64 醤油ゲットだぜ!
大股でずんずんと歩き、店から出て、路地に入り――そこで俺はへなへなと崩れ落ちた。
本気で怒るなんて慣れないことはするもんじゃないな。恐ろしく消耗した。
「あれ、やっぱりああいう料理じゃなかったんですね……」
サーシャが暗い顔で呟く。ソニアとレヴィさんも複雑な顔のままだった。
「いやー、ジョーはんやりますなあ! 胸のすくような
ひとり、サイモンさんだけがニコニコとしていた。腹立つ。
程度はわからないけど「まずくて客が寄りつかない」とわかってて俺たちをここへ連れてきたんだもんな……。
「サイモンさん、やることはやりましたけど、あれは酷すぎです。代償を要求します」
「何でも言うてや! できるかどうかはわからんけど、言うだけなら
「あのつゆに使ってた調味料……恐らく醤油という名前だと思うんですが、あれが欲しいです」
この場に及んで俺は思いきり
さっきのは間違いなく醤油の味だったし、店主が蕎麦を食べたなんとかという場所なら、蕎麦があるくらいなのだからもしかしたら鰹節とかもあるかもしれない。
「おーい、おかん、そこにおるんやろ? ジョーはんの言ってる醤油、分けてあげられるかいな?」
店の裏手に向かってサイモンさんが声を掛けると、いかにも大阪のおかんな感じのおばさんがサイモンさんと同じニコニコ顔で出てきた。
「サイモンの母のアンナいいます。えろうおおきに。あれで旦那も目ぇ覚ますやろ。醤油な、瓶詰めもできるけど樽で持ってってもええで」
「えっ、樽で!? ありがとうございます! 図々しくお願いしてもいいでしょうか? それで、あの醤油はどこで入手できるんでしょう」
「パーグっていう島国が東の方にあってな、そこへ交易へ行ったときに買うてきたんよ。料理にちょっと隠し味に使う分にはええんやけど、さっき見ての通り旦那がえらい味音痴やからね……。出す料理があれなら、店に置いといても売れるわけがないわ。正直持て余してたんやわぁ。まあ、えらい驚いたわ。うちも食べたことないパーグの料理に詳しい人がおるなんてなあ」
「あー、おかん、その事なんやけどな」
サイモンさんが少し困ったような顔をこちらに向けた。俺はもう経歴をごまかすのはやめたから、頷いてみせる。
「信じてもらえないかもしれませんが、俺はこの世界の生まれじゃないんです。元の世界で事故に遭って、女神テトゥーコのお導きでこちらで暮らすことになりました。それで、その俺の故郷の料理がさっきの蕎麦で……馴染みが深かったものでつい……。その、パーグという島国も、もしかしたら俺の故郷と似た食文化なのかもしれません」
アンナさんは一瞬ぽかんとした後、口元に手を当てて「あらあら」とだけ言った。あらあらで受け入れられるのか、ある意味器がでかいな。
「生まれた世界を離れたんやねえ。そら、辛かったろうに……。なんや困ったことがあったらいつでも言うてええよ。サイモンの連れならうちの息子も同然や」
「おかん、そりゃあんまりにも大雑把や……」
「暇なときならあの醤油を使った料理とか多少は教えられます。なので、余ってるならいただければ嬉しいです。あと……パーグへまた行くときがあったら同行させてもらえると……とか言ってもいいかな?」
言葉の最後は、俺の仲間たちに向かっての問いかけだった。サーシャはぱっと顔を輝かせ、ソニアはクスリと笑い、レヴィさんは控えめに目尻を下げた。
「ジョーはん言うたね、あんた、いい友達に恵まれとるやないの。良かったわあ。サイモンもな、こないな形で呼び戻してしもうて堪忍な。ほんま、ここまで危ないんやでって旦那に見せつけなあかんかったから。ひゃっこい水ぶっかけられて、やっと店も軌道修正できるやろ。そしたらサイモンも自由にしてやれるわ」
「ん? 自分、店が軌道に乗ったらお役御免いうことかいな!? しもたー! パーティーの仲間には戻ってこれんって言うて抜けてもうたわ!」
「仕方ないやろ! いくらうちらが言うてもおとんは聞く耳持たんし、こないにバッキリあの鼻を折ってくれる人が来てくれるなんて、未来視もないんやからわかるわけないわ!」
「……つまり、サイモンは店の問題が片付けば、冒険者に復帰できると。けれど復帰先がない、ということか。まあ星3プリーストなら、探せばそれなりに欲しがるパーティーが見つかりそうだが」
顎に手を当てて考え込むレヴィさん。最近俺も彼がこういう顔の時は何を考えてるのかわかるようになってきた。
「お店を軌道に乗せて、サイモンさんをうちに勧誘しようと思ってますね? レヴィさん」
俺よりも少し早く、俺が思っていたことをサーシャが口に出した。レヴィさんとの付き合いが長いだけある。
「ほんまかいな!? 店を軌道に乗せた上にパーティーに誘ってくれるなんて、上げ膳据え膳やないか! ほな、お世話になるわ!」
「すぐに、と言うわけにはいかないが……。プリーストはもうひとりいても良いと思ってはいた。サイモンの
さすがレヴィさん、最年長のまとめ役だ。
俺たちのパーティーの問題点は、最大火力がサーシャであり、彼女がプリーストであるという点だ。ちょっと想像つかないけど、サーシャが意識を失うような怪我を負った場合、それを回復できる人間がいない。
そもそも、プリーストは回復役であり補助魔法の使い手であり、サーシャのように前衛最強! というパターンは例外にも程がある。
かといって、攻撃役をソニアに任せてしまうのは恐ろしすぎる。まず、出力が安定しない。俺とレヴィさんは、ふたりに比べたら補助役程度の攻撃力しかない。俺たちの本領は戦闘とは別の部分にある。
「いいと思います。ただ、……本当に、時期はいつになるかわかりませんが。俺はハロンズで少し落ち着いたらサーシャの故郷に行く約束をしてますし」
「私もいいと思うわ。
「ごめんなさい、ソニアさん……私の補助魔法が使い物にならないばかりに……」
「サーシャのことを
「お、俺もそれはちょっと思ってる」
「ソニアさんだけじゃなくてジョーさんも……!?」
ソニアと俺の言葉に、サーシャが明らかにショックを受けた顔をしている。
まさか、自覚がなかったのか? 自分が毎回ちょっとおかしい「腕試し」を要求していることに……。
サーシャのことだから、本当に無自覚かもしれないのが怖い。サーシャの後ろでレヴィさんが神妙な顔でうんうんと頷いていた。
「わ、わかりました……。これからは『腕試し』はできるだけ言わないようにしますね」
「俺やソニアを心配して力量を確かめようとしてくれてるのはわかるよ。でも……うん、古代竜は普通簡単に倒せる魔物じゃないと思うからさ。サーシャが強いのは全然悪いことじゃないんだけど、そのせいでちょっと周りと感覚がずれちゃってるってことを気に掛けてくれればいいよ」
落ち込むサーシャを宥めようと、俺は彼女の背を撫でた。こくこくとサーシャが頷く。
「自分も店の方向や料理人を雇う件についておとんを説得してみますわ。……ニューズからここまで、楽しい旅やったで。ほんまにおおきに。ハロンズで落ち着いたら宿も教えてな」
「サイモンさん、こちらこそありがとうございました。私も楽しかったです。それに……少し、勇気が出ました」
サーシャがサイモンさんに向かってにこりと笑う。
勇気が出た? サイモンさんの何で勇気が出たんだろうか。
「ほんま? ようわからんけど、とにかく良かったわー。おかん、醤油のこと頼むわ」
「せやな。樽は馬に乗せたらええ?」
「空間魔法で入れられるので、失礼でなければ保管場所へ案内してもらえますか?」
「空間魔法! あらー、凄いわあ! あれ、便利やなあ。ええなあ、うちも空間魔法の素質欲しかったわー! ほな、こっち来はって」
テンションが一層高くなったアンナさんの案内で、俺は裏口から店へと入った。食材がいろいろと置かれている倉庫の中で、確かに醤油の匂いがする。
「この樽持って行き。お礼か厄介払いかわからへんけど堪忍な」
「いえ、凄く嬉しいです。魔法収納空間の中なら時間も経たないですし、風味も悪くならないからたくさんあっても困りません。本当にありがとうございます」
俺は見えないファスナーを引く動作をして、魔法収納空間の中に醤油樽を入れた。それを見てアンナさんは目を丸くしている。
うん、無詠唱空間魔法に驚いたんだよな。
この反応も慣れたな。
「無詠唱の空間魔法! そんなん初めて見たわ! ……って、『その反応慣れてます』って顔しとるわ、ふふふ」
アンナさんはころころと笑った。サイモンさんもよく笑うし、ノリは時々疲れるときもあるけど、歯に衣着せない正直なところがほっとする。
「空間魔法がお好きなんですね」
「そらもう! 属性魔法より憧れやったわ。商人やったら喉から手が出るほど欲しいスキルやしね」
「それじゃあ、アンナさんがもっと驚くものをお見せできると思います」
俺は頑張って頬の筋肉を引き上げて笑った。
店から出ると、アオとフローが引き出されている。それに跨がってから、俺は見えないドアをイメージしてそれを開いた。
繋がっている先はハロンズの城門前だ。今日通ってきたから、一瞬で戻ることができる。
「移動魔法です。俺の魔法はテトゥーコ様からの授かりものなので、習得が凄く早かったんですよ」
「あらあらあらあら!」
俺が予想していたよりもずっと、アンナさんは移動魔法を見て喜んでいた。
なんだか、いいな。自分が利用するわけでもないのに、見ただけでこんなに喜んでもらえるなんて。
少し、母のことを思い出した。
「それじゃあ、ここで一旦お別れしますね。サイモンさんもアンナさんもお元気で」
「楽しかったわ、また旅ができるといいわね」
「ジョーの移動魔法もあるし、いつでも会えるからな」
「サイモンさん、お世話になりました。アンナさんもお体にお気を付けて」
口々にサイモンさんたちに挨拶をして、俺たちはドアをくぐる。
またなーという声が、背後から追いかけてきた。
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