68 Re:怒濤の1日
しかし、長い1日だった……。
午前中に一度ハロンズの前を通り過ぎてオーサカへ行き、クッソまずい蕎麦を食べさせられてからハロンズにとんぼ返りしてギルドで買い取りと決闘。そして風呂。
今は夏だけれど、さすがに全部終わったら日が落ちていた。
幸い、意気投合したティモシーたちのパーティーが泊まっている宿屋に案内してもらえたから宿屋探しはしなくて済んだし、夕食は2パーティー合同で宿屋の1階の酒場で食べた。
ネージュで常宿にしてたところよりも食事が美味しくて良かったし、ティモシーたちからいろいろとハロンズの情報も教えてもらえることになった。
彼らは星2なので冒険者稼業についてだけは少し勝手は違うけども。
本当に濃すぎる1日だった……。
クロのお腹をもふもふして顔を埋めたい……。そのくらい疲れた。
でも洗ってないから今はクロとテンテンは魔法収納空間の中だ。早く家を買って、自由に出してあげられるようになるといいな。
「明日は朝一番で仕立屋に行って、その後で別の仕立屋に行って、その後で商業ギルドへ行くわよ。覚悟しておいてね」
寝る前に言われたソニアの一言が怖かった。仕立屋に2回行くってどういうことだと思ったけども、「凄くいい服を仕立てるための店に入るために、そこそこいい服をまず買ってその場でサイズ調節してもらう」らしい。
怖い。冒険者の普段着で入れない店で服を仕立てるというのがもう怖い。
俺はサイズを測って仕立ててもらったのは、中学高校の制服と
翌日は朝はのんびりできた。仕立屋がまだ開店していないから。
けれど、どことなく俺たちの間にはピリピリとした空気が漂っていた。主な発生源はソニアだ。
「問題は色よ……サーシャは1着は水色ね。青や薄い紫もいいわね。でも聖女認定の儀の時のドレスがあるからそれは必要ないのか……でもやっぱりそこそこの服はあつらえておいた方がいいわね……。ジョーとレヴィは黒でいいとして、私は……。あー、悩むわー」
単純に「どんな色のドレスにしようかしら」という感じではない。眉間に思いっきり皺が寄っている。
そもそも全然楽しそうではない。これは、何かの戦いか?
「ソニアは薄い黄色か白が似合うんじゃないか?」
珍しくレヴィさんが話しかけている。――ただし、腫れ物に触るかのように恐る恐るだけども。
ソニアは一瞬だけ表情を緩めたけど、また険しい顔になった。
「白も白に近い色も駄目なのよ。礼服を着る機会はどうしてもサーシャが中心になるわ。あのドレスは白だから私の方はそれに被らないようにしないと」
「す、すみませんソニアさん。そこまで気にしていただいて」
「サーシャが気にすることじゃないのよ? これは、おしゃれにある程度自信があるからこその戦いなの。負けられないの」
ソニアの目にギラリと闘志が光った。
ああ、戦いなんだ、やっぱり……。
そして、俺たちはどうでもいいんだ……。まあ、だいたい男の礼服は白か黒と相場が決まってるし、俺もレヴィさんも目立つ服装は嫌いだからそれで構わないんだけど。
「最上級の礼服1着と、そこそこの服を3着は欲しいわね。後の普段着は自分で勝手に買うけど、これはパーティーの予算から出すわよ。予算は全員分合わせて25万マギルってところかしら」
「「にっ!?」」
俺とレヴィさんの驚愕の声が完全に被った。
25万マギル、つまり250万円!?
服でか!?
結婚詐欺に遭うだけあるな、ソニア!
「そ、そんなに掛けてしまうんですか!?」
驚いたサーシャの言葉に、ソニアはため息をついて首を横に振る。
「本当なら掛からないわ。せいぜい15万ってところよ。でも、神殿への挨拶は聖女として行くでしょう? 私たちはサーシャの臣下じゃないから、あのドレスと同格とまでは言わなくてもそれなりに立派な服を着ないといけないわ。前回は例外。あまりにも時間がなさ過ぎたしね。
それと、その神殿関係でどんな場に呼ばれるかわからないのよ。下手すると国王陛下に謁見なんて事態も有り得るわ。なにせ、聖女だもの。――しかも、いつ発生するかわからないのよ、そういう事態。だから最短の時間で用意しないといけないの。そのためには」
「ああ、『金貨で殴る』ってやつか……」
「そうよ……。お針子を総動員してもらって、急ぎで仕立ててもらうの。その分余計にお金が掛かるってわけ。神殿はなるべく早く行かないといけないから、どっちにしろできるだけ早く完成させてもらわないといけないのよ。
私だって余計なお金は掛けたくないわよ、本当は! はー、あり得ない。あり得ないわ、25万とか。服を買うのは好きだけど、余計なお金を掛けるのは嫌い!」
……思ったより、しっかりした理由だったな。
そうだ、ソニアは金銭感覚はしっかりしてるんだよな。前にも「なんで結婚詐欺に引っかかってしまったんだろう」と疑問に感じたことを思い出した。
「ネージュで用意しておくことができれば良かったんだけど、流行が違うのよね……。しかもハロンズではネージュ風は嫌がられるわ。だからどうしてもハロンズで仕立てないといけなかったし。あー、頭が痛いわ! もうこれ以上筋肉付かないようにしないと! 多分ハロンズだから体の線が凄く出るような意匠は好まれないはずよね……今後のことも考えると袖の感じは……」
食後に頼んだお茶が冷めるのも構わずに、ソニアはまたブツブツと呟きながら戦いのシミュレーションに戻ってしまった。
俺とレヴィさんばかりでなく、サーシャまで既に顔色が悪い。
そして、1軒目はまさに嵐だった。
「これとこれとこれをお願いするわ。それと、この服は今着るからこの場で調節をお願い!」
仕立屋の看板を見つけて中を覗き、「そこそこの服」をよくあるサイズで扱っている店と見るや、ソニアは迷いなく入っていって怒濤の注文をした。
今朝とくとくとソニアとサーシャから教わった話では、サイズ展開の多い既製服なんてものはそもそもこっちの世界では存在しないらしい。基本的には自分の家で縫うか、お針子に仕立ててもらうかのどちらかになる。
けれど、やはり大都市では需要があるから「一般的なサイズを仕立て済み」で用意しておく店も珍しくはない。それを更に直したりして着る。俺がネージュで最初に買ったのはこのタイプの服だ。俺は完全に標準体型に収まっているのでそういうところが助かる。
俺とレヴィさんは袖丈とズボンの裾丈くらいしか直すところがなくて楽だけど、ソニアの調節が大変だ。何せ巨乳だから。縮めるのは簡単でも広げるのは難しいと相場が決まっている。
ちなみにサーシャはウエストの調節くらいで済んだので、コルセットみたいなものがウエストに付いたものを選んだことで調節は不要になった。
目の色に合わせた紫色を差し色にした白い服だ。可愛らしいデザインでよく似合っている。これもソニアの見立て。
結局ソニアは「今着る1着」だけデザインに妥協したらしく、体にフィットするように調節しやすい服を選んだようだ。お店の人が店主に奥さんに娘さんと3人出てきて、立ったままのソニアの服をその場で縫っているのが怖かった。
けれど、そこはさすがの本職。彼らは30分ほどで調節部分を縫い上げ、ソニアを冒険者から元の「大店のお嬢様」へと変身させた。
俺とレヴィさんの分は、ソニアの直しをしている間にサーシャがチクチクと縫ってくれた。料理はできないサーシャだけど、縫い物はできるらしい。
「ありがとう! 今度はゆっくり来るわね!」
本来の代金よりもかなり多めの金額を支払い、汗を拭きながら俺たちはその店を飛び出して行った。
「次、靴屋!」
スカートの裾を摘まんで走りながらソニアが叫ぶ。
「仕立屋2回じゃなかったの!?」
「服だけ作ってどうするつもり!? 逆に聞きたいわ!」
俺の叫びにソニアの逆ギレが返ってきた。そして、靴を買った後は――。
「次は帽子屋!」
「うっそだろ!?」
「ホンマですぅ~!」
サイモンさんのエセ関西弁がうつってしまったような返事をソニアが叫ぶ。
帽子屋はサーシャとソニアだけだったから買うのは早かったけども、「悪いけど化粧するから場所を借りるわね!」とソニアが化粧を始めて時間が掛かった。
「化粧は、必要なのか?」
午前中で既に疲れ果てたようなレヴィさんが化粧中のソニアに尋ねた。ソニアは帽子屋の鏡を借りてせっせと顔に粉をはたいている。
「私はさすがに必要! サーシャは年より幼く見えるからギリギリなくても大丈夫!」
「あまり変わっているようには見えないが……」
ヤバい。
今、俺でもわかる地雷をレヴィさんが踏んだ……。
鏡の中のソニアの眉が凄い角度で上がるのが見えた。
「言っていいことといけないことがあるのよ……?」
夏なのに、さっきまで汗を掻いていたのに、店内をブリザードが吹き荒れている感じがする。
鳥肌が立つほど寒気がする。それほど、極低音のソニアの声は恐ろしかった。
「レヴィさん……見た目にどれだけ変わるかじゃなくて、『身だしなみとしてお化粧をしている』という事実が大事なんですよ……」
「そ、そうか。すまなかった、ソニア。その……確かにいつもより綺麗だ」
「ありがとう。王都の高級店に行くんですもの、気合いは十分入れないとね」
サーシャの説明に、レヴィさんがしどろもどろでソニアに謝る。最後の一言が効いたのか、般若のようになっていたソニアがにこりと笑顔になった。
その変わり身が、逆に俺には怖かった……。
ソニアの化粧はまさに仕上げ作業だった。これで「凄く良い店」へ行く準備は整った。
――いや、おかしいだろ。服を作りに行くために服を買って、靴を買って、帽子も買って。いや、元の世界でも高級レストランはジーンズじゃ入れないとかあったんだから、ドレスコードと思えば仕方ないのか?
現在地は北の18番通りだから、冒険者ギルドよりもかなり北にいる。北の10までが内側の城郭の番地だそうなので、目的地はそれほど遠くはないはずだ。
新しい服を着てつばの広い帽子を被ったソニアとサーシャは、冒険者には見えなかった。
ヒールの高い靴を履いて堂々と歩くソニアはまさにお嬢様だったし、サーシャはやっぱり可憐だ。さすがにここからは走って店に駆け込むことはできないので優雅に歩いている。――多分、サーシャは慣れないヒールで速く歩くことができないのだろうけども。
暑さに負けて上着を脱いで腕に掛けた俺とレヴィさんは、ふたりのお付きにしか見えない気がした。
帽子屋で聞き取りをしておいた番地へと俺たちは向かっている。それは北の15番通り――つまり、大通りに面した店だ。実際に行ってみると完全に大きい店ばかりが並んでいて、銀座とかを歩いているような気分になる。あんまり行ったことないけど。
ソニアが足を止めたのは、ショーウィンドウのある店の前だった。もっと下町の方だとそんなものはなかったけれど、さすがにここは格が違うのがわかる。
空気を読んでレヴィさんがゆっくりとドアを開け、そのレヴィさんに会釈してソニアが優雅に店内に入っていく。
「いらっしゃいませ、お嬢様。本日はどのようなものをお求めでしょうか」
帽子をとって短い髪を軽く直し、ソニアは話しかけてきた店員に向かって微笑んだ。
「こんにちは。急ぎで服を仕立ててもらいたいのだけど、お願いできるかしら?」
今日の前半戦最大の山場が始まろうとしていた。
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