魔女の一族と魔道具 2
ひばりが目を覚ますと、体の上に水色のインコがとまっていた。
「おはよう、レナール」
レナールはまだぼんやりとしているひばりの首元に歩み寄ってきて、真っ黒な瞳でひばりを見ている。先ほどまで見ていた夢に出てくる
「ひょっとして心配してくれてる? ふふ、ありがとう」
レナールに手をかざすと、ひばりの指に足をかけひょいっと乗り上げる。翼を振りながら「ぴょい!」と元気よく鳴き、ひばりが微笑んだことを喜ぶように、ぶるぶるっと体を震わせた。
「ん~、今日もかわいいねぇ。天使みたいだねぇ」
嘴に口づけ、頬ずりし、最愛の子を慈しんでいると、扉の向こうから声をかけられた。
「姉さん、起きてる? 入ってもいい?」
ひばりを”姉さんと”呼ぶその声は、弟の「
「今起きたところ。どうぞ」
日和は制服姿で、右手にはグラスを持っている。
「おはよう。これ、母さんが作っておいてくれたザクロジュース。多分、姉さんが昨日たくさん持って帰ってきたイスリルもどきも入ってると思う。飲むでしょ?」
日和からグラスを受け取り口をつける。絶妙な甘みが舌を通って喉を潤し、後からイスリルもどきの香りが鼻へ抜ける。これはおいしい。
――あとで純ちゃんにも作ってあげよう。
「ありがとう。今日も優しい上に麗しいねぇ日和君」
「朝からやめてよ……。あ、姉さん、またレナールを出しっぱなしで寝てたね? そのうち寝返りで潰しちゃうんじゃない」
「出した覚えはないんだけどなぁ。もしかしたら自分でケージ開けちゃったのかも。この子やたらと賢いから」
「え~、そんなことできるの?」
「できるわよ。鳥ってね、とっても賢いのよ」
「あ、鳥と言えば、さっきガラジが思念飛ばしてきてたよ。『今日は早くから来店がある予感がするので早めにいらしてください』って」
「あら、ガラジが私を急かすなんて珍しい。教えてくれてありがとう。急いで支度しなきゃ」
「それと、母さん宛に手紙が届いてたんだけど、たぶんあれはノクターン協会からじゃないかな。
「そう、また夜会の招待かしら。いつもお断りしてるのに……ママが戻るまで放っておきましょ」
「そうだね。僕も他の魔術師苦手だし。じゃあもう学校行くから。ちゃんとレナールをケージにしまってから出かけてね」
「うん。気を付けていってらっしゃい」
日和が部屋から出ていった後、名残惜しそうにレナールをケージに入れ、身支度を整える。
ガラジが思念を飛ばしてくるということは、対応が難しい客の来店を予知したのだろう。早々に店に行かないと、何かトラブルに巻き込まれるかもしれない。
*
家からフラン・フルールまでは、どんなにゆっくり歩いても1分程度で到着する。マリーによる
魔女や魔術師の力を悪用しようとする輩から身を守るための魔術だとマリーは言うが、不便に感じることが多い。
過去に一度、純に住所を教え、家に招待したことがあった。その時は「気づくと通り過ぎてしまっていて、どうにも辿り着けないから迎えに来てほしい」と連絡があり、とても面倒に感じてしまった。
――身を守るため、か……。家に侵入しようとする者へのトラップが沢山敷かれているんだから、霞隠れは解いても問題ない気がするんだけどな。
そんなことを考えている間に、あっという間にフラン・フルールの目の前までやってくると、店の前に置かれたベンチに、少し背中の曲がった老年男性が腰かけている。
「ひばりさん、おはよう。今日は早いね」
「鮎川様でしたか! おはようございます。今日は特別なお客様がいらっしゃるとガラジが教えてくれたんです。だから急いで家を飛び出して来たんですよ」
「ガラジとはあの鳥の置物だったかな? あれは綺麗で良いものだね」
「ふふ、ありがとうございます。中へどうぞ、鮎川様。今日は暑いですから、冷たいお茶でもいかがでしょう」
「貴女が淹れてくれるお茶は格別だからね。お言葉に甘えてご馳走になるよ」
**
「あれからお加減はどうですか?」
「いつも見たいものが見れているよ。本当に感謝している」
鮎川は、以前ひばりの魔術により助けられた客の一人で、ほとんど失いかけた視力を僅かに取り戻し、余生を楽しんでいるのだという。
ひばりの淹れたハーブティを飲みながら、二人は微笑み合う。
「そろそろ目薬が切れる頃ではありませんか? 必要でしたらすぐにご用意いたしますけれど」
「そうだね。2瓶いただけるかな? 最近では近所の独り身の年寄りを集めて茶会を開いたりしているんだ。その時に見づらくなってはいけないからね」
「かしこまりました。ご近所の皆さんとお茶会なんて、楽しそうですね」
「ああ、各々持ち寄った菓子を食べたり、趣味の話しで盛り上がるんだよ。最近は将棋とチェスの戦術の違いについての意見交換が盛んなんだ。盤上で駒を動かし大将を取り合うということは共通しているのに、それぞれの駒の役割が少し違うだけで全く違うゲームになるだろう? まるでこの世界の縮図のようじゃないかってね」
「ふふ、なんだか盛り上がりそうなテーマですね。今度私も招待していただけます?」
「貴女が年寄りに囲まれることが嫌でないなら、ぜひ」
ひばりの鮎川への第一印象は「頑固一徹、ガミガミおやじ」だった。
鮎川が初めてフラン・フルールを訪れた時、
「ひばりさん、今日はね、貴女にお礼がしたくて来たんだ」
「お礼? 最近私何かしましたっけ」
「この目のことさ。恐ろしいものはもう見えない。現実だけを見ることができるんだ。私を苦痛から救ってくれたんだよ貴女は」
5年前、最愛の妻を亡くし、子の居ない鮎川は孤独の身となった。元々の気難しい性格のせいで友人と呼べる人間もあまりおらず、定年退職後は妻以外に関わる者がいなかった。
酒に溺れ、食事はコンビニの弁当。身の回りの掃除もままならず、妻と暮らした大切な家はゴミ屋敷へと変貌しつつあった。そのため近所からは後ろ指を差され、行政からはゴミを片付けるよう戒告があった。放置するようであれば行政代執行も免れないと言われ、それでも生活を変えることができなかった。
周りに味方がおらず、どんどん孤独に沈んでいくなか、突然右目の視力を失った。残った左目も霞がかかり、眼の前の物を認識することも困難になっていた。3件の病院へ赴いたが、全ての医者から原因がわからないため治療の術がないと言われた。
病院の帰り道。自棄になった鮎川は、家から離れた山林の中の川に身を投じようとした。生活苦ではない。貯蓄に余裕はあるし、その気になれば他の医者に掛かり、少しでも視力を改善する方法を見つけることができるかもしれない。だが、鮎川は疲れてしまった。
このまま孤独に生きるのは、ただただ辛いだけなのだ。
鮎川は、靴を脱ぎ、入水した。冷たい水にぐんぐんと浸漬し、まもなく顎まで浸かろうかと思われたその時。
突然、失っていたはずの右の目に視力が戻った。
驚きはしたものの、鮎川は希望を取り戻し、これならやり直せるかもしれない、と家路についたのだった。
しかしその右目は、今目の前にある物ではなく、ここには居ないものが見えることに気がついた。台所を見ると、そこには妻が立ち夕飯の支度をしている。縁側には妻が亡くなる前に先立った飼い猫が昼寝をしている。しかし、触れようとしてもそこには実際に存在していない。もちろん夕飯だってできていないのだ。
ありえない。こんなことは、あり得ない。もうこの世にはいないものが見えるなんて。幽霊などの類は信じない。ついに自分は気が触れたか。鮎川は再び絶望しかけていた。
そんな時、過去に妻が話していた「魔術師の店」のことを思い出した。
藁にもすがる思いで、鮎川はフラン・フールの扉を開けたのだった。
「ちゃんと代金もいただいておりますし、またこうやって来ていただけるだけで十分ですよ」
「本当に、感謝をしてもしきれないんだ。視力は戻ったし、幽霊なんて居ないとはわかっていたが、どんなに大切にしていた存在でも、あのように見えてしまうと気味が悪かった。過去にあった出来事を映していると貴女が教えてくれたお陰で、恐怖心も消えたんだ。それからは、目薬の効果が切れてしまっても幸せな思い出が見える特別な目だと思えるようになったよ。だから、どうかこれを受け取ってほしい」
そう言って鮎川は、下げていたショルダーバッグから文庫本程の大きさの木箱を取り出す。
「これは?」
「以前話したかもしれないが、私は骨董品を集めるのが趣味でね。先日蚤の市に行った時に見つけものだ。これを手に取った瞬間、どうしても君に渡さなければならないような気がして、思わず買ってきてしまった」
鮎川が木箱の蓋を開けると、そこには表面に貝細工が施された綺麗なコンパクトが入っていた。
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