第13話 労働(2)

 バイトは結局カラオケにした。あの後、定期券の効く範囲でカラオケ店を調べ、片っ端から電話して夏休みのバイトを募集していないか聞いたら、恵坂のど真ん中にあるカラオケ店が、面接で問題なければ二人まとめて雇うと言ってくれた。

 本当はもう少し田舎の、客の少なそうな店が良かったが、そんなところにあるカラオケは二人も必要としていないか、そもそもバイトを募集していない。繁華街の巨大な店舗だからこそ、人もたくさん雇えるのだ。

 早速午後から面接に行くことにして、奈都は一度家に帰って着替えつつ、親の許可を取り付けた。私と一緒ならとOKしてもらえたらしい。もちろん私は、家も近いし友達が奈都しかいなかったこともあって、奈都の母親とも何度も会っている。

「顔面の公開処刑だ。キミは可愛くないから、こっちの子だけでいいとか言われたら、私はもうチサと仲良くできないかもしれない」

 奈都が絶望的な表情でそう言うので、少しメイクを施してあげた。少しは興味を持ってくれるかと思ったら、「涼夏って、毎日こんな面倒なことしてるの?」とげんなりした顔で言った。ただ、目元はパッチリしたし、唇のツヤも良くなって、最後には鏡を見ながら嬉しそうにしていた。

「私しか受からなかったら辞める」

 電車の中でハッキリとそう宣言すると、奈都はもちろん自分もそのつもりだと頷いてから、柔らかく微笑んだ。

「チサが良かったら、私のことは気にしなくていいよ。バイトをするのが目的であって、別にどうしても私としたいわけじゃないんでしょ? そんなに都合よく二人まとめて採ってくれるとこ、ない気がする」

 それももっともだ。そうなったらそうなった時に考えることにして、面接に臨む。結果として、思ったよりもあっさり合格して、すぐにでも働いて欲しいと言われた。短期バイトを二人も雇うのだ。人が足りていないのだろう。

 未成年なので親の同意が必要だと書類を渡され、その日は簡単な説明を受けて帰された。せっかく外に出たし、多少はオシャレもしてきたので、奈都と恵坂で遊んで過ごした。ブラブラと街を歩きながらバイト代の使い道を考えたり、カフェでカラオケのバイトについて調べたりしていたらあっという間に時間が過ぎて、イエローラインの駅に戻る。まだ暑いし明るいが、冬ならとっくに暗い時間だ。

「ほんの5、6時間前まで、アルバイトするなんて考えもしてなかったのに、人生は本当に不思議だ」

 座席に座ると、奈都がそう言って爪先をコツンと打ち合わせた。勢いで巻き込んでしまったが、面接の後の言動を見ても、後悔している様子はない。

「私も、漠然と考えてただけだから、奈都に背中を押してもらった感じ」

「まったく押してない。チサが、一緒にバイトをしないなら友達をやめるって言ったから」

「まったく言ってない」

 同じように否定して、二人でくすくす笑った。店長は優しそうだったし、他のアルバイトは同じ学生が多い。初めてのバイトで不安もあるが、今は楽しみの方が大きい。そう思えるのも、奈都がいるからだ。嫌なことがあっても、それを奈都と共有できれば頑張れそうだ。

「カラオケのバイトについて調べてたら、同世代が多いから、カップルができることも多いって書いてあった」

 奈都が声のトーンを落として私を見た。不安そうな目をしているが、何に対するものだろう。

「恋愛したいの?」

 私が首を傾げると、奈都は慌てた様子で手を振った。

「そんなわけないでしょ!?」

 当然のようにそう言ったが、そうなのだろうか。私は不思議に思った。帰宅部の3人と違って、奈都には恋愛を遠ざける理由がない。3年以上一緒にいるが、少なくとも私にはそう見える。ただ、実際のところ、奈都は男子に興味がないし、色恋沙汰とも無縁な生活を送っている。ゲームやアニメが好きだし、実は二次元が恋人なのだろうか。

「私のことじゃなくて、チサ可愛いから、誰かに好きになられないか心配って話」

「もうあんなこと懲り懲りだから、上手に好かれないようにするよ。あの時は、私が恋愛に対して無防備すぎた」

 そう言って笑うと、奈都はしばらく真剣な表情で私を見つめてから、「そうだね」と頬を緩めた。奇妙な間があった。何か意味を取り違えただろうか。

 最寄り駅に着いたので電車を降りる。

「奈都こそ、誰かに好きになられて告白されるシミュレーションはしておいた方がいいよ。油断してると、咄嗟に対応できない」

 別れ際、そう忠告すると、奈都が可笑しそうに目を細めて頷いた。

「ありがとう。参考にするよ」

「奈都は可愛いんだから」

「はいはい。ありがとね」

 まったく信じていないようにそう言って、奈都は元気に手を振って帰って行った。

 夕方だがまだ日は高い。家に帰ると、当然のように両親はまだ帰っていなかった。確か今日は涼夏は朝から夕方までだったはずなので、バイトが決まったとメッセージを打った。暇になったら電話してと送ると、すぐに既読がついてスマホが震えた。

『もしもし、千紗都?』

 スマホの向こう側は静かだったので、もう家にいるようだ。改めてバイトが決まったことを伝えると、涼夏が「早いねぇ」と笑った。

『どこ? 私んとこから近い?』

「生憎。恵坂のカラオケ屋」

 店の名前を告げると、涼夏は「あそこかー」と相槌を打った。一緒に入ったことはないが、入口の前は何度も通っている。

『千紗都は寂しがりだし、うちに来ればよかったのに。1階のスーパーとか、バイト募集してたよ?』

 心なしか残念そうに涼夏が言った。たぶん、私のためだけではなく、涼夏自身も私に来て欲しかったのだろう。その気持ちは嬉しいが、先にカラオケ店で働きたい思いがあり、さらに奈都と二人で雇ってもらえる場所である必要があった。涼夏のバイト先の近くのカラオケ屋にももちろん電話したが、そういう条件では募集していなかった。

「涼夏のことは恋しいけど、奈都も一緒だから、寂しいのはたぶん大丈夫」

 そう伝えると、涼夏が驚いたように声を上げた。

『ナッちゃんもバイトしたかったの?』

「いや、私が無理矢理巻き込んだ。しかも、今日、いきなり」

『それは災難だね。でも、それで一緒にバイトをするって、さすが正妻って感じ』

 正妻かどうかはともかく、本当に付き合いのいい子だと思う。ほんの数日前、私は奈都から見に来て欲しいと言われていた部活の演技を、後から入った用事を優先して蹴った。喧嘩にもなったし、少なからず私に失望もしただろう。にも関わらず、奈都は私の我が儘を聞いてくれる。

「優しい子なんだよ。昔から私と一緒にいてくれる」

『千紗都のことが好きなだけでしょ。正妻だし』

「そうかなぁ。私が依存してるから、仕方なくって感じに見える」

『私が千紗都といるのはどう見える?』

「涼夏は私のこと大好きでしょ」

 即答すると、涼夏が可笑しそうに笑った。私が可愛かったからと言って、いきなりキスしてきたような子だ。それはもう疑いようもない。

 話題が涼夏に移ったので、そのままアルバイトの先輩に心構えを聞くことにした。業種は違えど、同じ接客業である。まず何に気を付けるべきか質問したら、涼夏が楽しそうに言った。

『笑顔で、元気に、明るく。教えてもらう時は謙虚に。ミスをしたら申し訳なさそうにして謝る。千紗都は可愛いから大丈夫だよ』

「可愛いのは、バイトをする上で何か有利なの?」

『バイトに限らず、可愛いから許されることが、世の中にはたくさんある』

 涼夏が自信たっぷりに言い放った。それはどうなのだろう。涼夏クラスだとあるのかもしれないが、私はそういう恩恵を感じたことがない。気付いていないだけか、それとも単に可愛くないからか。

 それから親が帰ってくるまで1時間くらい、涼夏からだらだらとバイトについて教わった。涼夏のポジティブな話を聞いていると、元気が湧いてくる。

 後で奈都にも伝えよう。奈都は私と違ってなんでも自分でできる子だが、もし少しでも初めてのバイトで不安がっているのなら、巻き込んだ責任としてそれを取り除いてあげたい。


 すぐに迎えたアルバイト初日は、私たちの緊張緩和と、教育の労力を半分にするために、二人一緒に入れてもらえた。

 カラオケの仕事は主にフロア、フロント、キッチンの3つに分かれるが、最初はフロアから始まる。部屋の掃除や、ドリンクや食事を部屋に運ぶ係だ。特に初日は掃除に専念する。2人もいる上、先輩も手伝ってくれるし、お客さんの多くはフリータイムを利用する。そんなに忙しくないだろうと思ったら、甘かった。忙しくなかったらいきなりバイトを2人も雇ったりしないのだ。

 アルコール消毒や拭き掃除、リモコンの充電にマイクの交換、グラスや皿を下げて、忘れ物があればフロントに届ける。案の定学生客が多いが、中にはタバコを吸う客もいるし、喫煙室の掃除は特に大変で、ニオイで頭が痛くなった。しかも窓のない室内にずっといるせいか、無性に太陽が恋しい。外は暑くてあんなにも屋内を望んでいたのに、閉じ込められると外に出たくなる。

 さらに、基本的にはエレベーターの利用は禁止されているので、階段を何度も往復する。中学時代の部活を思い出す運動量に、すぐに体が悲鳴を上げた。「情けないなぁ」と笑う奈都の笑顔だけが心の支えだ。

 ただ、基本的には掃除だけなので客と関わることがなく、先輩もいい人だったのでそれは救われた。結局どんな仕事でも、それこそ学校や部活でも、一番悩むのは人間関係である。コンビニよりは客層の良さそうなカラオケ店だが、トラブルのトップはやはり客で、特に夜は酔っぱらいが絡んできて大変だという。

「可愛い店員さんが、酔っぱらいに部屋に連れ込まれたりすることもあるって書いてあった。チサ、本当に可愛いから、本当に気を付けてよ?」

 奈都が心配そうにそう言っていたが、相変わらず奈都は自分がそういう目に遭う可能性は一切考えていない。夕方までしかバイトはしないし、大丈夫だと答えつつ、奈都もくれぐれも気を付けるよう念を押した。

 結局てんやわんやで初日を終え、二人でぐったりしながら店を出た。降り注ぐ日差しが心地良い。まだじっとりと汗をかくくらいの気温だが、もう屋内は懲り懲りだと、大通公園のベンチに腰掛けた。奈都が私にもたれかかりながら、肩に頭を乗せた。

「疲れた。思ったのと違った」

「うん。これで涼夏と同じくらいのバイト代って、世の中不公平だ」

「涼夏もきっと、私たちの見えないところで大変なんだよ」

「暇で死にそうだから、もう少し刺激が欲しいとか言ってたよ?」

 夏休みに入ってからはわからないが、それまでは平日などただの見張り番みたいなものだと笑っていた。そう伝えると、奈都が困ったように笑ってから、私の手をギュッと握った。

「でもまあ、慣れそうな感じはある。それに、今日一日で、私のひと月のお小遣いを超えたと思うと、なんだかすごく複雑な気持ち」

 時給950円で、休憩除いて6時間。奈都はお小遣いが5千円なので、あっさりとそれを上回った。私は1万円もらっているから超えていないが、それでも次回で超えるし、涼夏と違ってお小遣いももらえるので、信じられないくらい裕福だ。

「今日はヘトヘトだから気持ちは五分だけど、慣れてシフトの融通も利くなら、私も涼夏みたいに平日にバイトしてもいいかもしれない」

「学校から許可が下りればね」

 奈都が苦笑する。確かに、夏休みは親の許可だけでバイトができるが、学期内は学校への届と認可が必要になる。涼夏の家はいわゆるシングルマザーなので、それを理由に許可をもらっている。もっとも、給料は全額自分のために使っているが、私が「遊ぶ金欲しさに」という理由で届を出しても、恐らく却下されるだろう。

 先のことはまたこれから考えよう。とにかく今日は疲れた。

 ぴったりと触れ合う肌が熱い。私も奈都の髪に頬をつけて目を閉じた。じっとしていると奈都の鼓動と呼吸を感じる。

「バイト、付き合ってくれてありがとう」

 囁くようにそう言うと、奈都は小さく頷いた。

「うん。正妻だから」

「それ、気に入ったの?」

「私はずっと、チサの特別でいたい」

 そう囁いて、奈都が痛いくらい強く私の手を握った。嬉しいことを言ってくれる。髪の毛にキスをしたら、汗の匂いがした。

 明日は奈都は部活だが、私はバイトをすることになっている。奈都がいないのは心細いし、早速オーダーにも対応してもらうと言われて不安もある。それでも、それもいい経験だし、お金はやっぱり魅力的だ。

 明日も頑張ろう。今、気持ちがとても前向きだ。

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