憂い多き魔女の半生

諸麦こむぎ

プロローグ

斜陽の魔女

「実際、魔女ができることってさ、結構少ないのよね」


 光沢が剥げて色褪せたアンティークデスクの上で頬杖をつき、透明なビー玉を人差し指の先で転がしながら「箱守はこもりひばり」は言った。


 ビー玉は天井に近い高窓から差し込む夕日を受けて、淡い黄色に輝いている。ひばりはそのビー玉をピンッとはじき、反対側に向かい合って座る少女へ目を向ける。


 少女は自分の手元に転がってきたビー玉を人差し指と親指でつまみ上げ、ぐっと目を細めてその球体を覗き込んだ。


「でも、ひばりちゃんは色んなことができるよね」

 ビー玉を覗き込んだまま、ふふっと柔らかな笑顔を浮かべる。


すみちゃんの方が多彩で器用だし、敵わないと思うけど……」


 ひばりは頬杖のせいで盛り上がった左頬をそのままに、ふがふがと言葉を返す。純と呼ばれた少女はまた、ふふっと笑いながらビー玉を弾いて転がし返した。


「私ができることはみんながちょっと頑張ればできることだけど、ひばりちゃんはみんながどう努力したってできないことができるじゃない」

 

 ひばりは照れ隠しのために軽く咳払いをし、またビー玉を弾く。


「うーん。確かに、私みたいな体質を持っている人はあんまり会ったことがないわね」

「ひばりちゃんのご家族は? やっぱりみんな魔法使いなのかな」

「そうねぇ、正確にはちょっとだけ違うんだけど、まぁ、そんな感じ。ママは魔女ではないのだけど、ああ見えてすごい人らしいの」

「ひばりちゃんのお母さんはいつもにこにこしてるけど、只者じゃないなっていうのはなんとなくわかる」


 互いにビー玉を転がし合いながら、クスクスと空気を揺らす。


 (世界には正体の知れない魔性の者が何人もいるって聞いたことがあるけれど、私はまだママ以上に知識がある人に会ったことがない。もしも会えたなら聞きたいことが山ほどある。魔術のこと、魔草や魔道具のこと、それから――)


「ひばりちゃん?」


 ビー玉はひばりの人差し指に抑えられ、その指先から水彩絵の具を水に垂らしたような模様が浮かび上がっていた。

「あら、いけないいけない」

 パッと指を離し、膝の上に置いていたシルクのハンカチでそのビー玉を拾い上げ、白いベロア地でできた親指程の小さな巾着に入れた。


「さっきから思ってたんだけど、このビー玉なに?」


 ビー玉の入った巾着を見つめながら純は言った。


「これはね……お守り、かな」


 歯切れの悪い回答に不思議そうな顔をした純だったが、ひばりが言葉を濁すなんてしょっちゅうあることなので、早々に深く考えることをやめた。


「そう。綺麗な玉だね。ガラスでできてるの?」

「そんなようなものかな。これ、純ちゃんにあげるね」


 巾着の紐をリボン縛りできゅっと閉じ、それを純に差し出す。


「えぇ、なんで? もらえないよ。私そんなに欲しそうな顔してたかな」


 自分がねだるような顔をしてしまったのかと不安げに自分の頬を抑える純に、ひばりはふっと笑みを浮かべた。


「ううん。ただ私が純ちゃんに持っていてほしいだけ。迷惑だったかな」


 ひばりまで眉尻を下げて不安を滲ませるものだから、純は慌てて首を横に振った。


「迷惑だなんて! 突然だったからびっくりしただけ。ありがとう、大切にするね」


 純は巾着を受け取り、そっと両手のひらで包み込んだ。


「よかった。それね、純ちゃんが幸せになるおまじないをかけてあるから、絶対に人に譲ったり無くしたりしないでね」


 そう言ったひばりの頬が、先ほどより赤を増した夕日に照らされ、妖艶な雰囲気に包まれていた。室内に飾られた色付き硝子の置物や薬瓶に当たった光が乱反射して、部屋をカラフルに染め上げている。その光景はなんだか神秘的で、純の心をふわふわと夢見心地にさせた。


 うっとりとひばりを見つめていると、部屋の扉に下げられたベルが「チリン」と澄んだ音を鳴らした。


「ひばり様、そろそろお時間です」


 扉の向こうから男性の声が聞こえ、ひばりは「はぁ~あ」とため息をつく。


「もう時間かぁ。もっと純ちゃんとお話ししたかったなぁ」


 先ほどまでの妖艶な表情をどこかに置いてきてしまったように気の抜けた声を上げながら、ひばりはデスクに突っ伏し純の手を探る。


「ふふ、また来るから。ひばりちゃん、お仕事頑張ってね。余裕のある時には学校にも来てね」


 空を掴もうとしているひばりの手をそっと取り、励ますように優しくぽんぽんと叩く。


「うん、元気出た。ありがとう純ちゃん」


 ひばりはそう言い、部屋から去っていく純の後ろ姿を見送った。


 純が去って間もなく、扉の向こうから定刻を告げた声の主が現れた。


「ひばり様、お召替えを済ませましたらすぐに出発です。どうやら先方はもうお一方お連れのようで、そちらの相談もぜひ聞いていただきたいと仰せつかっております」


 男はひばりの前まで進みながらそう言い、恭しく頭を下げた。


「リヒト、そういうのはお断りしてもいいんだよ?」

 

 不満そうに口を尖らせたひばりに、リヒトと呼ばれた男はゆっくりと首を振りながら「いいえ、ひばり様」と少し熱のこもった目でひばりを見つめながら右手を握りしめ、自分の胸に当てる。


「先方はひばり様のお力を頼ってくださっているのです。ひばり様に仕える者としてこれほど嬉しいことはございません。ひばり様の素晴らしさを多くの人に知っていただける絶好の機会です。それに、ひばり様が魔術を使っている美しい姿をこの目におさめ――」

「わかった! もうわかったから……着替えるから部屋の外で待っていて!」


 季節は春の始まりなのに、今にも夏を呼び込んでしまいそうな熱気でひばりを尊ぶリヒトを諫め、しっしと右手で払いながら追い出した。


 すっぽりと尻まで隠れる菫色のセーターと、タイトなデニムというラフな装いから、襟元から袖口までふんだんにレースがあしらわれた上品な黒いブラウスに、ボルドーの膝下丈のフレアスカートに着替え、先の尖った黒いピンヒールに足を入れた。

 腰まで届きそうな程の長い髪は、樫の木で作られたくしで解かすだけ。耳に青い石のついたピアスを下げ、最後に複雑な模様が描かれた木製の古い箱から口紅を取り出し、唇の表面で左右に滑らせる。


 支度を終えたひばりは、扉のすぐ横に置かれた革製の大きなトランクをバカっと開き、黒いベールを丁寧に畳んで詰め込んだ。

 コツコツとヒールを鳴らしながら、トランクを方手に扉を開ける。

 外はハルニレの木を揺らす程の風が吹き、どこからか桜の花びらを運んでくる。


「ふう……」


苦手な常連客の顔を思い浮かべて一つ嘆息し、ひばりは重い体とトランクを引きずり仕事へと向かっていった。




プロローグ 終

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