第6話 芳醇で甘いワインの香り、苦い過去
「まったく、あの機械人形め……」
ゲイリーは、いまだズキズキと痛む、ニーアに蹴られた腹をさすりながら古酒を飲んだくれていた。ニーアに教えて貰った薄暗い地下室のなかである。
そこには雑然と真空パックの飲料や食物が、床に転がっている。そのなかのワインと思われる液体を、ゲイリーはおそるおそる開封し喉に流し込んでみたが、その状態はことのほかよかった。味はやや苦みこそ目立つものの、それは上質な貴腐ワインのように滋味に富んでおり、酒に飢えたゲイリーの喉を潤すのに十二分な代物であった。
ゲイリーはそれまでの鬱屈、ことにガラスドームの中で喰らった、自らの狼藉への反撃の恥辱を晴らすかのように、次々とワインのパックを探し出しては、喉に流し込んだ。漸くあの忌々しい頭痛は消え失せ、手の震えも止まり、ゲイリーは存分に、久しぶりの美酒が授ける恍惚のなかに浸る。理性など吹き飛んでしまえ、と彼は思いながら酒を口に含み続けた。
だが、ふと手元のパックの刻印を見れば、そこにはたしかに約500年前の日付が刻まれている。そのたびに彼は意識を朦朧とさせつつも、ガラスドームのなか、そそりつ無数の本棚の元で聞いたニーアの話が、偽りでないことを思い知らされるのであった。
「元人間のアンドロイドか……ニーアとやらは。そして、「
ゲイリーは酒を啜る手をふと止め、薄闇のなかで呆けたように独りごちる。自分の発したその声、そしてその言葉の中身も、ずいぶん白々しく己の耳に木霊する。なにかが歪んだ夢の中にいる気分だ。だが、サナトリウム行きの船に乗せられ、地球を出立し、船が故障し、この星に辿り着き……。
……そしていま、約400年の時を生きるアンドロイドの少女と、俺はいる。
「……これは現実だ」
ゲイリーは弱々しく呟いた。いくら酒を流し込んでも完全に飛び去らない、理性の欠片が、彼に現状を認識するよう強いてくる。それがなんとも煩わしく、ゲイリーは不意に、飲みかけのワインの入ったパックを壁に向けて投げつけた。べしゃっ、と音がして、ワインの飛沫がゲイリーの無精髭だらけの頬にかかる。地下室中にアルコールの匂いが広がり、彼の鼻腔をもくすぐる。
彼は、地下室の床に両手をだらしなく広げ、ばたり、とその身を転がせた。暗い天井が彼の視界を占める。それは、彼が十何年と親しんできた、眩しい宇宙の暗闇でなく、ただ暗く沈む薄闇でしかない。ゲイリーには、それがなんとも虚しかった。
彼は弱々しく呟いた。
「あの事件さえなければ……俺は今も、ご機嫌に宇宙を飛びつつけていたんだ……」
……唐突に、ゲイリーの耳の奥で、あの時の、取調官たちの厳しい声が木霊する。
「ゲイリー・サンダース。トランクの中から見つかった白い粉は、分析の結果、合成麻薬と正式に判明した」
「それと、先日採取した君の尿からも、同じ成分が認められたよ」
……それは、瞼の裏に浮かぶ、自分が航海士として乗船していた船の中の小部屋で告げられた、予想もしていなかった出来事の一部始終。
「俺はそんな粉をトランクに入れた覚えはない……! それに、麻薬なんぞ、吸ったこともない!」
「あきらめろ、サンダース。状況証拠から見て、お前が麻薬の運び屋を担っていたのは、言い逃れのない事実だ」
「ふざけんな! 俺は知らないと言っているだろう!」
だが、彼らはゲイリーの抗弁に聞く耳を持つはずもない。彼は激高して、机を蹴りとばした。すると、取調官のひとりからの鋭い殴打が、ゲイリーの胸を抉る。
椅子から床に転がり落ちたゲイリーの顔を、他の取調官が踏みつけながら問うた。
「ぐうっ……!」
「諦めの悪い奴だ。サンダース。それでも栄光ある航海士か?」
「麻薬密輸は重罪と知っているだろう。航海士の免許はこれで永久剥奪だな」
床に倒れたゲイリーに唾を吐きかけながら、取調官たちは嗤う。それから、彼は両手を捕まれた。
……がちゃり、という音に手首を見てみれば、そこには冷たく光る手錠がかけられていた。
「しょうがねぇ、男だよ。……俺は」
ゲイリーはワインの匂いでむせかえる地下室に転がり、そのことを思い出しつつ、自嘲する。ゲイリーは思う。いったい、あの時と今と、どちらが惨めで、滑稽なのか。
……判断しようがねえや。
暫くの後、地下室の仄暗い空間に、彼の乾いた虚ろな笑い声が響いた。
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