38 呪いの首輪とんでもねえ!

「………………」

「……」


 場を支配する沈黙。

 いたたまれなさ100%の俺。


 確かにサーシャの言う通り、こんなところにある物に迂闊に触っちゃいけなかったんだ。

 タンバー様の像は、泉の水を先に掛けたから大丈夫だったんだろうか。

 俺は反省した。海よりも深く。


「……ぷっ!」


 しおしおとした俺に降り注ぐ、理不尽な勇者の吹き出す声!

 何事かと思って顔を上げたら、残念なものを見たようなメリンダさんとギャレンさん、そして、複雑な顔をしたソニアとコディさん、とどめに、口を手で押さえてプルプル震えているサーシャとアーノルドさんとレヴィさん……どういうことだ?


「ジョーさん、み、耳が……耳がぺたんって……」

「えっ!?」


 俺は慌てて頭の上に手を伸ばした。手に触れるのは、もふっとしながらも滑らかな毛の感触だ。


「あ、今ぴこんって立ちました! か、可愛いっ!」

「サーシャ、可愛いとか言ってる場合じゃないわよ、これって呪いでしょ!? 解呪しないと!」

「いや、メリンダの言ってることが正しいのはわかるんだが……正直、解呪する前にちょっと触りたいと思ってる俺がいる!」

「この変態勇者! サブカハの泉で顔洗って出直してらっしゃい!」

「悪い、俺もせっかくだからちょっともふもふしたい」

「レヴィまで!?」


 俺がぽかーんとしている間に、メリンダさんの鋭いツッコミが炸裂しまくっていた。

 え、もふもふしたいって、俺の耳をか……?

 そんな暢気なことを言ってて平気なのか?


「ジョーさん、耳以外で、どこか苦しいとかないですか?」


 心配そうなコディさんの言葉が俺に向けられる。それで改めて俺は自分の状態を調べてみたけども――特にないな、耳以外は。尻尾も生えてない。


「犬耳が生えてる以外は特に変わりないです。首のこれも、苦しい感じはありません。ちょっと隙間もありますし。寝るとき不便かもしれないけど」

「上位聖魔法で解呪できますから……アーノルドさんたちの手がわきわきしてるから、ちょっとだけ触らせてあげてください……あ、それと、ジョーさんが神像を洗い清めたおかげか、瘴気は綺麗に消え去りましたよ」

「ひえっ!?」


 正直、瘴気云々の話の方はあんまり頭に入ってこなかった。

 確かに振り向いたら、サーシャはまだいいとして、アーノルドさんとレヴィさんの目がやばい。


 ど、どうしよう! 俺、めちゃくちゃにされてしまうのか!?



「おおおお、つるふわ……柔らかい! この絶妙なもふもふ感がたまらないな!」

「ひゃあぁぁぁぁ……」


 結局俺は変態勇者に捕まって、耳を両手でもみもみされていた。

 凄い、凄いこそばゆい! 足の裏と脇腹以外でこんなに触られて変にくすぐったいところは初めてだ!


「アーノルドさん、もう交替ですよ! わぁ! 本当に犬の耳ですぅ~、いやぁ~、可愛いー!」


 サーシャの笑顔が眩しい。でもそれどころじゃない。

 耳……耳いじられるの結構辛い。気持ち悪いとかじゃなくて、ゾワゾワとするけどちょっと気持ちいいので凄くまずい気がする……。


「よその飼い犬は滅多に触れないし、野犬は尚更触れないからなあ。ああ、久々の犬感!」


 サーシャと交代して俺の耳を堪能するレヴィさんも普段見ないようなうっとりとした顔をしている。

 ソニアの視線が痛いぞ……。


「あと、あともうひともふりだけ……」

「ずるいです、私も!」


 そして俺は3人にもふられまくり、ついに床に倒れ込んでビクビクと震えてしまった。


「も、もうやめてくだひゃい……」

「ジョーさん!? ごめんなさい、あまりにも手触りが良かったので!」


 思わず耳を手で押さえて隠してしまう。その俺に救いをもたらすように、コディさんが詠唱を始めた。おそらく解呪の呪文なのだろう。


「デウス・ヴェリット・ホーマ・プレアヴァリキャトル・エスト・アナシェーマ・ディミーナ・ロン・ネリ・タ・モーリ!」


 コディさんの体から、温かな光が放たれた。

 そして俺は――何も変化がなかった。ナンデ!


「解呪が効かない!? サーシャさん、重ね掛けをお願いします」

「わかりました! デウス・ヴェリット・ホーマ・プレアヴァリキャトル・エスト・アナシェーマ・ディアム・ロン・ネリ・テットゥーコ! ……ええええ、駄目ですね。どうしましょう。もしかすると、タンバー様のプリーストじゃないと効果がないのかも」

「……お、おれ、ネージュに帰るまでこのまま……?」


 息も絶え絶えに尋ねると、プリーストふたりが残念そうに頷いた。



 俺の耳を狙う3人には、ネージュに帰るまで絶対耳を触らないことを約束させて、俺たちはタンバー神殿を後にした。

 壁に付いている魔法設備による灯りは先程よりも明らかに弱まっていて、俺たちが神殿から出たときには篝火も消えていた。


 はっきり言って、変化が起きていることが怖かった。

 これが本当の心霊現象か……。実害がなかったからいいけど。


「あ、あれ?」


 神殿を出たら真夜中で、満月が煌々と辺りを照らしている。

 その光を浴びた途端、俺の手の甲に黒い毛がわさわさと生え始めた。


「待って!? ちょっとヤバいです!」


 その言葉を最後に、俺の体はみるみる変化し、視界がどんどん下がっていった。


「犬ゥー!」


 ……レヴィさんの雄叫びが聞こえる。

 俺の目に見えているのは、袖からちょろっとはみ出した犬の前脚。


 なんてこった!! これはとんでもない呪いの首輪だ!

 満月のせいか、夜になったらなのかわからないけど、俺の体は完全に犬に変化してしまっていた!



「……ジョー、鏡見る?」

「わふ……」


 ソニアが差し出した手鏡には、アヌビスとよく似た犬の姿が映っていた。

 違うところは、首の周りの金の模様がないところと、艶やかな黒い石でできた首輪を付けているところ。


 大型犬、と言っていいだろう。後ろ足で立ち上がったらサーシャと同じくらいの身長になりそうだ。

 犬耳は周囲の音をよく拾う。鼻も利く。思ったよりも雑多な匂いが入り交じっていたけども、唯一俺の心を救ったのは、タンバー神殿から血の匂いがしなかったことだ。


「きゅーん……」


 犬の体には人間の服は合わない。靴はもちろんのこと、ズボンも脱げた。上着はかろうじて引っかかっているけど、明らかに憐れみの表情を浮かべたコディさんが脱がせてくれた。そして彼は俺の服を全部畳んで抱え、大きなため息をつく。


「困りましたね、いろいろと」

「くぅん」

「ジョーさんの事はタンバー神殿に行けば多分なんとかなるとして、野営に関する道具が全部魔法収納空間の中なんですよね」


 そっちか! そっちを心配しているのか!

 犬になってしまった俺を見て、さっき耳をもふり倒した3人は息を荒げている。ヤバい、怖い……。


「駄目、駄目よ。ジョーが怯えてるじゃない。ほら、尻尾を丸めて後ろ足の間に入れてるわ」

  

 メリンダさんが臨戦態勢の3人を押し止めてくれている。女神か!

 俺はいそいそとメリンダさんの後ろに回って、思う存分ガクブルと震えた。多分耳もぺたんとしただろうし、尻尾も完全に脚の間だ。


 しかし、困ったなあ……。

 俺が空間魔法で荷物を持つのを前提にしているから、全員本当に戦闘用の装備と最小限のものしか今は持っていない。水も食料も、俺の魔法収納空間の中だ。


 メリンダさんの後ろに隠れたままで、俺は前脚を動かしてみた。心の中に浮かべるのは、見えないファスナーを掴んで開くイメージ。

 すると、空間魔法を使ったときに見えるモヤモヤが目の前に現れた!

 こ、これは、無詠唱万歳だ! 犬の状態でも空間魔法が使える!

  

「わん!」


 勢いよく立ち上がって一声鳴くと、俺は家をどんと出して見せた。周囲からは驚きの声が上がる。

 コディさんが服を差し出してくれたので、それは魔法収納空間にしまった。これを着られるのはいつになるだろうか……。


 不安になりながらもテーブルセットを出し、食事を並べる。みんなチラチラと俺の方を気にしながらも食事をし、今日は風呂の湯も張って入浴できるようにした。――俺は入れないけど。


 俺の食事は、特製麦粥だ。器に盛られたものを、冷めてから食べる。

 物凄く、犬感……。

 鼻が長いから食べにくいけど、一応は食べられる。


 ああ、本当に困ったなあ。


 俺は床に毛布を出して、そこに丸まって眠ることにした。

 少し落ち着いた俺に、サーシャが歩み寄ってくる。


「あの、ジョーさん……」


 それだけ囁いてから彼女は後ろを向き、小さなため息をついた。


「いえ、なんでもないです。おやすみなさい。……朝になったら戻ってるといいですね」


 サーシャが何を言いたかったのかとても気になったけども、俺も小さくくぅんと鳴いておやすみの代わりにした。

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