最終話 日常 2(1)

 春休みは2週間ほど。学年は上がるし担任も変わるので宿題はないかと思ったら、予想に反してたっぷり出て、なるべく早めに終わらせようと決意した。すでに奈都にも救援を要請した。解答の役には立たないが、誰か一緒にいるとやる気が出る。逆に私がいれば、奈都も解答的に捗るだろう。

 春休み中は、また数日イベントスタッフのバイトを入れることにした。これは3月の上旬には決めていて、今回は絢音も一緒に参加することになった。1年間好成績を維持したので、小遣いを上げるか長期休みくらいバイトをさせろとバトったらしい。

 結局、人生経験にもなるし、友達も一緒ならと折れてもらえたようだ。お金ももちろん大事だが、それよりもアルバイトを経験してみたかったようだ。

「千紗都先輩、よろしくお願いします!」

 元気にそう言う絢音を、先輩面で現場に連れて行く。初回の今日は教育も兼ねて同じ場所にしてもらえた。前半は物販の品出し、後半は入場の誘導だ。ライブ開始後も外での仕事で、絢音が残念そうにため息をついた。

「せっかくだからライブ聴きたかった。背中越しでもいいから」

 さすがはミュージシャンだ。私など、ステージの上に誰が立っていようと興味がなかった。中の方が良かったのは、冬で外が寒かったからだ。今なら外の方が楽だし静かでいいと思う。

 絢音の記念すべき初めてのバイトは、大したトラブルもなく無事に終わった。カフェでお茶にすると、絢音がコーヒーフロートの写真を撮りながら、嬉しそうに言った。

「600円が安く感じる。金銭感覚の崩壊」

 給料は後日だが、今日だけでひと月の小遣いの倍近く稼いでいる。この1年、比較的裕福側の私と涼夏と付き合っていたから、お金で苦労したことも多かっただろう。涼夏が時々奢っていたが、絢音はそれを当たり前に受け取れるような図太い子ではないし、そんな子だったら私も涼夏も付き合っていない。

「今日は楽だったしね。冬の雨の外は地獄を感じたよ」

 悲劇を思い出しながらそう言うと、絢音が苦笑いを浮かべた。危険手当が欲しいくらいだったが、生憎天気でバイト代は変わらない。

「千紗都が一緒なら頑張れそうな気がする」

「あー、確かに。雨でも顔を上げたら友達がいるっていうのは心強いね」

「働いてる千紗都、カッコよかった。惚れそう」

 うっとりと目を細めて私を見つめる。いつもと違う姿を見せるのは、少し恥ずかしい。丁寧語で客の対応をしている絢音は新鮮だったが、お互い様だろう。

「たくさん働いて、涼夏先輩とリッチな遊びもしようね」

 そう言って話を締め括ると、絢音は満足そうに頷いた。


 アルバイトはなるべく涼夏とかぶるように入れて、休みの日は積極的に一緒に遊んだ。そもそも私は一人が苦手だし、毎日でも誰かと遊びたい。

 一緒に宿題もやったし、チーズフォンデュも食べたし、私が買ったボードゲームもやった。時代は拡大再生産である。開封した時、奈都も一緒にいたのだが、いたく気に入ったようで、後日二人でも遊んだ。自分で買った初めてのゲームだったが、当たりを引いたようだ。

 春休みは他に、Prime Yellowsがふた月ぶりにライブをするということで、今回は奈都も一緒に見に行った。前回と同じカフェ、同じ高校生バンド応援DAYということで、見知った顔もあって話も弾んだ。

 奈都は何もかも初めてで感動していたが、ライブの後、移動したファミレスで一通り感想を言った後、涼夏が難しい顔で腕を組んだ。

「やはり、感動のレベルが下がってきている」

 重々しい言い方に、奈都が小さく噴いて突っ込んだ。

「何それ」

「いい質問だ」

 涼夏は大仰に頷いてから、一度紅茶のカップを手に取った。それを優雅に飲んでからポテトをつまむと、何故かそれを私に食べさせながら言った。

「今日、ナッちゃんは初めてで興奮していた。もちろん、私も楽しかった」

 チラリと私を見たので、ポテトを頬張りながら頷く。今日も絢音はカッコよかったし、サックスとの共演も前回よりずっと良くなっていた。

 ただ、と前置きして、涼夏が小さく息を吐いた。

「絢音がギターを弾くって知った日や、サマセミで初めて演奏を聴いた時、1月にあの店でライブを見た時より、感動のレベルが下がっている。絢音がステージにいることはもはや当たり前になって、私たちはそれに慣れてしまった」

 やはり、涼夏の懸念はそこにある。アルバイトもそうだ。絢音は初めてで興奮していたが、私は冬にも経験しているし、そもそも夏にカラオケで働いていて、真新しいことは何もなかった。

 毎日が同じことの繰り返しになってきている。

「それは、ダメなの?」

 奈都が不思議そうに首を傾げた。涼夏の代わりに、私が頷いて答えた。

「停滞は衰退だから」

「何で言い方がいちいち芝居がかってるの?」

「そこは問題じゃない」

 ふっと表情を緩めて、涼夏が無造作にポテトを口に放り込んだ。

 私はメロンソーダを飲みながら、テーブルに肘をついてなんとなく涼夏の顔を見つめた。今日も研ぎ澄まされた可愛さだ。たとえどれだけ日常に飽きても、涼夏には飽きそうにない。

「海外でも行くかねぇ。グアマーの案内で」

 涼夏がさらっとそう言って、奈都が驚いたように声を上げた。

「グアマーって私? 無理だし! っていうか、行ったの小学生の頃だし!」

 大袈裟に首を振って、とても無理だと訴える。

 海外旅行はいつかは行きたい。奈都ともイタリアに行きたいと話していた。ただ、お金の問題もあるし、もちろん今からではパスポートも間に合わない。

「海外は、卒業旅行クラスのビッグイベントだと思う」

 そう進言すると、涼夏は「そうだね」とあっさり頷いた。

 奈都が釈然としないように眉を曲げて、私と涼夏の顔を交互に見た。

「停滞が後退なのもわかるけど、平凡な日常が続くのはいいことじゃないの? ずっと新しいことをやり続けるのは無理だと思うし、楽しいことを何回もやるのもいいと思うけど」

「それはまあ、そうだね」

 頷きながら、一応同意する。別に私も、楽しく遊べたら何でもいいと思っている。涼夏とてそれは同じだ。

 要するに、帰宅部の活動として、それはどうかということを言っているのだ。私が口を開くより先に、涼夏が同じような趣旨のことを言って、奈都が呆れたように笑った。

「なんか、二人を見てると、本当に帰宅部っていう部活があるように錯覚してくる」

「帰宅部は、あります」

 ふと顔を上げて店内の時計を見ると、もう22時を回っていた。気を抜くと帰宅が補導される時間にかかってしまう。それは帰宅に精通した私たちには、恥ずかしい失態だ。そうでなくても、夜は怖い。

 慌てて会計を済ませて店を出ると、涼夏が陽気に笑った。

「春休み中に何か一つくらい、4人で思い出を作ろう。今日くらいは絢音を偲んで、また明日話そう」

「生きてるから!」

 奈都が瞬時に反応する。偲ぶという言葉に、故人を懐かしむ意味しかなかったかはわからないが、いずれにせよ、ついさっきまで会っていて、また明日も会う友達に対して使う言葉ではない。

 もちろんただの冗談だが、奈都が突っ込んでくれたので私は静かにスルーした。今日くらいは絢音を偲ぼう。ひとまず、ライブはとても楽しかった。

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