第33話 フェルリーンのささやき
チンッとグラスが鳴り、フェルリーンがうっとりと葡萄酒を口に含む。
キアンの部屋では、キアンとフェルリーンが二人で葡萄酒を酌み交わしていた。
キアンの部屋は、寝室と居間の二部屋だ。
居間のテーブルには美しい花と果物が添えてあり、葡萄酒がいい頃合いに冷えていた。
「ああ、いい気持ち。あの小さな魔導師さんのフィーネ、素敵でしたわね。
あれ程の弾き手は我が国にも二人といないでしょう。アトラーナは素敵な所ですわ。」
彼女の虜となっているキアンが言葉に詰まる。
彼女との話題まで、リリスの事は避けたい。
「そう言えば、ラクリスは君の国に留学しているんだって?一緒に来れば良かったのに。」
ラクリスはラグンベルクの一人息子だ。
従兄弟だが、キアンと違ってスラリと長身で、柔らかなブラウンの髪はリリスのように軽くウェーブしている。
ハンサムで頭も良く、叔父の自慢だ。
「え・・え、でも学校が休めないからって。」
「へえ、偉いなあ。秀才だもんな。」
キアンがそう言って、果物を一つかじった。
「彼は彼、今はあなたのお話よ。ね?
いいお仲間ですの?あの異界人も。」
気恥ずかしそうにソファーで向き合うと、フェルリーンは色々興味深そうに聞いてきた。
一緒に行きたいとまで言う困ったお姫様だ。
「ああ、言葉は悪いがいい奴ばかりだ。
吉井という男はよく親身になってくれる。」
「そう・・でも、よくあの子を選ばれたのね。
確かに実力はあるみたいだけど、旅に支障は出ませんの?」
あの子とはリリスだ。
「今のところは何とかね。でも、苦労するよ。
落ち込んだ時は、僕がよく慰めてやるんだ。」
自分に都合良く、真実なんて彼女は知らない。
「まあ、きっといじめられて育ったのですわ。
そんな子を・・大丈夫かしら?心配だわ。」
「え?どうして?」
「ま!だって、ずっと虐げられてきたのなら、高い地位を狙っているはずですわ。
ラーナブラッドも、取られないようにお気をつけなされませ。」
高い地位・・リリスはドラゴンとも顔見知りで親しい。
もしあいつがドラゴンマスターに挑戦したら、すぐに全てのドラゴンは忠誠を誓うだろう・・
でも、そんなことする奴じゃない!そうだ、僕が一番知っている!
「まさか!そんなことあり得ないよ!
あいつはよくしてくれる。」
「あら、それで油断させているのかもしれませんわ。
あれは王たる者の証、お父上様のように常に身につけておくべきです。」
だが、そうしていて置き忘れたのはキアンだ。
「今、どなたがラーナブラッドをお持ちですの?キアナルーサ様。」
「ああ、今は・・」
言いかけて口をつぐんだ。
・・・石を誰が持っているか、誰に聞かれても決して話してはなりません・・
リリスの言葉が耳に残っている。
「フェルリーン、心配いらないよ。あれは信頼できる者が持っている。」
「まあ!誰です?その吉井とか申す者ですか?」
「いいや、違う。いいさ、誰でも。」
「いいえ!よくありませんわ!」
何故かフェルリーンがしつこく聞いてくる。
「私、こんな話を耳にしましたのよ。
あの子の優しい微笑みにしつこい程の丁寧な言葉。あれこそがあの子の常套手段だと。」
「手段?物騒だな。何のだい?」
フェルリーンに相応しくない言葉が、ますます小さくひっそりと愛らしい唇から放たれる。
やがて、思ってもいない言葉が飛び出した。
「よろしくて?ラーナブラッドの奪取と、この国への復讐でございますわ。」
「復讐?」
「ええ、もちろん自分を捨てた、顔も知らぬ両親と、悪魔よ化け物よとそしってきたこの国の民衆にでございますわ。」
「馬鹿な!!
フェルリーン、いくら君でも怒るよ!」
「いいえ!キアナルーサ様、私は心配なのでございます。だって、あなたは次の王となるお方。
それなのに凄くお優しくて、お人がよろしくて、私心配で仕方がないのでございますわ!」
フッとキアンが立ち上がり、フェルリーンの隣りに座ると彼女の手を握った。
「フェルリーンは心配症だなあ・・僕のことをそんなに心配してくれるなんて嬉しいよ。
フェルリーン、大丈夫。僕は無事にドラゴンマスターとなって戻ってくる!
君は僕を信じて城で待っててくれ。いいね。」
「え、ええ、でも・・」
長い金の睫毛を揺らして、人形のように美しい彼女が、これ程に自分を愛して心配してくれる。
キアンは天にも昇る気持ちで幸せだ。
吉井やリリス、みんなに大声で自慢したくなる衝動に駆られる。
「僕の花嫁はこんなに綺麗な女性なんだ!」
これだけはリリスにも勝った!と思いながら、キアンは満足そうな笑顔を浮かべ、その後フェルリーンと肩を寄り添って彼女の部屋へと送り届けた。
シンと静まりかえった長い廊下は、時々外からの冷たい風が吹き込んで、ゆらゆら蝋燭の灯りが揺れる。
両側にドアがある長い廊下は、ボウッと歩いているとここがどの部屋か分からなくなる。
部屋数の多さはキアンの住む城と大差ない。
シビル城と皮肉を込めて下女達が囁いていたっけ。各部屋にある絨毯も、贅沢にもシビルの毛を使ってある。
フェルリーンを送った帰り、薄暗い廊下に点々と立つ蝋燭に照らされながら、キアンは寂しそうな自分の影をぼんやり眺めていた。
・・ずっと虐げられてきたのなら、高い地位を狙っているはずですわ・・
彼女の声が、何度も頭をこだまする。
キアンは頭を振ってその言葉を振り払うと、ベッドに飛び込んで寝てしまおうとドアを勢い良く開けた。
「もう、寝るんだ!くそっ!放っといてくれ!」
バサバサと、ソファーにシャツを脱ぎ散らかし、パジャマに着替える。
しかし、頭にはリリスの優しい顔ばかりが浮かんで、何だか涙が出てきた。
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