高校生から始める丁寧なサスティナブルライフ(仮)

まーるか

第1話 春の転居

 父の燻らせる電子タバコの匂いと、フォークソングの響きがワンボックスカーに充満している。その濃厚な気配に気分が悪くなりながら、八重山晴香やえやまはるかは半分ほど開けていた車窓を全開にした。むわっとする湿った土と草花の香りが押し寄せてくる。

 今まで嗅いだことのない香りだった。

 緊張がほぐれるようなその香りにほっとしながら、晴香はスマートフォンをいじって楽曲の音量を大きくした。イヤホンからは女子高生が激しくがなり散らしながら、社会風刺をしている曲が聴こえてくる。

 正しさとは何か見せつけてくれるそうだ。

 16歳の晴香には、歌詞にまだよくわからない箇所もあったけれども、自由になれない、希望もないならせめて怒鳴りたいという気持ちは分からなくもなかった。


 晴香は着ていたブルーのパーカーのフードを引っ張って、顔を隠す。ここまでの4時間に渡る自動車移動はただただ気怠く、全身に溜まった疲労からくる苛立ちを誤魔化したくて、ひたすら音楽に没頭していたかった。


 隣の席では7才になる妹の六花りっかが同じく窓を開けて、興味深そうにに外を眺めている。

 小さな手を窓の外に伸ばすので、助手席に座っている母に何度も嗜められているが、やめようとしない。

 父は真剣に運転しているので、それどころではなかった。


 菜の花が咲く土手の下の田舎道を、晴香たちは新居に向けて走っていた。

 新型感染症が世界的に流行した影響で両親の仕事がリモートワークに変わったため、母の実家がある田舎へと越してくることになったのだ。


 新居は祖父母が近くで見つけてくれた物件で、イタリアンレストランのような、瀟洒な洋風建築の一軒家だった。

 荷物はすでに運び込まれていて、あとは開封するだけ、と言った感じだ。


「みんな、よく来たね」


 車を降りると、にこやかな祖父母が出迎えてくれた。


「お母さん、お父さん、ありがとう」

「ありがとうございます。今後ともどうぞ宜しくお願いします」

「馨さんご丁寧にありがとうございます。幸喜子ゆきこいいんだよ。お昼まだでしょう?用意してあるからね。」

「おばーちゃーん!」


 六花が駆けていって、蝉のように祖母のかすみに飛びついたが、母・幸喜子ゆきこにすぐに剥がされた。

 リビングへ行くとガスも電気もすでに開通していて、祖父のかなえが既にお茶を淹れてくれていた後だった。

 手洗いうがいと衣類の除菌を済ませた4人に、霞と鼎はちらし寿司と朝摘み苺、サラダと若竹煮に潮汁を振る舞ってくれた。


「え、嬉しい!引越し初日だから宅配頼もうかと思ってたの」


 幸喜子が飛び上がらんばかりに喜んでいた。

 父のけいも平身低頭している。


「晴香、久しぶり。元気だったか?」


 祖父・鼎が、マスクとフェイスシールド越しに、顔を覗き込んできた。

 晴香が頷くと、鼎もそうか、と頷いてニコニコしていた。

 子供の頃は特に気にしていなかったけれど、思春期を迎えてから晴香はどう振る舞っていいのか分からず、緊張しがちになった。

 自然と口数も減ってしまったが、祖父母はそれを包み込んでくれるような優しさがあるので好きだった。


 積もる話もあるけれど、食事をする前に祖父母は帰宅していった。今後2週間は、祖父母が代わりに買い物に行ってくれることで話はついているらしい。

 晴香たちは、その間荷物を片付けて、外出はしないことになっている。


「あー、初日からラッキーすぎる〜!これから楽しみね」


 ◆


 夜、カエルと虫の声が聞こえた。

 窓を開けると、今度は冷たい草萌ゆ香りがする。

 月がやけに小さく遠く見えたのが意外で、晴香はるかは2階にある寝室の窓辺にもたれかかりながら外を眺めていた。

 地面には、月明かりで雲の影が落ちている。

 この家は周囲より少し小高いところにあるので、遠くまでよく見渡すことができた。


 今まで住んでいたところは、真夜中でも空が明るかったけれど、ここは都会と比べて街灯が少なく、たまに車が通るくらいで、人影もほとんどない。

 都会は深呼吸すると咳き込むほどのイガイガとした空気で充満していたが、ここの空気は柔らかくまろやかだった。

 とおもっていたら、遠くからトコトコと人影がやってきた。人が行く時は懐中電灯を持って歩いているようで、小さな明かりがチラチラと揺れながらやってくるのだった。

 その人がちょうど家の下を通った時、玄関のセンサーライトが点いて姿が見えた。


(……女の子だ)


 髪が腰ほどまであったので、遠目でも女性だということはすぐわかった。

 思った瞬間、その子がこちらを見上げた。

 驚いて晴香が硬直したところ、その子は一回だけ手を振ってすぐまた歩き出した。なんだかバツが悪いような気がして、晴香はもうその子の姿を目で追うことはできなかった。


 りーりーという鈴虫の声を聞きながら過ごす夜は思いの外心地良くて、晴香はその日、久しぶりに音楽を聞かず眠りについた。



 ◆



 翌朝。

 カーテンがまだかかってない寝室には朝日が直撃し、晴香は5時に目覚めた。

 いくらなんでも早すぎるかと暫くベッドで寝転んでいると、階下で物音がする。おそらく両親が何かしているのだろう。

 鳥が異様に喧しく囀っており、感心した音量は大きいが、嫌な気はしない。


「お兄ちゃん、朝ごはん食べる?」


 小鳥とそう変わらない声の高さで、六花りっかがドア越しに声をかけてくる。

 ドアを開けると、まだ髪も梳かしていない、パジャマ姿の六花が欠伸をしながら立っていた。


「おはよー、お兄ちゃん」

「おはよう、六花。ありがとう」


 兄妹2人で洗面、歯磨きを済ませてから階下に降りると、両親がフルーツスムージーとバターコーヒーを淹れていた。室内にコーヒーの匂いが漂っている。


 父のけいは口に入れるものにこだわりがあって、この毎朝のバターコーヒーもその一つだった。

 シリコンバレーで考案されたというこの飲み物は、オーガニックのシングル・オリジン単一種浅煎り豆をその場で粗挽きにし、ステンレスフィルターを使って淹れた後に、グラスフェッド牧草牛バターとココナッツオイルと共にミキサーにかける。

 ミルクティーのように淡い色へミセル化(油脂が液中に均質層を作っている状態)したその飲み物は、16時間食事を断つことで真価を発揮し、迅速に身体のエネルギー効率と集中力を高めるらしい。

 馨は特に、このバターにこだわっていて、高校時代の地元の友人から分けてもらった発酵バターを使っていた。昔はその友人も苦労したそうだが、今ではその畜産農法が評価されて事業拡大し、その地域が環境省のモデル都市となる足掛かりとなった、馨の自慢の友人だ。


「おはよう、六花、晴」


 昨日段ボールの中から発掘した白いミルクガラスの揃いのマグに注がれたコーヒーは、カフェ・オ・レのように柔らかく濁っている。

 甘くないが苦すぎもしない口当たりと、すぐに身体が温まる感覚が気に入っていた。

 六花は厚手のグラスに注がれたピンクのスムージーを受け取ると、すぐに金色のステンレス・ストローに口をつけた。


「お父さん、これなーに?」

「苺とマキベリーのスムージーだよ」

「私これ好き!ありがとう」


 バターコーヒーに口を付けながら、けいが六花の長い髪をセットをしている。


「2週間出掛けられないけど、父さんたちは来週から仕事始まるから、荷物は3日で片付けるつもり。晴香と六花は、今日は自分の段ボール箱が5つ片付いたら、好きなことしていいよ」


 六花のもつれた髪が、馨の日焼けした手によって何度もブラッシングされ、アイロンで寝癖が直り、あっという間に艶々のツインテールになった。


「私たちは今日家電とWi-fiのセッティングするから、晴ちゃんもし良かったら洗剤とか食器とか、すぐ使うもの出してもらえると助かるかも」


 ノートに今日のToDoを書き出していた幸喜子ゆきこが、こちらもバターコーヒーを片手に満面の笑みでウィンクしてきた。


「……わかった」

「やったー!晴ちゃんありがとう!嬉しい〜!」


 乾杯するようにマグカップを掲げて小躍りする幸喜子。

 見ていた六花が唇を尖らせた。


「えー、六花はー?」

「六花ちゃんもなにかお手伝いしてくれるの?できるかなー?わるいなー」

「できるもん!」

「え、すごーい!六花ちゃんできちゃうの?」

「で・き・る・の!」

「じゃあ、お母さんタオルしまってもらえたら嬉しいなー」

「わかった!」

「ありがとう六花ちゃん!さすが最高の娘、いい子すぎる〜!お母さん果報者で嬉しい。ハイファイしよ、イェーイ!」


 六花が上に伸ばした手に、幸喜子がバチンとハイタッチすると、六花の小さな鼻の穴がどうだと言わんばかりに膨らんでいた。

 晴香は小さな頃こそ何とも思わなかったが、幸喜子のこのノリが外で出会う人たちとあまりにもかけ離れているので、正直なところ最近引いていた。


「六花ちゃん、タオルしまえたら教えてね。一緒に映画見よ」

「うん!」

「何見るか考えといてね」

「わかった!」


 六花は張り切った風にスムージーを一気飲みすると、食器を片付けてから一目散に2階へ駆けていった。


「晴香も疲れてたら無理しないで休んでいいからな」

「わかった」

「晴ちゃん、終わったらケーキ食べようね」


 まだ雑然と段ボール箱が積み上がっていて、カーテンすらないリビングだが、幸喜子も馨も楽しそうに今日のスケジュールの話し合いを始めた。

 晴香はイヤホンを付けて、いつもの風刺ソングを聞こうとしたが、しっくりこなくて聞くのをやめた。

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