魔女の一族と魔道具 6(幕間)

「ひばりさんと純さんはいつからのお友達なんですか?」

 キイチゴのような赤い実をつけた鉢に水をやりながら森岡が問いかけた相手は、短いエプロンを身に着け、やけに張り切った様子の純だった。

「お友達になったのは中学に入ってからですけど、出会ったのは10歳の時でした。私が一人で公園で遊んでいて、鉄棒から手を滑らせて落ちてしまったんです。その時に足首をひねって、痛くて痛くてわんわん泣いていました」

 純はハタキで商品棚をパタパタしながら、子供の頃の記憶に思いを馳せる。


 もう間もなく梅雨入りという6月初旬の週末。箱守家全員で遠出をするというので、大学が休みの純が店番を買って出た。ひばりは純だけに任せるのは申し訳なく思い、森岡にも声をかけたところ快く引き受けてくれたので、今日は二人で店番である。

 ガラジがいるので困ったことがあれば助言してくれるだろう。


「ずっと泣いていたら、隅のベンチで本を読んでいた女の子に声をかけられて、それがひばりちゃんだったんですけどね。その時の第一声が『うるさいんだけど』でした」

 苦い笑みを浮かべる純に、森岡は意外そうな声をあげた。

「ひばりさん、そんなキツい感じのことを言うんですね。勝手に包容力の塊みたいなイメージを持っていました」

「あははっ! でも声をかけてくれた時、ポシェットから瓶を取り出して、自分のハンカチをその瓶に入った薬で湿らせて私の足首に巻いてくれたんです。それで『そのまま大人しくしてて』と言って、どこかへ行ってしまいました。言われた通りしばらくそのままでいたら、あっという間に痛みも赤みも引いていて、きっとあの子は魔法使いなんだと思いましたね」

「間違ってはいないですよね」

「魔法使いではなく魔女でしたけどね」


 二人はそれぞれ店内を掃除しながら、くすくす笑い合う。

「へぇ。その感じだと、ひばりさん、子供の頃は荒れてたんですか?」

「うーん、荒れているというより”何にも興味が無い”という印象でした。ずっと無表情だったし、言い方はぶっきらぼうだし、当時の私は、怖い子だなーと思っていました」

「今のひばりさんからは想像がつかないですね」

「そうですよね。けど、手当してくれてる横顔が凛としていて、子供ながらにすごくかっこいいなとも思っていたんです。」


 純は、ずっと動かしていた手を止めて、うつむきながら言葉を探す。

「私、小学生の時、一部の同級生から嫌がらせを受けていたんです。上履きを隠されるとか、筆箱に蛙を入れられるとか。そのせいで学校に行きたくなくて、登校してすぐに保健室に行ったり、仮病を使って休んだり、学校に行ったフリをして公園に隠れていたこともありました」

 純は言いながら、額に闇を落としたように一気に表情を曇らせた。それを見た森岡も手を止め、純の声に耳を傾ける。

「実はひばりちゃんに出会ったのも、学校をずる休みした日でした。結局、学校から母のもとに連絡が入ってしまって、サボったのがバレてものすごく怒られましたけどね。その後も何度かその公園に行ったんですけど、小学校を卒業するまでひばりちゃんと会うことはありませんでした」


 ほこりをひとしきり払い終え、今度は窓拭きを始めた純の表情は、まだ暗いまま。

「ちょっと辛かった小学校を卒業できて、解放された気分になりました。けど、私が通っていた中学校は近隣の小学校の生徒が集まるだけでほとんど繰り上がり。嫌な気持ちもそのまま持ち越しでした。それでも、新しい友達ができれば何か変わるかもしれないと期待を持っていたんです。なのに中学の入学式の日、ホームルームを終えて帰宅しようとしたら、小学校で私に意地悪していた女の子のグループに呼び出されて『あぁ、中学生になってもやっぱりこのままか』と、心の底から悲しくなったのを覚えています」

「純さん……」

 きっと辛い小学生時代だったのだろう。希望を持って進学した先でも、また同じ目にあうというのは、どれほど絶望的な気持ちだったのだろう。いつもは明るく朗らかな純が、悲しさを隠せずにいる。沈んだ声に胸が締め付けられ、森岡は思わずきゅっと拳を握った。


「でもね、私が意地悪な子たちに囲まれてる時に、颯爽とひばりちゃんが現れたんですよ。ものすごく不機嫌そうな顔で。それでまた一言『うるさいんだけど』って」


 純は、それまでの暗い表情を一転させ、眉尻を少し下げて困ったような笑顔で可笑しそうに語る。

「私はそんな状況なのに、あの公園で助けてくれた子にまた会えた、同じ中学なんだーってすごく嬉しくなっちゃって。女の子たちは突然現れたひばりちゃんに驚きながらも『誰あんた、関係ないでしょ!』って食って掛かったんです。でもひばりちゃんは表情を一切変えずに、その場で腕を組んで仁王立ちしてました。怖いんですよ、ひばりちゃんの不機嫌顔の仁王立ち」

 口元に手を当てながらくくっと笑う純に、森岡もつられて笑みがこぼれる。そしてつい想像し、笑みを深めた。

「ひばりちゃんがその子たちに睨みをきかせながら、私に向かって隣に来るように言うので、私は素直に従いました。ひばりちゃんが一歩前に出たので、喧嘩が始まるのかと思ってひやりとしたんですけど、『入学初日からつまらないことしてないで、新しいお友達作りに励んだらどう? 学生生活はあっという間に過ぎるってママが言ってたわ。あなた達も同級生いびってる思い出より、仲のいい子と楽しく笑い合ってる思い出が残った方がいいでしょ?』って微笑んだんです」

「なにそれかっこいい……中学1年生とは思えない台詞」

「でしょー? その時の笑顔がほんとに優しくて綺麗で……私もう恋に落ちたんじゃないかってくらいに見惚れちゃいました。女の子たちの方を見ると、その子たちも射抜かれたように胸を押さえてましたね」

「あはは、無理もありませんね。光景が目に浮かぶなぁ」


「ひばりちゃんと私、クラスは別々でしたけど、休み時間ごとに私がひばりちゃんに会いに行ってお話しする機会が増えて、ちょっとずつ仲良くなっていきました。私に意地悪してた子たちも何故かひばりちゃんに懐いちゃって、時々ひばりちゃんの傍でばったり会うんですけど、前みたいに嫌な思いをすることは無くなりました」

「初日のひばりさんの牽制が効いたんですかね」

「かもしれませんね。ひばりちゃん美人だし賢いし、一目置かれる存在だったので、下手に噛みついてくるような人もいませんでした」

「想像がつきます。ひばりさんの独特な雰囲気は中学生には少し近寄りがたいかもしれませんね」

「まさにその通りで、口数は少ないし、愛想を振り撒いたり自分から積極的に人と関わらなかったので、高嶺の花というより一匹狼のような存在でした。でもひばりちゃんを悪く言うような人は一人もいなかった」


「ひばりさんが魔女だというのは知られていたんですか?」

「いいえ、たぶん誰も知らないんじゃないですかね。それどころか、私も高校生になるまで知りませんでした」

「純さんも知らなかったんですか。秘密にしてたんでしょうか」

 店の前を通った喫茶店の主人に軽く会釈をしつつ、森岡が尋ねる。


「んー、本人が隠していたのか、わざわざ言う必要はないと思っていたのかはわかりませんね。ただ、同じ高校に進学してしばらく経ってから打ち明けられました」

「打ち明けられたきっかけを聞いても?」

「私がひどい頭痛に悩まされていた時期があって、それをひばりちゃんに相談したらフラン・フルールに連れてこられたんです。そこでガラジさんとリヒトさんを紹介されて、二人が私を見るやいなや『すぐに処置を』と言われて、その時ひばりちゃんから素性を聞かされました。ひばりちゃんの周りで不思議な出来事がたまに起きてたし、なんとなく心当たりがあったので、びっくりしたけど、しっくりきました。その後ものすごく苦い薬をもらって奥の寝台に寝かされて、ひと眠りしたらコロッと治っていたんです」

「その頭痛に、魔性の何かが関係していたんでしょうか」

「たぶんそうなんだと思います。詳細は教えてくれませんでしたけど」

「なるほど。直接処置をする以上、仲の良い純さんには話しておきたかったんでしょうね」

「そうですね。ひばりちゃん、律儀だから」


 リン――


 話の切れ間に、透き通ったベルの音が鳴った。それとほぼ同時に、カウンターの上のガラジがカタカタ揺れる。

 純は一滴水を垂らし、その上にガラジを置く。

「おはようガラジさん、今日はよろしくお願いします」

「純さん、モーリーさん、おはようございます。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。そろそろ開店の時間なので、表の札を返していただけますか」

「了解です」


 森岡は扉に掛けられた札を「close」から「open」に返し、全てのカーテンを開けた。


「純さん、良かったらまた聞かせてもらえますか」

「ぜひ。ひばりちゃんの武勇伝、いっぱいあるんですよ」

「あはは、楽しみにしています」

「ほれほれお二人、お客様がこちらに向かっておりますよ。準備をなさってください」


 本日は晴天、気温も穏やか。森を散策する人が増え、フラン・フルールを訪れる客足は絶えない。


 その頃、箱守家の一同は新幹線に乗り込み、協会の夜会に向けて出発していた――

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