115 隠れし神
「マーシャ、俺は強くなったよ。だからお兄ちゃんと一緒に行こう。こっちにおいで」
異様だとしか言いようがなかった。魔物が空けた道を悠然と歩くアーノルドさんは明らかにおかしい。
アーノルドさんが正気だったら、周囲の魔物を放っておくはずないのに。
マーシャと呼び掛けられるサーシャは困惑を露わにしている。俺は彼女の前に出るとアーノルドさんに向かって叫んだ。
「何を言ってるんですか、アーノルドさん! サーシャはマーシャさんじゃ……あなたの妹じゃありません!」
俺の叫びにもアーノルドさんは歩みを止めない。そして、俺の間近からレヴィさんの戸惑った声が聞こえた。
「何を言ってるんだ、ジョー。アーノルドには妹なんていない。マーシャなんて俺は知らない」
「えっ……? でも、俺は以前アーノルドさんから聞いたことがあります。マーシャという妹がいて、サーシャと名前が似てるから余計に親近感があるって。アーノルドさんと同じ黒髪で可愛いんだって」
俺までもが混乱する。確かに以前俺はアーノルドさんの口からその名前を聞いていたのに。
「それはいつのことだ?」
険しい顔のレヴィさんが鋭く俺に問いかける。
「俺がサーシャと出会って、マーテナ山へ古代竜を狩りに行って、ネージュに戻ってきた時のことですよ! ハワードさんの武器屋で会って、その後宿屋で飲もうって誘われてその時に」
「つまり俺たちとジョーが初対面の時か……。そんな前から、あいつはおかしくなってたのか……? アーノルドの幼馴染みの俺が証言する。あいつに弟はいるが妹はいない。マーシャなんて存在しないんだ」
「そんな……」
「……俺かアーノルド、どちらかがおかしくなってるってことだな」
答えは明白だった。おかしくなっているのはアーノルドさんの方だ。それ以外考えられない。
「私の名前はマーシャじゃありません。あなたの妹でもありません。だから、一緒には行けません。アーノルドさん、正気に返ってください! この魔物たちを退けてハロンズを守るんです! それが勇者たるあなたの役目ではないんですか!?」
「勇者か。そう、俺は勇者だ。人々の崇敬を集め、それを力に変える。そしてより強き力はより崇敬を集める。これは何かに似てると思わないか?」
アーノルドさんの語調が少し変わる。俺の後ろでサーシャがハッと息を飲んだのが伝わってきた。
「崇敬を集めて、それが力に――まさか、神と同じだと」
「そうだ! 勇者とは神の依代! つまりは吾輩がこの世界に降り立つための!」
アーノルドさんの纏う赤い光が膨らんだ。以前大規模討伐で見たときと違って、それは禍々しさをはらんでいてチリチリと肌に変な感じがする。
「これ以上進ませません!」
ミスリルの盾を手にサーシャがアーノルドさんに打ちかかる。アーノルドさんは片手で剣を振るってサーシャを軽々と止め、そのまま払い飛ばした。
「まるで羽のように軽いな、とはこういう時に言う言葉だったか?」
アーノルドさんの姿をした何かは、決してアーノルドさんが浮かべないような尊大な表情を浮かべて笑う。すぐに立ち上がったサーシャはアーノルドさんの振り下ろした剣を盾で防いだものの、力負けして膝を付いてしまった。
「私では力が足りない! ジョーさん、移動魔法でハロンズの人たちを避難させてください! 時間稼ぎしかできません、お願いだからみんな逃げて!」
初めて、サーシャが自分では勝てないと言った。それが状況がいかに悪いかを否応もなく突きつけてくる。
そして事態はなおも悪くなる。
「《
そんな中で、教授の声が響いた。
「おいっ! あれに魔法は効かねえって」
「魔法が効かない? 僕がしようとしていることは魔法を当てることじゃないよ」
「僕は『魔法で出した岩』をあれに当てたんだ。つまり物理攻撃だよ」
「また屁理屈ごねやがって! つまり、直接の魔法じゃなくて『魔法で作り出した物体』なら効果があるんだな? じゃあこれでどうだ! 《
今度はルイの杖が上空に向いて、巨大な水の塊を作る。それはダムの放水のような勢いで
「墜とせる! どんどん攻撃を当てろ!」
エリッヒが《
サーシャとアーノルドさんの打ち合いは、サーシャが圧倒的に不利だった。俺の周りの人たちも隙があれば攻撃に加わろうと身構えているが、その隙が見いだせないでいる。
「ジョー、アーノルドを収納しろ!」
「その手が! ……あれ?」
俺はアーノルドさんを魔法収納空間へしまおうとした。けれど、確かに彼を目で捕らえて念じているのに効果が無い。
もしやと思って
つまり、
「しまえません……アーノルドさんも
「魔法無効か!」
魔道具を放り投げ、レヴィさんは弓を構える。そして凄まじい早さでアーノルドさんの足元を射って僅かながらも動きを封じた。
「小賢しいわ!」
アーノルドさんの足が矢を踏みつける。次いで飛来する矢は全て剣が切り落としていった。
「あなたは誰ですか!? アーノルドさんから出て行ってください! 自分の体でこんなことをされたらアーノルドさんだって迷惑です!」
盾を両手で支えて、肩で息をしながらサーシャが攻撃を受け止める。アーノルドさんは剣を持つ腕から力を緩めると、一気に蹴りを入れてきた。対応しきれなかったサーシャがこちらへ吹っ飛んでくる。
「吾輩はこの世界を司るものの一柱にして、10億年を生きし大悪魔カッカである! 堕落と破滅とが吾輩の領分! この勇者はいずれ我が依代となるべく生まれ落ちたものよ! ようやく器に力が満ち、吾輩の魂が根を張ったのだ! これよりこの国の滅び行く様を見るがいい!」
「神……神が、滅ぼそうと?」
吹っ飛んできたサーシャは俺が受け止めている。俺よりもずっと小さくて華奢なサーシャの体は震えていた。
「ジョーさん、お願いです! 街の人たちを避難させてください! 私は聖女としてあの人を止めなければなりません!」
「街の人の避難は進めるけど、俺の移動魔法じゃ一度に通れる人数が少ない! サーシャ、俺はサーシャを置いていったりしない。ここで一緒に戦う」
「そうですぞ! 聖女を支えることこそが我らの務め! さあ、我が兄弟たちよ、そして、全ての神に仕える者たちよ、今こそ心をひとつにして聖女に力を! ベネ・ディシティ・アッティンブート・イナ……」
弱気になったサーシャを叱咤するように、力強い男性の声が響いた。城門から白い僧服に身を包んだ集団が走り出てきて、口々に補助魔法を唱え始めている。先頭に立つ初老の男性は、聖職者のトップとして相応しく威厳に満ちていた。
「テイオ猊下!?」
「テトゥーコ神殿だけではありません。全ての神殿のプリーストが治癒と支援に回っています!」
ベネ・ディシティから始まる補助魔法の大合唱がサーシャや俺たちに降り注ぐ。5倍掛けとか6倍掛けとか、そんなレベルではなかった。何百人ものプリーストの補助魔法が、最前線で戦う冒険者や騎士を力づけている。
補助魔法の次には回復魔法。傷を負ったものは即座に癒やされていった。
神殿のプリーストたちの参戦は、絶望的な空気を一蹴していく。
そして、天からよく知った声が響いた。
高くて、早口で、人の話をあんまり聞いてなさそうで……でも優しい女神の声が。
『カッカさん、やっと見つけましたよ。いつの間にかアナタがいなくなってずっと探していたけれど……。そんな悪魔の本業に今更立ち返らなくていいですから、早く天界にもどっていらっしゃい』
「テトゥーコか……それはできぬ相談だ。長き年月、悪魔の本性を吾輩は理性で抑えつけてきた。だが、それもとうに限界だったのだ! 今や勇者アーノルドと吾輩は一体化した。既に根を張りし我が魂をこの体から引き剥がしたくば、殺すしかないのだぞ!」
『誰が加護を与えたかわからない勇者アーノルド……。残るは居場所のわからなくなったアナタだけと思ってましたけど、その通りだったとは。
聖女サーシャ、アナタは私の
「テトゥーコ様、それは、それでは、私にアーノルドさんを殺せと」
『言い方を変えればそうね。カッカさんもそう言っているのだし』
テトゥーコ様の声にサーシャが崩れ落ちた。今までアーノルドさんに立ち向かってはいたけども、神の命で殺せと言われると衝撃が違うのだろう。
『サーシャ、勇者アーノルドを救いたければ、カッカさんを倒すしかないのです。肉体という檻から魂を解放し、アーノルドを救いなさい』
「サーシャ、俺も一緒に戦うから! あの優しいアーノルドさんを取り戻そう」
言いながら自分で吐き気がした。魂を解放するとかなんとか言ったって、俺たちがアーノルドさんを殺そうとしているのに変わりは無いのだから。
テトゥーコ様と俺の言葉があっても立ち上がれないサーシャを、俺は思いきって抱き上げた。突然のことに驚いてサーシャが俺の首にしがみついてくる。
その唇に素早くキスをして、俺はいろんな覚悟を決めた。
「初めて会った日に、サーシャの心を守るって決めたんだ。サーシャが戦えないなら俺が戦う。――だから、全部終わって元通りになったら、俺と結婚してください」
出会って1年経ってないとか、早すぎるとか、そんなことはもうどうでもよかった。
自分の背中を押しだして、サーシャに勇気を与えるために、俺は最大級の約束を彼女と交わす必要があったのだから。
サーシャは俺の顔のすぐ側で目を見開き、頬を真っ赤にして、それから目に涙を溜めた。
「はい――はいっ!」
「俺たちの大好きなアーノルドさんを、お兄ちゃんを止めよう」
「はいっ!」
俺がサーシャを下ろすと、サーシャは自分の足でしっかり地面に立ってアーノルドさんに向き直った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます