第15話 プール(2)

 まだ9時だが、外はすでに暑かった。立っているだけでも汗が滴り落ちるのに、少し走ったから汗だくだ。

 適当な場所に小さなレジャーシートを敷いて陣地を作ると、涼夏が満足げに微笑んだ。

「やっぱり千紗都はスタイルがいいね」

「そんなことはない。早くスライダーに行こう」

 ニヤニヤしている涼夏の手を引く。涼夏は濃いオレンジの水着で、バナナの樹と実がたくさんプリントされたトロピカルな模様だ。全体的に紐で露出度が高く、元気いっぱいの肌は瑞々しい。ただ、胸は私の方が大きいし、ウエストからヒップのラインも、私の方が少し隆起が大きい。涼夏は若干幼さの残る体つきだが、それもまた可愛い。

「抱きしめたくなるね」

 そう言いながら、絢音がふわっと私の腰に手を回した。肌が熱くて、汗ばんだ感触が艶めかしい。私は思わず悲鳴を上げて絢音の体を引き剥がした。

「わかったから! スライダーに行こう!」

 絢音は淡い花柄の水着で、フリルではないが水着の端がヒラヒラしている。可愛い物が好きな絢音にしては大人っぽいデザインだ。私と涼夏より背が高い分、スラリとしているが、若干肉が薄い。痩せているのは羨ましいが、必ずしもそれがスタイルの良さとイコールではない。

「千紗都は、なんかすべてが完璧だよね」

 私の二の腕を指先でむにっとつまんで、涼夏が微笑んだ。完璧かどうかはわからないが、色がかぶらないように選んだ青を基調としたボーダー柄は、少し大人しかったかもしれない。売り場で派手と思ったくらいが、たぶん現地では丁度良かった。

 陣地を作っていた分遅れたが、最初のスライダーは15分待ちで乗ることができた。長いだけで怖いスライダーではない。長い分斜度は緩めだが、スタート地点が高いので足がすくむ。久しぶりに全力でキャーキャー言いながら滑り降りると、先に滑って待っていた涼夏が私の手を引いた。

「お疲れー」

 放心状態で肩で息をしていると、絢音も悲鳴を上げながら滑ってきて、私たちの前に来て「楽しかった」と微笑んだ。

「絢音があんな女の子っぽい声を上げてるの、初めて聞いた」

 私が目を細めてくすっと笑うと、涼夏が明るい笑顔で私の肩を叩いた。

「いや、千紗都の方が意外だった。声が響いてた」

「うん。千紗都、可愛かった。元は取った」

 絢音が同意する。随分安い元だ。次のスライダーに向かいながら、涼夏が私の顔を覗き込んだ。

「お化け屋敷とかどう? 千紗都の悲鳴が聞きたい」

「悲鳴が聞きたいとか、趣味悪すぎ」

「興味はあるけど、問題は私が得意じゃないことだ。たぶん、千紗都を楽しむ余裕がない」

「私は結構平気かも」

 絢音が胸を張る。平気な人がお化け屋敷に行ってもつまらないだろう。誰も楽しめなさそうなので、お化け屋敷は却下になった。私も好きではないので有り難い。

 次は大きなゴムボートに乗って滑り降りるスライダーにチャレンジしたが、後ろ向きになると先が見えず、かなりスリルがあった。混む前にもう一度という涼夏の希望に賛成し、長い列に並ぶ。1回目は15分で済んだが、2回目は倍かかるかもしれない。プールはだいぶ混み始めている。

「みんなでできるっていうのはいいね。はしゃいでる千紗都をずっと楽しめるし」

「うん。千紗都可愛い」

「二人とも、私のこと好きすぎでしょ」

 呆れながら言ったが、否定する言葉は出なかった。少し歪んでいる気がしないでもないが、好きになってくれるのは嬉しい。

 2回目もキャーキャー言いながら楽しんで、一度陣地で休憩してから、別のゴムボートのスライダーを楽しんだ。こちらはラフティングをテーマにしているようで、それほどスリルはなかったが、そもそもスライダーはスリルだけを楽しむものではない。

 少し早めのご飯にして、ラーメンやらカレーやらを注文してテーブルを陣取る。ここは私も含めて涼夏が奢ってくれた。もちろん絢音のためで、次の休憩は私が奢ることになっている。絢音には体で払ってもらおう。

「プールはありだね」

 ラーメンをすすりながら涼夏が言った。何か楽しめない懸念があったのかと首をひねると、涼夏が可愛らしく指を立てた。

「私たち、実はそんなに色んなことしてないし、遠出するのも初めてだったし、不安がなくもなかった」

「テーマパークで喧嘩になる話、たまに聞くよね」

 絢音が同意するように頷く。確かに、一緒に行く時点で仲はいいはずだが、それでも喧嘩になることはあるのだから、油断は禁物だ。

「私は、二人と喧嘩したくない」

 私がそう訴えると、涼夏が「そりゃそうだ」と笑った。

「でも、色々挑戦しないとね。海も行こう。プールとはまた違った感じになる」

「例えば?」

「ビーチボールが登場する」

 シンプルな答えに、私は思わずカレーを噴きそうになった。実際、プールは人目が気にならないし、ナンパの心配もなさそうだし、慌ただしくてせわしない。それと比べると、海はのんびりした時間が流れそうだ。友達と海水浴などという雅な経験は一度もないが、想像に難くない。

 食後は日焼け止めを塗り直してから、流れるプールに揺られることにした。致死の暑さだし、人出もピークだ。今スライダーに並ぶのは得策ではない。

 絢音が持ってきた大きな浮き輪を頑張って膨らませて、何故か私が放り込まれる。お尻を入れてプカプカ浮かびながら流されていると、いきなりお尻を強めに撫でられた。変な声が出そうになるのを堪えて絢音を睨むと、絢音は両手で浮き輪に掴まったまま、ふるふると首を振った。

「明らかに私じゃない。しようかなって思ったけど、さすがに自重した」

 涙目で涼夏を睨むと、涼夏は片手で浮き輪を押しながら神妙な顔をした。

「もしかして、痴漢?」

「涼夏の右手はどこにあるの?」

「いけずやなぁ」

 さも私が悪いかのように涼夏がため息をつきながら、性懲りもなく私のお尻を撫でた。絢音が「私だけ我慢するのは不公平だ」と言って、二人でお尻やら太ももやら、色々撫で回す。小さく悲鳴を上げて浮き輪から出ようとしたが、すっぽりはまっている上、上から押さえられて動けなかった。

「まあまあ」

「まあまあじゃない! くすぐったいからヤメて!」

「ヤメなきゃ絶交って言われたら考える」

「そこまでじゃないけど……」

 思わずトーンダウンすると、二人がくすくすと笑った。完全に遊ばれている。

 腹ごなしがてらのんびり1周して、波の立つプールに向かった。せっかく浮き輪を膨らませたし、スライダーはどれも長蛇の列だ。

 波のプールは実際、のんびりできるような状況ではなかった。これでもまだ平日だから、空いている部類なのだろう。土日だと一体どうなってしまうのか。

 浮き輪は持ち主が所有権を放棄したので、次は私だと涼夏が中に座って両手を投げ出した。波が強くなる奥の方まで引っ張りながら、さっきのお返しをしてやろうとお尻を撫でると、涼夏が可愛らしい悲鳴を上げた。

「何するの!?」

「いや、さっきさんざん私のお尻触ってたじゃん」

「それはそれだから!」

「どれがどれよ」

 意味がわからない。気にせず揉むように指を動かすと、むにむにと柔らかな肉の感触に胸がときめいた。果たしてここはお尻なのだろうか。前の方をいじっていると、涼夏が固く目を閉じて恥ずかしそうに首を振った。何をしても可愛い子だ。

 波のプールは四六時中波が出ているわけではなく、一定の時間間隔で波が立つ。水深が私たちの身長より深いところまで来て浮き輪に掴まっていると、やがて水面が大きく揺れ始めた。

 思ったよりも波が高くて、慌てて浮き輪にしがみつく。足が届かないので若干の恐怖を感じるが、涼夏は暢気に笑っていた。

「涼夏、座るのやめて普通に入ってよ。二人入れるでしょ?」

 私が悲鳴を上げると、涼夏は「しょうがないなぁ」と言いながら腰を上げた。絢音を見ると、手で中に入るよう促されたので、浮き輪と涼夏の隙間に体を滑り込ませる。両腕で浮き輪を抱え込むと、抜群の安定感にほっと息を吐いた。確かにこれなら怖くない。

 時々水を飲みそうになりながら波を楽しんで、やがて静かに揺らぎが止まった。いつの間にか絢音は私の前側から浮き輪に腕をかけて私の体を足で挟み、涼夏は私の後ろで、私の体ごと浮き輪を抱きしめている。

「これはどういう状況なの?」

 私が呆れながら聞くと、二人はしれっと言った。

「千紗都が中に入ってきたから、浮き輪の代わりに抱き付いてた」

「溺れそうだったから、全身でしがみついてた」

 波がなくなると、みんな次のプールやスライダーに移動するために波打ち際に戻って行く。私も涼夏に抱き付かれたまま、絢音に岸まで引いてもらった。背中に張り付く感触が柔らかくて気持ちいい。

 LSパークにはスライダーの他にもアトラクションプールがあり、専用の浮き輪で激流に流されるのが面白そうだったので行ってみることにした。近付くだけで悲鳴や歓声が聴こえてくる。グルッと1周回る細い通路を、激流に押されて元の場所に戻ってくるらしい。

 待つ必要はないようで、転がっていた浮き輪に体を通してプールに入る。なかなかの混み具合で、はぐれないように手を繋いで奥に進んだが、一定間隔で噴き出す激流に飲まれると、あっと言う間に二人ともどこかに行ってしまった。

 これは楽しい。その内発見されるだろうと、プカプカ浮かんでいたら、後ろから絢音が来て私の浮き輪に手をかけた。

「一瞬だった」

「人は水の前に無力だね」

 少し先に涼夏がいたので、捕まえて2周目に向かう。キャーキャー言いながら何周かすると、やがて力尽きた。

 そろそろ休憩にしようと、昼とは違うレストランでかき氷を食べる。まだ日は高いが、そろそろ帰り始めている人もいる。かき氷を食べ終えて、残り1時間半。空いているスライダー2つに、もう一度2つ目に乗ったゴムボートのスライダーを楽しんで、最後に温泉プールでくつろいでから陣地に戻った。

「満足した。中学の時より断然楽しかった」

 陣地を片付けながら、涼夏が満面の笑みを浮かべる。私も初めてだったが、確かに楽しかったし、1年分くらいはしゃいだ気がする。また来たいと言ったら、絢音が無念そうに眉根を寄せた。

「お金がもたない」

「私と援交して」

 思い付きでそう言うと、涼夏がギョッとしたように目を丸くする隣で、絢音が可笑しそうに口元を緩めた。

「そうする。ねーちゃん、5千円で私を好きにしていいよ」

「絢音、安売りはよくない」

「友達価格だよ」

 悪びれずにそう言う絢音の胸をなんとなく撫でてから、更衣室に戻った。シャワーを浴びて着替えてからバス停に行くと、長い列になっていた。県内とはいえ、車がないとアクセスが難しい場所にある。高速バスだと1時間は待ちそうだったので、涼夏のアイデアで最寄り駅までタクシーを使って、電車で帰ることにした。タクシーという発想は私にはなかったが、3人で高速バスに乗ることを考えたら、それほど変わらない。

 運転手に料金を確認してから、一番近い駅まで乗せてもらう。駅で電車に乗り換えると、平日ということもあり車内は空いていた。それに、冷房も効いていて気持ちがいい。ロングシートだったので私を真ん中にして座るや否や、涼夏があくびをしながら私にもたれかかった。

「楽しかったけど、疲れた」

 目を閉じて私の手をギュッと握る。絢音も同じように私の手を握って、肩に頭を乗せた。両腕が幸せだが、重たい。

 仕方ないので、私も目を閉じると、睡魔が襲い掛かってきた。思ったよりも疲れていたようだ。

「帰ったら、次の夏遊び会議をしよう」

 呟くように言ったが、返事はなかった。あるいは、誰か答えてくれたけど、私がもう寝ていたのかもしれない。

 涼夏が、中学の時より楽しかったと言っていた。遊び場のポテンシャルは大事だが、最後は結局、誰と行くかだ。

 もっとこの二人と一緒にいたい。夏休みも、秋も、冬も、それからもずっと。そうしたらきっと、毎日が楽しい。

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