鐵華繚乱(上)

「まさか、黒色眼鏡サングラスのおじさんが巻き込まれてるとは思わなかったな」

「なーにが思わなかったな、なのだがねェ!」


 真っ暗闇にヤシロの叫び声が響き、十無ツナシはのんびりと笑った。


 玄帝ゲンテイとともに飲み込まれた大穴の底である。蓮安リアンの意思が正しく反映された匣庭はこにわは、目論見通りに玄帝と罪人を閉じ込めた。それを見届けた十無はあらかじめ用意された抜け道をたどって、匣庭から出ようとしていたのである。


 歩いては立ち止まり、目印を頼りに方角を決めて再び進む。それを三度繰り返したところで十無は社とはちあわせ、静かな道行きは途端ににぎやかなものになった。


「ここはどこなのだがね!? というか一体何が!?」


 社はずいぶんと走り回ったらしい。そのあたりの至極どうでもいい事情を適当に聞き流したあとに問いかけられ、十無は首を傾けて応じる。


「ううん。説明する時間ももったいないよねえ」

「いやいや、吾輩わがはいと十無クンの仲では!?」

「おや。そんなものがあったのかい?」

「あったのだよおおおお! 真顔で返すんじゃあな……って、我輩を置いていかないでくれたまえよ! 寂しいだろうがねェ!」


 なぜか涙目で泣きつこうとする社を無視して、十無は歩き始めた。当然のように追いかけてきた社が、何度か鼻をすすったあと、問いを重ねる。


「というか、ニノマエ蓮安リアンは一緒じゃないのだがねェ?」

「先生は黄龍コウリュウの相手をしているからね」

「む、シロ君が戻ってきたのか?」社が嬉しげに黒色眼鏡を輝かせた。「なるほど、ならば十無クンは今から助太刀すけだちに向かうのだね!? そういうことであるならば、もちろんこの天才術士にしてベンチャー企業社長のヤシロ長司チョウジも、一肌脱、ぐ……んんん?」


 十無が立ち止まって扉を開く仕草をすれば、暗闇が一気に晴れて見慣れた墨水堂ぼくすいどうの廊下が現れた。


 あんぐりと社が口を開けるなか、十無は辺りを見やって一つ頷く。


「うん、やっぱり部屋の配置が少し変わっていそうだねえ。廊下もこんなに長くなかったし、知らない戸口もいくつかある」

「あーと、十無クン? なぜに吾輩たちは墨水堂に……?」

「我輩たち、というよりは私は、だね。おじさんは勝手についてきただけでしょう」


 少しばかり傷ついた顔をする社に向かって、十無はにっこりと微笑んだ。


「私は先代を探しに来たんだ。ところで、家の入口は変わっていないようだね。帰るんだったら、ほら、後ろの戸口から出ればいい」

「いやいや。帰るだなんてそんなこと、するわけないのだがねェ」


 ぶつくさと文句を言いながらも、社は当然のように前へ進み始めた。十無は目を瞬かせる。


「一緒に行くのかい?」

「もちろんなのだがね。社員の労働状況をきっちり管理するのも、社長の務めであるからして」

「ふうん?」

「言っておくがね、社長がいるからといって普段と違うことをしてはいかんぞ。偽装は不正の温床であるからしてな。ありのまま、これが一番というわけだ!」


 そういう意味ではないのだけれど、という十無の言葉は、景気よく笑う社には届かなかったようだ。


 彼はすっかり常の調子を取り戻して十無へ尋ねる。


「それで、先代とやらに会ってどうするつもりなのだがね?」

「……説得だねえ、穏便に言うと」胸のあたりの釈然としない感覚を不思議に思いながらも、十無は返した。「とはいえ、どうかな。蓮安先生の師匠だから、頑固なことには違いないと思うけれど」

「交渉なら任せたまえよ」

「ふふ。一番おじさんに任せちゃいけない分野だね」


 十無は木戸の一つで立ち止まった。隣に立った社が、ためつすがめつ戸を眺めて首をかしげる。


「ここに、なにかあるのかねェ?」

「さぁ」

「さぁ?」

「どこを見ても同じ扉ばかりだもの。どこを開けても同じ、ということじゃないかい?」

「む……それはまぁ、そうなのかもしれないのだがねェ……?」


 胡乱うろんな顔をする社を横目に、十無は戸口へ手をかけた。


「それにそろそろ、水先案内人が欲しいと思ってね」


 扉を開いて大股で踏み込んだ十無は、中にいた白髪の老婆の喉元のどもとを掴んだ。


 社が頓狂とんきょうな声をあげるなか、十無は礼儀正しい笑みを浮かべて尋ねる。


「こんにちは、お婆さん。少しお時間を頂いてもいいかな」

「っ……」

「あぁ、ごめんね。喉を押さえてると声も出せないか」


 手を緩めれば、老婆は苦しげに咳き込んだあと、きつく十無をにらんだ。


「っ、あなた……一体何者なの……」

「なにって、うーん、なんだろうね? 元住人というところになるのかな」

「元住人……」

「今はお客さんというべきかもしれないけれどね。まぁいいんだ。それより私は人を探してる。鴻鈞コウキンという男は今ここに?」


 老婆の品の良い顔が強張った。十無は頷く。


「良かった、いるんだね。なら是非、彼の場所まで案内してほしいんだ」

「……何故」

「質問はいらないよ?」にっこりと微笑んで、十無は老婆の喉元にかけた手へ力を込めた。「案内して。さもなければどうなるか分か、」


 そこで、ぱしりと十無の頭が叩かれた。驚いて振り返れば、険しい顔をした社がいる。

 十無は呆気にとられた。


「ええと……今のはどういうことかな、黒色眼鏡のおじさん?」

「どういうこともなにもないのだねェ! その手を離したまえよ!」

「うん? でも、そんなことをすれば逃げられて、」

「ええい、交渉とは暴力にあらずチョーップ!」


 よく分からない掛け声とともに、社は珍しく乱暴に十無を老婆から引き剥がした。きょとんとする十無を無視して、社は咳き込む老婆の前に膝をつき、頭を下げる。


「まったく、うちの従業員が大変失礼な真似をしたのだがねェ。あとでよく叱っておくから、どうぞ許してくれるとありがたい」


 老婆のほうも束の間面食らった顔をしていた。それでも社が根気強く頭を下げ続けていれば、やがて彼女は目元を緩める。


「あなたはずいぶんと礼儀正しい方のようね」

「無論だとも。商売において信頼というのは第一であるからしてな」


 社は黒色眼鏡を指先でもっともらしく押し上げた後、懐から宣伝紙チラシを取り出した。


「こうやって知りあえたのも何かの縁というやつだ。ぜひとも何かお困りごとの際は、社長司にご用命いただけると嬉しいのだがねェ。なんと、この宣伝紙に書かれている『なんでもいうこと聞く券』をつかえば、どんな面倒事でも依頼できるのだよ」

「まぁ、それはありがたいことだわ」

「……あの」


 十無がそろりと声を上げれば、ふわふわと会話していた二人が口をつぐんだ。なんだか妙な空気に十無が思わず言いよどむことしばし。


「……あなたはここの元住人と言っていたわね。もしかして一蓮安という女性のお知り合いかしら」


 老婆が慎重に切り出した。社に視線だけで答えるよう促され、十無は仕方なく頷く。


「そうだね。その認識で間違いはないよ」

「鴻鈞道人とのご関係は? 彼の味方なのかしら」

「それはない。僕は蓮安先生の命で鴻鈞を止めに来たんだ」


 老婆は再び口をつぐんだ。なにかを探るように十無をじっと観察したあと、胸元の水花の飾りを指先で触って頷く。


「……分かりました。ならば鴻鈞のところまで案内しましょう」

「いいのかねェ?」

「あなたたちが一蓮安さんの意思を正しく体現しているというのならば、意味があることだわ」老婆は目を伏せた。「ここではもう誰も、彼女の意思を尊重しようとしないから。黄龍でさえも」


 十無と社は顔を見合わせた。老婆はゆるりと首を振る。


「私の名前はヨシ灰音ハイネといいます。お二人の名前を伺ってもいいかしら」

「吾輩は社で、そっちの従業員が十無クンなのだがねェ」

「社と十無さんね。きちんと覚えておくわ。では早速だけれど、行きましょうか」


 そう言って立ち上がったハイネは、入り口ではなく部屋の奥の壁へ歩を進めた。明かり取りのためだけにつけられた小さな窓枠の格子を順に触れば、どこか遠くで鍵の外れるような音がして景色が変わる。


 社があんぐりと口を開けた。


「か、からくり屋敷……」

「ふふ。単なる匣庭の幻も、そういう表現をして頂ければ楽しいものね」ハイネは小さく微笑んで、眼前に現れた廊下へ向かって踏み出した。「あまり離れないようについてきてらっしゃって。最近はひっきりなしに構造が変わりますからね」


 ハイネの真っ直ぐに伸びた背中を追いかけて、十無たちは蓮安邸の中を進み始めた。時に無数に並ぶ戸口の一つを選び、時に何の変哲もない壁に手を当てて、ハイネは迷うことなく進んでいく。


 夏の日差しの差し込む縁側を歩きながら、社がしみじみと呟いた。


「これは吉さんがいて助かったのだがねェ。吾輩達だけではすっかり迷子になっていたところだぞ」

「……そうだね」

「なんだね、十無クン。歯切れの悪い」

「あまりにも順調すぎると思ってね」


 小声で返しながら、十無は眉をひそめた。中庭をのぞむ縁側は、延々と続いているところを除けばいたって普通だ。


「仮にも僕たちは侵入者だ。なにか妨害が入ってもおかしくはないと思わないかい?」

「んんん? そこは吉さんがうまくやってくれてるんじゃあないのか」

「彼女がわなめようとしている可能性もある。もちろん、彼女なしでは進めないのも事実だけれどね」

「疑り深いのだがねェ」


 社が呆れたように言ったところで、一行は扉をくぐった。


 果ての見えぬ板間に辿り着く。暗闇にぽつぽつと灯籠とうろうの灯火が揺れる以外には何もない。


 淀みなく進んでいたハイネがぴたりと立ち止まった。


「……おかしいわ。この先は廊下につながっていたはずなのだけれど」

「道を間違えたのだがねェ?」

「いいえ、社さん。ここで正しいはずよ。間違えるなんて」


 甲高い笛の音が響き、十無は顔を跳ね上げた。暗がりから手が伸びてきたのは、その直後だ。


 細い手に腕を捕まれ、十無は闇に引きずり込まれる。社が慌てたように何かを叫んだが音にはならなかった。二人の間を遮るように赤紫の光が立ち上ったからだ。


 ほどなくして、十無は無造作に床へ投げ捨てられた。板間の景色に変わりはないが、どうやら社からは十無の姿が見えないらしい。姿を隠されている。あるいは。


「……空間の断絶」

「そういうことよお、式神」


 十無は振り返った。赤紫セキシの燐光を侍らせ、黒髪の少女が空中で足を組んで座っている。


 見覚えのある彼女へ、十無は油断なく身構えながら微笑んだ。


「これはどういうつもりなのかな、赤紫のお姉さん」

「どうもこうもねーっての」姫子ヒメコは面倒くさそうに顔をしかめた。「キシちゃんの気が済むまで、あんたはヒメちゃんと見学っつーこと。言っとくけど、出たかったら鍵を探さなきゃ駄目だからね」



 *****



 唐傘からかさを揺らして、赤髪の少女は暗闇を進む。響くのは、こつこつという己の義足が床を踏む規則正しい音と、灯籠の炎が空気を焦がす音だけだ。


 そこにあるのは静寂だった。かつての墨水堂には似つかわしくない、けれど今のこの場所にはぴったりのもの。その中で彼女は物思いにふける。


「蓮安の匣庭を守るため、協力してはくれませんか」


 彼女に向かって提案してきたのは、鴻鈞だった。


 見た目だけはそのままに、中身がすっかり変わってしまった墨水堂の一画でのことだ。彼女に呪いをかけた老爺は、もっともらしい顔で非礼をびた後に提案してきたのだった。


 すぐ隣の椅子に腰掛けていた姫子が鼻を鳴らす。


「笑っちゃうな、オジサン。キシちゃんのこと散々ないがしろにしてたくせに、いまさら助力をうとか、ウケるんですけど」

「これはこれは。妖魔風情がずいぶんと生意気な口をきいていらっしゃるようですが」鴻鈞は朗らかに笑った。「助力というのは適切ではありません。たしかに私は貴志キシ殿の助けを必要としていますが、貴志殿もまた、私の助力が不可欠のはずだ。だからこその協力と、申しておるのですよ」

「くっだらない。同じ穴のムジナのくせに。てか、キシちゃんにはヒメちゃんがいるんだから、お前の出る幕はねーんだよ」

「はてさて、本当にそうなのですかな」


 鴻鈞は卓上で手を組んで視線を向けた。


「貴志殿、もちろんあなたが否やというのならば止めはいたしませぬ。いつの時代においても、妖魔は人間の願いに寄生するだけであり、その逆はありませんのでな。ですが、このままでよろしいのでしょうか」

「どういう意味ですの。鴻鈞道人」

「あなたの大切にしてきた世界は、いつだってあなた以外の思惑が引き金となって壊されてきた。今回の一件もまさにそうです。蓮安の匣庭にて、あなたは家族にも近い絆を得た。されど匣庭が壊されれば、それは無に帰ってしまう」

「……まったくなにも無くなる、というわけではないはずだわ。なにより黄龍は、一蓮安を生かそうとしているのでしょう。ならばわたくしの出番はないはずよ」

「左様ですとも」鴻鈞は満足げに頷いたあと、一段声を落とした。「されど、私は心配性でしてな。例えば今の黄龍はあまりにも不安定だ。もし彼が、何かの折に蓮安の死を望む願いを聞き入れればどうなるか。かの龍が人を滅ぼす力を振るえば、滅ぼされた人間の存在も、それに関わることによって得られた絆もすべてなかったことになる」


 不愉快そうに両眉を跳ね上げた姫子を、彼女は手で制した。


 作り物の中庭で、鳥が警戒するように鳴き声を上げている。その中で、鴻鈞が目を細めた。


「貴志殿はそれでよろしいのですか。誰かの選択によって、あなたの世界が壊される。それを本当に看過かんかできましょうか」


 こつ、と音を立てて立ち止まり、彼女は回想をやめた。


 顔を上げる。灯籠の明かりにぼんやりと照らされた先で、驚いた顔をした社とハイネが床に座り込んでいる。


「イチルくん、これは一体……」

「――誰かの思惑で私の人生を振り回されるなんて、もう沢山ということよ」イチルは音を立ててたたんだ傘を構え、その柄に手を添えた。「鴻鈞道人の邪魔をするというのならば、たとえあなたがたであっても斬り捨てます」


 払暁ふつぎょう一閃いっせん。静かに起動語を呟き、イチルは傘から転じた刀を抜き放つ。

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