第35話 デート(3)
水族館はなかなかの人の入りだった。みんな寒いから屋内の遊びを求めている。
チケットを買って入口から入ると、いきなり巨大な水槽でイルカが泳いでいた。水族館は北館と南館に分かれていて、北館はメインプールがあって、イルカとシャチとベルーガ、他は全部南館というわかりやすい構造になっている。
「イルカはいいね」
奈都が水槽に張り付きながら、嬉しそうに声を上げた。
確かにイルカはいい。見ていると平和な気持ちになる。イルカセラピーというのもあるらしいから、イルカに癒される人は多いのだろう。
「癒し系生き物」
隣でイルカを見上げながらそう呟くと、奈都はチラリと私を見て微笑んだ。
「チサも癒し系だね。見てると朗らかな気持ちになる」
「奈都は大きい魚と小さい魚と、どっちが好き? ただし、水族館に展示されている生き物はすべて魚とする」
発言をガン無視してそう聞くと、奈都は不服そうに頬を膨らませた。ちっとも朗らかになっていない。
「小さい魚も好きだよ。クマノミとか」
「白とオレンジのヤツだね?」
「そう。ニシキアナゴとかも可愛いね」
「白とオレンジのヤツだっけ?」
「そう」
「白とオレンジの魚が好きなの? つまり、カスミチョウチョウウオも好きなの?」
「えっ? 何それ!」
素っ頓狂な声を上げて、奈都が目を丸くした。その反応が面白かったので、くすっと笑って奈都の手を取った。
イルカのショーまでまだ時間があるので、先に南館を見に行くことにする。イベントとしてはイルカのパフォーマンスと、シャチのトレーニング、マイワシの群れる習性を利用したショーを見ようと話しているが、イルカとマイワシの時間がかぶっているので、上手に回らないといけない。
「チサはどっちが好き?」
日本の海の巨大な水槽を見ながら、不意に奈都がそう聞いてきた。
目の前で、マンタらしき魚が悠然と泳いでいる。
「涼夏と絢音?」
何でもないようにそう言うと、奈都が驚いた顔をした。
「いや、今明らかに魚の話をしてたよね? 小さい魚と大きい魚」
「随分前の話題だ」
「そうかなぁ。チサ、本当に四六時中涼夏とアヤのこと考えてるんだね」
奈都が呆れ半分、嫉妬半分という口調で言った。
「四六時中、涼夏と絢音と奈都のことを考えてるよ」
一応訂正しておくと、奈都は唇を尖らせて「ずるい」と呟いた。
小さい魚と大きい魚に関しては、ゆったり泳いでいる大きい魚が好きかもしれない。例えばマグロなんかは、ちょっと動きが速い。その点、マンタやマンボウはのんびりしていて私の好みだ。厳密に言えば魚ではないが、ベルーガやマナティーなども大変良い。
そう伝えると、奈都はなるほどと頷いて腕を組んだ。
「それはとてもチサっぽい。癒し系美少女だし」
「ウミガメもいいね。もし私を魚に喩えるとって聞かれたら、ウミガメって答えておいて」
「わかった。カメが魚かは、大いに考える余地があるけど」
それから、赤道の海を見たり、ウミガメを見たり、チンアナゴを見たり、深海魚を見たりしてから、南館にいるついでに先にマイワシのショーを見た。
音楽に合わせてキラキラと光るマイワシはとても綺麗で、幻想的だった。彼らはただ餌に群がっているだけだから、習性とは面白い。
「私も奈都の習性を利用して何かしたい」
いかにも帰宅部らしい発言をしてみたが、奈都は怪訝そうに首を捻った。
「私の習性? 例えば?」
「わからないけど。トイレでいちいちスカートを脱ぐとか」
「脱がないし!」
奈都が顔を赤くして唾を飛ばす。この大袈裟な反応が可愛くて、ついいじりたくなるから、私は奈都の習性をすでに使えているのかもしれない。
北館に戻って、シャチのトレーニングとイルカのパフォーマンスを連続して見物した。イルカのジャンプ力には驚かされるが、それよりも特筆すべきはその賢さだ。自らの意思で行動しているから、マイワシとは格が違う。
「奈都は、イルカかマイワシかって言ったら、マイワシだね」
何も考えずにそう言うと、奈都はしばらく考えるように眉根を寄せてから、ふるふると首を振った。
「私がイルカよりマイワシ寄りな部分が見つけられない」
「考えておくね」
「考えてから言って」
あまりにももっともだ。再び南館に移動して、いよいよクラゲを見る。本日のメインディッシュだと言うと、奈都が「食べるの?」と顔を綻ばせた。
「キクラゲはコリコリしてる」
「キクラゲはコリコリしてるね。で、クラゲは食べるの?」
「そういうところがマイワシなんだよ」
「どういうところかさっぱりわからないけど、チサはウミガメ」
「ウミガメとマイワシの交尾」
「交尾!? 交尾するの!?」
「大きな声出さないで。人生で3番目くらいに恥ずかしい」
奈都の手を引いてそそくさと離れると、奈都が顔を赤くして私の手を握った。
「チサが変なこと言うから」
「マイワシ辺りから、何も考えずに発言してる自覚はある」
「頭のおかしいチサも大好きだよ」
「変わったご趣味ですね」
手を繋いだままクラゲを眺める。青いライトに照らされた部屋は薄暗く、大きな水槽に無数のクラゲが漂っている。比較的最近オープンしたばかりの、目玉展示の一つだ。
「ポリプはストロビラに、ストロビラはエフィラに、そしてエフィラはクラゲになって、私に食べられる」
静かにそう告げると、奈都は呆れたように目を細めた。
「聖書に出てくる系譜みたいだった」
「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブをもうけ、ヤコブはユダをもうけ、私に食べられる」
「神様は食べないで」
「あれって神様の系譜なの?」
「ヨセフの系譜じゃないの?」
「マリアは処女懐胎だから、ヨセフってキリストの育て親的な一般人じゃないの? それより、奈都も処女懐胎して」
「待って。今話がすごい飛んだ」
奈都が慌てた様子で手を広げる。その手を握って私は笑顔で頷いた。
「私の子供を懐胎する」
「チサの子供なら、交尾してからがいいけど」
すごいことを言い出した。思わず真顔で見つめると、奈都はキョドったように左右を見てから俯いた。
「その目、やめて」
「……」
「もうっ! 私が悪かったから!」
奈都が逃げるように私から離れて水槽に張り付いた。今のは私が悪かった。せっかく私の意味不明なウミガメとマイワシの交尾発言を拾ってくれたのに、内容が突飛すぎて上手く返せなかった。まだまだ習熟度が足りない。
「奈都、ごめんね」
耳元に顔を寄せて息だけで囁くと、奈都は顔を赤くして私を見た。
「何が? 私とは交尾できないってこと?」
「まったく違うけど。そもそもどうやって交尾するの?」
「知らないし!」
「詳しく説明して。一から。小学生にもわかるように」
両手で奈都の手を取って引っ張ると、奈都は急に遠い目をして水槽を見上げた。
「クラゲはいいなぁ」
クラゲはいい。いつまででも見ていられるが、そろそろお腹が空いたので出ようと言うと、奈都は私の手を握って頷いた。
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