114 暗転

「ジョー!」


 街の中から俺の名を呼ぶ声が聞こえて、俺は足を止めた。


「アンディさん!? それにダイアンさんも!」


 城壁近くで俺を呼んだのは、以前に空間魔法の講習会をした相手のアンディさんだった。それに、同じく空間魔法使いのダイアンさんも一緒にいる。


「城門に行ったら、空間魔法使いはジョーの指示に従えって言われたの!」

「ありがとうございます! 今そっちへ降ります!」


 俺は手近な建物の屋根に飛び移り、ふたりの側へと降りた。そんな俺をふたりは酷く驚いて見ている。


「タンバー様の恩寵です! 賜った神獣アヌビスと同化していると身体能力が上がるんです」

「空間魔法だけじゃなくてそんな能力まで……あんたはとんでもない奴だな」

 

 アンディさんが俺を畏怖の籠もったような目で見ながらしみじみと呟く。

 血まみれのタンバー様の神像を、空気読まずに丸洗いしたことで得た恩寵なんだけども……。それは言わないでおくことにしよう。


「今降りてきた城壁に上りましょう。高いところからだと視界が開けるので空間魔法を一番活用できます」

「あなたの言うことはもっともだわ。今城門近くではジョーの掘った落とし穴が効果的に働いて、一時的かもしれないけど魔物の侵入を防げているの」

「じゃあ3人で手分けしてどんどん城壁の周りに堀を作りましょう! アンディさんとダイアンさんを城壁に上げたら、俺は反対側へ向かいます!」


 俺は今降りてきたばかりの城壁の上へと移動魔法でドアを繋いだ。ふたりがそのドアをくぐって城壁の上へ移動する。警備兵の詰め所が城壁に沿って4カ所あり、そこからだったら梯子を使って城壁に登ることができるんだけども今は移動魔法の方が早い。


「凄い大きさの穴だな。土を収納して大穴を空けるなんて考えた事もなかった」

「えっ……ヒュドラ討伐の時、ロキャット湖の水を全部しまっちゃえば早いのになとか思ったんですが」

「私もそんなことは考えたことがないわ……。倒した魔物や輸送する物資を収納する魔法だと固定観念に囚われすぎていたのかもしれない。私たちは移動魔法は使えなくても、それ以外のことならジョーと同様にできるはずよ。ここは私たちに任せてちょうだい」

「心強いです! じゃあ、そこの大穴に溶岩を入れて行くので、アンディさんは先行してどんどん落とし穴を掘って、ダイアンさんは一度溶岩を収納した後にそれを少しずつ入れて行ってください」

「穴の中に溶岩か……。おまえ、考えることがえげつないなあ。まあ、空間魔法使いが戦おうと思ったらそういう手段も必要になるか」

「魔物を収納して時間経過で殺す手もありますが、今はそんな余裕がないので」


 俺はひとつ大穴を掘ると、そこになみなみと溶岩を入れた。すかさずダイアンさんがそれを収納し、再度穴に溶岩を少し入れる。

 ニルブス山の溶岩は粘度が高いので素早く広がってくれたりはしない。それが不便だけども、溶岩の粘度まで選べる余裕は俺には無かった。この戦いが終わって事態が落ち着いたら火山ツアーをして、使い勝手のいい溶岩をゲットしようと心に決める。


 その場をアンディさんとダイアンさんに任せ、俺は東側の壁から反対回りで堀を繋いでいこうと一度城門に戻った。

 冒険者だけではなく、揃いの鎧で武装した人たちもいる。今まで見たことなかったけど、王都にいる騎士団なのだろう。

 唯一外部に開かれている城門周辺では、土魔法使いによる《防壁ウォール》の魔法や、その後ろから魔道具を使った魔法などを撃ち込んで魔物の侵攻をなんとか止めることができていた。


「土魔法使いは《防壁ウォール》を何重にも重ねよ! 他の属性の魔法使いは城壁の上で飛行能力を持つ魔物の迎撃に当たれ! 土を含む2属性以上の魔法使いは土魔法による防衛を優先とする!」


 平服で冒険者に指示を出しているのはアンギルド長だった。俺はギルド長に駆け寄り、魔法使いたちの移動を助けるために声を掛ける。


「ギルド長! 城壁の上へ移動魔法を繋げます! それが一番早いので!」

「わかった、頼むぞ。魔法使いはジョーの移動魔法で城壁の上へ!」


 俺はすぐに城壁の最初上った地点へとドアを繋いだ。移動魔法をそのままにして置いて、今度は城門の東側の壁を内側から上る。その時、城壁のかなり先の方で俺に手を振る人影が見えた。

 高い身長に金色の髪、そして隣に並ぶ黒髪の少年。それでもうその人影が教授だとわかる。


「教授! ルイも!」

「城壁の上から攻撃した方がいいと思ってね。王城の塔はもっと高いが遠すぎる」


 教授も「高所からの攻撃の有利性」にすぐ辿り着いたようだ。まあこの人だったら当然だろうな。

 ルイは今回は剣を使うつもりはないらしく、アラクネの糸で織った鎧下だけを付けて杖を構えている。


「喋ってねえで迎撃しろよ! 《火槍ファイアーランス》!」


 《火球ファイアーボール》よりも長大な炎――まさに槍としか言えない魔法がルイの杖から放たれる。それはソニアの魔法とは全く比べものにならない正確さで、飛んできている巨大なコウモリの胴を焼き、撃ち落とした。


「僕はここで攻撃と支援に当たるよ。ところでその耳は一体どうしたんだい? 後で時間ができたらじっくり聞かせてもらうよ!」

「タンバー様の恩寵です! うちのクロと一体化しました!」


 後で根掘り葉掘り聞かれるのが面倒なので簡潔に説明したつもりだったけど、教授はますます目を輝かせるばかりだ。


「後で詳しく!!」

「わ、わかりました! 教授もルイも、どうか無事で!」


 そこからアンギルド長の側へ移動魔法の扉を繋ぐ。先に出した方の扉は消えて、今度は魔法使いたちが東側の城壁に上がってきた。


 俺は魔法使いたちより先を走りながら、東側にも穴を掘り、その穴に溶岩を入れる。しばらくは迂闊に人も近づけなくなるけども、溶岩はその内冷える。それまでに事態が解決するのを祈るしかなかった。



 ひたすらに城壁の上を走っていたとき、背後から悲鳴が聞こえた。

 その声に振り向くと、東から黒い塊が飛来してくるのが見えた。

 黒い塊……いや、黒い靄を纏った翼ある何かの骨。物理法則というものを完全に無視して空を飛ぶそれは、恐怖を呼び起こすものでしかなかった。


「あれは……」

屍竜コープスドラゴン? まさか、そんなものが実在していたなんて」


 思わず足を止めて呆然と呟いた俺に、思わぬ答えが間近から返ってくる。

 かなりの速さで走っていたつもりだったけど、その俺のすぐ後ろに息を荒げながらも付いてきている魔法使いがいて驚いた。


「古代竜の死骸が何らかの理由で仮初めの命を持ったものと言われてる。異世界から来た君は知らなくて当然だろうね。僕もおとぎ話でしか聞いたことがない」


 古代竜のものと覚しき革鎧に杖を持った男性は、当たり前のように俺に話しかけてくる。てか、知らない人なんだけど向こうは俺を知ってるみたいだな……。


「覚えてないだろうね。僕はエリッヒ。『黄金の駿馬』の魔法使いだよ」

「あっ!」

「そう、君たちがハロンズへ来たときに戦った相手さ。あれからピーターが少しおとなしくなってくれて助かったんだ」


 クスリと笑った後、エリッヒは表情を一変させて《暴風斬ストームブラスト》で近づくグリフォンをズタズタに切り裂いた。

 そうだ、そういえばあの中で唯一謝ってくれた常識派の人がいた。エリッヒって名前は聞き覚えがある。

 どう対応したらいいかわからなくて俺が戸惑っていると、エリッヒさんは気にするなというように手を振った。


「別に僕は君たちに含むところもないよ。今は星5を背負うものとして果たすべきことが大事だ。――しかし、屍竜コープスドラゴンは伝説の中では魔法が通じないと言われている。あれを墜とすにはどうしたらいいか」

「そう……ですね」


 魔法が通じないなら物理攻撃しかない。そうするとサーシャの出番だけども、地上からあの屍竜コープスドラゴンに攻撃することは不可能だろう。

 俺が考えている間にもどんどん近づいてくる屍竜コープスドラゴンは、口から黒い靄を吐いた。あれが屍竜コープスドラゴンのブレスなのだろう。そのブレスに触れた木はぐずぐずと腐るように崩れていく。……なんて恐ろしい攻撃なんだ。


「サーシャのところへ行きます」

「ああ、僕もそうした方がいいと思う。ピーターでも、とてもあれには対抗できない」


 エリッヒさんに頭を下げ、俺は城壁から飛び降りた。堀の内側を走り、サーシャがいるはずの城門へと急ぐ。


「サーシャ!」

「ジョーさん! ご無事ですか!」

「魔法使いたちがどんどん攻撃してくれたから俺はなんともない。サーシャは?」

「こちらも他の冒険者や騎士の方々がいるので、私も無傷です」


 魔物は西側のロクオ方面から来ているものが多い。そちら側に先に落とし穴を作ったことで、ハロンズという都市を攻めようとする魔物たちのルートはかなり限定されていた。

 その場所に防御を集中することで、魔物の都市への侵入は現在のところ完全に阻まれている。


 ただ――。


「東から屍竜コープスドラゴンが来ている。あれは魔法は通じないぞ」


 アンギルド長が険しい目を屍竜コープスドラゴンに向けた。そのブレスはまだハロンズの街に直接届くほどではないが、おぞましい姿ははっきりとわかるようになっていた。


「私が戦います! 魔法が効かないなら、直接打撃を当てるしかありません」


 サーシャがきっぱりと言い切った。俺もそれしか無いと思う。けれど、サーシャを危ない目には遭わせたくない。

 危ない目に遭わせたくないというのは本心だけど、サーシャが立ち向かおうとしているものから彼女を遠ざけることもできなかった。そんなことをしたら彼女の心が傷を負う。――俺は物理的な強さではサーシャを守ることができないから、彼女の心を守ろうと決めたんだ。


「サーシャ、城壁へ上がろう。俺がサーシャを抱えて目一杯飛ぶから、途中でサーシャは俺を踏み台にして更に飛び上がるんだ」

「ジョーさん、耳が!?」

「以前みたいにクロと一体化してる。今の俺なら身体能力が凄く上がってるから」


 俺の頭の上に付いた犬耳に驚いたサーシャだけど、俺の説明ですぐ頷いてくれた。



 その時――。

 屍竜コープスドラゴンから、赤い光を纏った何かが飛び降りてきた。

 赤とオレンジの混ざった、力強く眩い光。

 俺は以前にそれを見たことがある。あれは、あれは――。


 悠然と着地したそれは、魔物の群れの中を一直線にこちらに向かって歩いてくる。魔物たちは彼が近づくと畏れるように道を空け、俺たちからその人までは何も遮るものが無くなった。


「アーノルドさん……」

「アーノルド、何故おまえが」


 サーシャとレヴィさんの口から出た名前は、俺が一番信じたくない事実を示していた。

 場違いなほどいつもと同じ眩い笑顔を浮かべ、アーノルドさんは俺たちに手を差し伸べる。


「やっと、やっと俺は強くなったよ。だからお兄ちゃんと一緒に行こう。な、


 その場の誰もが、魔物の王のように君臨するアーノルドさんに目を奪われていた。

 全ての音が消え去ったような中で俺の耳に届いたのは、本当にいつもと変わらない調子のアーノルドさんの声だった。

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