第27話 悩み(2)

※(1)からそのまま繋がっています。


  *  *  *


 30分くらいそうしていただろうか。ずっと上に絢音を乗っけているので、そろそろ上下を交代して欲しいと思い始めたら、絢音が私の耳に唇を押し付けながら、息を吐くように言った。

「そろそろ悩み相談を始めようかな」

「もう始まらないのかと思った」

「千紗都の腕の中、安らぎ過ぎて、他のことが全部どうでもよくなる」

「まあ、癒し系アトラクションだから」

 自分で言いながら意味がわからなかったが、絢音はウケたように肩を震わせた。それから、恐らくまったく無意味に私の耳の中を舌で舐めた。なんだか久しぶりにされた。ゾワゾワする感触と音に背筋を震わせて、絢音の体をきつく抱きしめると、絢音が少しだけ苦しそうに声を漏らした。それから囁くように話し始めた。

「若い私たちの悩みなんて、9割が人間関係だと思うの」

「バンド?」

「そうだね。私には今、帰宅部とバンドの2つしか人間関係がない」

 それを言ったら、私など帰宅部1つしかないが、その自虐は話の進行の妨げになるので口にはしなかった。

「結論だけ言うと、なんか面倒くさくなって全部投げ出したいんだけど、どう思う?」

「それはさすがに、結論だけ過ぎてわからない」

 冷静にそう告げると、絢音はあははと笑った。声と唇の感触で、耳がくすぐったい。

「どこまで話したっけ?」

 絢音が静かにそう聞いた。私は「んー」と声を出しながら記憶を探った。

 どこまでと言うほど、何も聞いていない。絢音は中学の時、LemonPoundというバンドを組んでいたが、中学を卒業した時に脱退した。しかし、残りのメンバーは活動を続けていて、一岡に進んだギターの子がボーカルを務めている。

 サマセミで演奏するにあたり、同じユナ高に進学したバンドメンバーの豊山さんに声をかけられたことで、絢音は一度だけステージを手伝った。それが案外面白かったので、絢音としてはまたバンドをやってもいい気持ちになったが、やはり一岡に進んだベースの男の子に告白されて有耶無耶になった。

 同じ頃、残ったメンバーの内、一人だけユナ高だった豊山さんが、同級生の牧島さんと一緒に音楽活動を始め、絢音も巻き込んでPrime Yellowsというバンドで文化祭のステージに立った。

 そこまでが私の知っている情報である。私が話し終えると、絢音は両手が私の背中にあるせいか、口でパチパチパチと拍手をするように言ってから、うっとりと目を細めた。

「詳しいね。私のファン?」

「大ファン。愛友だし」

「じゃあ、続きを話そう。ファンクラブ限定の最新情報だよ?」

 おどけるようにそう言ってから、絢音が文化祭から今日までの話を始める。

 そもそも豊山さんはLemonPoundを続けていたが、Prime Yellowsを結成したことにより、元のバンドにあまり顔を出さなくなった。文化祭のステージはLemonPoundのメンバーも見ていて、なぜこっちに来ないのかと、少々険悪なムードになったらしい。

 それを豊山さん自ら愚痴ったのか、それとも雰囲気で察したのか、牧島さんが責任を感じてしまった。Prime Yellowsは、元々牧島さんがサマセミのステージで豊山さんを見つけて、声をかけて始まったバンドである。自分が声をかけなければと考えてしまうのも無理はない。

 一方のLemonPoundも、Prime Yellowsで絢音が歌ったことで、ベースの子が脱退すると言い出した。自分がいなければ、また絢音も戻ってくるだろうし、絢音が戻ってくれば、豊山さんも一緒に戻ってくると考えたのだ。

「まあ、全然関係ないとは言えないけど……」

 絢音がギュッと私の背中を引き寄せながら、耳元でため息をつく。息が苦しくなってきたが、話の腰を折りたくない。絢音の背中を撫でながらはぁはぁと荒い息を吐いていたら、絢音がくすっと笑った。

「千紗都、息が色っぽい」

「体勢が限界」

 絢音を下ろして、横向きで抱きしめ合う。顔が近かったからか、絢音が軽く私の唇にキスをしてから、話の核心に触れた。

「あの告白がなかったら、たまにならLemonPoundで活動してもいいかなって思ってたのは事実だよ。だからきっと今、Prime Yellowsに顔を出してるんだと思う。私、思ったよりバンドがやりたいのかもしれない」

「私はそういう絢音を応援したいよ? ファンだし」

 ステージの上の絢音はカッコイイ。もちろん、平然と一桁順位を維持し続ける絢音もカッコイイが、その絢音には驚きがない。絢音は見た目通り賢い子だ。

 それに比べて、ガーリッシュな格好でギターを弾いて、低い声で歌っている姿には、強烈な違和感がある。そのギャップに心が躍る。もちろん、昔からのメンバーには、絢音のその姿は「普通」なのだろうが、なにせ私は出会ってからふた月もの間、そのことを知らなかったのだ。

「まあ、隼一……ベースの子だけど、その子はともかく、キーボードの男の子が、そういうことなら逆にPrime Yellowsに入れて欲しいって話もしてるみたいで。でも、キーボードはさぎりんがいるし、さぎりんが言い出したバンドに、莉絵経由で、しかも男子を入れるのはちょっとおかしいでしょ?」

「それは牧島さんに聞いてみないとわからないけど、抵抗はあるかもね」

 私なら嫌だ。ただそれは、私が男女混合の集まりが苦手だからであって、牧島さんはそうではないかもしれない。絢音はどうなのだろう。先程から、絢音の考えや想いがまるで出て来ない。率直なところを聞いてみると、絢音は小さく息をついて首を振った。

「私はゲストのつもりなんだけどね。面白そうなら続けるし、つまらなくなったら辞める。そう言ったら、莉絵は私が面白いと思える活動をしたいって言って、さぎりんも私とやりたいみたい。それは有り難いけど、ちょっと重い」

「まあ、センターボーカルでギターも弾いてる子がゲストっていうのは、音楽に詳しくない私が聞いても変だと思うよ?」

「元々私なしで始めたのに、文化祭のステージで、私がいなくちゃ続けないみたいな空気になっちゃったのも、私としては残念。莉絵が私のことを好き過ぎるんだよ」

 好きという言葉に、胸がチクリと疼いた。重たくならないように「親友なの?」と聞くと、絢音は私の気持ちなどお見通しだと言わんばかりに微笑んだ。

「愛友ではないね」

 そう言って、むさぼるように私の唇を吸い上げる。しばらく舌を絡めてから、絢音がほぅっと息を吐いた。

「もう、全部投げ出して、こうして千紗都の腕の中にいたい。前にも言ったけど、やれることとやりたいことは違って、私は帰宅部が大好きなんだよ」

 それは本当に嬉しい。でも、だからこそ、絢音のバンド活動を応援したくなる。もし絢音がバンド活動に重きを置く発言をしたら、私は全力で引き留めたかもしれない。

「帰宅部の活動に支障がない程度に、バンド活動を続けて欲しいなって思うよ?」

 随分と我が儘な意見だ。自分で言っていてそう思うが、本音なので仕方ない。ステージで歌う絢音は見たいが、帰宅部の活動は減らして欲しくない。バンドは続けて欲しいが、バンドメンバーとあまり仲良くなって欲しくない。子供かよと、自分でも思う。

 自己嫌悪に陥っていると、絢音が私の髪に指を滑らせた。

「私は音楽がやりたいのと、千紗都と遊びたい思いがある。千紗都が音楽をやってくれたらいいのに」

「理想的ではあるね」

 当然無理だという前提で笑い飛ばした。帰宅部の中では一番受けが広く、色々なものに手を出しているが、それはあくまでお遊びである。ビリヤードみたいに、入るかどうかは運任せみたいな、そんなレベルで良ければ付き合えるが、楽器はそうはいかない。ど素人の涼夏と二人で始めるならともかく、人前で弾いて歌える絢音と一緒にやるのは、さすがに気が引けるしわきまえる。

「まあ、さすがにそうだよね」

 絢音が残念そうにそう言いながら、私の首筋に舌を這わせた。どさくさに紛れてなんてことをするのか。くすぐったさに堪えていると、絢音が「千紗都、美味しい」と熱にでもうなされるように言った。真面目な悩みの相談中でも、この子は頭がおかしい。

「ウクレレくらいならやってみてもいいかも。でも、私そもそも、音楽にあんまり興味がない」

「千紗都がウクレレ……。似合わない……」

 絢音が私の首の付け根を甘噛みしながら、可笑しそうに肩を震わせた。舐めるのは構わないが、変な跡が残らないようにしてほしい。

「絢音は、歌いたいとか弾きたいっていう気持ちが、内側から溢れて来るんでしょ? 私、そういうのが全然ない。それはまあ、音楽に限らないけど」

「千紗都はモノより人の人だからね。でも、趣味探しの旅は続けてるんでしょ?」

「まあ、うん。私の話はいいよ。それより、絢音はどうするの?」

 強制的に話を戻す。絢音はきっと、どういう形でもいいから私に楽器を触らせてみたいと思っているのだろうが、それとPrime Yellowsでの活動はまったく別の話だ。私がウクレレを弾き始めたら、絢音が豊山さんを切り捨てるというのは、話が飛躍し過ぎている。

 そう説くと、絢音は私の首筋にかぶりついたまま言った。

「親友より愛友」

「絶対に退屈だよ。すぐに刺激が欲しくなるって」

「それはそうかもしれないね」

 絢音がどうでも良さそうにそう言って、私の体に手を這わせた。今の声には、話を打ち切るような響きがあった。ただそれは、ネガティブなものではなく、何らかの結論に至ったからもう大丈夫だというニュアンスだった。

 ずっと触られっぱなしなので、両腋からお尻まで強めに撫で下ろすと、絢音が変な声を上げて体を震わせた。

「びっくりした。千紗都から触ってくることなんてないから」

「たまには? それで、どうすることにしたの?」

 両手でお尻を撫で回すと、絢音がくすぐったそうに身をよじって私の手を取った。

「くすぐったい!」

「こんなぐらいで音を上げないで。私が普段、どれだけ君たちに触られてるのか、わかってるのかな?」

「わかった。我慢する。目覚めそう……」

 絢音がギュッと抱き付いて、耳元で熱っぽい息を吐いた。何に目覚めるのか知らないが、質問に答えて欲しい。お尻を叩いて促すと、絢音は諦めたように口を開いた。

「まあ、今まで通りほどほどに付き合うよ。絢音さんは、千紗都さんほど人付き合いが下手ではないのです」

「私も下手じゃないから! 付き合う人がいないだけで」

「それは笑えばいいの? 同情すればいいの?」

「好きにして」

 仰向けになって、もう一度絢音を上に乗せた。背中をギュッと抱きしめると、絢音が安らいだ表情で私の肩に顔をうずめた。

「こうして、千紗都の腕の中で少し愚痴るだけで気分が晴れる程度の悩みだって自覚したから、もう平気。演奏してる最中は楽しいし、莉絵もさぎりんも友達だし。私も定期的に1時間チャレンジして、ストレスを発散しよう」

「それなら回数券がお得です」

 そう言いながら時計を見ると、とっくに1時間以上経っていた。それでも、親が帰ってくるまでまだまだ時間がある。

 絢音が私の腕の中で、楽しそうに私の体を触っている。豊山さんや牧島さんと、あれだけ熱いステージを作りながら、それでも絢音が一番いたいのは私の腕の中だということに、子供じみた優越感を覚える。

 何もない私が、唯一誇れる愛友たち。たまには外に遊びに行っても、最後にはきっとここに帰って来てくれたら、私はそれが一番嬉しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る