第22話 シールーン

 「はあっはあっはあ・・」


いきなり突き落とされた四人は、青い顔で息が上がっている。余程怖かったのだろう。

まあ、当然か。


「さあ、ここでございます。キアン様、シールーン様にご挨拶を。」


「ちょっと・・待て、僕は、心臓が・・」


「大丈夫でございますか?」


リリスが膝を付き、心配そうに覗き込む。

・・このお!


「お前のせいだろうが!このうつけ!

何て乱暴な奴だ!僕は死ぬかと思ったんだ!」


「申し訳ございません。」


謝れば済むか!この野郎!

言いたいけれど、先ほどの声が谷間をガンガン反響する。


はー、はー、はー、


しかし、叫んだら、何とか落ち着いてきた。


「よし・・」


「キアン様、あまり大きなお声を出されませぬようご注意なされませ。

声が反響して、思わぬ事を引き起こすことがございます。」


「今頃言うか?馬鹿者。まあ、よく分かった。」


上から見ると緩やかな流れに見えた川も、近寄れば流れは速いようだ。

澄んで美しく、底が浅いように見えるが深さは見当が付かない。

時々スッと、魚が目にも留まらぬ早さで泳いでゆく。

異世界三人組も、さっきまでちびるほど怖かったのも忘れて、今はうっとり見とれている。

何て美しい川なんだろう・・こんな川、都会じゃちょっと見たこと無い。

それをよそに跪く従者の前に立ち、キアンは川に向かって訴えかけるように言った。


「水を統べるドラゴン、シールーンよ。

我はこのアトラーナの第一王子キアナルーサである。十三の年を迎え、次代の王となるべくここに来た。

ラーナブラッドに誓いを立てよ。我に忠誠を誓え。

我が前に姿を現せ!シールーン!」


ザーザーザー・・


川の音だけが虚しく響き渡る。


「何も出てこないね。」


「うるさい!静かにしろ!

おい、リリス!本当にいるのか?」


リリスがほうっと珍しく溜息をつき、立ち上がる。そして川に向かい一礼した。


「お久しぶりでございます、シールーン様。

キアナルーサ王子をお連れいたしました。

どうぞお姿を現し、話をお聞き下さいませ。」


パシャンッ!

一匹の虹色をした美しい魚が跳ねた。


「傲慢な王子よ、お前は挨拶を知らぬ。」


澄み切った美しい女の声が、辺りに響き渡る。


「シールーン様、王子は御世継ぎとして、王としての教育を受けてこられたのでございます。

どうか、言葉の至らぬ所はお許し下さい。」


サラサラと、水が荒々しさを隠して優しく流れてゆく。

日が陰っている水面に、スッと日が差すように輝きが差し込んだ。


サアアアア・・・


何もない水面から、スウッと水が人の形をして起きあがる。そしてそれは、徐々に美しい女性の姿となっていった。


「わあ・・きれい・・」


その美しさに思わずアイが溜息をもらす。

青白く透き通った肌、水で出来た長い髪、そして水のドレスをまとっている。

まさしく、水の精。水のドラゴンの化身だと言われても頷ける。

スウッとそのまま水から浮き上がるように全身が現れると、ゆっくりと一同を見回した。

透き通るブルーの瞳が、表情を冷たく感じさせる。

が、彼女はリリスを見るなり、薄く形の良い青い唇をほころばせた。


「よう来た、久しいのうリリスよ。

お主が王子の従者に選ばれるとは・・あの小さき子がこれ程に立派になったか。

人の育つのは、何と早き事よ。

セフィーリアもさぞ喜んでいることであろう。」


「はい・・」


リリスが少し困ったようにキアンを窺う。

もちろんコケにされたキアンは、ムッとしてリリスを睨んでいた。


「リリス、下がっていろ。

シールーンよ、僕がキアナルーサだ。

ラーナブラッドの継承者である。」


「よい。」


シールーンがキアンの言葉を遮る。


「リリスよ、後ろの小屋を使うがよい。

先日雨で増水して浸かったが、そろそろ来る頃かと思うて綺麗に洗うておいたわ。

ほほほ・・可愛い異世界人も疲れたであろう?

ゆっくり休むがよい、川の使用を許すぞ。」


バシャーンッ!


話が終わるなり、シールーンが水になって消えた。


「お心遣い、ありがとうございます。」


リリスが膝を付き、川に深々と頭を下げる。

隣ではキアンの手がぶるぶると震えている。

辺りはまだ明るいが、もうしばらくで日も沈む。ザレルはさっさと小屋に泊まる準備に取りかかり、3人組も無言でそっとザレルに付いて行く。

川の畔には、キアンとリリスだけが残った。


「僕は・・僕はシールーンを怒らせたのか?

シールーンはどうして僕を無視するんだ?

僕は・・僕は・・王子なのに・・次の王様になるのに・・」


キアンの目から、涙がボロボロとこぼれる。

リリスがハンカチでその涙を拭いた。


「申し訳有りません、私が至らないばかりにキアン様にご迷惑をおかけしました。」


「リリス。」

「はい。」


「僕の何が悪かったんだろう・・僕は立派に挨拶できたと思ったのに。

お前はいいな、みんなお前のことが好きだ。お前は苦もなくみんなと仲良くなれる。」


驚いてリリスがキアンの横顔を見つめ、そして微かに首を振って項垂れる。

胸が冷たくキュッと締まり、何故か凄く悲しくなった。


「王子も・・キアン様も仲良くおなりではありませんか。

皆様と楽しそうにお話されているのを見ますと、リリスは羨ましい限りでございます。」


リリスが震える声でキアンを気遣う。

しかし、リリスの気遣いも今は心を逆撫でしてムッとする。

キアンは思わず一言言ってやろうとリリスの顔を睨み付け、ハッとして呆然と見つめた。

リリスの色違いの目から、涙がぽろぽろと流れている。


「ああ、申し訳有りません。お見苦しい物をお見せしました。どうか・・お許し・・」


涙が、止まらない。

ここへ来て川を見ていると、ずっと心にしまっている物が、どうしても容易く出てしまう。

キアンが戸惑いながらリリスの背を抱いた。


「僕が悪いのか?僕が、悪いんだろう?

リリス、許せ。リリス、すまぬ。」


違う、違うんです・・


言葉にならず、嗚咽が漏れそうになる。

まだ、十三才の少年が二人、辛い試練がまだ幼く小さな背中に重い。

美しい水の流れが涙を誘うように、しばしこの一時、リリスは心を裸にしてただただ泣いていた。

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