牡丹の知らせ 8

「あの、ノクターン協会ってなんですか」

 驚きのあまり思わず立ち上がった森岡だったが、わからないことだらけだった。

 いつの間に自分が魔術師になったのか、その可否を決めるというノクターン協会とか、さらにその協会から呼び出しが来てるだとか、本当にわからないことだらけだ。

 それに、あの親子から魔力を抜く魔術を使う前に、ひばりは森岡の事を"魔女の助手"と呼んだ。何やら森岡の知らないところで、森岡の身に関わる重要なことがどんどん進んでいる気がしてならなかった。


「簡単に言うと、世界中の魔女や魔術師を統べる一番大きな組織です。日本の拠点は横浜にあります」

 カンターブ入りの紅茶を一口含んでから、ひばりは言葉を続ける。

「魔性に関係のあるものは全てノクターン協会に掌握されています。もちろん漏れなく私もです」

「なるほど」

 魔女界隈にもそういう組織があることにまず驚いたが、"魔性の関係"というのは人だけでは無いのだろう。以前ひばりが魔草は管理されているという旨趣の話をしていた気がするが、それを管理しているのがノクターン協会ということか。

 トンチ上手の小坊主のように、両方の人差し指をこめかみに当てくるくると回しながら、ひばりの言った言葉の意味を咀嚼する。


「詳しいことはノクターン協会の方がしてくれると思いますけど、先にモーリーさんのお立場を説明しませんとね」

「立場ですか」

「ええ。ノクターン協会から見た現在のモーリーさんは、私の庇護下ひごかにいます。”私”というより、”箱守家”の庇護ですね」


 森岡はますます混乱した。確かにひばりと知り合ってからはフラン・フルールへ頻繁に出入りし、魔性の力を目の当たりにし、ガラジたち魔道具とも触れ合う事が多くあった。

しかしいい歳した大人が、ギリギリとはいえ10代の娘から庇護を受けるというのはどういうことだ。何から守られているというのだろう。ひょっとして自分は危険な状況に身を置いているのか。

 混乱していることが手に取るようにわかるほど、森岡の表情筋は忙しなく動いた。


「詳しいことをお話したいんですけど、ちょっとこの後予定があるんです。なので一週間後、横浜へ向かう時にお話させてください」

「えぇ~……。よくわからない状況のまま、一週間も悶々として過ごすんですかぁ」

「ふふ、ごめんなさい。でも、一つだけ」

 ひばりは人指し指をひょこっと立て片側の口角を上げる。

「箱守家の庇護下にある限り、モーリーさんのことは絶対に私が守ると誓います。ですから安心して、横浜旅行の準備をしてください」

「ひばり様、旅行ではなく召喚です」

「細かいことはいいのよリヒト。それくらい気楽にしてほしいってこと」

 ひばりは肩をすくめ、大げさにため息をついてみせた。

その様子を見るに、本当に深刻に受け止める必要はないのだろう。

 しかし、こうも説明がなされず、得体の知れない組織の呼び出しに応じるという無茶は、少し前の森岡には考えられないことだった。

ひばりがのほほんとお茶を啜りながらほんわりと微笑みかけてくれなければ、逃げ出してしまいたくなるような状況である。胡乱気な視線を向けていた森岡も、その芯の抜けてしまったような柔らかい笑顔に頷きざるを得ない気分にさせらた。


「なんだかよくわからないままだけど、ひばりさんに付いていってみます。無職なんで時間は持て余してますしね」

「さっすがモーリーさん。順応性が高くて素晴らしいです」


 フラン・フルールを後にした森岡は、未知なる世界に足を踏み入れようとするそのスリルに似たワクワクした気持ちを、ぐっとみぞおち辺りにしまい込み、ふうっと短く息を吐いた。

 そして、自分よりも年下であるにも関わらず、キリっとした美貌や立ち居振る舞いに女性として憧れの念を抱いたひばりに「助手」と呼ばれたことが、じわじわと森岡の心を喜色に染めた。

 ――魔女の助手なんて、ものすごく面白そうな響き。ひばりさんから許可をもらえたら、弟にも自慢しちゃお。


 スキップしそうな衝動を抑えながら、足早に家路についた森岡の頭の中は、ひばりとの横浜観光で満たされていたのたのだった。

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