第一章 まじない屋 フランフルール
第一話 避暑地に佇む魔女の店
避暑地に佇む魔女の店 1
5月初旬、白いレンガ造りの建物の前に、黒い日傘を差した妙齢の女が立っていた。
太陽の熱はアスファルトに反射し、空気をチリチリと温めているが、春の終わりの爽やかな風がその熱をやわらげている。女は日傘を少し傾け、2階建てのその建物を見上げた。
建物自体はそれほど大きくはないが、屋根にはドーマーが突き出し、エントランス部分の天井はアーチ状にレンガが組まれている。欧風で上品な造りのその建物に、女は少しだけ胸をときめかせた。
事前に1階が店舗になっていると聞かされていたが、看板も無く、木製の扉の脇に作られた小窓では中の様子を窺うことはできない。扉に下げられた「OPEN」の札だけが、辛うじてそこが店舗だと示している。
――このお店……でいいんだよね?
東京から約3時間。避暑地として有名なこの地に魔女が営む「まじない店」があると聞いて、高速バスとタクシーを使ってどうにかここまで辿り着いた。一人で遠出をしたことがなかった女は、高速バスの乗り場を探すだけですでに疲労困憊だった。縁もゆかりもない土地に降り立ち、心細さで喉がきゅっと閉まるのを感じる。
女は恐る恐る扉を開け、首から上だけで中を覗き込む。
「ごめんください」
消え入りそうな小さな声で呼びかけてみる。しかしそこには誰も居らず、振り子時計が揺れる音だけがコツコツと響いている。
「すみませーん」
先ほどよりも少し声を張ってみた。耳を澄ましてみても返事はない。仕方なく女は中に入り、店内を見回す。
店の中央にはコの字型の大きなカウンターがあり、その奥には重厚な螺旋階段があった。古い板張りの壁にはどこかの民族の工芸品のような物や、ハーブで作られたスワッグが吊るされている。天井にもガラス細工の吊るし飾りと、乾燥途中であろうまだ色が生きたドライフラワーが下げられていた。
入口横の商品棚にはアクセサリー類が丁寧に陳列されており、カラフルな石がついたネックレスやブレスレット、細い金属と白い羽でできた髪飾りなどが並んでいた。
物がたくさん置かれているのに散らかった印象はなく、ほんのりと居心地の良さを感じる。
ふと、カウンターに置かれている鳥の形をしたガラス製の水差しに目が行き、近づいて覗き込む。白から濃い青のグラデーションになった羽に、背中には取っ手が付いている。嘴の先に穴が開いており、そこから水が出るようだ。目の部分には金色に近い光沢のある石が嵌め込まれていた。
その目をじっと見つめていると、吸い込まれそうな気持ちの悪い感覚を覚えた。脳が揺れ、足の力が抜けるような眩暈を感じ、思わずカウンターに手をつく。
その時、部屋の奥の方から軽やかな足音が聞こえた。
音の聞こえた先を見ると、螺旋階段の上から20歳前後の女が顔をひょっこりと出していた。
――び、びっくりした。
居心地がいいとはいえ、遠く離れた地にある「魔女の店」という非日常的な空間にいるため、やはり少しだけ緊張していたようだ。急に現れた見知らぬ人間に思いのほか肝が冷える。
店員と思われる女は小さくなって心細そうに佇んでいる客に微笑み、こいこいと手招きする。
「いらっしゃいませ」
案の定店員だったことに安堵し、軽く頭を下げて会釈をしてから、手招きに対して不思議そうな顔を向けた。
「ちょっと今手が離せなくて、そのまま少しお待ちいただくか、工房でお手伝いいただけます? なかなか見られるものではないと思うので、興味がおありでしたらぜひ」
お手伝いと言われても何をさせらるのかわからない女は、どうしようかともじもじしていると、店員はもう一度微笑むとすぐに顔を引っ込めてしまった。
どうしていいのかわからないが、先程鳥の水差しから感じた不気味な存在感に、わずかに恐怖に似た感情を持っていた女は再び訪れた静寂にまた不安が募る。
魔女の店に勤めるくらいなのだから、きっと先ほどの彼女も魔女なのだろう。怪しげな魔術を操る魔女は化学が発達した現代にも確かに存在するらしいのだが、あまりに情報が少ないため、ほとんど都市伝説に近い存在だと思っていた。
ところが先日、会社の同僚との夕食の席で、興味をそそられる話を耳にした。
「街からちょっと離れたところに『魔女の店』があって、その店では不思議な道具やアクセサリーを売ってるの。私も一つ、恋に効くっていうお守りを買ったんだけどね、そのおかげでなんと、昨日彼氏ができましたー!」
ここ最近出会いがなく、数打ちゃ当たると片っ端から合コンに出陣するもことごく惨敗し、結婚ラッシュに乗り遅れたと自暴自棄になっていた同僚に、数年ぶりに彼氏ができたという。
出会いのタイミングや彼女の努力の甲斐もあったのかもしれない。だがある悩みのせいでここ最近ずっと塞ぎ込んでいた女にとって、陰っていたこころに光が差し込んだような気分だった。
そして、藁にも縋る思いでこの地にやってきたのだ。
――よし、行こう。
螺旋階段の手すりを掴み、恐る恐る上っていく。先ほどは気づかなかったが、手すりには細かい彫刻が施されていた。
豪奢な階段を上りきると、そこには一面ガラス張りの部屋が広がっていた。
――素敵……。
工房というだけあって、様々な道具が置かれている。床には紙が散乱し、木箱が高く積み上げられ雑然としていたが、たくさんの光が差し込む部屋は全体的に明るいため、そこまで散らかっているように感じなかった。様々な植物が窓ガラス付近に置かれ、のびのびと光合成をしている。
女はキョロキョロと辺りを見回し、足元の紙を見やる。紙には何も書かれていない。よく見ると、床に散らばった全ての紙が白紙だった。何も書かれていないのになぜ床に散乱しているのだろうと不思議に思うも、考えてもわからないことだろうと早々に意識を目の前の女性店員へと戻した。
「あの……」
「あら、来てくださったんですね。もう大体出来上がってるんですけど、仕上げのあと一工程、お手伝いいただけますか」
女性店員は左手に濃い緑色の植物の葉、右手にガラスの細い棒を持ち、散らかった机の前に立っていた。どうやら薬のようなものを作っているらしい。
「何をすればいいですか?」
足元に散乱している紙を踏まないように慎重に近づきながら訪ねる。
「そこの赤い木箱から革袋を取っていただけますか?」
両手がふさがっているため、申し訳なさそうに目線だけで箱の位置を指した。
華奢な印象の彼女は、少し上目遣いになるような目線を向けていて、僅かに庇護欲が掻き立てられる。
「これですか」
箱が開きっぱなしになっている赤い木箱から革袋を見つけ、手に取り作業台の傍へと戻る。
「そうそう、それです。その袋の中の砂を一つまみ取って、このボウルに入れてもらえます? 大丈夫、直接触れても害のあるものではありませんから」
袋の中に手を入れると、さらさらとした砂が入っていた。その砂を一つまみ、机の上の小さなボウルへ入れる。
ボウルにはすでに淡い鶯色の液体が揺れていた。砂が沈むと、店員は左手に持っていた葉を指ですり潰しボウルへ落とした。
「3分ほど混ぜれば完成です。お手伝いいただいて助かりました」
そう言うと、女性店員は右手に持っていたガラスの棒でボウルの中の液体をグルグルと混ぜ始めた。
――え? それだけ?
何か儀式の手伝いでもさせられるのかと内心ビクビクしていたのだが、あっさりと終わってしまい拍子抜けした。これだけのことならわざわざ手伝う必要もなかったんじゃないかと疑問を抱く。
「大してお役に立てなかった気もするんですけど……あの、これは何を作っているんですか? あ、聞かない方がいいですかね」
「ふふ。これは耳鳴りに効く薬なのですけれど、他にも使用用途がありまして、例えば熱すると保水するように性質が変化するので化粧水の原料にしたり、その反対にマイナス20度まで冷やすと吸水能力を持つので乾燥剤にしたり、あと……」
と、そこまで言うと、ガラス棒を回す手を一旦止め、女へ体を向け視線を伏せた。
「申し遅れました。私はこの店、フラン・フルールの店主の『箱守ひばり』と申します。本日はお越しくださりありがとうございます」
ひばりは首を傾けにこりと微笑む。
――店主? すごく若くみえるけど……いや、魔女ならありえるのか? こう見えて実は200歳くらいで、若さを保つ秘薬を飲んでるとか……。
妙なタイミングで自己紹介されたことに戸惑いつつも、女は反射的に自己紹介を返す。
「初めまして、森岡と申します。東京から来ました」
「まぁ、東京から。観光でいらしたんですか?」
「いえ、こちらのお店が目的で来ました」
「そうでしたか。遠路はるばる足を運んでくださるなんて……よほどの事情がおありのようですね」
森岡はギクッとした。先ほどまで優しく包み込むような笑みを浮かべていたひばりの顔からスッと笑顔が消え、物憂げな視線を向けられた。森岡は僅かに動揺したが、ひばりの視線から目が離せなくなり息を飲んだ。
「う、あ、あの……」
「あ、完成しました! この薬を容器に詰めるので、そちらの椅子に掛けてお待ちいただけますか」
ひばりは言いずらそうに口ごもっていた森岡の言葉を笑顔で遮り、部屋の隅に置かれたテーブルセットへ促した。
森岡は緊張した様子で椅子に座り、所在無さそうに部屋を見回している。
出来たての薬を瓶に詰めて棚へ並べ終えたひばりは、戸棚から茶葉の入った箱とティーセットを取り出し湯を沸かし始めた。
「この部屋は元々応接間として使っていたんですが、今は工房にしているんです。この工房、落ち着くでしょう?」
「そうですね。明るくて、植物の香りがして居心地がいいです」
「この店にいらっしゃるのは、観光のついでにフラッと立ち寄られるお客様か、事情を抱えたお客様のどちらかです」
ひばりの言葉に、森岡は黙って頷く。
「事情を抱えたお客様には、この工房で寛ぎながらお話を聞かせていただいているんです」
ひばりはお茶の入ったティーポットとカップをトレーに乗せ、森岡のいるテーブルまでやってきた。カップにとぷとぷとお茶を注ぎ、自らも椅子に腰かける。森岡はただ黙ってその流れるような所作に魅入っていた。
「ゆっくり紅茶でも飲みながらお話しを聞かせてください。改めまして、フラン・フルールへようこそ」
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