修学旅行の日、図書室の片隅

にあ

修学旅行の日、図書室の片隅


あれは数年前、少しくたびれ始めた制服に腕を通し、漫画のような恋愛や友情なんて所詮は妄想の類なんだと理解し始めた頃。


同じ学年のみんなは髪をお洒落に整えて、新品のリュックを自慢げに背負い、楽しそうにお喋りしながらバスを待つ。計画と準備は2ヶ月も前から。移動時間は約5時間。目的地は九州。そう、今日は修学旅行の1日目。


教員の、人数確認を行なっているらしいやたら大きな声をなんとなく聞きつつ…そんな光景を横目に私が足を運ぶのは4階にある図書室だった。


先生からはいじめとか、そんなことを疑われた。でも別に、そうじゃない。

ありがちな女子グループの格差とか、悪口とか、もともと入ってないから関係ない。

挨拶をする人はいるし、2人組もつくれるし、楽しくお喋りもできるけど、友達と呼べる存在がいない気がした。かくして私は、叔母の結婚式〜なんて馬鹿でもわかる嘘を盾に修学旅行を休んだのだった。

休む、といいだしてからの担任教師との格闘はそれはそれは壮絶だったが、休めた事実だけを綴っておく。


私の通う高校は、春に修学旅行があった。

私はそれを適当な理由でサボって、3日間の登校を命じられた。説明終わり。


つまらない課題を肩にかけた鞄に押し込みながら、息が少しばかり乱れる階段を登り切る。目指すは本館と呼ばれる建物の一番上、一番端、私の大好きな場所。作業のベルが鳴る頃合い、無駄に重たい両開きの扉を開き、図書室に足を踏み入れた。


図書室にあるのは、本棚と机と椅子と、ソファ。私の特等席はそのソファで、暇つぶしに本を読む時はそこに座っていた。

その日も勿論私の特等席に座る、つもりが、図書室には先客がいた。1時間目は始まっている。私の学年はバスの中。…なのに制服を着た少女はファンタジーに出てきそうな図鑑サイズの本を机に立てて開き、読んでいた。

チラリと視線を落とすと、靴の色は私と同じ赤色。つまり、彼女は、私と同じで…「修学旅行をサボった人」だ。


説明が抜け落ちたが、この高校は学年ごとに校内で使用する靴の色が違った。だから、彼女がおんなじサボりだと…聞くまでもなくわかったのだった。


修学旅行をサボる人、いるんだ。


自分のことを棚に上げて、私はそう思った。

文章を目で追うその少女は肌が白くて、細くて、可愛らしい雰囲気を纏っている。

学年が400人もいれば知らない人も当然いるわけで、その子を見るのは初めてだった。


一応読書好きの私は、自称ではあるが国語が得意だった。大学入試の模試でも校内2位で、偏差値も65ぐらいあったから、得意だと言ってもよいレベルだと自負していたのだ。うん、とても恥ずかしい。


カッコつけた本を人知れず読むのが好きだったので、文学は一通り読んだ。…ともかく、謎の少女より本を読んでいる自信のあった私は彼女の読んでいる本が気になって、自然と前を横切った。


『太宰治 大全集』


「なんじゃそりゃ」


思わず声に出たその言葉でようやく、少女と目が合う。どうやら彼女の方は私の存在に気がついてなかったらしい。

ぱちぱち、と瞬きをしてから、ゆっくりと会釈をされた。


「修学旅行、さぼるのは2人って聞いてた。」


「私はここにきて初めて知った。」


「私、サボるって決めたの3日前だから。」


短いやりとりの間に本を閉じて、少女は立ち上がる。表紙を上に机に置き、にこりと笑った。


「一年の終わり、本をたくさん読んだで賞とってたでしょ。」


とった。無駄に目立って、鬱陶しいから、今度は取らないようにセーブしようと思った。


「何を読む人なのかなって気になってたの。」


勝手に認知するなよ、私は「はじめまして」だっての。


「ねぇ」


「何?」


「太宰治の本、読んだことある?」


「…有名なのだけ、…走れメロスとか…人間失格とか」


人間失格。という単語に、彼女は目の色を変えた。


「どう思った?」


「え?」


「人間失格、感想」


なんでいきなりそんな事を聞いてくるんだろうかと思ったけど、変な空気にはしたくないし、答えてさっさと本を撮りに行こうと思ったのが当時の私。


「…気持ち悪かった。」


「何が?」


「全部」


人間失格には、写真が出てくる。…家族写真。主役だけが笑顔で写ってる、奇異な写真。


「テレビで、太宰治の家族写真を見た時、私が思い浮かべた…人間失格で表現されてた写真と一緒だなぁって思ったん。」


「…なんで?」


「語りかけられてるみたい。」


彼女は不思議そうに首を傾げてた。私は溜息混じりに続ける。


「写真。…普通は、読む人によって想像する写真は違うはずやん。なのに、…太宰治の表現したかった写真を、私は詳細に思い浮かべることができたのが気持ち悪かった。


あの人が木を文字で表して、それを何人かが読んだ時…読んだ全員が同じ木をそっくりそのまま思い浮かべられるんかなって思ったら、少し怖かったん。」


「怖い、って変じゃない?」


「…でも、隣で何かを指さしながら、語られてるみたいやん。故人のくせに、鬱陶しい。」


「へー」


変な反応をする彼女は少し嬉しそうで、私はそろそろうんざりしていた。


人間失格が気持ち悪かったのは本当。上手くは言えないが、写真がそっくりそのまま本当だったことで…主役に感じた嫌悪とか、そういうのも『本当』なんだと思ってしまったから。


その後彼女は私の隣に席を移動し、太宰治の素晴らしさを語ってみたり私の好きなものを聞き出したりする。


感性が似通ってると気がついたのは言葉を交わしはじめてから2時間後。彼女は国語模試の校内一位で、文学少女で、私よりずっと賢い子だった。


そこから私と彼女は、いわゆる親友というものになった。


今現在も、デート、なんてつまらない称し方をしたお出かけは続いてる。


「ありがとう」


普段の会話で急な感謝が飛んできて、私はフレンチトーストを切る手を止めた。


「太宰治の本な、高校生だとカッコいいと思って読む人が多いの。」


「私もその類やん。」


「で、感想聞くと…面白かったとか、感慨深いとか、考えさせられる…とかっていうんだよ。」


「うんうん、」


「でも君は、違うこと言ったから、興味が湧いたの」


「変なやつ」


「お前には絶対言われたくない」


修学旅行のサボり。

人気のない図書室。

一冊の文学が結んだ縁。


「小説でありそうやんな。」


「ないよ、売れなさそうだもん。」


「ありそうやよ。」


多分私は、これから数年後も同じように彼女と会って、話して、笑う。


部活動での汗流す青春とか、クラスで一致団結競技大会とか、先輩後輩の甘い恋愛とか、そんなのはなかったけど…


「あの日さ、」


「ん?」


「私が読んでる本、気になってくれてありがとう。」


一大イベントをサボって、彼女を見つけられた事を、私は今日も嬉しく思う。


「…気持ち悪、」




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