公園についた。彼らはここに来るまで迷うことなく歩いていた。恐らくここに来たのは初めてではないのだろう。

「よおし、はじめるか」

 井上が腕まくりをして僕の元へ近づいてくる、顔に強い衝撃が走って天と地がひっくり返ったように視界がかき乱され何が起こったのか分からず、気づいたら地面に倒れ込んでいた。

 自分が殴られたことを自覚した頃には口の中に生暖かい液体が滲み出てくるのを感じた。倒れ込んだ時に公園の尖った砂利が手のひらに突き刺さり痛みを感じたが、殴られた痛みに比べたら注意するほどの傷ではなかった。

「井上君顔だとバレるよ」

「やべ、そうだった。ついムカついててやっちまったわ」

「安田、公園の外見張っといて」

「おっけー」

 倒れていた僕に大西が近寄ってきてワイシャツの襟を掴まれ立たされた。首が閉まって苦しい。抵抗する力もなく僕は両腕を押さえつけられ羽交い締めにされる。抵抗できなくなった僕に薄笑いを浮かべながら井上がブレザーを脱ぎ捨てゆっくり近づき、砂利を踏みしめる音が徐々に大きくなって、急にその音は止み、僕の正面で立ち止まる。

 井上の左手が僕の右肩を掴む。肩の骨の丸みを帯びた形状をまるでボールを握り潰すように力を入れてくる。肩を握られているのにだんだんと息が苦しくなる。

 井上が右腕を引いて次のパンチを繰り出す準備をした時、僕は目を瞑り歯を食いしばった。来る。こうすることが今の自分が一番、傷付かなくて済む方法をそれしか思いつかなかったからだ。受けるダメージは変わらないけど、せめて相手の拳が自分の体に衝撃を与える瞬間を目視したくはなかった。

 弾力のあるものがぶつかる鈍い音がしてその音源はまるで自分の体内で起こったかのように自分の内部から音が聞こえたようだった。一瞬遅れて、腹部に大きな衝撃を感じた。衝撃を受けた部分は表面なのに内臓を直接殴られたような、内部に衝撃が伝わって酔いとは違う吐き気を感じる。一瞬、呼吸が苦しくなり息が詰まった。しばらくすると腹部で詰まっていた空気が吐き出されるように奪われた呼吸を取り戻して肩で息をする。

 ああ、気持ち悪い。吐き気がする。全身の血の気が引いて体全体が脱力する。背中や額からゾワゾワと変な汗が滲み出てくるのを感じた。


 羽交い締めにされた僕に井上が殴りかかってくる。彼の拳が僕の腹部に当たる瞬間は恐怖で目を開けていられない。井上が殴りかかってくるこの光景は小中学の時に何度も見てきた。高校生になったらもう二度と繰り返さないだろう…なんてことをバカみたいに考えていた。そうなる根拠なんてない。でも、心のどこかでそう願っていた。逃げられたと思っていた。


 でも、また同じことを繰り返した。

 逃げられなかった。

 何か変わりそうだと思ったんだけどな…。


 以前、小学生の僕が羽交い締めにされて殴られている光景を思い出した。しばらく感じていなかったこの痛み。こんなに痛かったんだな。小学生の小さい体でこんな痛みに耐えてたのか。

 こんな時に一体何を考えてるんだ僕は。

 痛い、息が苦しい、吐き気がする。しばらくするとこの苦痛にも慣れてくる。いや、慣れてるのではなく、もうどうでもよくなってくる。それでも体にダメージは蓄積していて意識は朦朧としてくる。

 手足が自由になった頃には頬に公園のひんやりとした地面の温度が伝わってきていた。

 左目の目尻が痛い。目が染みる。顔をまた殴られていたようだ。半目を開いて決して良好とはいえない視界で井上たちが公園から去って行くのが見えた。

 公園で倒れていると通行人に不審に思われるような気がした。こんなときでも周りの目を気にしている自分が情けなく思える。

 体に力が入らなくても、なんとかベンチに肘をかけて肘を支点に体を起こして、ベンチに背中を預け地面に座る。そういえばメガネがない。外されてどこかに投げられたのだろう。伊達メガネだからライトで照らされた公園では裸眼でメガネを探すことは容易だった。すぐに見つけてメガネを拾って装着する。立ち上がって気づいたが制服は泥だらけだった。泥だらけといっても手で払って落ちるような汚れ方ではなかった。野球選手がスライディングして汚したような地面と擦れてできた汚れだ。でも、今更そんなことはどうでも良い。


 秋が深まり冬が近づくこの季節は外はもう真っ暗だ。辺りは静まり返っていて公園のライトが虚しく地面を照らし出している。

 空を見上げると殺風景な公園とは裏腹に夜空には満天の星空が広がっていた。まるで今の僕を空が嘲笑っているかのように思えるほど綺麗に。

 冷たい空気を身体中に取り込み体が冷却されていき、少しずつ気分が落ち着いてくると同時に鼻から息を吐き出す時に血の味がするし、顔の傷がヒリヒリと痛む。

 すぐに家に帰ろうかと迷ったが、しばらく1人になりたかったので公園に残った。だからと言って、何か考え事や今後有益なことを計画する訳でもなく、ただ呆然と地面を見つめているだけだった。何も考えていないはずなのに両目の視界が滲んできて、目から溢れ出たものが頬を伝って顎で合わさり大きな粒になって、僕の制服を濡らした。


 家に帰ったのは夜の7時を過ぎた当たりだろうか。家に帰る途中この顔の怪我を親にどう説明すれば心配しないでくれるかひたすら考えていたけど、家に帰ると鍵が閉まっていた。幸いにも、どうやら母は出かけているらしい。上手い理由を考えていなかったからタイミングが良かった。 

 台所には僕の分の夕食だけ作ってあり、母がいつ帰ってくるか分からないので帰ってくる前に僕はそれを温めてかき込むように平らげてさっさと風呂に入り、制服を洗濯して今日という日が早く終わって欲しいと寝床についた。

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