第17話 海 3

 大きな樹の下にレジャーシートを敷いて、荷物を置いて固定すると、ビーチサンダルを脱いで腰を下ろした。下が少しゴツゴツするが仕方ない。周りの人たちは、テントを張ったり足を伸ばせる大きな椅子でくつろいでいる。デッキチェアというのだろうか。ああいうものは車ではないと持ち運びが難しい。高校生の限界を感じていると、絢音が私の隣に座って海の家を指差した。

「あの椅子はレンタルできるみたいだね。後は、浮き輪とか、パラソルとか」

「ああいう椅子に寝そべって、陽気な曲をかけながらトロピカルなカクテルとか飲みたい」

 涼夏が笑いながら、絢音の持ってきた浮き輪を咥えた。膨らませる労力一つ取っても大変だが、浮き輪のレンタル500円は高く感じる。

「カクテルとか、飲んだことないや。涼夏は大人だね。童顔なのに」

 奈都が感心したように頷くと、涼夏が慌てて手を振った。

「いや、飲んだことないから! 童顔じゃないし!」

「涼夏は可愛い系美少女だよ。チサは綺麗系美少女」

「千紗都は美人。わかる」

 涼夏が満面の笑みを浮かべて同意する。どうも褒められている気がしないのは、涼夏が可愛すぎるからか。それとも、私は美人より可愛いと言われたいのか。

「さっき奈都に、私は根暗で喋らないから清楚に見えるって言われた」

 涼夏がタクシーの交渉をしている時の話をすると、奈都が血相を変えて私の手を取った。

「そんなこと言ってない! 思ってもない!」

「やっぱり正妻は違うねぇ。私はそんなこと思ってても言えないよ。思ってないけど」

 涼夏が途中まで膨らませた浮き輪を持ち主に投げて、折り畳まれたビーチボールを手に取った。絢音が浮き輪を引き継ぐ横で、奈都が心外そうに首を振った。

「私も思ってないから! 風評被害だよ!」

 奈都が涙目で睨むので、慰めるように髪を撫でると、潮風のせいで少しベタついていた。

 浮き輪が膨らむと、涼夏も膨らませたビーチボールをポンポンと叩いた。まずは海に入ろうと砂浜に足を踏み出す。灼けた砂が熱い。反対に水は一瞬冷たかったが、すぐに慣れた。膝くらいの深さでもう、底は見えない。

「いつかみんなで、沖縄とかグアムとか行きたいね」

 涼夏がそう言いながら、ビーチボールに掴まってプカプカと浮かんだ。絢音が涼夏に抱き付きながら、浮き輪を私の方に押した。相変わらずこの持ち主は所有権を放棄する。せっかくなので奈都を上に座らせて、浮き輪に掴まりながらお尻に触ると、奈都が可愛らしい悲鳴を上げた。

「なんですぐお尻を触るの!?」

「帰宅部の儀式みたいなものだから気にしないで。この浮き輪に座ると、お尻を触られるんだよ」

「そんなの聞いてないし!」

 奈都が顔を赤くして非難する。申し訳ないが帰宅部の流儀に従ってもらおう。哀れみの眼差しを向けながらお尻を撫でていると、涼夏が「私も撫でる」と嬉しそうに言って、浮き輪の下に手を伸ばした。

「おかしい。この人たち、頭がおかしい」

 奈都が顔を押さえて首を振る。実に可愛らしい仕草だ。

 沖に浮いている四角の島まで泳ぐと、よじ登って息を吐いた。泳ぎは得意ではないので、足がつかない場所は若干怖いが、浮き輪があれば安心できる。4人の中では誰が一番泳げるだろうか。見ている限りでは、絢音はビーチボールや浮き輪がなくても、動じる様子がない。

「絢音は、泳ぎは得意なの?」

 私たちの命綱とも言える浮き輪の所有者だし、勉強ばかりしていてあまり運動が得意そうにも見えない。素直にそう言うと、絢音は得意げに笑った。

「昔、習ってたしね。浮き輪は私のじゃない。私ならもっと可愛いのにする」

「確かに、絢音っぽいデザインじゃないね」

 涼夏が笑いながら、シンプルな水玉模様の浮き輪を叩いた。可愛くないわけではないが、絢音が積極的に買うような柄でもない。

 ゆらゆら揺れる島の上で改めて海岸を眺めると、お盆を過ぎてなお、なかなかの人出だった。平日なので若者が多い。場所が不便なので、自分たちのように高校生だけというグループは少なそうだが。

 島の上でくつろいでいたら、大学生くらいの男性3人に声をかけられた。「どこから来たの?」「高校生?」「部活の友達?」というような世間話を、涼夏が実に軽いタッチで答える。奈都は不慣れなようで私の陰に隠れて、私も壁を作りつつあしらいながら、じゃあと言って4人で島を後にした。

 帰りは私が浮き輪に入り、奈都が片手を浮き輪に引っ掛けながら疲れた顔をした。

「ナンパって本当にされるんだね。去年5人で乙ヶ浜行ったけど、声なんてかけられなかったよ」

「それは人数が多かったからだよ。ナッちゃん可愛いし、3人だったら声かけられてたと思うよ?」

 そう言って、涼夏が励ますように笑う。去年の夏はまだ奈都は髪の毛が短かったし、パッと見が可愛かったかは微妙なラインだが、こういう場所では顔よりも年齢とスタイルという気もする。

「涼夏も千紗都も慣れてるね。さすが学年トップ2。ナンパなんて日常イベントだね」

 絢音がふふっと笑う。私がトップ2ということはないと思うが、涼夏は私は学年で一番可愛いと思っている。

「あれはせっかくだからちょっと話しかけてみただけで、ナンパって感じじゃないね」

 涼夏がビーチボールを抱いて足をバタつかせながら、澄ました顔で言った。私も同感だが、絢音は可笑しそうに頬を緩めた。

「ナンパとそれ以外の違いとか、私にはまったくわからない」

 奈都が「同じく」と同意しながら、私の肩に抱き付いた。

「チサ、気を付けてね? チサは可愛い上に寂しがりだから、私は不安だ」

「大丈夫大丈夫」

 奈都の腕をポンポンと叩きながら、前にナンパについて行きそうになって涼夏に叩いてもらったことを思い出した。自分で思うより私は心が弱いから、油断せず気を付けたい。

 レジャーシートまで戻ってくると、体を拭いて日焼け止めを塗り直した。涼夏が私の背中に塗りたがったので、任せながら奈都の背中や肩に塗ってあげる。くすぐったそうにする奈都が可愛かったが、私もくすぐったかったので、涼夏に同じことを思われたかもしれない。

 お返しに涼夏にも塗ってあげる。張りのある肌に、滑らかな触り心地。首筋から鎖骨へ。そのまま手を下げて水着のカップの上部から中に手を入れると、涼夏が可愛らしく悲鳴を上げて胸を押さえた。

「そんなとこ、塗らなくていいから!」

「夜まで我慢できなかった」

「夜にも触らせないから!」

 顔を赤くしてそう言ってから、涼夏はいきなりトーンダウンしてもじもじと俯いた。

「いや、千紗都がどうしてもって言うなら考えるけど」

「そういうのはいい」

 呆れながらそう言って、絢音にも日焼け止めを塗ってあげる。指先に涼夏の胸の感触が残っていてなんだかドキドキするが、ひとまず今は海水浴に集中する。

 そろそろお腹が空いてきたので、お昼にしようと海の家に向かった。店は日に焼けた若者たちで賑わっていて、奈都と二人で思わず怯んで息を呑んだが、涼夏はまるで知り合いの店にでも入るように、「こんにちはー」と挨拶しながら入っていった。なんとも逞しい。

 メニューは露店や定食屋で見るようなラインナップで、私は焼きそばを注文した。安っぽいくせに安くない焼きそばが最高に美味しく感じるから、海はすごい。絢音からふた口もらったラーメンも、至って普通なのにとても美味しかった。

「海水浴はいいね」

 私が呟くと、涼夏が満面の笑みで頷いた。

「この後、シャワーとか着替えとか考えなくていいのがいい。後は、日焼けが大変」

「やっぱり焼けるよね」

 奈都が自分の腕を指でなぞりながらため息をついた。肌に無頓着な割には、日焼けが嫌で屋内の部活を選んだ子だ。むしろよく海水浴に付き合ってくれたと思うが、毎日じゃなければいいのだろう。

 食べた後は、写真を撮ったり、ビーチボールで遊んだり、もう一度泳いだり、かき氷を食べたり、木陰で喋ったりしていたら、あっという間に夕方になった。チェックイン時間も過ぎているので、そろそろ宿に戻ろうと涼夏が言って、レジャーシートを畳む。

 明日は泳ぐ気はない。今日で十分満足したし、チェックアウトした後は着替えなどが面倒なので、明日は体力が残っていれば街に戻った後に恵坂にでも行こうと話している。

「宿に戻って、シャワーを浴びてから買い出しだな」

 素泊まりなのでご飯を食べに行かないといけない。コンビニは少し離れていて、水着で歩いて行ける場所ではない。わざわざ着替えて行くのが面倒な気がしないでもないが、近くの居酒屋に入る勇気はないし、持って来ているのはお菓子ばかりだ。

「私、コンビニ弁当って食べたことがないから、楽しみなんだよね」

 絢音がワクワクした顔で声を弾ませた。コンビニ弁当を食べたことがないなど、時々家にご飯のない私には信じられないが、毎日ちゃんとご飯が提供される家だとそんなものだろう。

「思ってるよりは美味しいと思うよ。ラーメンとかは、お店で食べるより美味しいまである」

 私が先輩面でそう伝えると、絢音が柔らかく目を細めた。

「夜に家で一人でコンビニのラーメン食べてる千紗都、可愛い」

「可愛くないから! 寂しいから!」

「泣きながらラーメン食べてる千紗都を抱きしめたい」

「泣いてないから!」

 強く訴えたが、絢音は空想の私にときめいているらしく、まるで聞こえていないようだった。大袈裟にため息をつくと、涼夏と奈都がくすくすと笑った。どうもいじられキャラが定着してきたが、そういうのも嫌いではない。

 宿に戻る頃には、体も水着もすっかり乾いていた。お風呂は23時までで、空いていたらいつでも入っていいらしい。入口に使用中プレートをぶら下げて、鍵をかけて使うシステムだ。

 部屋に帰ってくると、並べられた座布団にダイブした。さすがに少し疲れた。うつ伏せでぐったりしていると、涼夏が私のお尻をペチペチと叩いた。

「お風呂、空いてる内に行くよ?」

「うぅ……。もう乾いたし、どうせまた夜に入るなら、このままで良くない?」

「じゃあ、千紗都は留守番してて」

 涼夏の立ち上がる気配がして、3人が喋りながら荷物を出している音がする。しばらくこのままでいたら誰か構ってくれないかと思ったが、本当に置いていかれそうになったので仕方なく体を起こした。放置といういじり方なのかもしれないが、もう少し優しく構ってほしいものである。

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