彼女のおっぱいが桜になった話。

透真もぐら

彼女のおっぱいが桜になった話。





 彼女のおっぱいが桜になった。もっと詳しく言えば、彼女のかわいらしい乳首が桜の種になった。


「八重…お前それ……」


「和くん…私のおっぱいが……」


 今朝、そのことに気づいた僕たちは急いで顔見知りの街医者に駆け寄った。街医者は自分では到底診察できないと言い、改めて有名な医師を紹介してくれた。


「ソメイヨシノですね。」


「は?」


「ソメイヨシノです、その種。」


 目の前で座る初老の女医師はそう言った。有名な大学を出て、確かな実績に裏付けされた診察が好評だったその医者は確かにそう言ったのだ。

 原因はわからないし、治療方法もわからない。


 そもそも病気かもわからない。


「ぐす…ぐす……」


「八重……大丈夫か?」


 もともと病気がちだった彼女は寝込むようになった。男の僕には女性が自分の胸にどれほどの愛着を持っているのかまではわからないが、おそらく僕は自分の男根がバナナにでもなってしまったら彼女と同じく寝込むだろう。


「八重…大丈夫だ。八重……」


 思えば最近彼女とは喧嘩ばかりしていた。彼女の名を呼ぶのも数日ぶりだったかもしれない。


 咽び泣く彼女の背を撫でることしか今の僕にはできなかった。八重は何度も自分の乳房の感覚を触っては泣き、撫でては泣きながらも懸命に確かめていた。


「大丈夫だから、八重、もう寝よう。」


「和くん……」


「何?」


「私のこと見捨てないでね。」


 嗚咽混じりの彼女の声に僕は二度頷いた。


「僕が八重を支えるよ。」



 それから数日して、八重の桃色の乳首から瑞々しい緑色の芽が生えた。






 ☆


 僕、三津和佐と桜木八重の出会いはある写真家の個展だった。当時、写真家を目指し始め、勉強し、自分の実力がいかに不十分かを自覚し始めた僕はその個展で嫌と言うほどに絶望した。


 自分にはこんな写真は撮れないのだと苦しいほどに突きつけられた。


 額縁に入ったその一枚一枚を妬みのこもった鋭い目で睨んでいた僕は、一人の少女が近づいてきていることに気づかなかった。


『大丈夫ですか?』


 最初は、それが自分に向けられた言葉だとは到底気付かなかった。しかし彼女に肩を叩かれ、それが僕に対する言葉だったことを知った。


『え?』


『いえ…苦しそうな顔をなさっていたので…あ!突然声をかけてしまいごめんなさい!』


『…苦しそうな顔してましたか?』


『え、ええ…とても。』


『……そうですか。』


『何か悩みがあるなら聞きますよ。』


『え?』


 それが桜木八重だった。彼女は絵で描いたような箱入り娘で、世間の物事に疎かった。だが僕にはそのズレが心地よかったのだ。


 恋が始まるような出会いというわけではなかった。運命でも何でもなくただただ彼女の善意により始まったものだった。


 それでも僕たちが交際するまでに発展したのは、単に写真の趣味があっていたからである。

 彼女はよく僕の撮った写真を褒めてくれた。彼女と交際し始めて僕は人を妬むことをやめた。


 僕は本当に彼女が好きだった。何度も言葉を交わし、何度も唇を交わし、何度も同じ夜を過ごした。


 彼女の体の全てを知りたいと、自分だけは知る資格があるのだと愛を育んだ。




「八重、ごはん食べられそう?」


「うん…ありがとう和くん。」


 寝たきりの八重にお粥を差し出す。八重は申し訳なさそうに口を開いた。


 彼女のおっぱいに生えた桜は順調に育ち始めた。八重が自由に動けないほどには重く、大きく、美しく桜の木は育ち始めた。


「それ…痛いの?」


「ううん。神経は通ってないから…ただ下向きに引っ張られる感覚があるだけ。」


「そう…」


 医者からは入院することを勧められたが、八重は断った。彼女は上の服を着ていない。桜の木が邪魔で着ることができないのだ。そんな姿で人前に出ることを彼女は良しとしなかった。


 彼女の乳房を見る。


 桃色の乳首から茶色の瑞々しい枝のようなものが伸びている。僕はその葉の部分にそっと手を伸ばした。


「…やめてよ。」


「あ…」


 彼女の拒絶の声が思ったよりも重いものだったので、僕は弾かれたように手を離した。


「ごめん。」


「……私もごめん。」


 緑色の葉が揺れた。この桜の木には花が咲くのだろうかと、僕は考える。


 この花が咲いたとき、僕たちはどうなるんだろう。






 ☆


『何回も言わせないでよ!』


『そっちこそ、なんで僕の言うことを理解してくれないんだ!?』


 僕と八重はまた言い争いをしていた。


『私を置いて…ほかに好きな人ができたの?』


『違うって!ただ僕は自分の夢を掴もうと…』


『じゃあ何で海外に行くなんて言い出すの!?』


 ヒステリックな調子で叫ぶ彼女に、自然と僕の機嫌も悪くなっていった。


 僕は日本を出ようとしていた。移住するわけじゃない。たった1ヶ月の海外旅行だった。自分と、自分の写真を見つめ直すいい機会だと思ったのだ。


 しけし八重はそれを良しとしなかった。僕がその話を持ち出した途端に彼女は子供のように叫び出したのだ。


『だったら…八重も一緒に来ればいいじゃないか!お前だって海外旅行に行ってみたいって言ってたじゃないか!』


『無理よ!私は体が弱いから海外旅行なんて耐えられないわ!なんでそんなこともわかってくれないの!?』


『そんなの…わかるわけないじゃないか!』


 いつもの彼女とはかけ離れたその姿に僕は怒りと共に困惑していた。それに八重の体が悪いのも本当のことだった。


 病弱な彼女を1ヶ月も放っておくことは僕にはできなかった。僕だって彼女のことを愛していたからだ。


『……………』


『…ごめん、もうこの話はやめよう。』


『……………』


『…ほら、機嫌なおせよ。』


『…私もごめん。』


 僕も八重も元々は大人しい性格で、喧嘩が長く続くことはなかった。それでも二人とも頑固で、妥協することはなかった。


 僕たちは度々、この話をどちらかが持ちかけるたびに喧嘩して、仲直りとも言えないまま無理矢理終わらせて、二人一緒に寝た。





「八重、起きてる?」


「………………」


「寝てるのかな…」


「起き、てる。」


「ああ、よかった。」


 僕は彼女を見上げた。緑色の葉が揺れていた。


 僕たちは今まで住んできた家から引っ越し、一軒家を買った。同棲していた家は彼女にとって狭すぎたのだ。それほどまでに彼女のおっぱいから生えた桜は大きくなっていた。いや、もうそれはおっぱいとは言えなかった。


 僕には見慣れたはずの彼女の体のどこに胸があるのかわからなかった。

 ただ桜の木に浮かぶ彼女の顔だけが人間のままのものとして認識できた。


 彼女の桜の木は、おっぱいは体全体を包むように成長していた。


「体拭くよ。痒かったら言って。」


「うん、あり、がとう。」


「………うん。」


 彼女はもううまく喋れなくなっていた。彼女から生える桜の木はとても硬い。傷をつけることだってできない。そしてその硬化現象が彼女の体の隅々にまで及んでいる。


 彼女の体を撫でていく。ゆっくりと隅々まで撫でていく。二本あった桜の木は大きくなり、絡まるように一本の桜の木になった。


 時折人間らしい、否、彼女らしい柔らかい人肌の感覚を見つけた。肌色ではなく木の幹の色をしていたが、それでも彼女のものだった。


 丁寧に、丁寧に撫でていく。


「和く、ん。くすぐっ、たい。」


「! ああ…ごめん。」


 僕はその部分から手を離し、違う部分を撫でるように拭き始めた。時折、柔らかい部分を見つけては彼女にくすぐったいと言われ、手を引いた。


 彼女を拭き終わり、僕は彼女の顔の方に行く。


「和く、ん。ありが、とう。」


 僕は彼女の唇に自分の唇を重ねた。その唇は硬く、明らかに人間の肌質ではなかった。


 僕は彼女の眠る部屋から出た。彼女は家を突き破るようにそこに存在しているのだ。


 そして僕は自分の部屋に籠る。


「はぁ、はぁ。」


 僕は彼女の柔らかくそして硬い肌、舌ったらずの話し方、恥ずかしそうな顔を思い出す。


「はぁ、はぁ…っ……はぁ、はぁ…」


 いきなり体の一部が桜の種になり、痛みのないまま大きくなっていき、やがて体を覆い包まれてしまった彼女の苦痛を感じ入る。


「はぁ、はぁ…は…はぁ…」


 僕は彼女に性的興奮を抱いていた。海外旅行の夢を手放すぐらいに、彼女の体に夢中になっていた。


「っ!…はぁ…はぁ…はぁ」


 八重が苦しんでいるのに自分は何をしているのだろうと悔いながらも、樹木となった彼女の体をどうしようもないほどに美しいと思った。


 葛藤と興奮の日々が続いた。八重は気づいているのだろうか。頭の中を何度もよぎるその思いはしかし、僕の卑猥な思いを食い止めることはできなかった。




 そんな生活が続いていたある日、ついに彼女の桜の花が咲いた。






 ☆


 扉を開けると、天井を突き破り無造作に伸びた桜の木の枝が広がっていた。


 彼女の乳首のようにかわいらしい桃色の花弁がヒラヒラと部屋中を舞っている。


 伸ばした僕の掌に、そっとそのうちの一つが乗った。僕はその花弁を一瞥し、丁重に空に投げた。


 庭に面した窓を開ける。すると爽やかな風が吹き、彼女の眠る部屋を柔らかにくすぐった。



 春の、美しい花の嵐が僕を襲った。



 八重はもう喋ることはなかった。意識があるのかもわからない。もしかしたらその目だけは何となく見えていて、立ちすくむ僕の姿を捉えているのかもしれない。


 僕は彼女の唇があった場所に唇を重ねた。硬く温かな、生きた植物の感触がした。


「綺麗だな。」


 ざらざらとした彼女の肌が僕を撫で返してくる。


「綺麗だよ、八重。」


 僕はゆっくりと彼女から体を離し、首からかけたそのカメラで彼女を撮った。



「君はわかっていたのかな、自分の体が桜になってしまうことを。だから僕を引き止めようとしたのかな、自分の美しい姿を僕にみてもらえるように。」



 何度も、何度も撮るにつれ、彼女と過ごした日々が蘇ってきた。



 食事の支度をする八重。


 写真の被写体になってくれた八重。


 一緒に個展巡りに行った八重。


 新しい服を着た彼女。


 恥ずかしそうにキスをせがむ彼女。


 僕の腕の中で眠る彼女。



『和くん、好きだよ。』




「…………………」


 僕の濡れた頰を、春の風が撫でた。


「本当に綺麗だよ、八重。」



 何度も何度もシャッターを切って、僕は彼女を撮り続けた。



「だけど、君の声が聞けないのは悲しいな。」


 僕は彼女の綺麗なおっぱいを優しく撫で返した。







 ☆


 幾多の閃光が僕を照らしていた。


『三津さん!入賞おめでとうございます!』


「ありがとうございます。」


 僕は八重の写真をある大会に送った。国内だけではなく世界的に有名な大会だった。


『家の中に生えた桜という不思議な構成ですが、これはどこで撮られた写真なんですか?』


「これは僕の家ですね。」


『へぇ!じゃあこの桜は元から生えていたんですか?』


 インタビュアーが僕に聞いてくる。それに対して、僕はマイクを強く握り答えるのだ。





「いえ、これは僕の愛した人のおっぱいです。」


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彼女のおっぱいが桜になった話。 透真もぐら @Mogra316

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