55 新たな旅立ち――まだできません

 コリンは親方の元へ戻り、俺たちはアーノルドさんの元へ向かった。

 とりあえず「山とテントを語る会」は存続することになったから、急いで話を詰めなくてもいいよね、ということになったのだ。

 もしかしたらハロンズで新たな出会いがあって、新しいアイディアが仕入れられるかもしれないし。

 

 ソニアをクロとテンテンのお守りとして残し、俺とサーシャとレヴィさんはちょっと前までいつも泊まっていた宿屋へ向かった。

 アーノルドさんは、さっきレヴィさんと一緒にいたテーブルにまだ留まっていた。

 暗い表情で、恐らくエールの入ったジョッキを前にして何か考え込んでいるようだ。


「アーノルドさん……」


 付き合いの長いサーシャから見ると、やはりアーノルドさんの様子は尋常ではないらしい。サーシャが心配そうに声を掛ける。

 その声に、アーノルドさんはハッと顔を上げた。


「サーシャ! 聞いたよ、女神テトゥーコの聖女として認められたそうだな。おめでとう。俺も聖女認定の儀を見てみたかったよ」

「ありがとうございます。そうですね、アーノルドさんたちも呼んでもらえるようにお願いすれば良かったです。あの時は、急すぎていろいろ頭が追いつかなくて……」

「何があったかは聞いてる。頭が働かなくなって当たり前だ。そんな中で自分の思いを正直に神に願って奇跡を起こしたサーシャは偉いよ。さすが俺の自慢の妹だ。

 ……それで、さっきジョーから聞いたんだが、ネージュを離れようと思ってるんだってな?」


 来た、本題。

 俺とサーシャとレヴィさんの間にピリリと緊張が走った。

 

「はい……ここを離れるのは寂しいですが、ハロンズへ行こうと思っています。聖女聖女と持ち上げられても、重大なことが起きない限り、私は何も変わらないのです。でも、ここにいると街の人の目が、どうしても前と違ってしまって。私は聖女であることと関係なく、人々の助けになるために冒険者でありたいのです」


 悲しげに目を伏せたサーシャを優しい目で見て、アーノルドさんの視線はレヴィさんに移った。

 

「レヴィ、頼みがある。こっちのパーティーから、サーシャたちのパーティーに移籍してもらえないか? お前とは長い付き合いだし、俺の考えてることもだいたいわかってくれてると思う。サーシャたちは確かに強いが、ハロンズに乗り込むには経験という点で不安なんだ。お前がサーシャたちと一緒に行ってくれれば、俺は安心できる」

「アーノルドさん……」


 俺は苦い気持ちを込めて彼の名を呼んだ。

 俺たちが予想していた通りの展開になった……。きっとレヴィさんが俺と一緒に出かけてから、アーノルドさんはこのことをずっと考えていたんだろう。

 

 俺たちが「勇者の崇敬を散らさないように拠点を変えるには」なんて余計な心配をしている間に、アーノルドさんはおそらくはただの優しさから、俺たちと同じ答えを導き出していた。


「……わかった。他ならぬアーノルドの頼みだ、引き受けよう。サーシャ、ジョー、これから世話になる」


 レヴィさんが俺たちに向かって頭を下げてみせる。

 ほとんど茶番のようだけども、これは必要なこと。

 今も周囲にいる他の冒険者が、俺たちの成り行きを見守っているのだから。

  

「でも、たまには帰ってくるんだぞ! 無事な姿を確認できないと俺は心配するからな!」

「わかってます。アーノルドさんが過保護だけど優しいお兄さんだと言うことはわかってますよ。とりあえず、ハロンズに着くまでは毎日戻ってきます」

「毎日?」   


 俺の言葉にアーノルドさんがきょとんとしている。

 俺は何故毎日帰ってくるのかについて、サーシャたちにも話していない理由をここで説明することにした。


「まず、俺の移動魔法で行ける一番西の地点であるイスワまで移動します。その後、街道沿いにハロンズに向かいながら、途中の街を中間目的地として移動します。街に着いたら、ネージュの家に戻ってきて寝起きして、また移動魔法で前日に辿り着いた街まで移動して進みます。これを繰り返せば、俺が行ける街を増やしながら、負担なくハロンズまで辿り着けます」

「なるほど、移動魔法を覚えてしまったから、野営の必要もないんだな! 凄いぞ、ジョー!」


 アーノルドさんは眩しい笑顔を浮かべて、俺の頭をわしわしと撫でた。犬耳だったときの癖で思わずガードしてしまったけども。


「ネージュからハロンズまでは街道が充実してるからな。乗合馬車もあるが、今回はジョーの計画の方が早く着くし楽だろう。馬に乗っていってもいいが……レヴィは乗れるが、サーシャも一応乗れたよな?」

「はい、子供の頃から乗ってました。でもソニアさんとジョーさんは無理ですよね」

「無理です」


 悲しいけれど自己申告。馬にも乗れるようになっておきたいんだけど、乗れるようになるまで結構筋肉痛とかが大変って聞くんだよな。


「じゃあ、今のうちに乗馬の特訓だ! 依頼は今のところ受けるつもりはないんだろう?」


 キラリとアーノルドさんの目が光る。

 まるで「馬に乗れるようになるまでネージュから離れさせないぞ」と言わんばかりに。



 結局、俺はサーシャと、レヴィさんはソニアと相乗りすることになり、2頭の馬を調達することになった。

 例え手綱を持たないとしても、乗馬のコツを多少は掴まないといけないから、それは練習をすることになり――更に増えたな、動物が。

    

 馬の購入には冒険者ギルドを通すのが一番良いということで、サーシャとレヴィさんにそちらに向かってもらい、ソニアにはいくつかの買い物を頼んで俺自身はイスワに向かった。

 移動魔法を使い、見えないドアをくぐった先は……間違いなく、見たことのある光景。

 澄んだ水を湛えた池があちこちにあり、ニジマスが鱗をきらめかせて泳いでいる。

 

 前にここに来たときは、宿の主人が俺のニジマス好きを喜んでくれて……。

 挨拶に行きたいけど、もう夕方が近い。宿は忙しくなる時間だ。

 俺は以前にニジマスを買った食料品店で活きのいいニジマスを30匹ほど仕入れて、すぐさまネージュに戻った。



移動魔法でネージュに戻るとき、蜜蜂亭の前をイメージしておいたらその通りの場所に出ることができた。これは、便利だ!


「レベッカさん! 新メニューがありますから今晩貸し切らせてください!」

「いきなりね? うちの貸し切りは高いわよ」


 突然店に駆け込んできた俺を見て、レベッカさんが笑顔のままでさらりと言う。

 

「レベッカさんの手もお借りしたいんです。そうするとお店の方が回せないかと……」

「大丈夫よ、うちの店の子たちを甘く見ないでもらいたいわ。――ネージュを出てハロンズへ行くんですってね。今夜はお礼に御馳走を振る舞おうっていうこと?」


 うっ、情報ももう回ってるんだ。さすがにこの人にはお見通しだし……。

 でも、状況から考えてそれ以外ないよな。

 俺は素直に頷いて、シンクの中にニジマスをドンと出した。


「すみません、俺ひとりで捌くと時間が掛かるので、手伝ってください」

「場所的にもうひとりいけるわね。マーク、ちょっとこっちを手伝って」

「はい、店長!」


 メリンダさんに呼ばれてやってきたのは、年頃も背格好も俺と同じくらいの青年だった。

 3人で黙々とニジマスを捌き、鱗を取る。途中から俺は捌いたニジマスに塩と胡椒を振って、大きな皿に積み上げた。全部集まってから魔法収納空間へ収納。

 

 その頃になると足りなさそうなレモンを買ってきてもらえるように頼んでいたソニアや、俺からの伝言で集まってきた人たちが続々と蜜蜂亭にやってくる。

 アーノルドさんのパーティーと、俺たちのパーティー。それにソニアのお父さんの方のクエリーさんと、弟の方のクエリーさん。コリン、エリクさん、ハワードさん、レベッカさん。

  

 サーシャがやってきた人たちにお礼を言っている間に、俺は30分経過させたニジマスを取り出して、ムニエルを作り始める。

 一番大きいフライパンを出してもらって5匹ほど同時に焼き、他のコンロではレベッカさんとマークさんが俺の真似をして同じようにニジマスを焼き始める。凄い。

 30匹もあったのに、俺の想定外の速さでムニエルが焼き上がった。フライパンに残った焦がしバターでレモンバターソースを作るところまで教えて、ムニエルの方は大皿に、ソースは器に入れて出そうとしたんだけど……。

 

「ちょっと待って」


 来た、レベッカさんのちょっと待って!

 レベッカさんはマークさんにパセリのみじん切りを指示しておいて、個別の皿にニジマスをきちんと盛り付け、その横に作り置きしてあったマッシュポテトを添えた。

 ポテトの方にパセリを振りかけ、ソースが綺麗に見えるようにスプーンで丁寧に掛ける。格段に見栄えがいい……さすがプロの料理人だ。


「蜜蜂亭で大雑把な料理を出すのは許さないわよ」


 そして俺は怒られた。確かに俺のやり方は大雑把だったな。


 その日の夕食は、ほんの少しだけしんみりしてはいたけども、和やかで、賑やかだった。


「小骨があるから嫌とか言うんじゃないわよ? せっかくジョーが作ったんだから」


 メリンダさんがアーノルドさんとレヴィさんに釘を刺し、「わあ、これ食べたかったんです!」とサーシャは大喜びしている。

 クロは味付けせずに焼いただけの魚の身をほぐしてやった。テンテンはトウモロコシ粉で作ったミルク粥に顔を突っ込んでいる。可愛い。


 ニジマスのムニエルは嬉しいことに好評だった。特にレベッカさんに。

 多めに作ったから、今回はサーシャも2匹食べて満足そうだ。蜜蜂亭の従業員たちも、物凄く真剣な顔で一口一口分析するようにムニエルを味わっていた。


 準備もいろいろとあるから、ネージュからの出発は一週間後と決まった。

 最後の準備が、俺たちを待っている。

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