俺と兄貴と4月14日

水原麻以

俺と兄貴と4月14日

4月14日は何の日だろう。俺は知っている。

そうだ。

「うふふ。4月14日はボレンタインデーなんだぜ♡」

俺は大好きな兄貴のために目いっぱい愛嬌をふりました。

「なんだそれ?」

兄貴は洗い物をしていた手を休めて振り返る。チェリーピンクのエプロン姿がかわいい。

「知らねえのかよ。兄貴」

「バレンタインなら知ってるが。あれは腐女子のものだろう。俺達には関係ないな」

「関係ありありだよぅ。兄貴」

俺は兄貴に後ろから抱き着いた。

「うわ、何だ唐突に。甘えん坊め」

「だって兄貴がつれないんだもん。ボレンタインデーというのはねっ♪ボーイズのためバレンタインだよー」


「あ、あー……」

あっけにとられている。その無防備な心に火災がかくれんぼしてる表情がたまらない。「ボレンタインってお前…」

うっかりして滑り落ちる皿。

「ああっ、それは兄貴のお気に入り」

ふわとろ卵黄たっぷりのオムライスが好物でこの皿でないと食べない。そんな重要アイテムを俺はナイスキャッチした。さささっとマッハで手洗い。コツは兄貴の背中越しに学んだ。俺って主夫の才能あるある。

「ちょ、おま…やるじゃん」

見直したというまなざし。わぁい兄貴に褒められた。

そして間髪をいれず兄貴を俺のペースに巻き込む。

「ああああ、あああ」

チョコレートを贈るなら手作りに限る。かねてより冷蔵庫に用意したる材料をババーンと並べてゴーイングクッキングタ~イム。

4月14日は何の日か。正式にはオレンジの日である。愛媛県の農家が日本記念日協会に登録した。その趣旨によれば柑橘類は繁栄の象徴であるらしく、この日には花婿がオレンジの花飾りで嫁実家を訪れる風習があるとかないとか。

もちろん、俺が兄貴の伴侶であることは疑う余地もない。

ごたくは置いといて兄貴のためにオレンジピールでガレットオランジェの製作にとりかかる。

オレンジピールをシロップで煮てスイートチョコと混ぜ合わせる。リキュールとバレンシアオレンジの香りがぷんぷんする。クッキー生地はクリスプに目がない兄貴向け。サクサクでアーモンドクリームを混ぜる。俺はナッツ類はあまり好きなほうではなかったが、いつのまにか魅力のオーラに取り込まれていた。だって幸せそうに頬張るんだもん。見ているだけでほっこりする。

最後はリキュールで〆てとどめはピスタチオだ。これも兄貴のビールの友。俺と兄貴を取り持つキューピットでもある。


兄貴はフリーズしたままだ。このままずっと一生見守っていてほしい。大丈夫、俺は誰の女のものでもなく、兄貴ただ一人のものだから。

「ほぅーらよ。あ、に、き、ハッ、ピー、ボ、レン、タ、イン!」

1文字ずつガレットを置いていく。すると兄貴はトロンとした顔つきで何やらぶつぶつつぶやいている。

大丈夫か。俺は心配になって覗き込んだ。

「何だお前。俺をこれ以上甘やかしてくれるのか、俺にチョコをあげるのが好きとかいう人だったら俺はどんな風に育つか楽しみだ。だから俺が元気をお前にあげるから心配すんなって」

「おーう、兄貴、俺に言ってくれるとは!悪くない気分だよ」

俺は兄貴の背中をばんばん叩いた。

「うっ、うう、俺の背中を叩いたな。くそ、泣かせてくるぜ」

兄たちは悔しそうな顔をして兄貴の後ろにいた誰かが俺の肩をぎゅっとつかんだ。

「お、おい!何やってんだ」

「ねぇ、お兄ちゃん、あたしのチョコなんて欲しくないの?」

後ろから声をかけられた俺は振り向くといつぞやの美少女が、兄貴と俺を見てニコリと笑う。濃紺のセーラー服にスカイブルーのリボン。胸当ての部分から青い縁取りの丸首体操服がのぞいている。

「い、いつぞやの」

「いいだろ、可愛いだろ。俺たちの可愛い妹」

「お、おう」

妹なんて言っちゃってるが、同じ屋根の下に男兄弟二人っきりだ。残念ながら兄貴はよく持てる。それで兄貴パイセン公認の妹枠がキープされている次第。

「兄さんたち、これからお友達とお勉強デーに出かけるんだけど付いてきていかないの?」

チョコレートは甘くない。お昼を食べさせ合って、そして甘い菓子をいただくのがバレンタインデー。兄からしたら俺は妹なんて別の生き物として扱うらしい。

「これさ。弟クンのガレット。オレンジたっぷり愛情たっぷり」

兄貴の奴。手塩にかけて焼いた俺の銘菓を、しかも3枚だ。妹やらは、それをひょいっとつまんでパクっと平らげた。

食虫植物か、お前は。いやしんぼめ。だから女は嫌いだ。

だが「んー美味しいです。さすが弟さん」とにっこりされると悪くない。

なんだ、この逆流血液現象は、モゾモゾする。

「今日はオレンジデーだしな。ラブラブハッピーに男子も女子もないだろう。いこうぜ」

兄貴のやつ、いけしゃあしゃあと俺を誘う。

「いいですね♪お友達のお家でいかがです?お友達と二人でしたことのお手紙を書くのも楽しかったし。それと一緒にいってくれる?お友達は勉強ができる子ばかりなの♪」

そんな、ふわっとアップにしておでこを出したヘアスタイルで愛嬌をふりまかれてもなあ。モテ女子の定番をおさえてやがる。彼女は策士だ。

ちくしょう。不覚にも萌えた。

「お、おう」

甘くない俺に何を求めているのか全くわからない。俺はいつのまにか甘くない兄たちからチョコレートをもらってきたし、甘くない俺にしてみればチョコレートも甘くない。その他は全てチョコレートだ。

「お返しといっちゃなんですが」

ゴツゴツした手触りの個包装を手渡された。パッケージデザインがものものしい。ダ、ダークボルトだと。

「兄貴、このお菓子は何だよ?」

「まあ、見てからもらえばいいか」

「お、おう」

封を切るとそこには見覚えのあるチョコレートが入っていた。ナッツと糖分で一食分のカロリーを越えるという、しかも喰い方をしくじると銀歯が抜けるという驚異の粘着質を誇る、褐色の憎い奴。


というわけで、兄貴にのこのこついてきてしまった。妹君の実家は姫御殿であった。きゃあきゃあとJKがかびすましい。案の定、下心ありきでしょ、みたいな目線で迎えられた。

そんなつもり無かったなど言えるはずもなく、イケ兄貴の弟分としても山ほど甘々な迎撃をされた。そのお菓子はどうでもよい。俺は早速そのお菓子の食べている女子たちの方へ向かった。

友達になりたいとう子が待っているらしいのだ。勝手に妹募集中にされた。

だから、女は嫌いだ。

柏木由紀をフライパンで三回叩いたような子が言う。

「お初にね。あなたのお友達が誰なのかわかる?」

「いえ、まだです」

「では、お友達のところへ案内するわ。そこならきっとそのお友達が待っていてくれるはね」

「わかりました」

「よろしくね。あなたもこれに見覚えはあるかしら?私が買った子のものは覚えてないのかしら?」

「……いえ、ありません」

「そっか」

「あの。お金は出します。べ、別に奢られる関係でもないんで」

といいつつ、俺はチョコレートをもらっていった。

お金は出すと言ってるのに食べさせてもらっている。

つまり、これって、ええっと…。

(ヒモとか囲われるっていう状況じゃないのか)

心臓がドキドキする。だって他人に良くしてもらったりしてあげたりって、ずっと兄貴オンリーだった。

オンリーラブだよ。兄弟愛は、男同士の愛情は無償だ。

それなのに俺は対価を払わず女子に優しくしてもらっている。


(これって、女の子を『買う』ってシチュじゃないか)

心拍数があがる。これは兄貴に対する裏切りだ。BLの神様に対する冒涜だ。

そうは言っても女の子たちは俺に甘々な目線で刺す。


(ガチでやべーぞ。女の子、買っちゃいましたよ。俺)

ほんと、どうしよう。

こまった。

俺は買ったことがないんだよ。


でも、俺には女の子のためにチョコレートだけではなくお菓子も買えない。それなのに、これからはそうしたり可能性があると言ったらこの人は理解したらしい。

「弟クンさん、かぁいい」

か、かわいいって何だ。

「ねぇ、あなた。弟クンさんったら、フラグ立っちゃったんだってぇ」

劣化柏木由紀は眼鏡女子を紹介してくれた。


(はわわ。俺の妹枠が埋まってしまう)

ヤバいほど手に汗を握りしめる。

俺はどうかしてしまったか。

「そうそう。あなたはあの子たちの面倒を見て貰わないといけないのよ」

「うん、そうよね」

劣化は俺を置き去りにして話を進めていく。


「私はこれからあなたたちの勉強を見に行ってくるから、あなたは少しずつやっていって」

「うん、わかった。ありがとう」

この人は何もわかっていないのか何も言わないが、俺が何もしないでその後ろの人に言われたことをやっていると思い込んでいるのだろう。

俺がこの人を理解していないのにどうして……。


女という生き物は不可解で不思議で不気味だ。だいたい、どうしてつるむんだろう。勝手に巻き込むんだろう。

それでも劣化や眼鏡と一緒に勉強して過ごす時間は悪くない。

俺はこれからお菓子とチョコレート、両方をたくさん勉強したいと思っているようだ。もしかしたら俺はこの人より優れているかもしれない。

鬼のような宿題はあっという間に片付いた。

「帰るぞ~我がおとうとよ」

西日が赤く染まるころ、兄貴がこっちの部屋へ迎えに来た。

「何でこうなった、兄貴」

俺は問い詰めた。劣化がフラグどうこう言ってたので策謀を感じたのだ。

「だって、おめー。俺を巻き込んだじゃん」

兄貴がてへぺろしやがった。そうか、オレンジデーにかこつけた俺がバカだった。兄貴は賢い。もっと甘々な世界を俺に見せようとした。


うん、負けたよ。俺の敗北です、兄貴さま。

「ねー。弟クンー。きょーは何の日だか知ってるぅ?」

性懲りもなく劣化が寄ってきた。

「知らんがな」

俺がやさぐれていると彼女はとんでもないことを言った。

「タイタニック号が沈んだ日」

「あっ!」

俺は思い出した。ミレニアムだか世紀末だかに結婚した母が好きな映画だ。ドはまりして出て行った親父と結婚したという。

名セリフはたしか、世界が広がるとかなんとか。

「やられました」

俺は兄貴の前に轟沈した。

「じゃ、ごゆっくり」

彼は妹枠を家まで送りに行った。

俺は彼女よりもう少しやることをして、彼女の俺像に関しての理解を聞くために残ることにした。


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俺と兄貴と4月14日 水原麻以 @maimizuhara

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