第35話 デート(4)

 水族館を出てプロムナードを並んで歩く。気温は朝よりは随分穏やかで、3月らしい陽気だ。

 都会のベイエリアみたいなアウトレットモールや大型ショッピングセンターはないが、駅を出てすぐのところに、ヴェネツィア村という、その名の通りイタリアのヴェネツィアを模したテーマパークがある。

 テーマパークというよりは、一応ショッピングセンターに分類されるのだろうか。入場は無料で、ゴンドラにも乗れる水路を挟んで50近い店が建ち並んでいる。その内、20店くらいがレストランなどの飲食店で、他には衣料雑貨の店や体験工房、他の区画には結婚式場や美術館もある。

 存在は知っていたが、来たのは初めてで、水族館と同じくらい楽しみにしていた。巨大なエントランスゲートをくぐり、異国情緒漂う町並みに目を輝かせると、奈都がからかうような眼差しで私を見た。

「チサ、子供みたい」

「県外すらろくに行ったことのない私の気持ちなんて、グアム経験者の奈都にはわからないんだよ」

「海が綺麗だった」

「海外なんて、私には遠い海の向こうの世界だから!」

 力強くそう訴えると、奈都が困ったように微笑んだ。渾身の冗談だったが、また頭がおかしいと思われていないか、一抹の不安を覚える。

「イタリアなんて、地図で場所を知ってるのと、教科書で歴史を知ってるのと、レストランで料理を食べるのと、動画で景色を見るくらいで、全然知らない」

 無念そうに首を振ると、奈都が「結構知ってるね」と笑った。ボケてもボケても突っ込まれないので、ムズムズする。

 とりあえず、あまり高くない店でパニーニを注文して、テラス席に座る。眼下の水路を、たくさんの乗客を乗せたゴンドラがゆっくりと通り過ぎていく。店には陽気な曲がかかっていて、いかにも作られたイタリア感はあるが、私はそういうのが嫌いではない。

「イタリアって、どうやって行くんだろう」

 運ばれてきたパニーニを頬張りながらそう言うと、奈都は怪訝そうに首をひねった。

「飛行機じゃない? それとも、世界一周クルーズみたいなのを考えてる?」

「もっと具体的に」

「成田からミラノ便とかローマ便があるんじゃない?」

「飛行機か……」

 そもそも私は飛行機に乗ったことすらない。初めての飛行機が初めての海外で、いきなりイタリアも面白そうだが、いつになるかわからないから、もっと近場で飛行機初体験を済ませるべきだろうか。

 意見を求めると、奈都がうーんと唸って腕を組んだ。

「とりあえず、みんなで沖縄とか北海道とか行く? お金ないけど」

「二人きりじゃなくていいの?」

「意地悪言わないで」

 奈都が頬を膨らませる。怒った仕草ではなく、パニーニを頬張っているだけだろう。きっとそうだ。

「パニーニはパニーノの複数形で、1つならパニーノって言うのが正しいって」

 つい先程仕入れた知識を披露すると、奈都が驚いたように眉を上げた。

「スパゲッティはスパゲット?」

「それは怪しいなぁ。水とかと一緒で、不加算名詞かもしれないね」

「水とか塩とかはわかるけど、なんで魚と羊は不加算名詞なの? 英語の話」

「ちゃんと答えた方がいい? それとも、ボケた方がいい?」

 じっと目を見つめて聞くと、奈都は呆れたように息をついた。

「真面目に」

「じゃあ、知らない」

「チサ……」

 憐れまれた。自分も知らないくせに、ひどい反応だ。せっかくだから調べてみると、群れで動くからと書いてあるページがあった。

 確かにマイワシは群れていたが、群れていない魚もいるし、鹿よりはフラミンゴの方が群れる。それについてはどう思うか尋ねると、奈都はすでに興味を失ったのか、「羊と魚と鹿だけ暗記すればいいんじゃない?」とぞんざいな口調で言った。

 私はそっとため息を落として首を振った。

「帰宅部員に必要なのは、興味と追求だから」

「うーん。私、好きなこと以外に興味が薄い」

「それは私も同じ。奈都は、好きなことの幅が狭いんだと思う」

 狭く深くは、多くのオタクに見られる特徴だ。それは悪いことではないが、色々なことにチャレンジしたい帰宅部とは合わない。

 ただ、私も浅く広く興味を持っているが、浅すぎて趣味らしい趣味がないことを悩んでいる。奈都みたいに、何かに情熱を注ぎたい気持ちはあるが、最後の最後で熱意がない。

「まあ、私も大した人間じゃないな」

 ふっと息を吐いて独白すると、奈都が白けた目で私を見た。

「その、さりげなく私を巻き込む自虐、やめてくれないかな」

 確か水族館に行く約束をした時に、奈都もさりげなく私をダメなグループに入れてきたと思うが、気のせいだっただろうか。

 奈都とは色々と違う部分が多いが、それでもお互いに好きで、ずっと仲良くやれているのは、要するに気が合うのだろう。

「私たち、仲良しだね」

 にっこり微笑むと、奈都が「嬉しくない文脈だった」と頭を抱えた。私はそんな奈都をにこにこと眺めながら、パニーニの最後の一口を頬張った。

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