第88話 もう自重しない
ユニフェイ──江野沢は、必死に泥の中に潜ろうとした。
けど、入ったことのある人なら分かると思うけど、泥は泳ぐことが出来ない。
昔泥の中に渡した木の棒に乗って、稲作とかを行う人もいたみたいだけど、足を踏み外した途端、ズブズブと沈んで死んでしまう。
とても危険で、ろくな土地も与えられなかった人しか、農業に使わないような場所。
──底なし沼。
それが泥の池なのだ。
はじめは泳いで潜ろうとしていた江野沢だったが、泥に体を取られて身動きが取れなくなり、やがて悲鳴を上げながら、ゆっくりと泥の池に沈んで行った。
俺はこの期に及んで、管轄祭司に複数のスキル持ちであることを知られないようにする為に、人前で使う魔法の種類を制限するつもりでいた。
そのせいで俺とウッツさんは腕を切り落とされ、江野沢は泥に沈んだ。
ここは敵対組織の本拠地のある国。こっちも血を流す覚悟じゃなきゃ戦えない。あるものは、──すべて使う。
『知能上昇、回復魔法、隠密、消音行動。』
隠密は魔法を使うととけてしまう。俺は先に回復魔法で、血止めと痛み止め程度に傷を塞ぐと、隠密と消音行動で姿を消した。
突如俺を見失ったランドルが、どこだ!と叫びながらあたりをキョロキョロしている。
「邪魔だよ。──バインドロック。」
俺はランドルの後ろに回って、バインドロックで動きを止めた。新しく手に入れた状態異常魔法。体を痺れさせるパラライザーと違って、単純に相手を梗塞する。
パラライザーや混乱同様、効果の時間制限はあるが、かけるたびに魔法がかかる確率の下がる、パラライザーや混乱と違い、何度でも確実に連続で100パーセントかかる。
代わりに、パラライザーや混乱と違い、相手に攻撃を加えるととける。バインドロックのかかっている仲間をちょっと殴ればすぐにとけてしまうが、今ここにはランドル1人。
まずは江野沢の救出と腕を取り戻すのが先だ。その為にはランドルを動けなくする必要があった。
ふいうちを食らったランドルは、俺の声に振り返ろうとした、そのままの姿勢で動けなくなった。
「──生活魔法レベル7。」
すぐさま泥ヘドロの溜め池に向けて、知能上昇を使った状態のまま、生活魔法レベル7を放った。
何度もスキルを奪って渡したことで、俺のレベルアップとともに、最初の頃に奪った生活魔法のレベルもあがっていた。
生活魔法は風呂に入らなくても体をキレイにすることが出来て、部屋のホコリなんかもなくすことも出来る、攻撃には一切使えず、戦闘の役にも立たない特殊な魔法だ。
だが、──すべての汚れを取り除くことが出来る。
泥ヘドロの溜め池が、底まで見通せるクリアな池に変わった。俺たちの腕と、沈んでいる江野沢の姿が見えた。
江野沢は恭司のような神獣ではないが、伝説の魔物だから、簡単には死なないと聞かされてはいた。実際ステータス値も高い。
それでも酸素もない状態で、泥の底に長い間沈んでいたのだ。俺はすぐさま江野沢を引き上げようとした。
だが、視界がクリアになり、身動きが取れるようになった瞬間、江野沢がふっと閉じていた目をあけて、キョロキョロしながら水の底で動き出した。
「……あいつ……!!」
俺はうっかり泣きそうになった。江野沢はあの時俺に言った。文化祭のクラス写真の、みんなの拳だけが突き出された中から、俺の腕を瞬時に見定めることが出来た瞬間。
1万本なら時間かかるけど、これっぽっちしかないんだもん、そんなのすぐだよ、と。
沈んでいるのは、右腕だけでも、その数おそらく20本以上。
だが江野沢は確かな意思を持って、1つの腕を見つけると、傷付けないよう、そっと優しく口にくわえた。
そして、水の底からザバアッという音と、派手なきらめく水しぶきが上がり、投げ捨てられた腕たちと共に、俺の腕を口にくわえた江野沢が飛び出して来る。
「──ゼログラビティ!?」
グラビティは重さを加えるレベル7の風魔法。ゼログラビティは逆に、重さをなくすレベル7の風魔法だ。
江野沢──ユニフェイが魔物と知ってはいても、どんな魔法が使えるのかを知らなかったカールさんたちが、驚愕の眼差しで江野沢を見る。
レベル7の魔法を使える魔法使いよりも、レベル7の魔法を使える魔物をテイムしているテイマーの方が数が少ない。
育つのに時間がかかるから、余程本人のMPの初期ステータス値が高くないと、高レベルの魔物を操れないのだ。
俺は江野沢から腕を受け取り、知能上昇を発動させたまま、回復魔法ですぐさまくっつけた。拳を握ったり閉じたりしてみたが、切り落とされる前と違いは感じなかった。
「すみませんウッツさん、──腕、探して下さい。」
江野沢が引き上げた腕を地面におろす。俺はそれだけ言うと、バインドロックがとけた瞬間、向かって来ようとしたランドルに、瞬時に攻撃魔法を放った。
「合成魔法、フォックスファング!!」
揺らめく漆黒の触手が、ランドルを包み込もうとする。
「──剣の舞!!」
広域魔法を切り裂いた!?
フォックスファングに完全に包み込まれる前に、ランドルが剣で魔法を切り裂いて脱出する。
これも剣聖のスキルに含まれるものなのだろうか?
魔法を剣でかわせるなんて初めて知った。
確かに魔法を放たれた後の対抗手段がなくちゃ、全職業の中で魔法使いが最強ってことになる。俺は魔法を魔法使いに相殺されることはあっても、剣士と戦うのは初だ。
普通魔法使いが大量にいたら、魔法使いが前衛に出て戦う。
これは戦闘のセオリーで、魔法を使うダンジョンボスに挑む際もそうだし、ニナンガ城襲撃の際の魔法師団もそうだった。
他の剣士や、弓使いや、テイマーなんかでも、魔法使いに対抗出来るスキル持ちが存在するのだろうか。
例えば剣士と弓が、弓とテイマーが、それぞれ一対一で戦う時などは、果たしてどうするのだろう?
エンリツィオ一家は魔法使いが中心の構成だが、ルドマス一家は近接中心の構成だという。
ランドルがルドマス一家の中で、どのあたりの地位と強さなのかは分からないが、他にもあんなことが出来る奴らが、もしも大勢いたとしたら。
──スキルレベルの高い、魔法使いの集まりであるエンリツィオ一家は、ルドマス一家が相手の場合、むしろ不利だといえた。
恭司がパラライザーを放ち、江野沢がウインドインパルスを放った。
俺やカールさんたちも一斉に攻撃する。
「──絶望の乱舞。」
ランドルの刀身そのものが、白く光る何かをまとうと、俺たちの魔法を叩き落とす。何かを刀身に付与してるのか?
おまけに四方八方から遅い来る、被弾のタイミングの違う魔法に、反応出来る反射神経と動体視力をランドルは持っていた。
「ぐあっ!?」
だがウインドインパルスのノックバック効果を完全には殺せず、ランドルは後ろに弾き飛ばされた。
「合成魔法、スティングシェイドエクスプロージョン!!」
ランドルがふっ飛ばされて地面に着地する直前に、俺の合成魔法が影から飛び出して、ランドルはモロに魔法を浴びた。
ランドルはよろめきながら、地面に手をついて立ち上がる。吹き飛ばされていた最中だったことで、逆に魔法の威力が死んだのか、それとも余程頑丈なのか。
「随分と使える部下が増えたらしいな……。
──その力……エンリツィオ以上かも知れねえな。
ちょっとあなどっちまったが、次はこうはいかねえ。
覚えときな。
エンリツィオよりも先に、お前を狙うぜ、これからは、な……。」
そう言うと、ランドルは移動速度強化で姿を消した。逃げたところで、千里眼で探せるのだけれど、ウッツさんたちの腕を元に戻すのが先だ。
俺たちは大量の腕の山からウッツさんの腕を探す間に、レベル7回復魔法使いのギュンターさんに、アシルさんの家の前に来て貰えるよう、エンリツィオに医師と薬師を準備して貰えるよう、この中で最も移動速度の早い恭司に伝言を頼んだ。
恭司は了解したぜ、と言って酒場に飛んで行った。
ウッツさんの腕は割とすぐに見つかった。
昨夜逆剥けを無理やり取ろうとして、肉を少し剥がしてしまい、右手の薬指にその痕跡が残っていた為だ。
俺はウッツさんの腕を回復魔法で治療したあとで、ランドルが置いていった袋に腕をつめなおして、みんなに手伝って貰って、ランドルの部下とともに、アイテムボックスの中に突っ込んだ。
アイテムボックスの中は、外よりも時間の流れが遅い。直接家の前に運ぶよりも、腕がくっつく可能性は高くなるだろう。
ランドルの部下は、エンリツィオに処遇を聞いて、都合のいい場所にあとで出すつもりだった。
自力ではアイテムボックスの中から出られないのだ。人数分の縄なんて用意してないし、運ぶことを考えたらこの方が楽だ。
せっかくレベル10なんていう、ほぼ無限に入るアイテムボックスを手に入れたのだ。有効活用とはこのことだった。
アシルさんの家の前につくと、両腕を奪われたハバキアさんと、ニルダさん、そしてその他の部下の人たちが、意識を失って倒れていた。
もはや誰一人、うめいてすらいなかった。アシルさんの家の前には、水溜りのような血溜まりが広がって、アシルさんの家の中にまで、扉の下を通じて血が染み込んでいっている。
それを近所の人たちが遠巻きに取り囲むようにして眺めている。これはまずい。目立ち過ぎだ。
俺はカールさんたちと相談し、ハバキアさんとニルダさんたちも、アイテムボックスの中に入って貰って、静かで安全なところで治療することにした。
そこに恭司に連れられたギュンターさんが到着したので、ローマンさんがギュンターさんに事情を説明し、俺とギュンターさんで、一気に血止めだけを行った。
全員をアイテムボックスに入れたあと、生活魔法レベル7で、アシルさんの家の前に広がった血溜まりを消した。
血も地面に広がってると、ちゃんと汚れとして認識されるらしい。
「──証拠隠滅に便利ですね、それ。」
とローマンさんに言われて、俺は苦笑するしかなかった。この先エンリツィオが、生活魔法も集めろとか言い出すかも知れない。
全員分だから血溜まりが派手に見えているだけなのかも知れないけど、俺たちがランドルと戦っていたことで、ここに駆けつけるまでに大分時間をロスしている。
医師と薬師の治療が間に合わなければ、腕をくっつけられたところで、出血によるショック死の可能性もある出血量だった。
ハバキアとニルダだって、レベル6なんですがね、とローマンさんは言ったが、ランドルは知能上昇を使った俺と、水魔法熟練を使ったカールさんの、強化魔法すら弾き飛ばしたのだ。その考えは少し違うと思った。
水魔法熟練は使用時間こそ短時間だが、それでも俺の知能上昇と同じで、火力が5割増しになる。かつ、水魔法耐性が上がるスキルだ。
だから火力だけで言うなら、スキルレベル10以上がその場に2人もいた計算になる。なのにそれらをすべて剣で弾き飛ばされた。
ランドルは、相手の攻撃さえ撃ち落とせれば、近接職の中では、対魔法使い戦において最強のスキル持ちだと言えた。
魔法使い同士のバトルは、基本火力増しで決着がつく。弱点属性かどうかと、お互いのレベル差、及びステータスが物を言う。
だが、あの剣に付与された何か、おそらくは剣聖のスキルの力に対抗する手段が分からなければ、魔法スキルのレベルがいくつであろうと、何人いようと苦戦するだろう。
こちらの人数が俺を含めてレベル7以上の魔法使いが4人。その内火力増しスキル持ちが2人。それに加えてユニフェイ、状態異常魔法の使える恭司までいたのだ。
それとたった1人で対等に戦うなど、魔法使い同士の対決なら決してありえない。オーバーキルのフルボッコもいいとこだ。
俺はギュンターさんにダブっていた反射のスキルをあげたけど、実はあれ、かなり対魔法使い戦において強力で、どんなレベルや属性の魔法であっても、効果を無視して跳ね返す事が出来るのだ。
おまけに、あえて反射を使っている人間に対して魔法を放った場合、跳ね返された魔法は、反射で跳ね返すことが出来なくなる、特殊な魔法へと変化する。
ランドルの剣聖のスキルに含まれた力が、もしその反射であった場合は、魔法をただ弾き飛ばすのではなく、俺らに対して跳ね返してきた場合、俺たちはその魔法を撃ち落として相殺するしか手立てがなくなる。
こちらは一方的に魔力を消耗し、やがて枯渇して魔法が打てなくなる。そうなったら魔法使いなんて無力なものだ。
火力増しではランドルに勝てないのだ。たとえ俺が火の女神の加護を与え、火力が2倍になったエンリツィオですらも。
エンリツィオが腕を切り落とされたと言われても、俺はエンリツィオの強さを知っていたから、どこか実感がわかなかった。
マリィさんが切り落とされた腕を見つけてアシルさんがくっつけたことと、エンリツィオがランドルに腕を切り落とされたことを、どこか別の話のように認識していた。
けど、ランドルの強さを目の当たりにしてみて、それが事実だと実感した。
くっついてなお、まだ痺れや痛みが残っているかのように錯覚させられる、俺の右腕が主張してくる。
ランドルが逃げる時の捨て台詞。──エンリツィオよりも先に俺を狙う。
その言葉がようやく脳みそに浸透して、俺は震えが止まらなくなった。
酒場に戻ると、医師と薬師が2人ずつ待機していた。みんなとみんなの腕は、ランドルの部下と共に、アイテムボックスに入れてあるとエンリツィオに告げると、別の場所に移動して治療するよう指示された。
床が汚れるのを気にしてるなら、生活魔法でキレイに出来るぜ?と言ったが、開店準備があるからここは無理だ、と言われた。
ウッツさんとローマンさんとギュンターさんと、他にもたくさんの部下の人たちを引き連れて、医師2名と薬師2名と、恭司とユニフェイとともに向かった先は、貸し切りにされた、ちょっと大きめの宿だった。
そこのベッドに、一部屋に1人ずつベッドに寝かせて、みんなで腕を特定する作業が始まった。
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