第19話 文化祭 1

 新学期が始まるとすぐに席替えがあった。私の席は廊下側から2列目の前から4列目。入学してからずっと一緒だった絢音とは離れてしまい、元々離れていた涼夏とも近くにはならなかった。私がため息をつくと、涼夏は「席は離れてても心は繋がってる」と笑っていた。

 その涼夏は窓際の前から3列目。絢音はど真ん中の前から2列目で、先生からよく見える位置だが、絢音は勉強が好きだから問題ないだろう。先生からよく見えるということは、絢音からもまた、先生がよく見えるということだ。

 数少ない友達と離れてしまったのは残念だが、もう十分仲良くなったから大きな影響はない。もし入学して最初にこの席だったら、果たして絢音と仲良くなっていただろうか。もちろん、数少ない帰宅部なので、どこかで交流は生まれていたと思うが、前後の席で話をするのと、わざわざ話しかけに行くのはだいぶ違う。仲良くなるのに時間はかかっただろう。

 そう考えると、人間関係は運次第で、私はラッキーだった。今や遠ざかってしまった絢音の髪の毛を眺めながらぼんやりとそんなことを考えていたら、隣の男子が嬉しそうに話しかけてきた。

「いやー、野阪さんの隣とはラッキーだ。俺は運を使い果たした」

 実に軽いタッチでそう言ったのは、川波君という帰宅部の男子で、入学してからずっと、時々私と涼夏に絡んで来る男の子の一人だ。恋愛的に好きというよりは、単に可愛い子と仲良くなれたら嬉しいという単純な動機のようだが、いずれにせよ私たちの帰宅部は男子禁制である。

「川波君、江塚君とは仲良くやってるの? 夏休みは遊んだ?」

 最低限の社交辞令として、まったく興味のない話題を振ってあげる。いくら壁を作っているとはいえ、私はあなたの隣になってアンラッキーですとはっきり告げるほど冷酷ではない。

 江塚君とは、川波君と同じ帰宅部で、よく二人でつるんでいる。私と涼夏みたいにキスしたりするのだろうか。私はそちらの世界には疎いが、下手なことを聞いて藪蛇になるといけないので口にはしなかった。

「ヨシとはまあまあ? 一度も実現してないけど、俺もヨシも野阪さんと猪谷さんと遊びたいと思ってる。2学期こそ!」

 なかなかナンパな台詞を言う男だ。それも本気のニュアンスを出しつつも、どこか冗談になるギリギリのラインを攻めているから、かなりのやり手である。ただ、私も男子に声をかけられる経験は豊富なので、攻略は諦めていただきたい。涼夏に引っ叩かれた日を最後に、もう二度と男子に心は開かないと決めたのだ。

「涼夏は可愛いからねぇ。涼夏と仲良くできるから、私は女で良かった」

「人気は五分だよ。ヨシは猪谷さん派だけど、俺は野阪さん派」

 なんだその派閥は。涼夏はわかる。あの子は可愛いだけではなく、性格も明るいし、社交的だし、もしファンクラブがあったら私も入りたいくらいだ。しかし、私は明らかに男子に壁を作っているし、そんなに笑う方でもないし、人気が出る理由がわからない。暗いからチョロそうと思われているのかもしれない。

「女子はないの? 川波派とか江塚派とか」

 そう言って、川波君が自分の方に親指を立てて得意気に笑った。モテそうではあるし、実際友達の恋バナに名前が出てくるのを聞いたことはあるが、生憎我が帰宅部から男子の名前が出ることはない。

「あるかもしれないけど、私は無所属だね」

「無所属! その表現は面白いわ」

「川波君の笑いのポイントはわからないけど、川波派の子に声をかけた方が早いんじゃない?」

 至極真っ当なアドバイスを送る。彼女を作るだけならその方が早いが、果たして川波君が彼女を欲しがっているのかはわからない。案の定川波君は首を左右に振って、真っ直ぐ私の目を見つめた。

「野阪さんが俺にまったく興味がないのと同じで、俺も一方向の女子にはまったく興味がない」

「なるほどね」

「いやー、でもラッキーだった。もう今だけで、1学期全部と同じくらい、野阪さんと喋った」

 嬉しそうに川波君が笑う。私はただ喋っているだけで、そこには何の感情もないが、男子はこういうことでも喜ぶし、もしかしたら勘違いしてしまうかもしれない。私は黒板に視線を戻しながら、気を付けなくてはと心の中で自分に言い聞かせた。


 帰り道、案の定二人に心配された。9月とはいえまだまだ暑い日差しの中、古沼への道を歩いていると、涼夏が絢音越しに私を見て眉をひそめた。

「千紗都、今日川波君とたくさん喋ってたね。大丈夫だった?」

 隣で絢音も大きく頷いて、私の手を強く握って不安げに瞳を揺らした。席は離れてしまったが、私が二人を気にしているように、二人も私のことを気にしてくれているようだ。私は空いている方の手を、虫でも払うように振った。

「席が隣だからね。話しかけられたから喋ってただけ」

「いざとなったら、私はレズで猪谷涼夏と付き合ってるってカミングアウトしてもいいからね?」

 涼夏が真顔でそう言って、私は思わず噴いた。いつからそういう設定になったのかはわからないが、断り方としてはなかなかインパクトのある強カードだ。

「いざとなったら使わせてもらうね」

 笑いながらそう言うと、涼夏は満足そうに頷いた。

 きっとそのカードを使う機会はない。少なくとも川波君に関しては、勝てない勝負を挑むほど愚かではなく、席が隣同士というアドバンテージを活かして、私と話せるだけで満足するだろう。とりあえず今のところはそう思う。

「川波君は私派で、江塚君は涼夏派なんだって。猪谷組とかあるらしいよ」

「なんだそれは。ゼネコンみたいだな」

「いや、組とは言ってなかったけど」

 私が首をひねると、絢音がくすくすと笑った。

「ゼネコンって……。涼夏がそんなこと言うとは思わなかった」

「隠れ絢音会とかもあるって、絶対」

「隠れキリシタンっぽいね。私の写真を踏めるかどうかで判断しよう」

「いや、絢音会に所属してなくても、クラスメイトの写真とか踏みたくないし!」

 涼夏が慌てた様子でそう言って、私は思わず絢音の手を離して顔を押さえた。立ち止まって肩を震わせると、二人が不思議そうに私を見つめた。私は二人に手を伸ばして首を振った。

「待って。今の、面白い」

「爆笑してる千紗都、珍しいな」

「うん。千紗都、可愛い」

 動物園に来た子供のように私を眺める二人の前でひとしきり笑ってから、私は涙を拭って呼吸を落ち着けた。

 気を取り直して歩き始めると、涼夏が元々今日はその話題をしたかったという様子で切り出した。

「9月に入ったけど、今月一番大事なイベントは何かな?」

 9月。四季を3ヶ月ごとに区切ると一応秋に分類されるが、まだまだ日中は暑い日が続く。スポーツの秋とか芸術の秋とか食欲の秋とか、そういうのは来月からだろう。もっとも、今月は最後の週に文化祭がある。各部活、夏休みの内から展示の準備に取りかかっていると奈都が言っていたが、クラスの展示はまだこれからだ。明日くらいに話があるかもしれない。

「文化祭、うちは何やるんだろうね」

 他人事のようにそう言うと、涼夏が驚いたように目を丸くした。

「待て。今のは文化祭の話をするための振りじゃない!」

「他に何かあった?」

「二人とも誕生日、今月でしょ!」

 涼夏がオーバーな動きでそう言うと、絢音は「知ってた」と頬を緩めた。私は素で気付かなかった。確かに私は今月の18日、絢音は2日違いで20日。涼夏は二人分のプレゼントを用意しなくてはいけないから大変だなぁという話を、夏休みにした記憶がある。

「生憎2日とも平日だから、その週末にまとめてやりたいと思います。もちろん、別々が良ければ、土曜日に千紗都の、日曜日に絢音の誕生日会をしてもいいです。幽霊部員の日程も考えて決めたい」

 まだ3週間も先の話だが、涼夏は今から楽しみにしているらしい。それは素直に嬉しい。ちなみに幽霊部員とは奈都のことだが、奈都は帰宅部に入ったこともないし、そもそも帰宅部の幽霊部員というのは哲学的な存在だ。そう言うと、絢音が肩を震わせた。

「確かに、帰宅部の幽霊部員って面白いね」

「うん。奈都が真面目に部活やってたら、帰宅部をサボるなって叱ろう」

 二人で笑っていると、涼夏が間に割って入った。

「だから、脱線しないで! 前にナッちゃんの誕生日会はやったけど、帰宅部員では初めてだから、私は盛大にやりたいの!」

「じゃあ、何か豪勢な料理作ってよ。涼夏の家でホームパーティーしよう」

 元料理部で今でも日常的に作っている涼夏のご飯は美味しい。外で何か食べるより遥かにいい思い出になるし、なんならプレゼントに使うお金でいいお肉を買って、ステーキでも食べさせてくれたら、私は涼夏と結婚する。真顔でそう言うと、涼夏は顎に指を当てて地面に視線を落とした。

「お母さんは話せば家を空けてくれそう。妹はテキトーに追い出すか」

「妹って言うと、例の件はどうなったの? 聞かない方がいい?」

 ふと思い出したので聞いてみた。夏休みの終わり頃、まだ中2の妹が涼夏と母親が留守の間に彼氏を連れ込んでいることが発覚して、涼夏が随分悩んでいた。その情報はもちろんすでに絢音とも共有している。

 涼夏はしれっと手を振って笑った。

「家族会議にはなったけど、私が思ってるようなことはしてないって、むしろ私が随分なじられたよ」

「涼夏の大人の想像力が豊かすぎた?」

 絢音がいたずらっぽく目を細める。涼夏は小さく息を吐いて口角を上げた。

「私はその言葉を信用してないけど、まあ深刻な家族会議になったから、抑止力にはなるでしょ。私が嫌われて事故を未然に防げるなら、それでいいんだよ」

 そう言った涼夏がかっこよくて、思わず胸がときめいた。

「お姉ちゃん……」

 涼夏の指をつまんでうっとりと見つめると、涼夏がギョッとしたように身を仰け反らせた。

「始まったな、千紗都の思考の飛躍!」

「でも、お姉ちゃんの顔してたよ?」

 絢音も涼夏の手を握って、微かに頬を染める。そんな絢音を呆れたように見つめながら、涼夏が口を開いた。

「絢音も弟がいるでしょ。ないの? そういう姉弟ネタは」

「ないよ。こないだ、トイレが長いとか言ってきたから張り倒したら、戦争になった。私の全面勝利で終わったけど」

「絢音、結構武闘派だよね。学校のおっとりしてる絢音とは、だいぶ印象が違う」

 目を丸くする涼夏に、私も同調するように頷いた。絢音が可笑しそうに口元に手を当てた。

「まあ、生理でイライラしてたから。殴り合いの喧嘩をしたら勝てないけど、私に手を出したら後からさらに悲惨な運命が待ち受けてるのが経験的にわかってるから、最近は叩いて来なくなったね」

 確かに、したくてしているわけでもない生理の処理をしていて長いとか文句を言われたら、手が出るかもしれない。兄弟がいない私でも容易に想像できる。

「その点では、うちは女しかいないから、色々と楽かもしれない。男兄弟は大変そうだ」

 涼夏が自分を納得させるように頷く。二人の話を聞いていると、兄弟がいるのは面倒くさそうだが、二人とも当たり前のようにあるメリットの話はしていないだけだろう。

「まあ、私は一人っ子だから、絢音をお姉ちゃん、涼夏を妹のように思って過ごそう」

 ぽつりとそう呟くと、涼夏が「私は姉じゃなかったのか」と笑ってから、そっと私の頬に手を添えた。そして、目を細めて唇をすぼめる。

「姉妹じゃ結婚できないよ?」

「どうせ出来ないでしょ」

 冷静に突っ込むと、涼夏が「いけずやなぁ」とため息をついた。異性を遠ざけている割には、結婚という言葉に憧れを抱いているように見える。よくわからないが、そんなところも涼夏は可愛い。

「私はお姉ちゃんなんだね?」

 絢音が確認するように言ってから、私の髪に触れた。背も私より高いし、しっかりしているし、落ち着いているし、絢音はどう考えても姉だろう。そう言うと、絢音はくすっと笑った。

「こんな可愛い妹がいたら、気が気じゃないね。留守に男を連れ込んだりしないでよ?」

「しないから! 興味ないし!」

 思わず声を上げると、絢音が微笑んだ。

「その設定は生きてるんだ」

 髪を撫でる指先が優しい。姉妹かはともかくとして、この二人といる時間は本当に穏やかだ。夏の間に仲も深まり、帰宅部の活動はますます順調である。ひとまずこの時は、私はそう思っていた。

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